愛の力を持つ者

「う〜ん、いいお天気」

神奈川県の片田舎で、岡崎弘子おかざきひろこは伸びをした。

見上げた空は青く、今しがた干し終わった洗濯物が風にたなびく。

「この調子ならすぐに乾きそうね」

手で顔に庇を作り、暖かな光を降らせる太陽に向かった。

「ん?」

見つめた空の中、小さな小さな黒い点があった。

太陽を背負う小さな点は、急速に大きくなっていく。

「な、何?」

「…ぁぁぁぁあああああっ!」

奇声を上げて落ちてくる黒点は「何か」の影だとわかったが、その正体に思考が辿り着く前にズンっという音を立て、弘子の足元の洗濯カゴに突き刺さっていた。

「痛てて…マニータのやつ勢いよく突き落としやがって。俺がミミズクじゃなかったら死んでたぞ」

洗濯カゴにすっぽりとハマっていたのは、オレンジ色の「何か」だった。

「あれ?何これ、挟まってんじゃん!えぇ、いきなり大ピンチなんですけど。おーい、誰かいない?」

カゴに頭を突っ込んだまま喋るオレンジ色に、弘子はそっと近づいてみた。

「あの…」

「あ、人いるの?やったー」

「はぁ…」

「悪いんだけどさ、ちょっとなんか挟まっちゃったみたいなのよ。引っこ抜いてくんない?」

「引っ込抜く、ですか」

「そうそう、すぽんっとやっちゃって」

「はぁ…」

弘子は洗濯カゴから飛び出ているオレンジ色にそっと触れた。

手のひらにもっちりとした感触が伝わる。

「あのさ、痛いの嫌だから、躊躇わずひとおもいにやっちゃってね、すぽんと」

「わ、わかりました…」

注文の多いオレンジ色を掴んで、ぐいっと引っ張る。

「いてててててて!ストップストップストップ!」

「えぇ?」

「ちょっともっとソフトに!優しく引っこ抜いてよ」

「え、でもひとおもいにって」

「いや、そうだけど、こんな痛いと思わないじゃん。びっくりよ?洗濯物が毎度こんな痛み感じてるとしたら同情を禁じ得ないほどよ?」

「やさしく引っ張ればいいんですか」

「そうそうそう、優しくテクニカルにね」

「…こうですか?」

「あー、もうちょっと強めでもいいかな?これじゃ絶対抜けないじゃん」

「こうですか!?」

「強すぎ強すぎ強すぎ!何?なんか嫌なことでもあったの?話聞こうか?」

「…こうですか?」

「うわ優し〜。急に優しいじゃん。何?握力全部人にあげちゃったの?」

「んもう、うるさいなぁ!」

弘子が声を荒げた瞬間、すぽんっという音と共に、洗濯カゴからオレンジ色の何かが抜け出た。

「うわっ、よかった出られたよ〜。俺このまま一生カゴの鳥として生きていくのかと思った〜」

カゴから抜け出たオレンジ色は、短い羽をばさばさと羽ばたかせて弘子の前に浮いていた。

「あ、助けてくれてありがとね。俺はRBブッコロー。文具王国から来たイケメンミミズクね」

「イケ…ミミズク?ミミズクなんですか?あなた」

「そうよ。それ以外なんに見えるっていうのさ」

短い羽をパタパタとさせる、ずんぐりむっくりのオレンジ色は、三角嘴をパカパカと動かしながら、まん丸の目で弘子を見つめていた。

「よくわかりませんけど…ウチに何かご用ですか」

「あーそうだ、ちょっと聞きたいんだけどさ」

オレンジミミズクは、弘子の足元に降り立った。

「この家に【文房具大好きな十代女子】いない?」

「え?」

「俺さ、一応仕事で来たのよ」

「仕事、ですか」

「そう。それで上司が言うには、この家に【文具王国を救う魔法少女】がいるらしいんだけど」

「魔法少女?」

「そそ、だからさ、文房具大好き十代女子、お宅にいない?」

「はぁ、ウチに十代の女の子はいませんけど」

「そうなの?」

「はい、一番若いのは私の孫で、もうすぐ一歳ですね」

「一歳かぁ…一歳が魔法少女ってことはないだろうな。文房具が好きかどうかもわかんないし。次に若いのは?」

「私の娘ですね。若いっていっても三十代ですけど」

「三十代か。でもあるかもなぁ、最近の魔法少女って年齢層広がってるから」

「そうなんですか?」

「そうそう年齢もだけど、女の子でも男の子でもみんな魔法少女になっていいって風潮になってきてるよ」

「へぇ…」

「でもさ、その場合呼び方迷うよね。魔法「少女」なのか、魔法「少年」なのか。俺は男の子でも「魔法少女○○」っていう呼称を押してるんだけど」

「どうしてですか?」

「いや考えてみてよ、男の子もさ「魔法少年」じゃなく「魔法少女」になりたいと思って、なるわけじゃん。だからこの場合の「魔法少女」っていうのはいわゆる職業名みたいなものだと思うのよ。まぁ今後、性差の無い呼び方が出てくるとは思うけど、それまでは魔法少女っていう呼び方がいいと思うのよね、憧れも含めて」

