extra scene 蝶は虫籠にて
軍警の勾留所、っていうのは、思っていたほど悪い部屋じゃなかったわぁ。そりゃあ、小さいけどねぇ。一応ちゃんと個室で、ベッドとデスクがあって、シャワーとトイレが別についてる。やっすいホテルよりはちょっとだけマシって感じ。
……けど、どんなに最悪なホテルでも、ホテルだったら、壁に監視用の小窓なんかあいてない。
時々やってくる監視の男の視線がうるさい。監視が必要なのは分かるけど、必要以上に見ちゃって。あたしのこと、観賞用の何かだと思ってんじゃないかしら。本当に最悪だわ。シャワーだってまともに浴びれないし。こんなところ、早く出ていきたい――って、駄目よぉ、弱気になっちゃあ。泣きでもしたら、それこそ
――あら、何かしらぁ、外から話し声。ちょっとして、窓の向こうを誰かが横切った。肩の辺りしか見えなかったから、相当背の高い方のようね。
扉がノックされた。おかしいわね、今日の取り調べはもう終わったのに。何かあったのかしら。
黙っていると、もう一度ノック。いつもだったら問答無用で開けてくるのに、どういう風の吹き回し?
「はぁい、何かしら」
返事をすると、ようやく外から鍵が開けられて――大男、って呼ぶしかない男が、ぬぅっと中に入ってきた。
ああ、ジッロと一緒にあたしをここまで連れてきた人だわ。取り調べのときにも、時々隅のほうにいる。ちゃんと見るのは初めてだけど、ずいぶんと険しい顔。嫌だわ、機嫌が悪いのかしら。あたしはベッドの上に座ったまま、少し奥のほうに移動した。だって距離が欲しかったんだもの。無駄な足掻きって分かってるけど。
大男は後ろ手に扉を閉めると、無愛想に言った。
「カトラからの差し入れを届けに来た」
あたしは思わず目を開いていたわ。そういえば、って今更思い出す。カトラはこの人と知り合いのようだったわね。
「ここって差し入れ禁止じゃなかったかしらぁ」
「ああ。だから、悪いがすぐに食べてくれ。ごみは回収させてもらう」
と、彼は小さな紙包みをポケットから出して、あたしに渡すんじゃなく、デスクの上に置いた。そして元通り扉の前に立つ。
狭い部屋だわ、もう香りが鼻に届いている。ちょっと立って、紙包みを手に取った。座り直してそっと開く。ヴィルヌーヴの飾り文字。中は――さすがカトラだわ、あたしの大好物を分かってる――ディアマンクッキー。
あたしはすぐに飛びついたわ。だって、甘い物なんてひとかけらも出ないんだもの。ううん、仮に出たとしても、この美味しさには敵わないわ。
ああ、本当に美味しい。
気付いたときには頬が濡れていた。こらえきれずに鼻が鳴る。せめて、ねぇあたし、口を押さえて声だけは殺しなさい。ああやだわ、こんなの、待って、もう最悪。本当に馬鹿ね、これじゃあまんまと見世物になっちゃうじゃない。でももう駄目、だって不安なんだもの。怖いんだもの。あたしは何もやってないっていうのに、こんな場所で一人きり。おじさまに裏切られて、疑われるなんて思いもしなかった。もう嫌、帰りたい――。
ごつ、と硬い足音がした。びくりと体を固める。やだ、近付かないで、話しかけないで! なんて願ったって無駄なんでしょう? せめてお願い、下手な慰めならまだ許すわ、でも絶対に触れないで……!
――それきり何の音もしなくなった。声もないし、気配だってない。
恐る恐る顔を上げる。と、その大男は扉の前でなくて、小窓の前に立っていた。大きな体が小窓をすっぽり覆い隠している。彼は不機嫌そうに思い切りそっぽを向いて、腕を組んでいた。なんなら目も瞑っているみたい。俺は何も見ていない! って全身が叫んでるわ。なんて分かりやすいのかしら。
……誰も見てないのなら、いいかしら。
あたしは涙を流したまま、クッキーを頬張った。
「ねぇ、軍警さん?」
すっかり食べ終えて、涙を拭ってから、あたしは彼に声を掛けた。それまで彫像みたいにぴくりとも動かなかった彼は、ぎこちなくこちらを向いた。
「あなたってぇ、カトラといつ知り合ったのぉ?」
「……今月の頭だ」
あら、けっこう最近ね。――それじゃあ、この人が
「カトラって可愛いわよねぇ」
「……ん?」
「そう思わない?」
分かりやすくうろたえながら「ん、んん……そう、だな」と曖昧に頷いて、彼は手の甲で鼻の辺りを擦った。ふふ、本当に分かりやすいわぁ。なんてからかいがいのある。
「可愛いしぃ、頭いいしぃ、料理も裁縫も完璧だしって、言い寄る男は多いのよぉ」
一年前ともうちょっと前にカトラが現れてから、ヴィルヌーヴの売り上げは激増した。もちろん、ハーブティーが美味しかったから、っていうのもあるけどね。半分くらいはカトラ目当ての男性客のおかげ。
彼はあからさまにしゅんとした様子で「だろうな」と呟いた。そんなにしょげないでぇ、怖い顔が台なしだわ。
「でもぉ、カトラって今のところ全部断ってるのよぉ」
「え」
「だから、頑張ってねぇ」
だってあたし、前にカトラから聞いたのよ。
仮に見た目だけを問うなら、細くて優しげな、学者っぽい人はあんまり好きじゃない、がっしりとしていて筋肉があって、たくましい人のほうが好き、って。だからあなた、最初の関門は越えてるのよぉ。
ま、そこまでは教えてあげないけど。
丸めたごみを差し出す。彼はそっと近寄ってきて、下のほうから手のひらを出した。猛獣に餌をやる人間みたいな仕草。立場が逆じゃない? ってあたしは笑いそうになる。
ごつごつした手のひらにごみを乗せると、彼はすぐに身を引いた。険しい顔付きも一度見慣れちゃえば平気ね。不機嫌なんじゃなくて、素の顔っぽいし。
「じゃあ。邪魔したな」
「お使いご苦労さまぁ。ありがとねぇ」
「礼はカトラに言ってくれ」
無愛想に言い残して、彼はさっさと部屋を出ていってしまった。
気遣いとかなんとか、って感じじゃなくて、ただ女に慣れていないからこその対応だったわねぇ。可愛い人。カトラとはどこでどうやって知り合ったのかしらぁ。
あたしは上機嫌でベッドに寝転んだ。
ああ、早く帰りたいわぁ!
fin.
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