scene 12 わだかまり
行かなきゃいけないところがあるから、と言って、カトラは歩きながら話した。話が土曜日の夕方に差し掛かる頃には、二人は南西地区に入っていた。
話を聞いているうちに、ベルはこれまで味わったことのない奇妙な気持ちに陥っていった。安堵はした。けれど、ことが起きる前の状態には戻れていなかった。怒りはない。自分が勝手に勘違いしただけなのだから。どう考えても自分が悪い。なのに何か、釈然としないものが心の奥底に沈んでいる。自分の中で何が起きているのか分からないまま、黙って話に耳を傾ける。
「それで……」
と、カトラはわずかに言葉を濁らせてから、
「……ちょっとだけ脅したの」
「脅した?」
「そう。商会の方たち、何を盗まれたのか知らないけれど、すごく殺気立っていたでしょう? だから……あなたこのままじゃ商会に捕まって、半殺しにされるわよ。あたしの言うことを聞かなかったら、今すぐ商会の人間を呼んでやるわ、って。そう言って……自首じゃなくて、盗みに入らせたの」
カトラはちらりとこちらを見上げて、続けた。
「商会と交渉するために」
「……どんな交渉をしたんだ?」
「空き巣の次の犯行現場を当てたら、ブローチを渡してほしい、って」
ベルは息を吸い込んだ。そのまま大きく吐きそうになったのをぐっとこらえる。
「あの掃除婦さんたち、商会に捕まったら本当に……ひどい目に遭わされたでしょう? かといって、あたしが嘘をついたら交渉は決裂して終わりだわ。だから、わざわざ指定した時間と場所に盗みに行ってもらって、それをベルに伝えたのよ」
「それは……ぎりぎり、契約違反にはならない、だろうけど……」
商会を怒らせる結果にはなったと思う。ベルですらそう思ったくらいなのだから、当然カトラは承知しているだろう。彼女はうつむいて、ぼそぼそと続けた。
「馬鹿なことしたって自分でも思ってるわ。でも、どうしても、他に考えつかなくって……」
「それじゃあ、今は商会のボスのところに向かってるのか?」
「ええ、そうよ」
カトラは急に決然とした様子で前を向いた。
「平気よ、あたしは嘘なんてついていないもの。向こうに損をさせたわけでもないわ。これでもし約束を破るようだったら他にもいくつか手を考えてあるからそのときは――」
「カトラ」
そっと声をかけて背中に触れると、カトラはぱたりと口を閉じた。こちらを見上げた瞳が不安定に揺れている。彼女のらしくない強気さが強がりであることぐらい、もう知っている。
「俺もついていっていいか」
「……来てくれる?」
「うん、もちろん」
カトラは泣き出すのをこらえるように唇を震わせてから、「ありがとう。助かるわ」と微笑んだ。
意図的にか、話の流れからそうするしかなかったのかは分からない。が、カトラは、土曜日の夜のことを詳しく話さなかった。自分と目が合って、自分を無視した夜のことを。自分も聞きたくはなかった。あのときカトラがどう思ったか、なんて。聞きたくなかったのだから話してくれなくていいのだ。
だというのに。
(……なんだろうな、これ)
言葉にならない気持ち悪さが胸の奥を占領していた。言語化できない以上、処理などできるわけがない。仕方なく、ベルは何も感じていないふりをして、カトラの三つ編みが揺れるのを見ながら歩いていった。
待ち合わせの場所にいた優男は、ベルを見るなり大口を開けて固まった。
「ディノ、紹介するわ。この人があたしの恋人で、ベルっていうの」
「どうも。あの――」
言いかけて、ベルは口をつぐんだ。外灯に照らされて、彼の真っ青な顔がよく見える。
「え、俺、冗談で……怖いアニキの女だって……マジだったのかよ。えっ、てことは俺、沈められるっ? 沈められるのかっ?」
「そんなわけないでしょう、馬鹿なこと言わないで」
カトラにぴしゃりと言われても、ディノは信じられないようだった。すっかり腰が引けている。
ベルはもろもろの罪悪感にさいなまれて、謝罪の気持ちを込めながら小さく頭を下げた。
「カトラを手伝ってくれてありがとう。あとは俺が引き受けるから、案内だけ頼んでもいいか?」
「えっ、あっ……はいっ! はいはいはいはいはい、ただいますぐに! こちらです!」
ディノは素早く反転し、すぐ傍の酒場の扉を開けた。
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