「あぁ、保母さんとか婦警さんみたいにですか」

「そうそ…いやそんな話はどうでもよくてっ!」

「楽しそうに話されてましたけど」

「まぁそうなんだけど、それより大事な話しなくちゃ」

「大事な話?」

「あー、あなたの娘さんさ」

ミミズクは丸い目でじっと弘子を見つめた。

「文房具、好き?」

「好き…というか…」

ミミズクから目を逸らし、弘子は視線を遠くへと投げた。

「…恨んでると思います」

「えっ、なんで?」

「文房具に部屋を圧迫されてるから」

「はぁ?部屋を圧迫するくらい文房具があるの?あなたのお家」

「ええ」

「んじゃ文房具好きじゃん。なんで恨んでるなんて話になるのさ」

「あぁ、違うんです」

「何が」

「私の、なんですよ」

「はぁ?」

「娘の文房具じゃなくて、ウチにある文房具は全部、私のなんです」

ミミズクと弘子の間に、強い風が吹き抜けた。

「あなた、の?」

「はい、私の文房具です」

「…一応聞くんだけどさ、あなた文房具好き?」

「命以上に大切にしています」

「重っ、愛重っ」

前のめりになる弘子にミミズクが身を反らした時、ピピピという音が響いた。

「ん?」

ミミズクは羽の根元につけている液晶付きの腕時計から鳴る音に息を吐き、画面に表示されている「マニータ 着信」の文字を嘴で押した。

「何?人のこと、あいや、鳥のこと突き落とした犯人からなんの電話?」

「口の減らない鳥だな、文具王国の一大事だというのに」

画面の中で息を吐くマニータに、ミミズクは嘴をぽっかり開けた。

「んかー、そんな一大事なら俺じゃなくて、もっと宰相様お抱えの側近を送り込めばいいじゃん」

「お前に言われなくても、既に全ての妖精を地上に放ってある。それこそお前のような鳥にすらも仕事を頼まなくてはならない状態なんだ」

「へいへいさいでっかー」

体を揺らすミミズクに、マニータはじろりとした視線を向ける。

「予測通り、お前の落ちた周囲に強い文房具愛を検知した。そこにいる人間を必ず魔法少女にし王国を救え。失敗は許されない」

放たれた言葉と同時に通信は消え、液晶は小さなミミズクの写真の上に時刻が表示されている画面へと戻った。

「ったくマニータのやつ、妻子持ちの俺が仕事断れないと知ってて高圧的に出てやがる」

嘴を打ち鳴らすミミズクの前で、弘子は首を傾げた。

「今のは?」

「あぁ、上司からの鬼電」

「上司からの電話嫌ですよねぇ、わかります」

眉根を寄せる弘子に、ミミズクは体を傾けた。

「あなたも嫌いな上司がいるの?」

「あ、いえ、嫌いってわけじゃないんですけど、私が見つけてきた文房具たちの魅力を全然わかってくれないんですよ」

「え?」

「私は全文房具好きを代表して「これはいい」と思ったものを厳選しているのに、上司は「売れるならいいよ」とか「本当に売れる?」とか、お金の話ばっかり。素敵な文房具をお客様のもとへ届けたいという気概が感じられないんですよ」

「ちょ、ちょっと待って」

声を大きくする弘子に、ミミズクは短い羽を突き出した。

「あなた、ただの文房具好きじゃないの?」

「ただのって?」

「いや今、文房具を厳選してるって話してなかった?」

「あ、はい。私、文房具バイヤーなので」

「バ、バイヤー?」

ミミズクは三角嘴をぽっかりと開ける。

「バイヤーってあの、次のブームになるような良い商品を見つけ出す、あのバイヤー?」

「はい、そのバイヤーですね。あ、テレビにも出たことあるんですよ。文房具王決定戦っていう番組で」

「え、ちょっと待って、じゃああなた文房具王なの?」

「あ、いえ…」

弘子は顔を赤らめ俯いた。

「緊張しちゃって、文房具王にはなれなかったんです」

「じゃああなたは、文房具王になり損ねた女ってこと?」

「…はい。でもですねっ!」

弘子は顔を上げてミミズクへと向かう。

「次は緊張しないおまじないをして挑もうと思うんです!そしたら私絶対文房具王になれる自信はあるんです、文房具に対する愛だけは誰にも負けないので」

拳を握りしめる弘子に、ミミズクは身を揺らした。

「ふふ…あっはっはっ!」

「どうしたんですか?」

「いいじゃんいいじゃん!面白いよ!」

ミミズクは羽を揺らして笑い転げた。

「孫のいる妙齢の女性が魔法少女になる、めちゃくちゃ面白いじゃん!」

「えぇ…?」

「あなた名前なんて言うの」

ミミズクはパッと弘子の前に立った。

「教えてよ、あなたの名前」

「…岡崎です。岡崎弘子」

「岡崎弘子か、ちょっと長いな」

「何がですか?」

「うーん」

ミミズクは短い両羽をポンと合わせた。

「決めた。ザキにしよう」

「ザキ?」

「そう、ザキ」

ミミズクは短い羽をばさばさと羽ばたかせて浮かび上がると、弘子の肩へと舞い降りた。

「魔法少女ザキ。文具王国を救う魔法少女だよ」

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