extra scene 注文のできない料理店
お昼の時間を少し回ったころにやってきたお二人を見て、私は、ええ、すぐに分かりました。そりゃ当然、分かりますとも。慎ましいお二人らしく、堂々と手をつないだりはなさっていませんがね。そんなことせずとも分かります。テーブルを挟んで突き合わせた額が前よりも近付いていますし、笑顔だけでなく怒ったようなお顔やすねたようなお顔もするようになりました。それに何よりお二人の間を流れる空気が――会話が途切れたときの空気も含めて、ですよ――まったく同じ優しい色合いになっているのですから。かつて不透明だった前途がどうなったか、など、今となっては明白です。
軍警の彼はいつも通りの注文をしました。彼女は、好奇心旺盛なのでしょうね、いつも違う料理に挑戦なさいます。今日の選択は――それですか。私は念のため彼にお伝えしました。彼は軽く頷いてみせてから、彼女に問いかけてくださいました。
「辛いの平気か?」
「あら、これって辛いのね」
「うん。北ではよく食べるやつだけど、そういやこの辺りじゃあんまり見ないな」
「楽しみだわ。辛いのけっこう好きなの」
「それならよかった」
大丈夫だとのことで、私も安心いたしました。
厨房に引っ込んでも、狭い店内です、お二人のお話は聞き耳を立てるまでもなく耳に入ってきます。
「ベルも辛いの好き?」
「嫌いじゃないよ」
「好きでもないのね」
「食べ慣れてるだけで、特別な感じはないからな」
「甘いのは特別?」
「そりゃあもう、特別の中の特別だな」
「それならよかった」
微笑み合ったのが背中越しにも分かりました。
――こうなってしまえば、私から口出しすることなど何一つないのです。
ああ、よかった。軍警の彼が私のような失敗をするとは思っていませんでしたが、それでも、人間誰がどこでどうなるかは分からないものです。私だって、まさか何気なく恋をした相手が魔女だったなんて思いもしませんでしたよ。そのうえ、浮気を疑われて口論になった挙げ句――ちょっと言い過ぎたことは認めますが――呪われるなんて。思いもしませんでした。でも、不思議と後悔はしていないのです。私にとってはあれが特別な日々でした。辛い中に交ざった甘さであり、甘い中に現れた辛さでした――おっと、若々しいカップルに当てられたみたいですね。昔のことを掘り返すなんて。まぁたまには、こうやって思い返すのも悪くはないですが。……困ったものですね、後悔はなくても未練はあるようで。我ながら女々しいものです。
お二人が出ていったのを機に、昼の営業を切り上げます。こんな時間にお客様はいらっしゃいませんし、夜の準備もありますのでね。外の看板を回収して、っと、おや珍しい、次のお客様が――
「……お久しぶりね」
――たとえ口がきけたとしても、一言だって発せなかったことでしょう。
「なんで何も言わないの?」
ご自分のしたことをお忘れで? 言わないのではなく言えないのですが。
「……まさか、まだ、私がかけた呪い、解けてないの?」
解けるわけがないでしょう。私は魔法使いでも何でもないのですから。
「……そう」
彼女はかつてのように、ピンヒールを鳴らして私に近付いてきました。そして、
「――え?」
私の胸ぐらを掴んだまま、目と鼻の先で、彼女は私を睨みました。
「……呪いはキスで解けるのよ。お約束じゃない」
「あー……」
声が出る。声が出ます! ああ、なんということでしょうか、数年ぶりに聞く自分の声! 掠れてボロボロになった、けれど確かに自分のもの!
彼女はふんとわざとらしくそっぽを向きました。
「もうとっくに解けてると思ってたわ。あなたって恋多き人だから」
「まだ誤解してるんですか? あなたも本当にしつこくていらっしゃる」
「久々のおしゃべりなのにもう絶好調ね。やっぱり解いてあげないほうがよかったかしら」
「わざわざご足労いただきありがとうございます。お優しいことで」
「相変わらずいちいち嫌みっぽい――」
「ちなみにその呪いって、どなたからのキスでも解けるものなんです?」
そっぽを向いてくれたおかげで真正面に見えていた耳が、みるみるうちに真っ赤に染まりました。
さてと。私もあのお二人を倣って、少しは慎ましやかな口をきくことにしましょうか。久々のおしゃべりで舌も回っていないことですし。
「お腹、空いてませんか? たまにはあなたの注文をきいてあげてもいいですよ」
看板を回収した後に、のお話ですが。
何を注文されるかは、ええ、分かっています。そりゃ当然、分かっていますとも。……特別なんですからね。
fin.
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