extra scene 望郷
彼の顔立ちの厳つさも、がたいの良さも、見慣れてしまえば大して怖くなどないのだった。それどころか「ちょっと待ってて」とカトラに言われて、理由も聞かず大人しく座っている姿など、よくしつけられた犬のようである。カミーユは一瞬でも怯えたことのある自分を愚かしく思いながら、ふと思い出したことを尋ねた。
「ノ・セって言ってませんでした?
「ああ、俺の故郷のほうだと、ちょっと古い言い回しをするんだ。山奥の田舎だからな」
「あなたってこの辺の出身じゃないんですね」
「ずっと北だよ。この国の最北端にディ・ネーヴェっていう町があって、そこからさらに北の山奥に小さな集落があるんだ。俺はそこの生まれで」
「なるほど。だから暑さに弱いんですか」
「まぁ、そういうことだな」
そう言って彼ははにかんだような苦笑いを浮かべた。おっくうそうに椅子の背へもたれかかっているのは、本調子でないからだろう。
夏の盛りをわずかに過ぎた頃だ。いまだ昼も夜も暑い毎日が続いている。窓を開けても、生暖かく湿った空気がこちらを執拗に撫で回すだけで、まったく涼しさはないのだった。
カミーユは頬を伝った汗を手の甲で拭う。
「そのわりには汗一つかいてないですね」
「軍医いわく、それが逆に悪いらしい」
「どういうことです?」
「なんでも、汗をかくっていうのは体の中の熱を外に逃がすための現象なんだと。それが起きにくいってことは、熱が溜まる一方になるってことで、それで熱中症になる、と。北はずっと寒いから、汗を出すための機能が落ちやすいらしい」
「へぇ」
そんなふうに言われると、鬱陶しい汗の滝も悪くないなと思えてしまう。
「北にはずっと雪があるんですか」
「それはさすがに。北にも夏はあるからな。まぁ、こっちの夏よりずっと涼しいし、短いんだけど。一年の三分の二くらいは冬で、雪に覆われてるな」
「そんなところでいったいどうやって生活するっていうんです?」
驚きと好奇心のために配慮を忘れてしまった、とカミーユは問うてから気がついた。けれどベルは気にしていない様子だった。
「雪のある間はほとんど家から出ないんだ。雪が多すぎるせいで結界も張れないし、大型の魔物がうろつくから。だから」
と、軽く握った拳がテーブルをこつんと叩く。
「集落の大部分は地下にある」
「地下に?」
「そう、地下に。こういう――」と窓の向こう側を見やって「――通りも、店も、全部地下にあるんだ。どの家も地上と地下のそれぞれに玄関を持っていて、で、冬の間はもっぱら、地下の玄関しか使わない。大型の魔物は地下にやってこれないからな。結界がなくても、どれだけ雪が積もっても、生活に不便はないんだ」
「へぇ……」
「その代わり、小型の魔物は毎日のようにわいてくる。だから、子供とか大人とか関係なく、行き合った人間が駆除しなきゃいけないんだ」
ふいに彼は、元から細い目をさらに細め、獰猛な感じで口角を上げた。
「十歳くらいになるとな、男子は全員、“度胸試し”って一人で駆除に行かされるんだ」
「ええ……」
「一番でかいのを倒した奴は英雄だったな。逆に、獲物が小さければ小さいほど、臆病者扱いだ」
なんて野蛮な、とはさすがに飲み込んだ。しかし彼はその声を聞き取ったかのように「平和が一番だよ」と相好を崩した。
ふぅん、とカミーユは思った。平和が一番、ね。そう言うわりに、故郷の話をしているときの彼はずいぶんと穏やかな表情をしていたし、楽しそうな口ぶりだった。
「戻りたいとは思わないんですか、故郷に」
「え?」
そんなことまったく考えていませんでした、と言わんばかりに、彼は目をぱちくりさせた。目線がふらっと天井辺りをさまよい、テーブルの上に落ちる。彼の太い指先が首筋をかいた。相変わらず、汗はほとんど出ていない。
「いや……別に、いいかな。暑さにもだいぶ慣れてきたし」
「慣れているようには見えませんが」
「これでも初年よりはずいぶんましになったんだぜ」
「それはそれは」
結構なことで、と皮肉っぽく言ったカミーユにかぶせるように、店の扉が開いて、カトラが顔を出した。
「お待たせベル、行きましょう」
「うん」
連れ立って出ていった二人を見送って、はたとカミーユは思い至る。それで、やっぱり僕は考えが足りないな、とカウンターに溜め息をついたのだった。
fin.
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