scene 6 役に立ちたい
カトラは思わず詰め寄った。本当は確認できた時点で去る予定だったのに、いざ目の当たりにしたら、どうしてエリーザをはめたのか気になってしまって仕方なかったのだ。
「ねぇ、どうして嘘をついたの?」
「は?」
「エリーザに時計を盗まれたなんて」
彼女の名前を出した瞬間、グリフの顔色が変わった。そそくさと時計をしまいこむ。
「君、どうして……!」
「あたし、彼女の友人なの。無実の罪で軍警さんに捕まえさせるなんてひどいわ。どうしてそんなことを?」
「友人?」
グリフが急に眉をつり上げた。くしゃりと歪んだ顔は、つらい痛みを堪えているようにも見えた。そして、
「友人だというならどうして彼女を止めなかった!」
唐突に激しい怒気をぶつけられて、カトラは言葉を失った。
「いや、そうか、友人から貰ったと――それならお前が彼女を引き込んだのか」
「ま、待って、何のお話?」
「しらばっくれても無駄だぞ、この大馬鹿者。そのうえこんな姑息な真似をして!」
真正面からの罵倒と高らかな舌打ちに、心を張り飛ばされる。もう何も言えなかった。全身が震え、足がすくみ、わけがわからないままうつむいてしまう。混乱して頭が真っ白になって、何も考えられない。彼はちょうど自分の父親くらいの年齢だった。そのことが余計に、心臓を圧迫してくる。
「所詮あの馬鹿な女どもの同類、見た目だけで頭は空っぽなんだな。薬に溺れるなど……」
はぁ、と大きな溜め息が耳朶を打った。
「まぁ、お前のような阿呆が何を言おうと、何の証拠にもなるまい。いや、そもそも軍警に行けないか。捕まるのを恐れるだけの頭があるかは知らないが」
吐き捨てるように言って、彼は去っていった。
苛立った足音が聞こえなくなるまで、カトラはじっと立ちすくんでいた。人間は嵐に太刀打ちできない。ただじっと息を潜めて、過ぎ去るのを待つことしかできない。大丈夫だ、と言い聞かせて、ゆっくりと息をする。大丈夫、嵐の後には青空が待っている。泣く必要はない。
姑息な真似? 確かにそうだった。人の善意につけこんで、騙し討ちのようなことをした。確かに彼の言うとおり、こんなのは証拠になるまい。
(あたしが馬鹿で阿呆なのはその通りよ。――……でも、空っぽじゃない)
空っぽじゃない!
カトラは叫ぶ代わりに憤然と歩き出した。
考えろ、考えろ! 空っぽじゃないことを証明するためには考えて結果を出すしかない!
町中を流れる川にさしかかった。そこで足を止め、柵に掴まり、思いっきり空を見上げる。いつも眺める天井よりずっと広くて、大きな世界を。灰色の雲は薄くなり、ところどころ途切れ、晴天の兆しを見せ始めている。
泣くときは上を向きなさい、と母に教わってきた。そして、カトラが泣きたくなるときにはいつも、考えなくてはいけないことが発生していた。だから上を向くことがそのまま考えるときの癖になったのである。
傷口を掘り返すように、記憶を再生。
(情報はたくさん得られたわ)
まず、時計の紛失が嘘であると確定した。彼はエリーザをはめるような嘘をわざわざついたのだ。でも、なぜ?
(友人。なぜ彼女を止めなかったのか。お前が引き込んだのか。強い怒り……なんだか、エリーザを心配するような口調だったわ)
友人から貰ったと――引用の意味を持つ“と”に、文脈を合わせて考えれば、その続きは“言っていた”だろう。エリーザが何かを友人から貰ったと言った。それが原因?
(馬鹿な女
エリーザ以外の女性が関わっている?
(薬に溺れるなんて……薬、ね)
カトラはもちろん、エリーザだって薬には手を出していない。薬物を飲めば体臭が変わるから、すぐに分かる。
友人に貰った薬。女ども。怒り。それらを総合して、考えを推し進める。
――仮説は出来上がった。だが、
(あと少しだけ、情報が足りない。確実だと結論づけるにはまだ早い)
必要な情報。それが分かるのは――カトラは思わず目を閉じた。
(……ベル)
ベルなら分かる。死因は書類の上に残されるのだから。そう思ったら、どうしても、無性に、彼に会いたくなった。会いたくて仕方ない。会って話せばもっと綺麗に整理整頓できて、事件を解決に導ける。
柵をぎゅっと握りしめて、倒れそうなくらい思い切り体を後ろに傾けた。
(次の非番はいつかしら)
非番だからといって、必ず来てくれるわけではないと思うけれど。
(会って話したいわ、ベル)
「考え事か? カトラ」
「えっ」
暗闇の向こうから降ってきた声に、カトラはうっかり柵から手を離してしまった。うわ、と驚いた声を上げながらも、彼の手は危うげなくカトラの背を支えた。
逆さまになった彼の顔を呆然と見つめる。ちょうど雲の隙間から覗いた空のような瞳が、戸惑ったように揺れながら自分を見ている。
カトラははっとして姿勢を正した。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ、驚かせて悪かった」
ベルは申し訳なさそうに言いながら、制服の帽子を持ち上げて、髪を掻き撫でるようにしてから被り直した。どうやら巡回の途中らしい。ちょっと離れたところにジッロが立って、こちらをにやにやしながら見ていた。
「あ、あの、ベル、ちょうど良かったわ。聞きたいことがあったの」
「何だ?」
「あの……ちょっと屈んでくださる?」
カトラの申し出に、ベルは素直に腰を曲げた。あんまり背が高いから、見上げるのも大変なのだ。それに、人と話すときは目を見て話したい。
「もしかしたら、なんだけど、グリフさんの奥様と娘さんは、薬物中毒で亡くなったんじゃない?」
ベルは分かりやすく目を見開いた。
「どうしてそれを? そのことは確か言わなかったはず」
「ああ、やっぱりそうなのね。だとしたら、この事件は全部彼の勘違いなのよ。彼はエリーザが薬を使ってるって勘違いして――」
言いかけて、ふ、と、何かが違うと感じた。
(軍警に捕まることを恐れるなら)
そう、グリフは最後、確かにそう言った。
捕まるような薬だったのだ。軽いハーブではなく、法律で禁止されている麻薬類。彼自身ハーブや香辛料を扱っているのだから、その手の物には詳しいはず。
(エリーザが置いていった、あの惚れ薬の中身って――)
思い至った瞬間、すぅと血の気が引いた。
「カトラ?」
「大変だわ。すぐに確認しなくちゃ……待って、何からやるべきかしら。確認が先? 警告が先?」
もしもあれが本当に危ない薬だったとしたら、アマンダたちも危ないかもしれない。エリーザに薬を渡した子が、他の子たちにも渡していたとしたら。
だめだ、上手く考えられない。思考がぐちゃぐちゃになって、どこを向いたらいいのかも分からない。視界がにじむ。
「どうしよう、どうしてもっと早く確認しなかったのかしら。あたしがすぐに中を見ておけば……本当に、どうしてあたしってこう……役立たずで……」
「カトラ」
穏やかに呼ばれて視線を上げる。目が合う。
「何があったのか聞かせてくれないか。困っているなら、力になりたい」
――ああ、なんて心強いんだろう。役立たずで欠陥品なあたしとは大違いだわ。
カトラは涙をにじませていたことに気づかれまいと、できるだけ大きく目を開いて、笑顔を作って、頷いた。
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