2023/04/10
第002頁 『物語の嘘』
どうも、chomochoです。
お久しぶりです。
と言っても、他作品をお読み下さっている方はそうではないかもしれませんが……このエッセイを更新するのは約一ヶ月ぶり。
連日、執筆作業をする中で感じる疑問や、溢れ出てくる愚痴など、それらは近況ノートに綴っていたのですが、今日、そう言えばエッセイが有るじゃないかと気付きました。
という事で、今後は近況ノートを作品に関するお知らせの場として、愚痴や何かはこのエッセイで、頻繁に更新していくかもしれません。
さて。
今回のお題、『物語の嘘』について、私の思うところをネチネチと書き
物語の嘘。
つまり創作上の作り話の事ですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
作り話と言っても、私はフィクションの物語そのものの事を語りたい訳ではありません。
現実世界では有り得ない、一つ一つの要素についてです。
例えば、バトル漫画や格闘漫画には、わりとよく昆虫が登場して嘘が語られたりします。
──そのサイズに比して、力が大きい。もしも昆虫が人間のサイズであれば、その力は……。──
と言った様に。
この様な時、私はその作者が言いたいであろう事は十分に理解出来ているのです。
しかし……。
同時に、どうしても納得は出来なかったりするのです。
物語上、そこに疑問を感じて疑問を呈したとしても、全く意味が有りませんし、どれだけ間違っていても面白ければそれで良いとは思うのです。
実際、そういう作品を私は嫌いな訳ではありませんし、むしろ好きだったりするのです。
でも、作品を好きである事と、そういった嘘が好きであるかは別問題なのです。
少なくとも、私の中では。
設定や嘘が好きか嫌いかと、その作品を好きか嫌いかは別。
更に、その作品が面白いかつまらないかも別です。
私の中では、それらはそれぞれ独立した事なのですが……どうやら、この考え方は一般的では無いのかもしれません。
友人にこの話しをしても、良く理解して貰えなかったりしましたから。
皆さんはどうでしょうか。
それぞれ別でしょうか、それとも同じでしょうか。
私は、自分で執筆している『デュラル星系の物語』の、メインストーリーである『~帰りたい』において、良く他作品の事をネタにしたりするのですが……。
ネタにするのは良くはないだろうな、とは思いつつも、どうしても毒を吐きたくなって書いてしまいます。
ですが、決して、ネタにした様な設定や嘘の作品を、貶すつもりは微塵も無いのです。
設定や嘘をネタにして、小馬鹿にしたような口調で私のキャラに語らせたりはしますが、それはあくまで嘘の部分に言及しているだけであって、作品そのものを『つまらない』とは思っていませんし、『嫌い』だと思っている訳でも無いのです。
私の中では簡単に区別出来るものであり、簡単に理解できる考え方だと思っているのですが……。実際には、一般的にはどうなんでしょうか。異常でしょうか。
先程の例題に戻って詳しく説明します。
昆虫は、確かに、そのサイズに比して力強いのは確かです。
しかし、それは『昆虫のサイズ』だからであって、人間大のサイズになんてしたら、実際はあの細い脚では動くことすら困難なんですよ。
動物でも昆虫でも、そのパワーというものはパワーを発揮する部位の断面積に比例します。
昆虫の脚を思い浮かべて下さい。
あんなにも細いのです。
それが、体全体が人間と同じサイズにまでなれば、その重量はとても重いものとなり、その重い体を動かすには昆虫の脚ではどう足掻いても不可能です。
虫って、そもそも軽いじゃん?って思う人もいるのかもしれませんが、世の中には二乗三乗の法則というものがありまして……一般的にサイズが倍というと、図形で例えるならそれは一辺の長さが倍になった事を指します。で、先程の法則に当てはめますと立体の場合は三乗に比例するんですよ。つまりサイズが倍になっただけでも体積、つまり重量は8倍にもなるのです。
サイズが3倍なら重量27倍、サイズが4倍なら重量64倍……となる訳ですから、昆虫ほど小さなものが人間大になったら、とてつもなく大きな数字となるのは想像に容易いと思います。
そんなもの、まともに動ける訳が無いのですよ。勿論、藻掻くくらいは出来るでしょうが。
でも、だったらその分、パワーも増えるだろ?と、短絡的に考える人も世の中にはいるかもしれません。
ですが残念、不正解です。先程、断面積の話しをしました。はい、賢い方ならもうお解りでしょう。各部位の断面積、そこは面積ですから二乗の比例にしかならないのです。
パワーは二乗にしか比例しないのに、重量は三乗に比例し、つまり大きくなるほどその比率は変わっていく事になります。
小さな昆虫であった時は、パワーと重量の比率からしてとても信じられないほど大きな働きをしたりしますが……大きくなればなるほど、重量に対して発揮できるパワーの比率はどんどん下がる、というのが現実な訳ですよ。
しかし、物語で語られる様な、ノミが大きくなればビルをも飛び越えられるだとか、ゴキブリなら新幹線を超えるだとか、昆虫と同じ構造をしているから遠くへ翔べるだとか、そんなものは全て嘘っぱちで間違いなんです。
ゾウさん、いますよね、鼻の長い象さん。
脚、とっても太いでしょ?
大きく、重たい体を支えるのなら、それに見合った太い脚が必ず必要なんですよ。
さっき言った、断面積の関係で、です。
と、この様に、私はそういった事に対して、どうしても思考が向いてしまう癖を持っているらしいのです。
つい最近の事で言うと、『真球』について、とても笑える嘘があって、とても『面白かった』です。
で、私は間違いである情報や設定は『嫌い』なのです。
ですが、作品によっては、それでも『面白い』のです。勿論、逆にそうでなく『つまらない』作品も有りますが。
そして更に、その作風が好みであれば『好き』な作品だと言えますし、そうでなければ『嫌い』な作品となります。
だから極端な事を言えば、『嫌い』で『つまらない』けど『好き』な作品も有ったりしますし、『好き』で『面白い』けど『嫌い』な作品も有ったりします。
そんなだから、私は誤解を受ける事も多々有ります。
ですが一つの要素に対して何か否定的な意見を述べたからと言って、必ずしもその作品が嫌いだとは限らないんです。
それは、誰だってそうな筈だと思うのですが……。
場合によっては簡単にアンチ認定されてしまいますし、多くの人が楽しめている作品に対して、何て酷い事を言うんだと、論理では無く感情論で逆に批判されたりもしますが……。
私は、そんな難しい事を言っているつもりは無いのですが、そんなに、世間的には理解し難い事なのでしょうかね?
至って、論理的で明解だと、自分では思っているのですが。
さてはて。
という事で、今回は『物語の嘘』についてでした。
皆さんのご意見、もしよろしければコメント欄に書き込んで貰えたら幸いでございます。
ではでは、また何か思い付きましたらエッセイを更新します。
ぺこり。
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