scene 11 血は水よりも

 土曜日の朝、カトラはディノに案内されて、アパートの一室に入った。


「つい一昨日のことだよ。マジで許せねぇ」


 と、部屋主は頬を膨らませる。


「窓が開いていたのよね」

「そう。ちゃんと閉めてったんだぜ。それなのに」


 カトラは窓に近寄った。ごく普通の、上下にスライドさせて開けるタイプの窓だ。年季の入ったアパートらしく、ガラスと窓枠との間にわずかな隙間があった。鍵は差し込み式。窓枠と壁を貫くように、横向きに差して固定するものである。窓枠にはうっすらと埃が積もっていた。


(今日までにいろいろと考えていたのだけれど、そうね、やっぱりこの方法なんじゃないかしら)


 現場を見て確信した。こうすれば簡単に侵入できる。

 カトラは持ってきた糸を、左右の鍵の根元に結びつけて、ガラスの隙間から外に出した。


「ちょっと中で見ていて」

「あ、おう」


 ディノたちを残して部屋を出る。綺麗な晴れが広がる空は、秋らしくすっきりとしていた。窓拭きや靴磨きの少年たちも、心なしか弾んだ歩調をしている。

 外をぐるりと回って裏手に行き、窓を見る。分かりやすいように赤色の糸にしたのが功を奏した。ガラスの隙間から外に出ている糸を、切れてしまわないようにゆっくりと引く。と、窓の向こうでカタリ、と小さな音がした。

 左右の錠、両方を抜いてしまうと、カトラは外から窓を押し上げた。


「はぁー、すっげぇや。なるほどねぇ」


 ディノが目を丸くして手を叩いた。


「でもさ、この仕掛けをするために侵入しねぇといけないんじゃねぇの?」

「ええ、そうよ」


 カトラはあっさりと頷いて、部屋主のほうへ向き直った。


「ねぇ、お部屋のお掃除って自分でやってる?」

「いや……掃除婦に頼んでる……」

「どこにお願いしてるの?」

「ブルーノ清掃……じゃ、あそこの掃除婦が空き巣ってことか!」

「半分はそうだと思うわ」

「半分って?」


 質問を挟んだのはディノだ。


「だって、掃除婦が犯人だったらすぐに分かっちゃうじゃない。それならこんなに長引くことはないわ。少なくとも共犯者がいると思う」

「そりゃそうか」

「もう少ししっかり考える必要があるわ。ね、それまで、軍警さんとかには何も言わないでおいて。ばれたって分かったら逃げちゃうかもしれないもの。確実に捕まってほしいでしょう?」


 部屋主は深々と頷いた。


   ☆


 念のためもう一軒見に行って、カトラは確信した。条件は二つ。ガラスに隙間があること。ブルーノ清掃に依頼をしていること。思った通り、どちらもクリアしていた。

 ブルーノ清掃の事務所に向かいながら、考えを進めていく。


(清掃をお願いした日と被害に遭った日がかなり離れていたわ。ばれないように、ちゃんとずらしてあるのね)


 これでもう大体のことは分かった。糸も、こんなによく目立つ赤いものではなくて、そう、あの時に偶然見た、透明の糸。あれに違いない。あの人に違いない。たびたび同じ人に依頼をしていた二軒目の被害者のおかげで、掃除婦の名前も分かっている。あとは事務所に行って、彼女を問い詰めて――少し、お願い事をするだけだ。


(盗んだものは確実に手元に残っているはず。現金はともかく、貴重品は)


 エル・ドラード商会は質屋や古物商も広く展開している。仮に店を点々としながら売っていたとしても、同業同士、情報は回っていくだろう。妙な売り方をしにくる奴がいる、と。そうなったが最後、商会に詰められる・・・・・のは避けられない未来だ。空き巣たちの息の長さが、戦利品を保管していることを証明している。

 ということは、だ。


(商会が盗まれたものも確実に取り返せる。――空き巣の情報が、交渉材料になる)


 そのために今日の夕方、商会のボスと会う約束を取り付けてもらったのだ。


(……先にベルに相談したほうがいいかしら)


 でも、昨日は結局来てくれなかった。昨日の夜に来てくれていたら、すぐにでも相談していたのに。


(あたしのほうから行けばいいのよね。明日とかに。たぶん明日はお休みのはずだから)


 ベルの住処を訪ねたことはないが、きっとどうにでもなるだろう。ついでに、それこそお掃除とかを手伝えたらいいなと考えて、カトラはうっかり緩みそうになった頬を慌てて引き締めた。


「で、これからどうすんの?」

「お願いするわ」

「お願いって?」


 カトラはその問いには答えず、事務所の扉を開けた。

 以前訪れたときと変わらず、薄暗くて狭苦しい。申し訳程度の小さなカウンターの裏側に、会社の管理人と思われる壮年の男性が座っていた。カトラたちを見て営業用の笑顔を浮かべる。


「どうも、掃除の依頼なら銅三枚から請け負うよ」

「ごめんなさいね、間に合ってるわ。そうじゃなくて、ここにお勤めの掃除婦さんに用があるの」


 客じゃないと分かった途端、男性は笑みを消して帳簿に目を落とし、「喧嘩ならよそでやってくれ」と追い払うように手を振った。

 カトラはカウンターに近付いて、指先で天板をコツコツと叩いた。男が目を上げるのに合わせて、にっこりと作った笑顔を向ける。


「あなたの雇っている掃除婦の粗相よ。あなたに責任を問うこともできるのだけれど、それでもよそで・・・やったほうがいいかしら」


 軍警へ行くことも辞さない、全力で争ってやる、という態度を取ったのが、向こうにははっきりと伝わった。彼は急に姿勢を正して、こちらをうかがうように見た。


「……誰が、やらかしました?」

「アンブラよ。彼女はどこにお住まい?」

「城壁外の三番にあるアパートですが、今は仕事中ですよ。夕方には戻ってきます。それまで少々お待ちを」

「ありがとう。待たせてもらうわ」


 カトラは悠々と顎を上げて、壁際の椅子に勝手に座った。きちんと察したらしいディノが、うやうやしく隣に立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る