scene 2 余韻
スポットライトに照らされた丸い舞台の中央で、軽業師が天井から吊り下げられたロープにつかまり、くるくると踊っている。飛び降りた軽業師を受け止めたのは、噂の力自慢だ。彼がねじ曲げた金属の棒は火かき棒の五倍ぐらいの太さで、「あれはちょっと無理だな」とベルが呟いた。
軽快な音楽に合わせて踊るように出てきた二人のピエロは、手品師と鍵開け師らしい。黒髪のピエロが手錠をつけられ、金庫の中に入り、それがまた鎖と南京錠でがんじがらめにされる。音楽がテンポと音量を上げる。焦りすぎて派手に転んだ赤髪のピエロが、しかし針金一本で錠を鮮やかに開けてしまう。と、金庫の中は空っぽ。消えたピエロは客席から忽然と現れたのだった。
続いて出てきたのは驚くほど豊かな白髪の女性。彼女がステージ上で両手を広げると明かりが消える。そして立て続けに爆発音が鳴って――赤、青、黄色、緑、白――色とりどりの火花が散った。立ちこめた火薬のにおいで魔法でないと分かる。技術と知識だけで、こんなにも華やかに炎を操れるなんて! 波打つ白い髪に光が照り映えて、虹色に輝いて見えた。
演し物のひとつひとつに観客は拍手喝采を送った。カトラも例に漏れず、人生で一番手を叩いた。今後一生分の拍手を使い切ってしまったような気分だった。あんまり楽しかったものだから、すべてが終わった後もしばらく立ち上がれなくて、天井付近でゆあーんと揺れる空っぽの空中ブランコをぼうっと眺めてしまう。
「すごかったわ」
「うん、すごかったな」
二人は、すり鉢状に組まれた観客席の最後列に座っていた。ベルが「俺の後ろには誰も座れなくなるから」と気を遣った結果だった。
先に立ち上がった人たちがぞろぞろと通路を歩いていく。一度流れができてしまうと、そこに割り込むのはなんとなく気が引けるものだ。カトラもベルもそのまま座って、人が流れきってしまうのを待っていた。足音が少し大きめに反響している。おそらく、この組み立て式の座席の下は空洞になっているのだろう。
(ああ、なるほど。あの瞬間移動の手品、きっとこの下を通ってきたのね)
具体的に、どうやって手錠を抜けたのか、とかは分からないけれど。音楽や、転んだことで意識を引いて、それで移動に気付かれないようにしていたのだろう。――弟にも見せたかったわ。リカルド、あの子も、サーカスとか見たことないでしょうから。そういえば、 “手品を成功させる一番の秘訣は、人の注目を操作することだ”って聞いた記憶があるわ。実際に簡単なコインマジックを見せてくれた家庭教師さんは、今頃元気にしているかしら――などと考えてしまって、カトラは頭を軽く振った。
サーカスは人の心を揺り動かす。その余韻に誘われて、古いことを思い出したりするのだろう。
子供の泣き声と歓声がちょうど半々くらいに混ざってこだましていた。
「やぁだぁ! かえりたくなぁい!」
「楽しかったね。また来ようね」
閉幕が寂しいのだろう、泣きわめく子供を抱きかかえて、親は苦笑しながら階段を上っていく。仲睦まじい親子連れを見ると、微笑ましい反面、胸に空いた穴の存在を意識せずにいられない。
別の子供たちはサーカスの熱気に当てられてか、許された夜更かしに興奮してか、じゃれ合いながら転がるように走っていった。それを避けた、綺麗な身なりの男女が、ちょうどカトラの斜め前辺りで立ち止まって振り返る。
「ちょっと姉様、何ぼうっとしてるのよ」
最前列に座ったままでいた女性がびくりと肩を跳ね上げて、慌てて立ち上がった。小走りに通路を上がってくる。
「ご、ごめんね、ミレーナ。チェレスさんも。待たせちゃって……」
「のんびりしすぎよ、本当に」
「いいんだよ、ミレーナ。レティも」
男が爽やかな笑顔で頷いた。そして三人連れ立って歩き去る。姉妹と、妹の恋人だろう。家族になりきれていないぎこちなさすら、どこかほのぼのとしたものに感じてしまうのも、サーカスの魔法だろうか。
「こら、アンナ! いい加減にしなさい!」
唐突に後ろのほうで響いた怒声は子供を叱るもの。いよいよ誰かにぶつかるか何かしたようだ。それでも懲りずにきゃあきゃあと騒いでいるのが聞こえた。子供だけでない、大人もみんな落ち着きない足取りをしている。誰も彼も平常心ではいられない様子だった。
(サーカスの後ってこうなるものなのね)
読んだ本には確かにそう書いてあった。けれど本当にそうだったなんて。初めての体験に浮き立ちながら、カトラは噛みしめるように繰り返した。
「そろそろ行くか」
「ええ」
ベルに促されて席を立つ。テントの中はもう空っぽだった。
テントを出ると、外はもう真っ暗だった。昨日から少しだけ太った月が煌々と輝いている。満月まではあと一週間ほどだろうか。ベルはそれを見上げて、草原の風を気持ち良さげに吸い込んだ。
かつて結界の技術が発達していなかった頃に町を守っていた石壁は、いまや用をなさなくなって、増えた家々の中に埋もれている。その結果分かりにくくなった町の入り口まで、点々とランプが置かれていた。ぼんやりとした橙色の光は、足下や眼前の状況を明瞭にするにはやや足りない。それをロマンチックというならばそうなのだろう、とカトラは足下を気にしながら思った。道がある程度整えられているおかげで、転んだりはせずに済みそうだけれど、不安は誤魔化しきれない。もともと明るいときだって目がいいほうだとは言い切れないのだ。暗闇ではなおさら。
(ベルは夜目が利くから)
カトラが必死に足下を気にしている最中もきっと、月を見上げたまま悠然と歩いているに違いないのだ。もしかすると、夜目が利かなくたってそうだったかもしれない。
少しだけ憎たらしくなる。ベルに対して、ではない。月に対して、だ。我関せずとばかりに美しく輝いて、問答無用で目を引き寄せる月。カトラが月を見上げるとなると、いつも恨みがましく睨みつけることになる。母が亡くなった日も、家を飛び出した日も、非常に――非情に――美しい満月が浮かんでいたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます