scene 5 第三者の言葉ほど
翌朝、カトラが三階から下りてくると、店の前に見慣れない女性が立っていた。頬と腰回りの肉付きがよい二十代。波打つ栗色の髪を右肩に流したスタイルは色っぽくて、今流行りの丈が短いワンピースとよく合っている。細く整えた眉と紫のアイシャドウ、真っ赤な口紅は不機嫌そう。せわしなく動く小さな瞳と、少し歪んだ丸い鼻。
その彼女が、カトラを見るなり詰め寄ってきたのだ。
「ねぇ、あんたがカトラ?」
「そうだけど、何かご用かしら?」
「ロゼのジョルジャに聞いたんだけど。軍警に相談できない悩み事を解決してくれるって、ほんと?」
「あたしは話を聞くだけよ。手伝えそうなことがあったら手伝うけれど、絶対に解決するって保証はできないわ」
ふぅん、とやや不満げに頷いて、彼女はカトラの頭の先から爪先までをじろりと睨み見た。カトラは反対に彼女の顔を間近に見て――上手に隠しているけれど、目の下にクマ。それから、まぶたが腫れてるわ。泣き腫らして寝不足、って感じみたい。本当に何かお困りなのね。
「良かったら、お話だけでも聞かせてくれる? 中へどうぞ」
店の戸を開けて招き入れると、彼女は大人しくついてきた。
落ち着いてもらえるように、蜂蜜を気持ち多めに入れた紅茶にした。今日の失敗作はチーズクラッカーとロッシェ・ココだから、甘めの紅茶ならそれらとの相性もいい。テーブルに並べて向かいに座ると、彼女はそれらに一切手をつけず話し出した。
「私はルチア。南ブロックのパラッゾ・ディ・フィオリっていう服屋の針子なんだけど」
「ああ、だからジョルジャと知り合いだったのね」
「そう。ジョルジャはお得意様だから」
ルチアは得意げに頷いた。話が通じたことで、警戒心も少し薄れたらしい。わずかに明るくなった顔が、次の瞬間には再びくもった。ひどく重たげに唇が動く。
「それでね、私の仕事仲間に、エンリカって子がいるんだけど……その子に、私、殺されかけたの。昨日の祭りのときに」
穏やかならぬ話だ。カトラは傾けかけていたティーカップを置いた。
「どういうこと?」
「昨日の祭りね、私も舟に乗ってたの。宣伝じゃない舟ね。地区ごと出すやつ。あるでしょ」
カトラは頷いた。この都市は東西南北と北東・北西・南西・南東、そして中央の九地区に分けられている。その各地区に住んでいる女性が代表して乗ることになっている舟が、それぞれ三隻ずつあるのだ。
「南地区の代表で乗ったんだけど。エンリカも代表で、私とは別の舟に乗ることになってたの。それが、今から流すってときに突然、乗る舟を交換してくれって言い出してさ。別にどの舟に乗っても変わりないって思ってたから、交換してあげたんだけど、そしたらその舟、エンリカが乗るはずだった舟ね、それが川の真ん中らへんで突然引っくり返ったの」
「えっ」
そんな事故があったなんて。早々に帰ってきてしまったからまったく知らなかった。
「わざわざ交換しようって言ってくるなんておかしいもの。きっとエンリカは知ってたんだ、引っくり返るって。だから私をあの舟に乗せたのよ。……そうに違いないんだ」
ルチアは震えた声で主張した。今にも泣き出しそうに顔を歪め、ティーカップを両手でぎゅっと包み込んでいる。
「どうしてそう思うの? エンリカとは仲が悪かったの?」
カトラが尋ねると、彼女は曖昧に首を振った。
「親友だった。……少なくとも、先月までは」
「何かあったのね」
「……今月の頭くらいかな。エンリカが彼氏と別れたんだ。で、今、私がその男と付き合ってる」
「あら」
それなら動機としては充分かもしれない。殺されるかも、というのは大袈裟にしても、意趣返しに舟を転覆させるくらい、やる人はやるだろう。
「それで逆恨みしてるんだよ。たぶんね。彼、けっこうひどめにエンリカのこと捨てたらしくってさ」
「エンリカはそういうことをするタイプなの?」
「ううん。すごくさっぱりしてて、仕事を大事にしてて、わりとあれこれ遠慮なく言うタイプだよ。でもさ、女って男で変わるもんでしょ」
分かるよね、という声が聞こえてきそうな言い方だった。カトラはそっと視線を外して、何事もなかったように質問を続けた。
「舟が転覆したときのことを詳しく教えてもらえる?」
「それが、あんましよく覚えてないんだ。花火がすぐ近くで上がったから、それを見てたの。そしたら急にぐらっときて、気がついたら川に落ちてた」
「一緒に乗っていた人は?」
ルチアは「私を含めて五人。一人だけ、花冠をつけてる子がいたけど」と肩をすくめた。全員知らない人だったらしい。
「エンリカに話を聞きに行ってもいいかしら」
「……どうぞ。普通に仕事場にいると思う。あ、今日はお店ごとお休みだけど」
「じゃあ明日行ってみるわ。あなたも明日はお仕事?」
「ううん。オーナーが昨日の事故を見ててね。しばらく休み、くれたんだ」
ひどくほっとした様子だった。エンリカと顔を合わせるのが嫌だったのだろう。それからようやく紅茶に口をつけて、チーズクラッカーをつまんだ。
「あ、美味しい。これ売り物?」
カウンターの向こうでカミーユが急に聞き耳を立てだしたのが分かった。
「違うわよ。修業中の見習いさんが作ったものだから」
「へぇ。じゃ、売り物はもっと美味しいんだ」
「そうね。今のところは」
「ふぅん。これより美味しいんだ……」
今頃カミーユはにやけるのをこらえるのに必死になっていることだろう。
結局ルチアは出されたものを全部食べてしまってから、チーズクラッカーとロッシェ・ココを買ってくれた。上機嫌なカミーユが愛想良く品物を包む。
「それじゃあ、この件は一旦あたしが預かるわ」
「よろしく。……話せただけでもだいぶ良くなった気がする。やっぱり勘違いかもしれないしね。ありがと」
来たときよりはだいぶ良い表情で、彼女は帰っていった。
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