step 2 少し遠出を

scene 1 蝶よ花よ

 近くのキャバレーに勤める女の子たちが集まってくると、ああ、今日もおしまいだな、とカトラは思う。今日もいつもの――アマンダ、コルネリア、エリーザ、ジョルジャ――四人がドアベルを鳴らした。


「はぁいカトラ、ヴェロニカ。今日もクッキーよろしく」

「もー、雨ばっかで最悪!」

「なんか寒いしぃ、嫌ぁねぇ」


 咲こうとした花の出鼻をくじくように、数日前から冷たい小雨が降り続いていた。彼女らは濡れた前髪やドレスの裾を気にしながら、予備の椅子を引っ張り出してくる。もうすっかり手慣れたものだ。

 カトラは彼女たちのためのハーブティーを用意してテーブルに向かった。カウンターの裏では、ヴェロニカが売れ残ったクッキーや焼き菓子を片っ端から袋に詰めている。ありがたいことに、いつも彼女らがまとめて買っていってくれるのだ。聞くところによると、お店でもけっこう好評であるらしい。ヴェロニカの腕がいいのはもちろんだが、それに加えて、お店に集まる男性陣は普段甘いものを買わない人が多いのだろう。だからたまの甘味が特別美味しく思えるに違いない。カトラはときどき半年前の自分を褒めたくなる。お店に出してみないか、と提案したのは半年前のカトラだ。


「春らしい天気だわ。上がったら暖かくなるわよ。しばらくはこうやって不安定だと思うから、服装に気をつけて」

「はぁーい、気をつけるぅ」

「カトラって時々お母さんみたい」

「お節介だって言いたいの?」

「違う違う、優しいから大好きってこと」

「さすがね、お口がお上手」

「ねぇカトラ、今日のハーブティーはなぁに?」

「あたしの特製ブレンドよ。ちょっぴりすっぱいかもしれないから、苦手だったら言ってちょうだい。別のにするわ」


 いい香り、素敵な色、と新鮮な歓声が上がる。ほぼ毎日のことなのに、毎回良い反応をしてくれるのはとても嬉しいことだ。


「あ、アタシこの味好き」

「本当にちょっとすっぱいわね」

「なぁんか体によさそぉ」

「どんな効果があるの?」


 ローズヒップとエルダーフラワー、それから他にもいくつか。全部の効果を細かく挙げていったらきりがないので、一番期待している部分だけをピックアップする。


「お肌が綺麗になるわ。あと、目元がすっきりすると思う。頭痛とかがあったらそれも和らげてくれるし、気分も落ち着くわ」

「え、最高じゃん!」

「やだぁ、そんないいやつなのぉ」


 一気に盛り上がった席に、カトラは笑いながら水を差した。


「飲み過ぎは良くないからね。利尿作用もあるし、下痢にもなりやすくなるの。何事もほどほどに、よ」


 えぇー、と不満げな声が上がったが、それが振りだけであることをカトラはよく理解している。

 賢くて気ままな彼女らは、花畑の間を飛び交う蝶のようだ。一つの花の一番美味しいところをちょっと吸ったら、すぐ次の花へ。流行りそうな服のこと、西部地区に新しくできたカフェのこと、化粧の乗りが悪いこと、最近出会った男のこと――話題はころころと移り変わり、一瞬だって静かにはならない。

 そんないつもの雑談に興じて、しばらく経ったときだった。エリーザがひょいとカトラのほうを振り向いた。カトラは彼女が、ふと思い出しました、という顔をわざわざ作った・・・・・・・のを見逃さなかった。


