scene 10 蛇の道を猫が行く

 ディノに案内されて、夕暮れ時の南西地区を歩く。まだ湿っている路面は滑りやすくなっていたが、少年らには問題ないらしい。窓拭き、靴磨き、雨樋掃除、何でもやりますよ、と元気に謳いながら駆け抜けていく。ディノが懐かしそうにその姿を見送った。


「俺もああいうのやってた時代があるんだよね。結構大変なんだ、窓拭きし終えても難癖付けて金くれねぇ奴とかざらでさ。くれたと思ったら半銅貨一枚で、いくら抗議しても聞いちゃくれねぇ。カーテンまできっちり閉めちゃって知らんぷりするから、もう俺むかついちゃって、石投げてやったこともあるよ。あんまりそういうことすると年長の連中に怒られるからめったやんねぇんだけどさ。おっ、ここここ、ここの酒場だ。はいはいはいはいどうぞどーぞ」


 エスコートされる形で中に入り、カトラは顔をしかめた。一斉に押し寄せてきたすさまじい酒気。怒鳴り合っているようにしか聞こえない男性たちの話し声。急に爆発する笑い声とグラスの落ちる音。ウェイトレスをからかってニヤニヤしていた男たちが、カトラを指さしてげらげらと笑い出す。


(何が面白いのかしら)


 不快に思いながら、カトラは意識的に表情を消した。下手に反応したほうが面白がられることぐらい知っている。


「お、いたいた、あいつだ」


 まったく頓着せずに店内を見回していたディノが、のんきな声を上げて、不意にカトラの肩に腕を回した。あんまり唐突だったものだから小さな悲鳴を上げてしまったが、ディノはそのまま、カトラを半ば抱きかかえ、半ば引きずるようにして、テーブルの間を進んでいく。


「ごめんな、こういう場ではこうしてたほうがたぶん安全だよ。正直なところ役得だとは思ってるけどね、ごめん」


 口先だけで謝りながら、満面の笑みで親指を立てるディノに、カトラはなんとも怒りきれなくて苦笑してしまう。こうしていたほうが安全だ、というのは事実だろうし。

 本当はベルに頼めたらよかったのだけど、と胸の奥で思う。相談する暇はなかったし、何より軍警という立場上、自由に動けない可能性がある。そうだったら迷惑をかけるだけだ。

 人が行き交う店内をかき分けるように進んで、どうにか奥のカウンターまで行き着くと、ディノはそこにいた男の肩を叩いた。


「よぉ、まだマノロって名乗ってる?」

「おう、ディノか。いつの名前だよバーカ。今はシレンツィオだ」

「長くね? シーオでいい?」

「好きにしろよ。ってお前、何だよ、いい女連れてんじゃん! どこで拾ってきた?」


 ぐいっと顔を寄せてきた男の前に、ディノが素早く割り込んだ。


「バカバカバカ近付くな。借り物なんだよ」

「借り物?」

「俺のじゃねぇ、怖いアニキの女なんだ。俺はただの案内係兼肉壁さ。なんかあったら俺が沈められる」

「じゃあ俺が手ぇ出す分には問題ねぇじゃん」

「――やめとけ。さすがにかばえねぇ」


 ディノがふとトーンを落として言うと、詐欺師の男は気圧されて身を引いた。もしかすると、普段おちゃらけた態度を保っているのはディノの戦略なのかもしれない。そんなふうに勘ぐったのを否定するように、ディノはパッと元の調子に戻った。


「はいはいはいはいはい、んでね、本題に入るぜ。マノロ、じゃねぇや、シーオ。お前最近女からブローチをパクっただろ」

「あ? あー……ああ、あれか。それがどうした?」

「それ、どこに売った?」

「聞けよ、傑作だぜ。俺の借金、あれで全部チャラになったんだ! 質屋に行ったらちょうどエル・ドラード商会のボスがいてさ。そのブローチ気に入った、寄越せってんで、その場で借金と引き換えだ! 本当にいいカモだったぜ!」


 あっはっはっはっは、と高笑いをする男。

 カトラとディノは呆然と顔を見合わせた。


   ☆


「残念だと思うけど、ここまでだな」


 酒場を出るなり、ディノはそう言った。

 カトラも何も言えず、上着の前をぎゅっと掴んだ。エル・ドラード商会のことは知っている。あまり深入りしてはいけない相手だ。


「商会の連中、最近殺気立ってるし」

「どうして?」

「ほら、あの空き巣さ。噂じゃ、商会の大切な物を盗んだとかなんとか。で、そいつを捜し回ってんだけど、一向に見つからないって焦りまくってんの。そろそろ懸賞金がつくんじゃないかって聞いたぜ」

「空き巣……」


 思わず立ち止まって、空を見上げていた。月はない。星はきっとあるのだろうが、ガス灯の明かりに邪魔されてろくに見えなかった。カトラにとっては好都合である。どこまでも広がるような底知れなさがいいのだから。


(捜し回るほど大事なものを盗られた? 商会から何か盗めるような相手で……本気で捜しているのに見つからないような人間……空き巣ってここ一ヶ月半ぐらいで何十件って起きてるわよね。いい方法が見つかったなら、こんなに急いで何件も起こす必要はないわ。商会に捜されてるって分かったら逃げ出しそうなものだし、南西地区にこだわる必要もないはず)


 奥様は空き巣を“調子に乗ってる”と表現した。その形容に賛成だ。いい方法を思いついた素人が調子に乗っている。だとしたら全体につじつまが合う。商会に手を出すという怖い物知らずも、そのまま見つかることなく犯行を重ねているのも、最初から黒い世界とつながりのない人間だったならできておかしくない。

 蛇の道は蛇。ディノがマノロを知っていたように、つながりはないようで、確かにある。だが、それは蛇同士のお話だ。蛇の道を蛙が通ったならすぐに食われてしまうだろうが、虫だったらどうだろう? たくさんいる他の虫に紛れてしまえば、ある一匹をピンポイントで見つけ出すのは難しいに違いない。


(なんだか、悪いことをし慣れていない人間が犯人みたいね)


 急に立ち止まって、空をじっと見上げたまま動かないカトラを、ディノが戸惑ったようにうかがった。


「あのー……? もしもーし、どうした? ちょっと?」

「ねぇ、ディノ」

「はいっ?」

「お願いしたいことが二つあるの」

「はいはいはいはい、何でしょう、どーぞ?」

「どなたか、空き巣に入られた人で知り合いがいないかしら」

「一人二人いるけど」

「お部屋を見せてくれるように頼んでくれない? そうね……明後日がいいわ。土曜日の日中に」

「それくらいはお安いご用だけども……いやでも、何のために?」


 カトラはその問いに答えず、続けざまに言った。


「エル・ドラード商会のボスと会う約束を取り付けることってできる?」


 ディノがぱっかりと口を開けた。


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