ラスト3分

有耶/Uya

ラスト3分

 「なあ、あと三分で地球滅ぶらしいよ」


 見る影もない住宅街。瓦礫の山に座った彼、三鷹みたか久人ひさとはそう言った。


「らしいね。正直実感も湧かないけど」


 そう私、逢坂おうさか椿つばきは答えた。実際巨大隕石が落ちたのは南米あたりらしい。衝突の衝撃で世界各地を大地震が襲ったのは確かだが、これではただの大災害だ。


「地殻津波って痛いかな」


 椿がそんな素朴な疑問を呈する。


「首吊るよりはマシじゃない? 多分睡眠薬自殺の方が楽だと思うけど」


「だからみんな先に死んだのかな」


 ――地球が滅亡すると予告されたのは、今から二週間前のこと。偶然にも地球の近くを周回する小惑星に別の小惑星が衝突し、軌道がズレた結果地球とドンピシャコース。滅亡確定シナリオとなった。


 しばらく世界はいつも通り回った。現代では隕石への対抗手段も少なからず用意されていたからだ。ロケットに核爆弾を搭載し、隕石に当てて木っ端微塵にするとか。だがそんなの関係なしに、今回の隕石はデカすぎた。


 四日前、空には目に見えるほど隕石が大きく映った。ようやく人類は世界が滅ぶと自覚し、大混乱に陥った。初めに止まったのは経済。その後物流が止まり、インフラが止まり、最後に人が終わった。


 迫り来る人類絶滅。大きすぎて残酷な現実は、人を自ら破滅に追い込む。結果耐えられない人々はたちまち自殺していった。世界の何割がそうやって滅亡前に消えていったかはわからない。ただこの付近の住民は、一家心中に近い形でみんな死んでいった。地震もあってか、人の姿は周りに二つだけ。私と、横にいる三鷹久人のみである。


「信じられないよな。五日前まではみんな普通に学校に行ってたんだぜ。それがたった五日でみんないなくなっちゃった」


「その分……というと失礼か。私は生き切ると決めたから、いろんなことを体験できた」


「具体的には?」


「昨日初めて万引きしてみた。意外と爽快感あるんだね」


「優等生のお前でもそういうことしたくなるんだな」


「別に優等生じゃないから……そういう三鷹君はどうなの」


「俺は……何もしなかった」


 久人は尻を浮かし、姿勢を正して座り直した。「死ぬまでどう生きようか、どんなことして死のうか、死ぬときはどんな感じなのか、そんなことをずっと考え悩んでいた。そしたらいつの間にか今日だ。何もしないで人類滅亡の日だ」


「意外だね。もっとこう……はしゃぐもんかなって、勝手に思ってた」


「はしゃぐ相手がすぐ死んじゃったんだ。しょうがないだろ」


「それもそっか」


 しばらく無言で気まずい空気が流れる。案外そっけないものだ。今までありがとうと友人同士で涙を流しあうこともなく、やっぱり怖いとか震えて抱き合いながら終焉を迎えることもなく、ただすまして終わりを見届ける。


 だが実際久人と終わりを迎えるというのは満更でもない。誰かと一緒に逝くのは心強いし、それが長年の付き合いを持つ人ともなれば尚更のこと。結果的に私は、ここまで生きようと思えた……


 なんでそれだけで私は生きようと思ったんだろう。


「あ……」


 それを考えている暇はもう無さそうだ。長らく地平線の先に隠れていた、宙高く巻き上がった岩石の群れ。地殻津波が迫ってくる。あと少しで私たちも同じように巻き上げられる。岩に当たって粉々になるのが先か、大地の熱に当てられて蒸発するのが先か、はたまた宇宙まで生きながらえてしまって窒息するか。


