後編

 俺と人間が一人と一匹で暮らしているところに、一人と三匹がやってきて一ヶ月が経とうとしていた。居候、だと思っているが、いつまで経っても出ていかないので、もしかしたら俺たちは家族になったのかもしれない。最初はあんなにビビり散らしていた俺だがこいつらにもすっかり慣れた。それはあちらも同じだ。もふ猫と黒猫は最初から図々しかったのであまり変わらないが、ほとんど姿を見せなかった白猫も当たり前に姿を見せるようになっていた。むしろ今ではこの白猫が一番図々しいとまで思える。飛んだ内弁慶だったのだ。


 俺に一番ちょっかいを出してくるのも白猫だった。俺が飯を食っていると頭をぐりぐりと押しつけて横取りしようとしてくる。勿論白猫の飯も用意されているが、俺の飯を食べようとするのだ。俺の飯と居候猫三匹の飯は見た目は似ているが違う種類なので、おそらくいつもと違う飯が食べたいのだろう。気持ちはわかる。しかし俺はいつもと違う飯を食べるのもそれはそれで不安なのだった。白猫は警戒心が強くて俺に似ていると思っていたのだが、人見知りなだけで慎重さはないらしい。

 飯だけじゃない。おもちゃにも活発に飛びつく。周りが見えないほど熱中するのか、白猫が遊んでいるときは危なっかしくて近寄りがたい。居眠りスペースに関しても、いろんな場所に足を運ぶ。そして寝相が悪い。わんぱくというか、無邪気というか、好奇心を優先する子供。人間に対してはやや警戒心が強いが黒猫にはべったりで、俺もしばしば追いかけ回されるのだった。というか白猫に追いかけ回されるのは俺だけだった。逃げるからだろうか。いや逃げるだろう。人間は「仲良しだね〜」とか呑気に言ってくるがそういうのじゃない。


 黒猫はクールで落ち着いていて、凛としている。他の二匹と違ってあまり動き回ったりしないし顔も凛々しい気がする。だからちょっと怖い。でも白猫があれだけひっついて邪険にしないんだから嫌なやつではないはず……そう思って近づいてみたら威嚇されたことがある。やはり怖い。それ以来近づかなかったのだが、あるときあちらから近づいてきた。俺がビビって身動きできず固まっていると、黒猫は俺の匂いをしばらく嗅いだのち、ぺろと舐めた。そして俺の傍らに身を落ち着かせ、居眠りを始めたのだ。前に威嚇したことを申し訳なく思っているらしい。そもそも俺だって散々警戒していたのだ。向こうだって警戒して当然である。不用意に近づいてこちらこそ申し訳なく思った。黒猫は三匹の中で一番常識的な印象があって、一緒にいると安心感がある。白猫が黒猫にひっついている気持ちがわかるような気がした。

 いつもクールな黒猫だが、白猫とは対照的に、人間に対しては甘えん坊だった。警戒していないわけではなく、甘え上手といった感じだ。俺の人間は基本的にずっと家にいるが、多くの時間はデスクに向かってPCをカタカタやっており、時折休憩をしにソファにやってくる。黒猫はそのタイミングを見計らって、人間の前でゴロンと体を投げ出すのだ。無防備にお腹を出して撫でてと言わんばかりに。乗せられて人間が黒猫の頭やお腹を撫でると気持ち良さそうに目を細め、ごろごろと喉を鳴らす。いいなあ。俺も撫でられるのは好きだが、あそこまで露骨に甘えるのはなんだか恥ずかしい。この無駄なプライドを捨てればもっと愛されるのだろうか。でも頭と心は違う。俺は到底素直になれそうもない。


 もふ猫のことは未だによくわからない。最初からそうだったが一番警戒心がなく、慣れによって振る舞いが変わった様子もない。物事に動じない、といった感じだが黒猫のように落ち着いているわけでもない。おっとりと、のんびりと、気まぐれに、マイペース。猫の俺が言うのもなんだが一番猫らしいと思った。俺に対しても、白猫のようにちょっかいを出してくるのでもなく、黒猫のように受け入れてくれるのでもなく、付かず離れずの距離感で、正直仲良くなれる気がしない。顔を見ても、何を考えてる表情かわからない。飯についても、俺含め他の猫は飯が出てきたときに一旦は口をつける。しかしもふ猫は食べずにいて、時間が経ってから食べたいとごねるときがあった。飯は食べずに置いておくと大抵は白猫が他の猫の分まで食べてしまうので、もふ猫がごね出したときには人間はまた新たに飯を出す羽目になるのだった。本当に周りに流されない、自分の気分だけで動いているのだ。

