scene 7 軍警の仕事
巡回はジッロが請け負うと言ってくれた。事件捜査の一環ならば、別行動も許されるらしい。
「ま、仮に無駄足だったとしても問題ねぇからな。お前なら暑くてダウンしてました、って言や通るだろ。いいよなぁ、普段真面目な奴は。こういうときに得なんだよ」
「お前が普段さぼりすぎなだけだし、俺だって別にさぼりに行くわけじゃねぇんだからな」
「はいはい、行ってらっしゃい」
へらへらと手を振るジッロに見送られて、店に向かって歩き出す。
「それで、何があったんだ」
「仮説を立てたの。もしも彼、グリフさんが嘘をついていたら、って」
隣を歩くと、身長の差に改めて驚いてしまう。首が痛くなりそうだが、さすがに屈んで歩けとは言えないし、仕方なく気持ち大きめの声で話を進める。
「もし持っているとしたら、肌身離さず持っていると思ったの。だから、さっき偶然会った振りをして、今何時ですか、って聞いてみたのよ」
「そうか、こっちは北側だから」
「ええ。彼、ちゃんと持ってたわ」
所持だけ確認して離れた、ということにした。うかつに話し始めたらまた取り乱してしまいそうだと思ったから。
「それで、いろいろ考えてる内に、思い出したのよ。あの日、エリーザが勾留された日ね、彼女がグリフさんと会っていた次の日、彼女があたしに惚れ薬をくれたの」
「ほっ……え?」
「正確には惚れ薬って言われている謎の薬ね。使ってないし使う気もないわ。あのとき断り損ねちゃったからそのまま持ってるんだけど」
わけもなく早口でそこまで言い切ってから、カトラは一瞬息をついた。
「それでね、もしかしたら、それの中身が、アヘンか大麻かもしれないの」
「は」
「これから確認しなきゃいけないけれど……グリフさんは、奥様と娘さんを薬で亡くしたんでしょう? だったら、薬物に関わることを忌み嫌って当然だわ。そこに、エリーザが“惚れ薬”なんて称して麻薬を持ってたら、あれだけ怒っても仕方ないと思ったの」
「なるほど」
「時計を盗まれた、って言ったのは、エリーザを確実に勾留してもらうためじゃないかしら。勾留期限は確か十日だったわよね? その間に薬が抜けるか、エリーザの部屋から薬が見つかって正式に逮捕されるか、どちらにせよ、それでエリーザは薬から解放されることになる」
きっともう失いたくなかったんだわ、とカトラは呟いた。嫌な人だけど、気難しい人だけど、エリーザのことだけは本当に愛していたように見えた。だからこそ、エリーザを心底軽蔑して、それでもどうにかして、と考えたのだろう。
「これで時計の件は済んだけど、新しい問題が発生したわ」
「ああ」
頷いたベルの声が険しくなっていた。
「薬の出処を知っているか」
「エリーザは店の子から貰った、って言ってたわ」
「そいつから話を聞く必要がありそうだな」
「……ジッロさんにも来てもらったほうがよかったかしら?」
「大丈夫。苦手なのは確かだが、仕事だから」
堂々と胸を張って言ってから、ふと彼は声のトーンを落とした。
「……でも、万一相手が泣き出したら、間に入ってもらえると非常に助かる」
「分かったわ。任せて」
カトラはちょっと笑いそうになったのをぐっとこらえてそう言った。だって、真剣なのは分かるけれど、彼の声音があんまりしょぼくれて聞こえたものだから!