 ああ、私はもう死ぬのか。死因を考察した途端に恐ろしくなる。今更ではあるが自覚して、恐怖が全身を覆う。小刻みに体は震え始め、視界が歪んで潤む。


 すると、震える手を久人がぎゅっと握る。


「やっぱり怖いよな……」


その感覚で分かったことだが、久人の手も震えていた。「俺も死ぬのは怖い」


 ただ、その恐怖は人の温もりによって霞んでいく。独りで死ぬのはとても怖い。ただ、そばに人がいて、寄り添ってくれると知れば心が落ち着く。


「少し泣くのをやめてくれよ。そうしないと、俺の最後の生きてきた意味が無くなる」


「……は?」


 椿は涙をぼろぼろ流しながら顔を上げる。さっきまで悩んでいたという奴が、急に生きてきた意味を見出したのだ。


「今、ようやく生き続けた意味が決まったよ」


「こんな死ぬっていう土壇場で何ができるっていうの」


「お前と話せる。お前に触れることができる」


 その顔はやや紅潮し始めていた。


「まさか、最期に私で童貞卒業しようと……」


「んなわけねえだろバカ!」


 全力でその誤解を払拭しようと必死で訴えかけてくる。顔が真っ赤だ。


「じゃあ何ができるっていうの?」


 そう問い詰めると、急に久人は黙りこくる。視線を合わせようともしてこない。やっぱりやましいものがあるのではないか。


「――っていえる……」


 顔を背けたまま、もごもごと呟く。近づいて聞き取ろうとしてみたが、それでも聞こえなかった。


「聞こえないよ。もっとはっきり言って」


 すると、久人は空を見上げて大きなため息をつく。そして何かを決心したような顔になり、こちらに乗り出してきてこう言った。


「椿に好きって言える」


 赤くなった顔でそう告げられる。恥ずかしさを我慢しているのか、少しむすっとした顔になっている。しかし、椿も顔を真っ赤にした。


「な、なんの冗談……」


「冗談じゃない。ずっと前から好きだった」


 地面に置いた手が、触れそうで触れない距離にまで近づく。「椿の性格も、いろんな表情も、全部全部好きなんだ。俺と話してて、笑ってくれる顔がとても好きだったんだ」


 段々と恥ずかしさを隠せなくなっているのか、頬の赤さがさらに強まる。


 しばらく呆然と、目を赤くしながら見つめていた椿だったが、さらに泣きたくなるような表情を見せた後、隠すように顔を下に向ける。涙がぽろぽろ溢れてきている。


「……ごめんな死ぬ間際に変なこと言って。今のは忘れてくれ――」


 しおれた久人が腰を浮かし、椿から離れようとする。触れる一歩手前まで近づいた手を離し遠ざかる。


 椿はその手を掴み、久人を留まらせた。久人の体はぐんと後ろに引き寄せられ、元の位置に戻った。


「……椿?」


「……私もそうだったの。久人がいたから生きようと思った。久人と最後まで一緒にいたかった」


 もはやなんの感情で涙を流しているのかも定かではないが、この瞬間の涙だけは確信を持って理由を言える。


「私も、久人のことが好きです」


 二人の間に突然風が吹き始める。火の粉や瓦礫の欠片が舞う中、椿は懸命に言葉を探した。


「やりたいことをやってもまだ何か足りなかった。何かやり残した気がして惰性で生きた。自分で自分の感情を隠して、気づけなかったの。私もあなたが好き。ずっと昔から好きだったの」


 椿はさらに久人に寄り添う。「もう一分もないと思うけど、最後の最期まで一緒にいて。そして生き切ろう」


 地殻津波が迫ってくる。地面が揺れ始め、各地から火が飛び出る。それでも、二人の周りだけは不可侵が約束された神聖な空間のように、最後までその地盤を維持していた。


「うん……ありがとう」


 久人はそう答え、椿を抱き寄せた。「生き切ろう。そしてまた逢おう、椿」


「約束してくれる?」


「うん、約束だよ」


 久人の声も震え始める。「全く……やっぱり地球最後の日に告白とかやるもんじゃないな。ようやく成就したのに、これしかいられないなんて……」


 だからこその約束である。次も二人で生きることができるように。分かっていてもなお、別れとは死よりも辛いことである。


 覚悟した二人は、同時に目を瞑った。溢れる涙は止まることを知らず、椿の肩を、久人の胸を、それぞれ濡らしていった。


「バイバイ、久人」


「またね、椿」


 二人を乗せていた地盤も遂に亀裂が入り始め、灼熱の閃光と共に巻き上がる無慈悲な地殻の濁流が押し寄せる。



 そして、三分がたった。

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