第16話
張遼は呂布軍の筆頭として発言権はあるものの、他の武将達からは呂布軍における唯一の常識人としか思われていない。
張遼自身は呂布軍の武将としての発言は控えるようにしていた。
なので、基本的に呂布軍の中では陳宮と曹操が中心となって物事を考えている。曹操は天下統一を目指す上で必要な武将を集めていた。陳宮には、呂布と仲が良い人物を中心に集めさせた。
ちなみに、呂布が曹操軍に降って以来ずっと一緒にいる夏侯惇とは、今では親友となっている。また、曹操の義妹にあたる曹仁とも仲良くなり、お互いに助け合いながら日々を過ごしていった。
そんな生活が続いたある日 関羽が病にかかり、寝込んでしまったのだ。幸い命に別状は無かったが、とても動けるような状態ではなかった。曹操はそれを見かね、荊州を攻めるべきだと主張した。
それには陳宮も賛成した。そこで徐州にいる張飛が呼ばれた。張飛は武勇に優れ、勇猛果敢であり、漢中の王となりうる人物である、というのが張遼の評価であった。
張遼はそんな張飛と話す機会があった。その時張遼が言った一言は今でも覚えている。張遼はこう言ったのだ。
「お前さんが張将軍ですか……お若いですね」
そう言った時の張遼は少しだけ笑っていた。それは張遼が初めて見せた笑顔であったが、張遼にとってはとても大きな出来事だった。
張遼がなぜそのような言葉を発したかというと、張遼は張遼で、張飛に対しての印象を、自分の主君が仕えるべき存在だ、と感じたからだ。
張遼は昔から人の評価をする際、その人を尊敬するに値するかどうかで決めるようにしてきた。
それこそが、今までの生き方を貫いて来たと言ってもいい。だからこそその考え方を変えるつもりはなかった。
ただその考え方が変わったきっかけはある。
それは張飛の言葉にあった。
「お前、俺より弱いのに何でそこまで威勢を張るんだよ?」
張遼にとってこの言葉は衝撃的だったと同時に納得させられた部分もあった。
張遼自身も武人でありながら自分は武の実力において劣っていると思っているので、その通りだと思ったのだ。事実、張遼は戦場に出た時は大抵は後方支援でいることが多い。張遼が前線に出て戦える時というのは限られている。それ故に、武力による強さという部分でいえば張遼は弱かった。
それでもなお、自分を曲げず、己の強さと向き合ってきた張遼に張飛は尊敬の念を抱き、兄貴と慕うようになった。一方、張遼もまた、張飛と過ごす時間はとても楽しいものだった。張遼自身、年の近い友人が少なく、特に同年代の相手と話せる事は珍しかったので、楽しそうな張飛と話をするのが日課になっていた。
そうして過ごした日々が、後に張遼が後悔する原因になったのだが、今はまだ知る由もない それからしばらく経ったある日、曹操の元に一通の手紙が届いた その内容を読んだ曹操はすぐに決断した そして手紙の返事と共に、兵を動かすことを呂布に伝えた 呂布はその動きを見て、すぐさま迎撃態勢を整える事にした 徐州に攻め込むのならば、まずはこの城を落とす必要があるだろうと考えた呂布は、すぐに兵を城の外に布陣させ守備を固める事にした。
だが、曹操軍の動きが速すぎた 。呂布が予想したよりも早く曹操軍が攻め込んできた しかしそこはさすがは天下無双の名を持つ呂布である。呂布軍は曹操軍を跳ね返す事に成功した。
このまま膠着状態になると思われた戦いだったが、ここで呂布軍に援軍が現れた 呂布の妻である厳氏が自ら兵を率いて救援に駆けつけてくれたのだ この事によって戦況は一変した。妻である厳氏が出陣した事で士気が上がった呂布軍は曹操軍を押し返し始めた だが、それも束の間 曹操軍も負けじと呂布軍の弱点を突いてきた 呂布軍の兵糧である倉や武器庫などの物資を狙うだけでなく、水場も狙い始めてきた この戦術により呂布軍はさらに苦戦を強いられることになった しかし呂布には切り札とも言える秘策があった 。
呂布軍の中で一番信頼されている男、呂布奉先の弟である呂布子龍である。この男は武芸の腕も優れ、性格も真っ直ぐなため皆からの信頼も厚い武将だった。
彼は兄とは違い武勇に秀でていないものの、知略には優れていた。この事を見抜いた陳宮の判断と子龍の能力が噛み合った事もあってか、呂布軍の参謀役を務めるほどの武将となった。
そんな子龍が今回出した指示はこうだった
『呂布軍全軍、撤退せよ』
呂布軍全員から驚かれた。なぜなら子龍は今まで一度たりとも自ら考えた作戦を遂行できなかった事が無かったからである。
誰もが驚き、不安を覚えたが、呂布だけは違った。子龍の事を信じてみようと思っていた。だから呂布は、子龍の命令に従って全速力で逃げた 陳宮と曹操軍もその事に気付いたらしく追撃してきたが、呂布軍の武将達は逃げるだけではなく呂布を守る為に立ち向かっていった。
その中で子龍と陳宮の一騎打ちがあったが、勝負は決まらず、そのまま逃げ切った。
呂布は曹操軍が追撃を止めてくれると期待していたがその願いは届かず 、ついに呂布軍の武将達に限界が来た。
そこで呂布は、呂布軍の中でも選りすぐった武将達を城に残していくことに決めた。陳宮と張遼は反対したが、結局押し切られてしまった。呂布軍は二手に分かれて、片方が呂布、もう片方が陳宮の指揮の元動く事になった。
陳宮が心配ではあったが、陳宮なら大丈夫だと信じ、呂布は自分の部隊を連れて先に城を脱出した。こうして劉備の元に辿り着くまでの戦いが始まったのであった。
