第5話

いとも簡単に全てを蹂躙する。

この世の『神』は『自然』である。そして『自然』でさえも……。

『精神』に由来する。

つまり、知性体の精神で出来た神は……千年前のシャフマ人の恨みで出来た神には……ただの知性体は敵わないのだ。

『精神』すなわち『魔法』には同じだけの『魔法』での対抗が不可欠だった。


そんなことを知るわけもないメルヴィルとゾナリス、ベノワットは命からがら王宮に逃れた。

真っ赤な雨は浴びなかった。浴びたのはアンジェだけであった。

―キャロリンが可哀想だったから……

彼女はそれだけ言って、高熱の末に異形になり、息絶えた。看病していたベノワットが感染し、それを看病したゾナリスも感染した。

胸糞の悪いことに、異形化は時間を置いて発生するものらしい。

(アレストの『砂時計』のようだ)

徐々に体が蝕まれ、人ではなくなる。隣にいるゾナリスは、一ヶ月前に口が使えなくなった。食事もろくに取れない体になってしまったのだ。もう長くないだろう。

「……ゾナリス、体を見せてみろ」

布が横に揺れる。

「大丈夫だ。俺は何も思わん。見慣れた」

「……ごめん」

スイッチ音の後にゆっくりと落ちる白い布。外で肌を晒すことは、ゾナリスにとっては恥ずかしくはなかった。それほどまでに体が変質していたから。

「羽と尾が肥大化、角が生えてきた。それから……」

顔の下半分は変質した肉が覆っている。真っ青な瞳がメルヴィルを見つめる。

白い肌が美しい。20歳になっていない捕虜の青年の体は、短剣を持って相手の懐に忍び込む暗殺者として育てられただけある。細くしなやかなものだ。


―あんた、俺をころそうと忍び込んだの?


―ギャハハ!見ろよ!メ!俺の横っ腹に傷をつけたぜ!なんて執念深い『精神』だ!


―あんた面白いねェ……。俺と一緒に国を潰そうか。


アレストも買ったこの青年。こんな世界にならなかったら……と思いを馳せずにはいられない。

カチッ


「もう」


「ダメ」


「なる」


「ごめんね」


「ぼっちゃん」





「メルヴィル王子と話そう。それから二さんにもう一度会って……」

ノアがアレストの手を引いて歩く。

「2人ならきっと情報を集められる」

「そうだといいな……。……あれっ」

出口のドアが開いている。

「結界が切れている。何故だ?こんなこと今まで一度もなかった」

白い布を被った者たちが2階から降りて、外に向かっている。

「前のときと同じ?」

「いや、こんなにゾロゾロと出てきたのは初めてだ。物資調達は二が単独で行っていたはずだし……」

よく分からないがいつもと違うことが起きているらしい。

外に出ようかと思ったときだった、大広間で叫び声が上がった。

アレストが息を呑み、走り出す。ノアはそれを追いかける。


「……あ」


大広間の真ん中、玉座の直線上のそこで、緑髪の男が座っていた。


「メ……」


アレストが目を見開く。ノアもかたまってしまう。


座っていたのでは無い。上を向いた口から剣先が覗いている。


「な、何あれ……なんであんな……」


ビクリと動き、力が抜ける。剣先が更に見えたが、血は吐けていなかった。

「……二?あんたがやったのか?」

二の真っ青な瞳がアレストを見つめている。短い茶色の髪。布で覆われていない体は様々な魔族を掛け合わせたような見た目で。

二は首を横に振り、手元のスイッチを押す。

「ごめんね、ぼっちゃん」

機械的な音声が流れる。

『あー、聞こえてますか?アレストぼっちゃん、俺です俺』

今度は違う。どこかで聞いた声だ。アレストは思い出せないが、記憶を失う前に聞いたのだろうか。

『これをあなたが聞いてるってことは……俺たちは本当の意味で負けたってことですね。残念です』

『さっき団長が感染しました。で、俺も気づいたんですが、これ、ちょっとでも体液に触れたらダメっぽくて。俺ももうすぐ体に異常が出ると思います』

『だから、話せなくなる前にこれだけ録音しておこうと思って。アントワーヌ国王が録音機を置いて行ってくれました。あの人もいろいろギリギリだったんだけど……』

『とにかく、まあ、ええと。ごめん、ぼっちゃん。俺はメルヴィルさんの説得に失敗してます。あなたは何もかも分からないだろうに、メルヴィルさんはあなたに真実を教えないつもりです』

『資料の在処を頑なに隠してます。まともな知性体は限られているのに、あなたには見せたくないんだって。……実は俺にも読めない暗号で書かれてるから、俺から詳細を言えないです。これを聞いてるときはもうメルヴィルさんもダメになってるだろうから、玉座の下にある資料を読んでください。それが俺たちが分かったことの全てだから』


『それから……ぼっちゃん。ごめんね、俺を助けてくれたのに。恩返し出来なくて』


『俺、リヒターさんの代わりになれましたか?リヒターさんみたいに、最期までぼっちゃんを守れましたか?』


『もし……俺が理性を無くしてあなたを襲うことがあったら、そのときは絶対俺をころしてくださいね。リヒターさんの代わりになりたい俺の意思じゃないので』


『……長々とすみません。話が長いのもリヒターさんを尊敬してるからです。なんて言ったら怒られますよね』


『ああ、俺……あなたの子を抱いてみたかった……。あ、知ってるか分かりませんけどリヒターさんはあなたに子が出来たら【ぼっちゃん】呼び辞めるって言ってたんですよ』


『そしたら何て呼べばいいんですかね?うーん……【アレストの旦那】とか?ですか?何が、良いですか?あなたの言う通りにしますよ』


『……あなたに助けてもらったこの命、あなたの子どもを守るために使えてた未来のことを考えてしまいます。もうしぬって分かってるんですが、ね』


『リヒターさんがそうしたように……』


『……ごめんね、ぼっちゃん』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る