scene 2 白波立つ


「あぁあぁ、これで今月入って八件目だ。参ったね、ほんと」


 ジッロが仰々しい溜め息をついた。空き巣に入られた家の主が、ちょうど通りかかったベルとジッロに泣きついたのは、つい五分前のことだった。


「荒稼ぎっていうのはこのことだよな。羨ましいぜ」

「羨ましいなら転職したらどうだ」

「やなこった。汚い金で女と遊びたくねぇもん」


 ジッロは彼らしい持論を堂々と掲げながら、窓をまじまじと見つめた。


「しっかし、いつもいつも、鍵だけご丁寧に。どうやってんだろうな、これ」


 左右に一本ずつ、窓枠と壁を貫くように差し込むタイプの錠だ。上下スライド窓によくある原始的な錠とはいえ、窓を割ることなく鍵だけを抜くなど容易ではなかろう。しかも白昼堂々と。侵入者は誰にも気付かれることなく、家主の留守の隙を突いて、金目の物を綺麗に持ち去ってしまったのだ。

 まったく同じ手口の空き巣が、ここのところ南西地区で多発していた。閉めてあったはずの窓がなぜか開いていて、そこから侵入を許すのである。目撃者はおらず、家主が仕事から帰ってきて初めて被害が発覚し、軍警に駆け込むというのがいつもの流れだった。

 被害者の部屋を出る。中央近く、南西地区と南地区との接合部で、ぎりぎり南西だろうかという位置だった。外で待っていた被害者にジッロが今後の説明を始める。ベルは彼らの後ろで、アパートの外壁に軽く寄りかかり、夕日に染められた町並みを眺めた。

 十月も中旬にさしかかろうとしていた。涼しかった風はだんだん冷たくなり、ベルにとって最も嬉しい季節がやってくる。日もどんどん短くなっていた。あと五分もすれば辺りは真っ暗になるだろう。そのことを重々理解している人々は、家路を早足で進んでいく。


(――ん?)


 ベルはふと、はす向かいの路地裏に目を留めた。

 見覚えのある男が二人、何やら深刻そうな表情で、額を付き合わせて話し込んでいる。目をすがめてよく見ると、片方の男の頬には耳から顎まで斜めに走る長い傷痕があって、その周りにタトゥーが彫り込まれていた。


(あれは……確か、エル・ドラード商会の)


 酒場に賭場に質屋に、真っ当な業務からほとんど黒に近いグレーな商売まで、手広く扱っている商会の下っ端だ。商売柄、集まる人間たちもごろつきに近く、軍警としては無視できない存在である。またこの会長ボスのフェルナンド・カポーニという男、彼がとんでもない切れ者で、絶対に黒にはならないぎりぎりのラインを上手に通るのだ。しかも時折犯罪者の情報を軍警に流してくれたりするために、黙認せざるを得ないこともままあるのである。ベルも何度か関わったことがあって、そこであのタトゥーの男を見かけていた。

 その彼が不意にこちらを向いて、ベルに見られていると気が付いたらしい。焦りの色が顔全体に広がるが先か、彼らは素早く踵を返し、そそくさと路地裏に消えていった。


「ジッロ、ここで待っててくれ」

「ん? おう」


 ベルは人波をかき分け、彼らがいた路地とは別の筋の路地に飛び込んだ。都市開発の進んでいない南西地区は古い建物が多く、路地もひどく入り組んでいて、迷路のような様相を呈している。だからこそ、うまく噛み合えば――


「おわっ!」


 角から飛び出してきた男がベルの胸元にぶつかって、後ろの二人目を巻き込みながらしりもちをついた。予想どおり。さっき見かけた二人だ。ベルは内心で口笛を鳴らしながら、うわべは素っ気なく手を差し出した。


「大丈夫か」

「あっ、ああ……」


 タトゥーの男は怯えた表情でベルを見上げ、手を借りることなく、後ずさりながら立ち上がった。完全に腰が引けていて、目があちこちに泳いでいる。

 ベルは一歩踏み込んだ。


「どうして逃げ出した?」

「に、逃げ出した? 何の話だ?」

「お前らは空き巣と関係があるのか?」

「まさか! 変な言いがかりはよしてくれよ、軍警の旦那」

「お前らのボスに聞きに行っても?」


 そう切り込むと、彼らはふと口をつぐみ、不安げに互いの顔を見合わせた。どうやらボスのところへ行かれるのは具合が悪いらしい。

 ベルは目を細めて、彼らを見下ろした。


「空き巣の正体はお前らか?」

「ち、違う! そんなわけねぇだろ! むしろその逆だ!」

「逆? 逆って何だ」


 タトゥーの男はためらいがちに言った。


「……俺たちは空き巣を捜してんだよ」

「は?」


 ベルは眉をひそめた。空き巣を捜している? こいつらが?


「どうして?」

「……それは……言えねぇ。言えねぇけど、とにかく俺たちは空き巣じゃない。空き巣の野郎を捜す側だ。つまり、軍警の旦那の味方だよ」


 調子を取り戻してきた男が胸を張る。


「安心してくれって、旦那。空き巣の野郎を見つけたら――あー、まぁ、半殺しにはするかもだけど――旦那のところに届けるからさ。じゃ、そういうことで!」


 それだけ一方的に言い切ると、彼らはさっさと走り出して、今度こそ完全に路地裏へ消えてしまった。

 ベルは首を傾げながら、来た道を引き返した。彼らは、おそらく嘘はついていないだろう。だいたい、彼らが空き巣なら、あんな場所に無防備に立っていたわけがないのだ。しかし、どうして彼らが犯人を捜すのだろう? ボスに言われるのが嫌なのはなぜだろう?

 もう辺りは完全に暗闇に沈んでいた。ジッロがアパートの外壁にもたれかかって、何やら難しい顔で煙草をふかしている。


「待たせたな」

「おう、ベル」


 彼は物憂げに煙を吐き出し、


「……あのさ、最近カトラちゃんと喧嘩とかしたか?」

「何だよ急に。してねぇよ」

「ああ、だよな。じゃあ見間違いか」

「何が?」

「いや……さっきな、カトラちゃんみてぇな女の子を見かけたんだよ。男と二人で楽しそうに歩いてたからさ」

「他人の空似だろ」

「だよなぁ」


 ジッロは煙草を壁に押しつけて消すと、その殻を放り捨てて歩き出した。ベルは吸い殻を側溝に蹴落としてから、横に並ぶ。


「で、お前は何してきたんだ?」

「エル・ドラード商会の下っ端がいたんだ。俺を見て逃げ出したから、事情を聞いてきた」

「へぇ。で?」


 ベルは肩をすくめて、成果とも言えない成果を話して聞かせた。


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