 ただ、見た目に関しては親近感を抱いていた。黒猫と白猫は毛が短くシュッとしているのに対し、俺ともふ猫はもふもふなのだ。水を飲むとき、もふ猫はいつもその顔の周りに蓄えた豊かな毛を濡らしていた。俺はそんなヘマはしないので少し優越感があった。

 もふ猫とは話し方がわからないので遠巻きに眺めるだけの俺。仲良くなれる気はしないが、嫌いなわけではなかった。むしろ俺は、黒猫のように甘え上手でもないし、白猫のような無邪気さもないと自分のことを評価しているので、もふ猫を見ると、これこそが猫だよなという謎の安心感を覚えるのだった。それに、何を考えてるのかわからないのは、俺だって周りから見るとそうかもしれない。怖いからあまり積極的にコミュニケーションは取らないし、感情を表に出すのも苦手だ。でも心の中ではこうやっていろいろ考えてる。もふ猫だってそうかもしれない。俺と同じようにいろいろ考えてるかもしれない。実際どうなのかはわからないが、自分の都合のいいように考えてしまうのだった。


 そしてその日は突然やってきた。その日は小さい人間も家にいる日だった。小さい人間はもふ猫の脇を掴んで持ち上げた。人間は普段、理由もなく俺たちを持ち上げるようなことはあまりしない。もふ猫はほとんど抵抗もせず、いつものように危機感のない表情でなすがままに運ばれていく。まあ、実際あの持ち方をされるとなす術はないのだが。小さい人間はもふ猫を、猫たちがここにやってきたときに入っていた大きな箱——猫用のカバンだろう——に入れた。ファスナーが閉められる。同じように黒猫が持ち上げられる。黒猫は持ち上げられること自体嫌がったので、すぐに解放された。

 俺は何が起こっているのかを察した。俺たちは家族なんかになったわけではなかった。彼らはただの居候で、この家を去る日が来たのだ。元々期限付きだったのか、何か問題が起こったのかはわからない。いずれにしても、人間の都合で突然連れて来られた彼らは、また人間の都合で連れて行かれる。人間は俺たちのことを自由気ままなどと言うが、人間の方がよほど気まま、いや自分勝手だ。

 黒猫は餌に釣られたふりをして、自ら猫用カバンに入っていく。白猫は最後まで抵抗し粘っていたが、追い込まれた末にカバンの中に逃げ込むように誘導された。ファスナーが閉まる。俺の人間が二つ、小さい人間が一つカバンを持ち、玄関から出ていく。カバン側面は網のようになっているので中が少し見えるが、もふ猫はキョトンとした顔をして、こちらを見ているような気もするし、見ていないような気もする。最後まで何を考えているのかわからない。黒猫は黒いのでよく見えない。白猫はそわそわして、何度も声を上げている。不安なのだろう。白猫の気持ちが、とてもよくわかった。扉が閉まり、白猫の声が届かなくなり、久しぶりの静寂に包まれる。俺の人間と二人暮らしだった頃の、人間が出かけたときの静寂よりも、静かだと思った。俺は疲れるまで声を上げた。声で部屋を満たそうとした。無意識に、頭には三匹の猫が浮かんでいた。


 かくして俺は、また一人と一匹の暮らしに戻った。キャットタワーの最上段から、動くもののない部屋をぼんやりと眺める。あの三匹のいなくなった部屋はとても静かだ。意味もなくうろうろと歩き回る猫も、人間の前でごろごろくねくねと体をよじらせる猫も、俺を追いかけ回してくる猫も、もういない。俺の安全を脅かすものは何もない。一度あの騒がしい暮らしを体験したからか、前に一匹だった頃よりも、一層安心で落ち着く空間になった。

 あの三匹との暮らしを思い返す。いつもせわしなかった。もふ猫の何を考えてるかわからない顔を見て、結局わからなくてもやもやしたり。黒猫は最初は怖かったし、その人間に甘える姿を見て、素直になれない自分と比べて羨ましがったりもした。白猫との思い出はドタバタだ。よく追いかけられた。あれが最初は縮こまっていたと思うと面白い。

 どの猫もそれぞれ違う見た目をして、違う動きをして、何を考えていたかはわからないけど、考え方も違うのだろう。俺の生活にそういう、いろんなことが混じり込んで、非常に慌ただしく、落ち着かない生活だった。落ち着かなかったが、退屈ではなかった。一匹になって、生活は元通り。でも、目を閉じるとあの三匹が思い浮かぶ。俺の退屈は、以前とは違う色をしていた。そんなことをうとうと考えながら、今日もまた、いつの間にか眠ってしまうのだった。

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