extra scene 注文をしたい料理店

 おや、珍しい、ずいぶんとお綺麗な方をお連れになって。

 と、口がきけたならそう言っていたかもしれません。危ないところでした。

 口のきけない店主の店ならひやかされまい、と考えてここに? などという邪推はいたしませんよ。彼はそういう方ではないのでね。純粋に、よく味を知る店として、ここを選んでくださったのでしょう。光栄なことです。

 彼は二年ほど前から度々足を運んでくださいます。怖い顔に反して優しいお方で、性格の悪い私とは正反対。ここの料理が故郷の味に似ているのだ、とおっしゃっていましたから、北のほうのご出身なのでしょう。軍警にお勤めであることは、制服でいらっしゃることもありますので、とうに存じております。私の手話を読めるのは、声を持たない友人に教わったのだと、いつだったか教えてくださいました。使うほうはてんで駄目だが、と申し訳なさそうにしていらっしゃいましたが、耳は丈夫な私です、気になさらずとも結構だとお伝えしました。

 彼はいつも通りの注文をなさいました。女性が少しだけ目を丸くしたのは、きっとその量に驚いたのでしょう。けれど、すぐ納得したように微笑みながら、ひとつ、ふたつ頷いて、それから、オススメは何かしら、と私に向かっておっしゃいました。彼女は中央のご出身のように、少なくとも北ではないように見受けられましたので、私はあまり癖の強くない料理のひとつ、ふたつを指差しました。


「それじゃあこれで」

「それだけでいいのか」

「あなたと違って、そんなにたくさん食べられないもの」

「そうか。まぁ、確かに」


 それきり、彼は黙ってしまいました。

 私は厨房へ引っ込みながら、歯がゆくてたまりません。ああ、私に口がきけたなら、教えて差し上げるのに!

 今のは「それじゃあ、少しずつ何度も来よう」っておっしゃる場面ですよ、と!

 ……危ないところでした。過ぎた口は災いを呼ぶ。それが原因で声を取られたというのに、学びがないのは私の悪癖ですね。いえ、ですが、こればかりは、仕方ない、と言えましょう。いくらねじ曲がった性格の私でも――ちらりとテーブルのほうを覗くと、お二人は出会ってまだ日が浅いようで、ぎこちなさをはらみつつも、楽しそうにお話ししていらっしゃる――独りのときには決してつくれない柔らかな微笑が、曇らないことを祈るぐらいはするのです。しかし、なにはともあれ、余計な口出しはしないでおきましょう。前途は不透明なほうが楽しいものですからね。当事者でなければ、というお話ですが。

 さて、まずはここの料理が、彼女のお口に合いますように!

   fin.

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