extra scene 連想ゲーム


「氷を思い出すのよ」


 カトラはベルの後頭部に氷を包んだハンカチを乗せながら言った。暑さにすっかりやられて、熱中症のような状態になっていたのを、見かねたカトラが部屋に座らせたところだった。南国の夏は北国の人間の天敵である。そういうわけで、いつもよりずっとぼんやりとした口調で、ベルは問い返した。


「……なんだって?」

「ベルを見ているとね、氷を思い出すの」

「ああ、そういう」

「きっと髪と瞳の色のせいね。でもぴったりだわ。氷ほど冷たくはないけれど」

「熱に弱いし?」


 突っ伏していたベルが、カトラのほうを向くために顔を横に向けた。ずり落ちた氷をカトラが拾って、首の上に置き直す。


「そうね。今まさに溶けちゃいそうになっているものね」

「もう溶けてるんじゃないか」

「大丈夫、まだ人の形を保ってるわよ」


 もう少し風があればいいんだけど、とカトラが恨めしそうに窓を見やる。頬杖をついて。くすんだ金色の髪。ベルの目線の先で長く垂れている。


「ベルを見ると氷を思い出すってことは、氷を見るとベルを思い出すってことよ」

「うん」

「保管庫の中じゃ思い出さないのよ。そこの氷はちょっと冷たすぎるから。そこから出してきて、グラスに浮かべて、少し角が取れたころがちょうどいいの」

「うん」


 日の光が斜めに差し込んできている。ベルは陰の中にいる。日向にいる彼女の髪は。


「麦畑」

「え?」

「俺は麦畑を思い出すよ。夏の、故郷の、麦畑だ」


 目を瞑るとその光景が浮かんでくる。風の感触まで思い出せる。

 ――カンカンに照っているお日様がさ、麦畑を金色にしているんだ。北国で一番鮮やかな季節なんだよ。――で、山のてっぺんから下りてきた風が穂を揺らすんだ。それで、麦が揺れると、光が動くから、風の形が見える。決まった形はないけど、でも、麦は決まって、風の通りに揺れるんだ。見えないものを見せてくれる、っていうのは、君が、たくさん考えたあとにさ、正しい道を教えてくれるのと似ているよ。――それで、さわさわと音を鳴らす。何か、懐かしい歌を呟くみたいに。考え事をしているときのカトラが、口の中で、何か呟いているのと同じだ。何て言ってるかは分からないけど、その音が、すごく心地よく響くんだ。ずっと聞いていられる。――風がないと、虫が跳ねるんだ。畑の中のいろんなところで、ぴんっ、ぴんって、穂先だけがわずかに揺れる。揺れたと思って目をやると、もう止まってる。その自由な感じが大好きで、そう、ちょうど、あちこち行きたがる君の三つ編みの先みたいで、いつまでも見ていられるんだ。すごく好きなんだよ。太陽と、風と、歌と、自由――すごく、本当に、綺麗なんだ――綺麗で――好きなんだ――


 けだるげに口を動かしていた彼は、やがてそのけだるさに逆らうのをやめた。静かな寝息がテーブルの上を滑っていく。ふぅと流れ込んできた風と混じって、その息はわずかに彼女の髪を揺らす。


「……麦畑の話、よね?」


 そうに決まっているわ、とカトラは自分に言い聞かせた。でないとあたしまで熱中症になっちゃうもの。


「ああ、今日って本当に暑いわ」


 火照った頬に、氷が愛おしい。

   fin.

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