上司と言訳

温故知新

上司と言訳

「あなたの言い訳は聞いてないの! さっさとやりなさい!」

「……はい、分かりました」

「そうよ。最初からそう言えばいいの」



 はぁ、か。今日も残業確定ね。


 不機嫌顔の上司から渡された書類を受け取った私は、小さく頭を下げると肩を落としながら自席についた。

 すると、周りから嫌なクスクス笑いが聞こえてきた。



「見て、あの人またミスって怒られてる」

「本当、いつになったら成長するんだろう?」

「そうだな。入社して半年経つんだから、いい加減、俺たちのように会社の役に立って欲しいもんだ」



 バカにしたような笑みで嫌味を言う社員達に、私は『いつものことだ』とつきそうになったため息を飲み込んで無視した。


 まぁ、私に聞えるように悪口言ってるけど、ミスしたわけじゃないから。

 仕事増やされただけ。そもそも、この資料作りは私の仕事じゃなくて……



「すみません、課長。明日行われる大型コンペについてなのですが……」



 そう言って上司に駆け寄ったのは、私が所属している部署のエースであり、上司のお気に入りの男性社員。

 そして、私に資料作りを押し付けた共犯者だ。



「あらぁ〜、どうしたのぉ? あなたが謝りながら訊ねてくるなんて珍しいじゃな〜い♪」



 うわっ、またやってる。正直、、見てて気持ち悪いんですけど。


 先程の剣呑な雰囲気から一転、すっかり上機嫌になった上司は、猫なで声で男性社員に向かって艶っぽい笑みを浮かべる。

 そんな上司に対して、申し訳なさそうな笑みを浮かべた男性社員は、持っていた書類をそっと傾けた。



「実は、この資料に記載されている数字なのですが、先方に問い合わせたら間違っていたみたいで……」

「あらっ! そうだったの!? それは先方にもあなたにも申し訳ないことをしたわぁ~!!」



 何よ、どうせ申し訳ないなんて思っていないくせに。


 大袈裟に驚いた声を上げた上司にそんな感想を抱いた私は、男性職員が持っている資料を一瞥した。


 うん、前に私が男性職員から無理矢理頼まれて作らされた資料とは違うものね。だって、初めて見る資料だもん。


 内心で安堵した私は、視線を目の前のPCに戻そうとした時、視界の端に上司が私を見て下卑た笑みを浮かべたのが見えた。



「そう言えば、その資料って使が作ったのよねぇ~」



 その瞬間、その場にいた社員全員の視線が一斉に私に向けられた。


 ええっ……


 視線に気づいた私は、肩を震わせて恐る恐る上司がいる方を見ると、その場にいた社員全員が上司と同じような笑みを浮かべた。


 はぁ、そうなりますか。でも、一応弁明だけしておこう。


 内心深く溜息をつきながら、ゆっくりと席を立った私は、そそくさと上司の前に立った。



「あの、まるで私がミスしたかのように皆さんで私のことを見ていましたが、私はその資料を見たのは初めてで……」

「はぁっ?」



 地を這うような上司の低い声に、思わず顔が強ばった。



「あんた、いつから上司の私に対して口答えをするようになったの?」

「ちっ、違います! 本当に私は、その資料を見たのは初めてで……」

「だから、言い訳しないでって言ってるでしょ!!!!」



 バン!!と思い切り机を叩いた上司に肩を震わせると、盛大に溜息をついた上司が再び不機嫌そうな顔をしながら私のことを鋭く睨みつけてきた。



「ともかく、これはなんだから、責任取ってあなたがこの資料の数字を修正して、彼と先方と私に謝罪しなさい。『私が至らぬせいで、手をやかせてしまいました』って」

「ですから、私は……」

「まぁ、出来ないなら会社を辞めてもいいわよ。そっちの方が、あなたのようなお荷物が辞めてくれたら会社としても清々するし」

「…………」

「でも、この会社で1番優秀な私には、この会社を辞めたあなたがこれから先、別の会社でやっていけると思えないわ。あっ、でも学生にならなれるかもしれないけど」



 これでもかと部下をバカにした上司の言葉に、周りの社員達がそれに同意するかのように大声で笑った。


 分かっている、ここで私が何を言っても、目の前の上司には言い訳にしか聞こえない。

 だって、私はこの職場で一番のなのだから。


 そんな今更なことを思い出した私は、悔しさを押し込めるように小さく唇を噛み締めとゆっくりと頭を下げた。



「何?」

「私が至らぬせいで手をやかせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

「そうそう、それで良いのよ。それじゃあ、これもよろしくね」

「はい、かしこまりました」



 満足げな笑みを浮かべる上司と男性社員をチラ見した私は、再び込み上げてきた怒りを抑えるように、今度は奥歯を強く噛んだ。


 最初から分かっていた、これはいつもの茶番であることを。

 私はこの2人……いや、ここにいる全員のやりたくもない仕事を押し付けられる。

 そして……


 いつの間にか出来てしまった負のループから抜け出せない私が、再び肩を落としながら席に着いた瞬間、就業時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 すると、機嫌をなおした上司が勢いよく席を立った。



「よし、それじゃあ今日は金曜日だし、我が部署のエースである彼が取ってきた大型契約を祝して今から飲みに行くわよ~!!」



 上司の掛け声で、私以外の社員達は嬉々としてオフィスから出ていった。


 いいなぁ、私も行きたか……いや、今日も疲れたから行きたくないかな。


 そんなことを思いながら彼らを見届けると、背後にいた上司が私の肩を叩いた。



「あと、今日渡した資料、どちらも来週の休み明けには使うから、それまでには完成させておいてね。もちろん、で作ったことにするのよ♪」

「……分かりました」

「うんうん、それでいいの♪」



 ご機嫌な笑みを浮かべた上司は、私が残っているにも関わらず、オフィスを出ると同時に室内の明かりを消した。



「あ〜あ、まだ私がいるんだけどなぁ……それに、その契約を取ってきたのって、本当はなんだけど」



 そう、押し付けられる仕事のお陰で、営業に行く機会が少ない私は、何とか勝ち取ってきた契約を取られるのだ。

 結果、ノルマが達成出来ない私は、上司やみんなからポンコツ扱いされている……それも、に。



「まぁ、いいや。何を言っても無駄だし、いつものことだから、さっさと仕事を終わらせちゃおう」



 どうせ、休日出勤は確定したし、数時間後には上司から飲み会の強制参加が命じられる。

 それまでに、さっき押し付けられた仕事を終わらせよ。


 辺りが真っ暗になる中、小さく溜息をついた私は、理不尽に与えられた仕事を終わらせようとキーボードを鳴らした。

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