病院椅子探偵・編集M氏の超推理【KAC20237】

吉楽滔々

第1話

 作家が後頭部を負傷して、意識不明で病院に運び込まれた。


 揉み合ったのか、現場にはコーヒーや割れた陶器が散乱しており、通報した隣人によると大きな音と声が聞こえたらしい。


 病室にやって来た作家の担当M氏に、調査に入る旨を伝えると、


「その必要はないと思いますよ」


 と首を振られた。


「…なにか心当たりが?」


「恐らくはかと」


 そうM氏は苦笑する。


「ミステリー作家というのは因果な商売です。創作物など主観の賜物たまものでしかないのに、ミステリーとなるとそこに一律ではない読者の理論が参入してきます。ある程度の納得を得られる、客観性が非常に重要になるのです」


「締め切り直前なのに、いいトリックが思いつかない。もう怖い編集が来てしまう。被害者はさぞ焦っていたことでしょう」


「落ち着こうとコーヒーを淹れた。しかし彼は注意散漫になっていました。編集が納得できる客観性のある言い訳を仕立て上げようとして、思考が全部そっちにいっていたからです」


「コーヒーをこぼしたのが先か、足を滑らせたのが先かはわかりません。夢中になるあまりに大きな独り言をいったのか、あるいは滑った時の悲鳴か…とにかく被害者は言い訳に気を取られて転び後頭部を打ちつけた、そういうことじゃないでしょうか」


「…その通りでございます」


 いつの間にか目を覚ましていた作家が、決まり悪そうに肯定した。


「説明するまでもなく、私の状況を見抜くとは。Mさんの方が作家に向いてますよ」


「こんなものは推理でもなんでもありません。ただの動物観察です」


 M氏は肩をすくめる。しかし次の瞬間、どこか不穏に微笑んだ。


「先生、次からは言い訳に思考をとられる必要はありませんよ。なぜなら言い訳というものは、それを聞く耳がなければそもそも意味を成さないものだからです」


 そうきっぱり告げると、編集M氏は寝台の上の作家に速やかなる原稿の提出を要求したのだった。

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病院椅子探偵・編集M氏の超推理【KAC20237】 吉楽滔々 @kankansai

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