scene 6 三つ編みにじゃれつくように
「南部地区にある宝石店を知っているか」
「強盗に入られたってところ? 一週間前くらいだったかしら」
「そう。話が早くて助かる」
「注文に応じてオリジナルのアクセサリーを作ってくれる、って話題になってたところでしょ。うちのお客さんにも何人か、強盗のせいで前金がぱあになったって言ってる人がいたわ」
この手の事件に守るべき機密性はない。被害があったことはこの通り知れ渡っているのだし、伏せるべきは容疑者の名前くらいだ。
「その強盗なんだが、一応捕まえはしたんだ」
「一応?」
「そう、一応」
問題はここからだった。
「店主に面通し――そいつが犯人かどうか確認してもらったら、『あのときはパニックになっていたから、あまりよく覚えていない。はっきり彼が犯人だとは言えない。もしかしたら違うかもしれない』と」
善良な市民らしいが、とベルはやきもきする。はっきり見ていてくれれば、せめて勾留期間の延長ぐらいは申請できたのに。徐々に迫りくる期限のことを思い出して、ベルはこめかみを押さえた。このままでは釈放せざるを得ない。そうしたら今度こそ、証拠を隠滅されてしまうかもしれないのに。
「で、それより最悪なのは、そいつが盗んでいったはずの宝石がどこにも見当たらないってことなんだ」
「売っちゃったの?」
「いや。強盗をはたらいた次の日には捕まえたんだ。そんな暇はなかっただろうし、仮にできたとしても、じゃあ売って手に入れた金はどこに行ったんだ、って話になる。それもどこにもなかった。ブツにしろ金にしろ、どこかに隠してるはずなんだけど……」
警官が総出で探してもいっこうに見つからないのだ。
そのうえ――グイノ・ファッシというあの男――隠し場所に相当の自信があって、勾留期限が切れるのを待っているのか。それとも、捕まってふてくされて意地を張っているのか。ともあれ、
「当の本人が何にも教えてくれなくってね」
「口が堅い方なのね」
「ああ、あれはまさしく岩だ」
力一杯殴っても割れなかった、なんていう冗談に聞こえない言葉は飲み込んだ。さすがに、容疑が確定していない市民を殴るような真似はしないが。万一誤解されたら面白くない。
「その人、お仕事は?」
「コックだったけど、強盗の五日前に勤めてた店を辞めてる。自分で店を出すって言って辞めていったから、店の連中は驚いてたな。真面目な奴だったって、評判も良かったし」
「ご家族は?」
「書類上は妻と、子どもが一人。けど家にいなかったから、別居かなんかしてんだろ。別居先は分からなかった。まぁ、出店にトラブルがあって、離婚寸前になって、自棄を起こしたんじゃないかっていうのが大半の意見だな」
カトラが天井を見上げて首をひねり出した。うーん……んー? と小さな声が唇の隙間から漏れてくる。
天井に何かあるのか、とベルは彼女の目線を追った。ごく普通の木の天井だ。変わったところは何もない。どうやら上を向くのは考えているときの癖であるようだ、と察して、ベルは静かにクッキーをつまみ上げた。
やがて、彼女の視線が戻ってくる。
「ねぇ、ベルはこの後、時間ある?」
クッキーを飲み込む音が、鎖骨の下へ向かって、やけに大きく響いた。
「あるけど……」
「じゃあ、少しお散歩に付き合ってくれないかしら」
「いいけど、どこへ?」
カトラがにっこりと笑う。
「幽霊屋敷」
☆
三つ編みの巧みな先導に従って、ベルはのこのことついていった。大通りに出て、中央の時計塔を眺めながら橋を渡り、再び裏通りへ。どうやら南部地区方面へ向かっているらしい。
ぎりぎり南部地区に入るかどうか、という辺りで、ふと毛先が止まった。九つに分かれた各地区の外縁部は、住宅が多く、静かであることが多い。が、南部は大衆向けの商業や娯楽が盛んだからか、外縁部に住まう人々もなんとなく血気盛んで、今もあちこちからいろんな声が聞こえてくる。
カトラはそのうちの一角、埋もれるようにして建っている小さなアパートメントを指差した。
「ここよ、ここ」
「普通のアパートメントだな」
「借りられるわよ。いわくを気にしないなら」
「独り身でも呪いってかかるのかな」
「どうかしら。試してみたら?」
「軍の官舎が嫌になったら考えてみるよ。で、どうしてここに?」
「幽霊の正体を確かめたくって」
行きましょう、と言うが早いか、カトラはドアノブに手をかけた。
「鍵がかかってるわね」
「そりゃあそうだろう」
「
「そんなんなるわけ――」
「あ、開いた」
ドアノブを回して平然と微笑んだカトラを、ベルはじっと睨み下ろした。扉が開く一瞬前、銀色の光が瞬くのを確かに見たのだ。
「なぁ、今魔法――」
「あたし魔法使いじゃないわ」
「でも今――」
「さあ行くわよ!」
ベルの文句をすべて無視して、カトラは意気揚々と中に踏み入った。ベルは一つ溜め息をついてから、ご機嫌な三つ編みを追いかける。
☆
昼間であるにもかかわらずひどく暗く思えるのは、“いわくつき”のせいだろう。別に怖くはないが、なんとなく嫌な気分になる。
カトラが口元を手で覆って、小さく咳をした。
「すごい埃だわ。こんなに積もってて、雪ならきっと綺麗だったんでしょうけどこれじゃあ嫌ね。雪だるまなら作りたいけれど埃だるまなんて誰が喜ぶのかしら」
「何年も住んでないんだな」
「人の出入りは少しあるようだけど。それにしてもひどいわ、お掃除したくなるわねこういうところって。空気もこもってるし。ねぇ、勝手に窓を開けたらまずいかしら」
「勝手に押し入ったやつが何を気にして――」
がたがた、と階上から音がして、カトラが小さな悲鳴と一緒に跳び上がった。
「何かいるな」
「……い、いるみたいね……」
さっきまで饒舌だった口がきゅっと閉ざされていた。どうやらあれは怖いのを隠すためのものだったらしい。あんなに意気揚々と押し入ってきたくせに?
「それを確かめに来たんじゃなかったのか?」
からかう気持ちがつい視線と声音に滲んだらしい。彼女が唇を尖らせて「だから一緒に来て、ってお願いしたんでしょ」と呟く。その仕草と表情にふと意識を奪われたベルは、埃をまともに吸い込んでしまい咳き込んだ。
「大丈夫?」
「……どうにか」
咳のおかげでいじめっ子の気分が吹き飛んだ。息を整えてから階段へ足を向ける。
「先に行くから、後からゆっくり来るといい」
「うん」
幽霊じゃなければ人間だ。人間だとしたら危険な可能性もある。ベルは緊張感を持って、ゆっくりと階段を軋ませた。
平凡な造りの階段は、真ん中で百八十度折れ曲がっている。上がりきる前に上の廊下を覗き込む。右手側に二部屋。左手側は壁だ。今のところは誰の姿もない。相変わらず埃っぽい空気が漂っている。
警戒したまま階段を上りきり、手前のドアノブを掴む。がちん、と阻まれる手応えがあった。鍵がかかっている。扉に耳を付けてみたが、何も聞こえない。
(次に行くか)
ドアノブを離して、爪先を廊下の奥へ向ける。
「ひゃあっ!」
カトラが声を上げたのと、背後で扉が開いたのがほとんど同時で。
振り返ったベルの目の前には、棒を振りかぶった男が。
「おおおあああああっ!」
雄叫びを上げて襲いかかってくる。
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