scene 4 うつろい

 十月の最終週に入ったときには、空き巣の件数は二桁を超え、新聞でも大々的に報じられるようになっていた。手口はすべて同じだし、場所もすべて南西地区だった。侵入者は窓の鍵を外し、誰にも見られることなく金品を盗み出して消える。被害者は口をそろえて「窓は絶対に閉めてあった」と主張した。数ヶ月前ならともかく、空き巣の横行がこれだけ有名になった今、その主張の正当性を疑うのはナンセンスだろう。

 軍警はいよいよ本腰を入れて捜査を始めていた。無論、パトロールも人員を増やしている。だというのに、だ。

 今日の現場は南西地区でもやや西寄りの辺りだった。昨日の昼ごろから降り続いていた雨はとうに上がっていたが、冷え込みが増した分、路面はまだ湿っていた。わずかでも食い扶持を稼ごうと、少年らが声を張り上げている。窓拭き、靴磨き、雨樋掃除、云々――。


「ったく、どうしろってんだよなぁ、何の証拠もねぇのに」

「あのサイズの窓を通り抜けられる体格の人間ってことだよな」

「窓拭きのガキが犯人だったとしてよ、どうやって窓を開けたんだって話だ」


 ニーコが無精髭をざりざりと擦りながら、ぶつくさ言いつつ地図を広げる。新しい点を赤で打ち込むと、胸を反らして全体を眺めた。ベルは後ろからそれを覗き込んだ。


「見ろよ、見事に南西地区内だけだぜ。まんべんなく広がってるな」

「被害者に共通点とかはないのか?」

「南西地区住み、ってこと以外でか? 何も」


 素っ気なく首を振るニーコ。


「どちらかと言えば独り身の男が多いってくらいかな。でも女もいないわけじゃねぇし、大家族もちらほら」

「つまり」

「ノーヒントってことだ。これもう警邏中に現行犯をとっ捕まえるしかねぇんじゃねぇかなぁ」


 はぁ、と大きく肩を落としてから、ニーコは地図をしまい、部屋を出ていった。被害者からもう少し話を聞くのだろう。

 ベルはもう一度部屋の中を見回した。

 独身男性の一人部屋。一人暮らしにしてはやや広めの部屋だが、この古さだ、家賃は大して高くあるまい。それに古いと言っても、少々建て付けが悪くなっていて、ドアの開け閉めに手こずるとか、窓ガラスにわずかな隙間が空いているとか、その程度である。試しに窓の鍵を掛けてみたが、きっちり掛かって、ちょっと上下に揺すった程度では外れそうになかった。ごく普通の、何の異常もないスライド窓である。

 空き巣に荒らされた箇所以外は綺麗に片付いていて、ベルは少々意外に思った。


(家主は綺麗好きなんだな。……そんな風には見えなかったが、まぁ、人は見かけによらないってやつか)


 やっぱり犯人につながるものはありそうにない。ベルは溜め息をついて外に出ると、聞き込み中のニーコを横目に通りへ目をやった。

 潮時を分かっている賢明な少年たちは、今日の仕事を諦めて路地裏に消えていく。この辺りの夜は危険すぎるのだ。南西地区は古くから、流通の要所として栄えある南地区と、職人たちの集まる閑静な西地区に挟まれ、吹き溜まりとして発展してきた場所だった。最初は小さな区画だったらしいが、結界技術の発達によって城壁の外まで住めるようになってからは、どんどん外へ外へと拡大している。そのせいで、中央の近くは南地区に次ぐ歓楽街でありながら、旧城壁付近は日雇いと乞食でどうにか食いつないでいる人たちの正しく“吹き溜まり”となっていた。その格差に都市議員が頭を抱えているとか新聞は報じているが、どこまで本気で抱えているものかは分からない。ともあれ、治安の悪さで言えば都市内随一なのである。


(だから逆に、ここまで息の長い空き巣は珍しいんだが)


 それこそエル・ドラード商会のような、縄張り意識の強い組織に潰されるのがよくある結末だ。あれきり、タトゥーの男は見ていない。しかし、おそらくエル・ドラード商会の手の者と思われる男が必ず現場付近をうろついていた。商会の全員の顔を知っているわけではないから、推測に過ぎないが。


(相当本気で捜しているらしい。縄張りを荒らされたから、にしては、この間の態度が気になる……)


 ぼんやりと考えながら、何の気なしに向こうの通りへと首をめぐらせた、そのときだった。


「……え?」


 思わず声が漏れていた。

 あれは、今まさに男と一緒に酒場へ入っていった女性は、あの人は――

 ――カトラだ。

 ジッロの声が耳の裏で鳴った。


『最近喧嘩とかしたか? ――男と二人で楽しそうに歩いてたからさ』


   ☆


 ベルは柵に両腕を預け、川面に向けて溜め息をついた。深夜の一時を少し過ぎた頃だ。どうしても眠れなくて外に出てきて、またこの場所に。今夜は月もない。外灯もとっくに消されているし、灯りのついた窓もない。完全な闇夜に、星だけが点々とまたたいている。雨で増水した川の音が、ベルの心をかき乱していく。

 頭を悩ませているのは、無論空き巣の件――と、カトラのことだった。

 意識しなくとも思い返してしまう。数時間前に見た光景を。あれは間違いなくカトラだった。後ろ姿だったが、彼女を見間違うはずがない。そして彼女の隣には、見知らぬ男がいたのだ。平均的な身長で、優しげな顔立ちで、黒い髪の――自分とは正反対な見た目の――見知らぬ男。男がドアを開けて、エスコートされて、長い三つ編みが酒場に吸い込まれていったのだった。

 そういえば、悪い虫の話はしたが、良い虫の話はしなかった。あの優男が益虫であるなら、そうなったら自分は間違いなく害虫だ。瞳のすみれを、髪の小麦を、ただ食い荒らすだけの害虫。

 ベルは目を閉じ、額を柵に付け、頭を抱え込んだ。


(……いや、待て、カトラのことだ、きっと何か事情があって――何か頼まれたとか、そういう――待った。無駄な希望を持つのはやめたほうがいい。大体、頼まれ事だからってあんな酒場に二人きりで行くなんて……)


 みぞおちの辺りに何かを押し込まれているような感じがした。息が詰まる。苦しい。苦しい――耐えられなくなって目を開けて、空を仰いだ。意識的に息を吸う。しかし吸ったはずの空気は、喉の下らへんでわだかまってしまって、やっぱり息苦しいまま。

 手で顔全体を覆うように擦って、再びうつむく。わだかまった汚い埃と空気の塊が、ぶすぶすとくすぶり出す。


(どうして俺じゃないんだ? どうして……ああ、くそっ。やめろ、こんな考えは。見苦しい)


 もう今夜は眠れそうにない。けれどそれでも問題はなかった。明日は非番だから起きられなくても平気だし。金曜日だから、どちらにせよカトラには会えない。彼女が仕事を始めてくれて助かった。おかげさまで、会いに行かない正当な理由を用意できる。


(仕方ないさ。そもそも、俺が……俺なんかが、彼女と少しの間でも親しくなれたのが、奇跡みたいなもんだったんだ)


 人の心変わりを、嘆きこそすれ、恨みはしない。


(カトラが幸せであればそれでいい。それが……一番、いいんだ……一番……)


 そんなことを考えて、ベルはせっかく吸った息を全部川面に落とした。


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