scene 8 すみれ色の慧眼

 ダニエラは宝石強盗のことをまったく知らなかった。いわく、二月の最終日からずっとあそこに監禁されていた、と。


「夫と別居なんかしていません。知らない男に無理やり連れていかれて、監禁されていたんです」


 ベルは頭から煙を上げそうになった。どういうことなのかさっぱり分からない。唯一すべてを分かっていそうなのは――


「どういうことなんだ? 君には何が分かってる?」

「あたしの予想が当たった、ってことくらいね。とにかく、彼女を旦那さんと会わせてあげて。そうすれば全部はっきりするわよ。さ、行きましょう」


 どうやら従うしかないらしい。ベルは仕方なく、伸びた男を担ぎ上げた。

 軍警司令本部内の救護室は病院並みの設備がある。事態も事態だし、子どもはそこにつれていくことにして、彼らは中央地区へ急いだ。


「おっ、何だ、もうデートとは手が早い――」


 早速ちゃかそうとした門兵が、ベルの背中で伸びている男と、子どもを抱えた女性を見て、ぎゅっと眉根を寄せる。


「――いったい、どういうメンバー構成だ?」

「訳ありでね。通るぞ」


 カトラが「お邪魔します」と笑顔を向けたのが気配で分かった。

 子どもを救護室に、男を勾留所へ預けてから、ダニエラを連れて取調室へ急ぐ。グイノは今日もきつく尋問されているはずだ。

 割れない岩に辟易した顔のジッロが、取調室の脇の壁にもたれかかって、煙草を吸っていた。ベルの顔を見て気怠げに片手を上げる。


「おう、どうしたベル。お前今日非番だったろ。――そっちは誰だ?」

「グイノ・ファッシの妻、ダニエラだ」

「は?」

「監禁されていたところを見つけて、連れてきた」

「ちょ、おいおいおいおい、ちょっと待て、何だって? 情報量が多すぎるぞ」


 壁から背を離したジッロへ、幽霊のくだりは適当に簡略化しつつ、手短に説明する。


「はぁん、なるほどね。分かんねぇけど分かった」

「夫が強盗なんてありえません、何かの間違いです! 彼と話をさせてください!」

「はいはい、是非こちらからもお願いしますよ。彼の口を割ってくれるなら、たがねだろうが奇跡だろうが何でも歓迎なんでね」


 軽薄なテンションで、ジッロは部屋の扉を開けた。ダニエラがすかさず駆け込んで、憔悴しきった様子のグイノにすがりついた。


「グイノ!」

「え……ダニエラ?! 君、無事だったのか! 良かった……!」


 感動の再会、なのだろう。ベルはさりげなくグイノの顔を見て、あざの類いがついていないか確認した。――大丈夫だ、良かった。

 泣きながら抱き合う二人を前に、取り調べをしていた同僚が「一体何なんだ?」と振り返った。そう聞かれても、答えを持ち合わせていないベルは肩をすくめることしかできない。


「なぁ、そろそろ教えてくれないか」


 ベルの弱り切った顔を見上げて、カトラは眉尻を下げた。


「だって、ずっと口を割らなかったんでしょう? “大方の意見”のように、出店に失敗して離婚寸前になって自棄を起こした、っていうなら、衝動的な事件だわ。盗んだものをそんな巧妙に隠せるとは思えないし、捕まる前に国外を目指すでしょうし、何より、捕まった時点で素直に口を割ると思わない? 真面目な人だった、っていう評判とも食い違うわ」

「まぁ、確かに」

「そのうえ幽霊事件よ。ちょうど時期が重なったから、もしかしたら、と思って。奥さんと子どもさんが人質になっているって考えれば、口を割らないのも頷けるもの」

「じゃあ、無理やり強盗をさせられた、っていうことなのか」

「そういうことになるわね。奥さんと子どもさんを誘拐して、彼を脅して、強盗をさせた人物がいるはずよ。で、おそらくそれは、今回最も得をした人物――」

「――宝石店の店主か」


 カトラは満足げに微笑んで「でしょうね」と頷いた。


「商品だった宝石に、注文の前金に、それに保険金も下りるでしょうから、最高の臨時収入だわ」

「違いない」

「宝石店の地下室か、それか店主さんの自宅を捜索してみたらどうかしら。そこはまったく探していないでしょう?」

「ああ、探してないね」


 ベルは溜め息をつきたくなった。なるほど確かに、被害者の自宅ほど盲点になる場所はない。


「その方の言うとおりです」


 と、不意にグイノが口を挟んだ。まともに声を聞くのはこれが初めてだ。


「すみませんでした、本当に。宝石店のやつに脅されていて……勾留期限を上手くやり過ごせば、誰も損をしない。妻と子どもも無事に返してやる、と」

「ははぁ、なるほどね。よーし、ちょいと宝石店の店長を捕まえてみようかな。五人もいりゃ充分か。お手柄だったね、お嬢さん」


 ジッロは実に気安い態度で、にこやかにカトラの肩を叩いた。それから、瞬時に仏頂面になったベルと肩を組んで、にやにや笑いながら囁く。


「な、考えすぎだって言ったろ。ウイスキー、二本追加で頼むよ」


 いいや、やっぱりだめだった、と答える代わりに、ベルは彼を睨んだ。


「契約違反だ。三本は三本」

「あーあ、ケチな男は嫌われるぞ」


 ジッロはひらひらと手を振って去っていった。

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