☆
町を北から東へ斜めに横切って、ヴェロニカの店に入る。と、
「あっ、カトラ!」
「ようやく戻って来たわ。待ってたのよ」
「軍警さんもご一緒でしたのね。都合がいいわ」
コルネリアとアマンダとジョルジャが口々に言った。どうやら、カトラの帰りを今か今かと待ち構えていたらしい。
「何、どうしたの?」
「この間の惚れ薬、覚えてる? あれ、取っといてある?」
「……今まさにその話をしていたところよ。ねぇ、あれをエリーザに渡した子に会えないかしら」
「……中身のこと、やっぱりカトラには分かったのね」
その口ぶりから察するに、やはり中身は危ない物であるらしい。
三人がベルのことを気にするように窺ったから、カトラはすかさず言った。
「大丈夫よ、ベルにはもう全部言ってある。三人とも知らなかったんでしょう? どうして分かったの?」
三人はちょっと顔を見合わせて、それからアマンダが代表するように口を割った。
「あの薬を持ってきた子、クララっていう新人なんだけど、あの子が三日も無断欠勤しててね。何かあったんじゃないかと思って、訪ねてみたのよ。そうしたら家にはいなくて……でも、鍵が開いてて、中が荒らされてたの。何かトラブルだわ、って思って、あの子の一番の仲良しの子の家に行ってみたら、そこにいたんだけど……」
と、アマンダは腹立たしげな表情を浮かべた。
「顔中にひどいあざが。付き合ってた男に殴られたんですって」
「そこで聞いたのよ」
コルネリアが後を引き取った。
「男のほうがいつも惚れ薬を持ってきて、そいつが毎回使ってたんですって。で、こっそり何袋か持ち出したら、それがばれて、めちゃくちゃに怒られて、殴られて――あの子も、そこで初めて、あれが麻薬だったって聞いたみたい」
「ひどい怯え方だったわぁ」
と、ジョルジャ。
「足りない一袋を持ってこないと殺す、って言われて、でもエリーザは軍警に捕まっちゃったでしょう。渡した相手が軍警に捕まった、なんて正直に言ったら、何されるか分からないじゃない? だから隠れてたらしいの」
「すまないが、ここからは軍警の仕事だ」
不意にベルが口を挟んだ。聞いたことのない、冷たい声音。
「その子が隠れている場所を教えてもらえるか」
口調も目線も真剣そのものだった。これが仕事用の顔なのだろう。カトラがこの顔を見るのは二度目――一度目は、幽霊屋敷で暴漢に襲われたとき――だ。高いところから押しつぶされるような圧を感じて、部屋の温度が下がった気がした。
威圧された三人がきゅっと身を寄せ合ったのを見て、カトラは素早くアマンダの手を取った。
「お願い、教えて。こうなった以上、軍警さんに頼るほかないわ。その子――クララに何かある前に、ね?」
「……店からそんなに遠くないわ。東部地区の五十九ブロック、五番の辺りにある、赤いレンガのアパートよ。部屋は三階の西側」
「分かったわ、ありがとう」
聞こえてたでしょ、と問いかける代わりにベルを振り仰ぐと、彼は誰にともなく「すまない、ありがとう」と言った。それから店の外に一歩出る。
「カトラ、君が貰ったっていうその薬を持ってきてくれるか」
「ええ、分かったわ、すぐに」
カトラはすぐに店を出て、外側の別の玄関から中に入り、三階まで駆け上がった。貰ったときの状態のまま、テーブルの上に置きっぱなしにしていた紙包みを持って、駆け下りる。
「はい、これよ」
「確かに預かった」
ベルはそれをポケットにしまい込んで、カトラをじっと見下ろした。
「おそらく、販売元ごと潰せるように計画を練ってから動くことになる。君らが軍警に告げたことを向こうが知ったら、君たちも危なくなるかもしれないから、しばらくは警戒するように」
「分かったわ」
「何かあったらすぐに軍警へ連絡を」
「ええ、もちろん」
カトラがしっかり頷いてみせると、彼は重たく頷き返した。そして、
「今度、改めて礼に来るから。それじゃあ」
言うが早いか、ぱっと背を向けて走り去ってしまった。
大きな背中があっという間に遠ざかっていく。あたしにはもう何もできないのね、と思って、カトラの胸がきゅうと苦しくなった。
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