「あ、そういえばカトラぁ」

「なに?」


 何も気づいていないわ、という顔で普通に聞き返す。あえて指摘するまでもないことだから。

 エリーザは手のひらの上に小さな顎を乗せて、こてんと小首を傾げると、


「惚れ薬って本当に効果あるのぉ?」

「えっ?」


 思わぬ質問に声が上擦った。何か聞かれるということは分かっていたが、まさかこんな内容だとは。


「ええと、惚れ薬? って?」

「あのねぇ、うちの店の子がねぇ、惚れ薬を持ってるって。でぇ、その子が試しにどうぞってくれたんだけどぉ」


 別に必要ないのよねぇ、といたずらっぽく笑ったエリーザ。


「惚れ薬、ね」


 と、アマンダは不審げな顔つきだ。


「実際どうなの? そういうのって」

「ええと……」


 カトラは頭の中の本棚をひっくり返した。


「一応、惚れ薬とか媚薬とかって呼ばれる存在はあるわ。でもそういうのって、その気になるような雰囲気を演出する、ってだけで、効き目があるかっていわれたら微妙なの」

「イランイランみたいなことね」


 ジョルジャの穏やかな合いの手に、カトラは頷いた。イランイランはアロマにする植物で、その魅惑的な甘い香りは、むろん香水としても好まれているが、寝室で愛用されることも多い。

 コルネリアがつまらなそうな顔で「なぁんだ、惚れ薬ってそういうことか」と呟いた。


「カトラ、使う?」

「えっ」

「ほら、これぇ」


 エリーザは小さな紙包みをテーブルの上に置いた。


「何でもぉ、お茶に混ぜて飲むといいんだって。二人で一緒に飲めばカンペキ! とかなんとか言ってたけど」

「いや、カトラにも必要ないでしょ。この可愛さで落ちない男なんていないんだから」

「……それはどうかしら。人の好みなんて分からないものだわ」


 あっけらかんと言ってのけたコルネリアに、カトラはいつも通り答えたつもりだった。

 だというのに、四人は急に静かになって、カトラをじっと見つめたのである。全員が全員、わずかに身を乗りだしている。そのうえ、面白がるような、感心するような表情を浮かべてさえいたから、カトラは思わずたじろいだ。


「な、なによ」

「えー、別にぃ?」

「なんでもないわ」

「なんでもないけどさ、ねぇ」

「気になる人がいます、って顔してるわ」


 穏やかに微笑んだジョルジャがあっさりと核心を貫いた。

 ここで動揺しちゃいけない、と警告する理性を無視して、カトラの体はびしりと固まった。耳がかぁっと熱くなり、どこを見ていいのか分からなくなる。


「ヤダ、本当に!」

「ねぇねぇどんな人なの? カッコいい?」

「よ、四人とももう仕事の時間じゃない? そろそろ行ったほうがいいと思うわ」

「平気よぉ、少しくらい」

「それよりもカトラちゃんのお相手のほうが気になるものね」


 その通り! と合唱する面々を前に、カトラは身をきゅっと縮めた。どうやら逃げ場はないらしい。


「お、お相手じゃないわ。最近ちょっと、偶然お会いした方と少しお話ししたってだけで、別に本当に気になってるとかそういうわけじゃなくて――」


 嘘ではない、本当にちょっとだけ、なんだか今まで見知った男性とは違う気がするなぁと思って、それでほんの少しだけ気になっているだけで、これが――その――恋、とかなんとか、そういう風に呼ばれるものであるかどうかは、まだまったく判別できていないのだから。ちょっと会ってお話しして、食事をして、たったそれだけで恋とかなんとか、そんなふうに言うのはあまりに夢見がちすぎじゃない? 恋に恋する少女みたいだ。


「ただ、ちょっと……その……」

「なるほど、いいなぁ、って感じなのね」


 言いよどんだカトラの後を引き取って、アマンダが端的にまとめた。ずばりと的を射貫いた一言に、カトラはいよいよ黙り込んでしまう。

 コルネリアが机に覆い被さるようにしながら、カトラの顔を覗き込んだ。


「ね、ね、どんな人なの?」

「どんな人って……別に、普通の――」


 観念したカトラが答えかけたときだった。

 まるで救いの手のように、ドアベルがからんころんと鳴った。

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