scene 4 それは祝砲
水の乙女の嫁入り、と呼ばれる祭りは、八月最後の日曜日に行われる。夏の終わりを感じさせるデラクアの風物詩だ。前日の夜から町全体がいつになく活気づき、その盛り上がりは衰えることを知らないような勢いを見せていた。
「それで、水の乙女の嫁入り? でしたっけ。それって何なんです?」
カミーユがそう聞いてきたのは夕方のことで、これからまさに祭りの佳境、舟流しが始まろうというところだった。
店じまいを手伝っていたカトラは手を止めた。この一週間ばかりずっと気になっていただろうに、ようやく聞けたのね、と内心少しだけからかうような気持ちになりながら答える。
「昔の伝説が由来になってるんですって。ほら、この町の真ん中を、大きな川が流れているでしょう?」
「流れてますね」
「昔ね、大昔の話よ。ひどい干ばつが続いて、川まですっかり枯れてしまったことがあったらしいの。川の水を頼りに生きていた周辺の人々は、全員死んでしまいそうになった。そのときに、一人の女性が、神様に祈りながら、枯れた川底を裸足で歩いて、源まで行ったんですって。その献身に報いて、神様は彼女を妻としてめとり、川を水で満たした、って」
「へぇ、そんな伝説が」
「伝説は綺麗よね」
「まるで汚い真実があるような言い方をするじゃないですか」
鋭い指摘だ。華々しい伝説の裏には夢も希望もない歴史が隠れていることが多い。この町に来たばかりのカトラもそう思って、図書館に通い詰めたのだった。
「……雨乞いってあるでしょう? 生け贄を捧げるやつ」
「ああ……」
それだけでうっすら察したようだったが、カトラは話すのをやめなかった。尋ねてきたのはそちらだ、それなら最後まで聞いてもらわなくては。
「雨乞いのやり方って地域によっていろいろあるけれど、この辺りでは川の源で、処女に自殺させるやり方が主流だったらしいの。で、水が復活したら、生け贄となった女性の死体を舟に乗せて、海まで流した、と」
「……ああ……」
カミーユはあからさまに“不愉快だ”という顔つきになった。素直な反応が弟を想起させて、可愛らしく思えてくる。
「時代が下るにつれて、生け贄自体は行われないようになって、舟を流す風習だけが残ったらしいの。元は慰霊のためだったのが、だんだんと予祝――予祝って、もらった前提で先にお祝いしちゃうことを言うんだけど、要するに、一年間水に困ることがありませんように、っていう願いを込めているのと同じね。そういう意味で舟を流すようになったの。そこに伝説が乗っかったってわけ」
「ふぅん」
「今は普通のお祭りよ。結婚を間近に控えてる女性が主役なんだけど、最近はお店の宣伝に使われることのほうが多いみたい」
「いかにも祭りって感じですね」
「アマンダたちの舟が出るから、それだけ見に行くんだけど、カミーユも来ない?」
「あれ、ベルさんと行くんじゃないんですか」
「ベルはお仕事。巡回があるんですって」
「ああ。上手くさぼれなかったのか」
カミーユはふんと鼻で笑った。ヴェロニカの影響を受けているようだったが、カミーユがそうすると小生意気な少年としか思えない。
彼はカウンターの上を拭ききってから、大人びた口調を作った。
「あんまり興味はないんですが……まぁ、そういうことなら仕方ないですね。行ってあげましょう」
「嫌なら来なくていいのよ」
「嫌だとは言っていません」
と、澄まし顔で布巾を絞るカミーユ。カトラは笑いたくなったのをこらえた。
「そうね。じゃあ、一緒に行きましょう」
ヴェロニカに言ってから店を出る。朝から晴天続きだった穏やかな空に、月がぽっかりと浮かんでいた。風もなく、祭りには最適の夜だ。
ヴィルヌーヴの前は表の通りから一本中に入った小道なのだが、ここですらいつもの倍近い往来があった。屋台の並ぶ大通りはもちろん、川に近付くほど人は増え、思い通りに歩くことが困難になっていく。
「この町ってこんなに人がいたんですね」
人いきれに顔をしかめながら、カミーユが声を張った。そうしないと聞こえないくらいに騒々しいのだ。
「いっぺんに集まることってお祭りのときぐらいだもの。そう思うのも当然だわ」
「こんなに賑やかなお祭りは初めてです」
「そういえば、バツェレトのお祭りは静かだって聞いたことあるわ。それって本当なのね」
「ええ、本当ですよ。こんな――」
と、すれ違いざまに肩をぶつけて、鮮やかな赤髪の男と謝罪の会釈を交わしてから、
「――こんなにうるさいなんて、ありえません!」
「バツェレトのお祭りもいつか見てみたいものだわ」
「ええ、ぜひ! 違いにびっくりするでしょうから」
そうやって不満げな顔を作っているくせに、次の瞬間には飾りや屋台に目を奪われているのだ。興味深そうにあちこちを見回しながら歩くせいで、行き交う人々と肩をぶつけてばかりいる。カトラはこらえきれず袖を引いた。
「カミーユ、周りをちゃんと見て歩いて」
「子供扱いしないでもらえます?」
「してないわ。ただ心配してるだけよ」
カトラはできる限り素っ気なく聞こえるように言った。弟によく使った手法だ。こうやって素直に言うと、案外黙って受け入れてくれるのである。
案の定カミーユは大人しく口をつぐんで、それからは少し人を避けるようになった。
人の波の合間を縫って、ようやく川岸にたどり着く。北西から南東へ、蛇行しながら町を貫く
いつもは消される川沿いの外灯も、今日は夜通しつけっぱなしだ。造花で飾られた欄干や柵もライトアップされているから、流れていく舟がよく見える。白い花冠をかぶっている女性は、祭りの後に結婚するという人だ。
「あ、来たんじゃないですか」
「どこ?」
「ほら、あそこです」
指さしたほうに身を乗り出すと、確かに、アマンダとコルネリアとクララを乗せた小舟が下ってくるところだった。泳げないジョルジャはお留守番。エリーザはおじさまとデート中だ。
舳先でゆらゆらと揺れるランプが、水面に不思議な色と形を落としている。発光水晶で飾られた
白いドレスで着飾った三人が腰掛けて、優雅に手を振っている。
「綺麗ね。三人ともとっても素敵だわ」
「着飾れば誰だってあれくらいになるでしょう」
「こういうときは嘘でも“そうですね”くらい言うものよ」
「すみません、正直者で」
まったく悪びれることのないカミーユに苦笑して、カトラは舟に視線を戻した。
三人はこちらには気付いていない様子だった。アマンダは妖艶な感じで小さく手先だけを、いつも元気いっぱいなコルネリアは大きく腕ごと振っている。コルネリアのせいで舟が揺れるのが気になるのか、それともただ慣れていないだけなのか、クララは笑顔もどうもぎこちない。
その小舟を見送ってしまうと、カトラとカミーユはさっさと店に戻った。もともと長居をするつもりはなかったし、ヴェロニカが夕飯を作ってくれていると分かっているのに買い食いしたりはしない。
ちょうど家の前に着いた、そのときだった。
「あれ。花火ですか」
「本当だわ」
ぽんぽん、と立て続けに三発、四発、五発。色とりどりの花びらが夜空に舞い散った。六発、七発――。
「去年はなかったのに。今年から始めたのね」
「この調子じゃあ、来年はもっと騒がしくなりそうですね」
文句たらたら。そのくせ、彼は花火をじぃっと見上げたまま立ち止まり、それがすっかり収まってしまうまで、扉を開けようとしなかったのだった。
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