第11話

王宮にある書類は膨大だ。戦争の記録……もちろん赤い雨前にあったものだけではない……が大量に見つかった。

「この辺は読んだか?」

アレストが聞くと、アントワーヌが頷く。

「読み過ぎて頭が痛くなったのだ。僕はどうやらシャフマの王子と共に戦争に参加したらしい」

アントワーヌが指を差したのは『王子』という文字。

「名前が消されてる……」

そう呟いたのはノアだ。何故かシャフマ王子の名前が黒く塗りつぶされている。他の資料もそうだ。歴代のシャフマ王子の名前、全て。

「名前自体が呪文になっているのかもしれん」

「そんなことあるのお?」

「ニチジョウやブンテイ……フートテチの山奥にある小さな村では、地位の高いものに敢えて呪文の名前をつけることがある。シャフマほど大きい国では可能性としては低いが、無いとは言いきれんわい」

名前を呪文にすることで、他の村人を畏怖させて統治しやすくするという風習らしい。

「呪文……僕は魔法については全く分からないのだが、この消し方を見るに、その可能性は高いと思うのだ」

念入りに黒で塗り潰されている。強い意志を感じる。

「この感じ、名前を口にするどころか文字列を見ただけで呪われそう。ね、アレスト」

「そうだな。きっと恐ろしい呪文なんだろう」

「長い名前かしらねえ?短いとすぐ発動しちゃいそうだしい」

「でもこの感じ、3文字か4文字じゃない?塗り潰してる範囲が狭いし……」

推理しようとしているノアとルドを横目で見、口を開くリュウガ。

「よしておけ。本当に当たったら呪われるのはおぬしらじゃぞ」

「王子の名前は知らなくてもいいだろう。と、いうか……今のシャフマ王子はメルヴィルだっただろう?」

「あ。そっか」


「メルヴィル……」


アントワーヌが小声で繰り返す。


「あ!何か思い出せそう?」

ノアの明るい声に、アントワーヌが頷く。

「聞き覚えがある名前なのだ。彼はたしか剣士だったな」

「剣士?……」

ノアとアレストが顔を見合わせる。2人が思い出すのは、悲惨な死を遂げた彼の体内から覗く剣先だ。

「剣士だったのか、メルヴィルは……」

「あの最期が更に辛くなる情報……」

「えっ、ち、違ったか?」




積み上げられた書類を読みながら話をするも、アントワーヌの記憶はなかなか戻らない。外が暗くなり、アレストが手を止める。

「今日はこの辺にしておこう」

「そうだね」

「リュウガ寝ちゃってるわよお」

「昼を過ぎた辺りからずっと寝てるな」

アレストがクスクス笑う。

「ノア。ここは備蓄もあるし、アントワーヌも良い人だ。ここにずっと住んでもいいんじゃないか?」

アレストの紫の瞳が揺れる。

「あ、もちろんアントワーヌが良いなら……だが」

「そうねえ。私もここに住みたいわあ。異形に追い回されるの、もううんざりだもの。知りたいことはたくさんあるけどお、確実な安全の方が大事よねえ」

「ルドもそう思うか。俺も安心を取りたい。アントワーヌの記憶が戻っても、さ」

「アレストが良いならそれが良いんじゃない?」

シャフマ王宮にいた頃のアレストからは考えられないほど穏やかな顔になっている。ノアはそれが嬉しかった。そもそもここまで来たのはアレストと真実を探るためで、それはアレストの心の整理のためだ。アレストが満足する生き方が見つかるのは良いことだろう。

「全てを知らなくても、幸せに暮らせるのかもしれないのだな」

アントワーヌが息をつく。

「僕はこの1年、記憶を失ったら悲しいことしかないと思っていた。だが、今は君たちがいるのだ。もう孤独じゃないのだな……」


「アントワーヌ、それすごく綺麗だね」

ノアが言ったのはアントワーヌのブレスレットだ。金色の装飾が光っている。

「これは、僕の弟スタンがくれたものなのだ。僕がまだ王子だったとき、よく助言をしてくれた優しい弟だった」

微笑み、ブレスレットを撫でる。

「不安なときはこれを握ると良いですよと僕に持たせてくれたのだ。しかし……記憶を無くしたときは身につけていなかったのだ。自室の机の引き出し、一番奥にあってな」

「弟からの贈り物。素敵ねえ」

「記憶を無くす前のアントワーヌは戦争の前に外したんじゃない?大切なものなら汚したくないよね」

「きっとそうなのだな……」


(そうだ。俺ももう孤独じゃない)

アレストもアントワーヌと同じことを思っていた。

(俺もアントワーヌと同じだ。境遇が同じなら、上手くやっていけるんじゃないか?)

(あの赤い雨のことも、俺の記憶も、取り戻さなくても)


(ここで穏やかに暮らせるならば、俺は……)

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