関羽を休ませていた間に起こった出来事について報告を受けた劉備は驚いていた その話が本当だとすると、張飛の命を狙っている者がいて、それが荊州にいる人物で、しかも張飛と同郷であり同じ一族らしいのだ。そしてその一族の長の名は王允といった。荊州といえば、荊州牧として劉表がいる場所でもある。
「荊州の連中が王の一族と関係があるのかな?それと張飛殿の家族ってどんな人達なんだ?」
「王家の姓は王、名は充、字は信と言います。荊州にいる王家の当主は張済と言うのですが……張飛の義兄にあたる人です」
張遼は、荊州にいた時の出来事を振り返っているのか、遠い目をしていた。その表情からは哀愁のようなものが感じられた。
張遼はしばらく黙っていたが、やがて何かを決意したかのように話し始めた。
「実は私の父上……先代の王允将軍は、張済の甥に当たるんです」
その言葉を聞いた瞬間、三人は衝撃を受けていた。特に張遼の父親だという事が分かった時の張飛の衝撃は計り知れなかった。張飛の目からは涙が出ており、声を殺して泣いていた。張遼はその様子を見て胸を痛めているように見えたが、張遼自身もまた涙を流し、張遼の頬を伝う雫がポタっと床に落ちていった。
その光景を見た劉備は張遼の言葉の真意を悟った 。そういえば以前、張遼はこんな事を言っていた。父は死んだのではなく自分の元を去っただけだと。つまりそういう事だったのだ。だがそれでもやはり悲しいものは悲しかったようで、張遼は俯き、肩を震わせていた。その姿を見るに耐えられなかったのだろう。徐晃は張遼に近寄りそっと抱きしめ、張遼の頭を撫でながら張遼に語りかけた。
「張遼よ、今は存分に泣け。泣き終わったら話を続けてくれないか。お前の気持ちはよく分かるが、今の話にはまだまだ聞きたい事があるんだ。それに、張遼も気づいているかもしれないが、俺や曹操だって辛い過去がある。だからこそ今の俺はここにいるんだと思う。まあ、これはあくまでも推測に過ぎないがな。だがこれくらいの想像が出来ないようでは人の上になど立てないと思っている。もし今話せるような状態ではないというならば後日改めて聞くことにするがどうする?」
優しく話しかける徐晃の声を聞き、張遼は顔を上げ、目を擦ると再び話し出した。
それはとても残酷な現実でもあった。
今から二十数年前 呂布はある女性と出会った。名前は厳氏と言った。
厳氏は徐州城に仕える文官だったが呂布と面識があり、互いに好意を抱いていた事もあり二人は結婚した。しかし二人の仲はすぐに破綻してしまった。
理由は、厳氏の家族にあった。
厳氏とその家族は、元々徐州の人間ではなく、徐州より遥か西の方に住んでいたのだが、当時猛威を振るっていた董卓に捕まり、無理やり奴隷にされてしまったのだという。
その後、厳氏以外の親族も同じように捕えられ、売り飛ばされたり、殺されたりした。厳氏だけは何とか逃げ出す事に成功し、流れ着いた土地で生活をしていたが、ある時呂布と出会い恋をした。
呂布はその事を知り、なんとかして助け出そうとした。その話を聞いた陳宮もまた同様に考え、行動しようとした。その結果が悲劇を招いてしまったのだ。
まず呂布は密かに部下を派遣し情報を集めさせた。集めた情報によると、厳氏と娘達はまだ生きているようだった。そして現在、その一族の末裔である男とその妻が行方不明になっており、探すようにとの命令が出されていたが未だ見つけられずにいた。その情報が確かな物かを確認する為、呂布とその側近達は探しに行くことにした。
ところがそれを聞きつけた陳宮がその計画をやめさせようとしてきた。この女と呂布を二人きりにする訳にはいかないと言うのがその理由だそうだ。これには流石の温厚な性格をしている呂布でも苛立ったらしく、その場で言い争いになった。そこで丁原が現れて仲裁してくれたためその場は収まったものの、その後も何度か対立があったせいもあって関係は徐々に悪化していった。それからしばらくして事件が起きてしまった。
厳氏が病気で倒れてしまいそのまま亡くなってしまうという事態が起きた。呂布や陳宮にとってみれば一大事である。なにせ自分のせいで大切な人が死んでしまう事になったのだから この事に対して陳宮はかなり取り乱していたらしく、それを見た呂布と丁原の制止を振り切ってすぐに旅立ってしまった。この時呂布は何も出来ずにいた自分が許せなかったようだ。
その頃の丁原は、すでにかなりの高齢になっていた。最近では歩くことも困難になってしまっていたほどだ。その為、陳宮を止めるどころか見送る事も出来なかった。ただ、そんな状態ではあったにもかかわらず 呂布と徐晃を呼んで言った。
「私の分まで生きて幸せになれ」
その言葉を残して、その生涯を終えた。この言葉を聞いた時、呂布の目からは涙が流れていたがそれを見ていたはずの陳宮の目からは涙が出ていなかった事に呂布だけが気付いた その時以来、呂布は涙を流すことはほとんど無くなっていた だがその日ばかりは違い涙を流し続けたのであった 翌日、朝早くから出発した三百人ほどの部隊は山道に入っていた。目的としている場所はここからかなり離れているようで、さらに険しい道を進む必要があった。
その途中で休憩を取る事になり、食事をとることになった。食事といっても簡単なものである。兵糧と携帯食が少々あるだけだった。だが呂布にとってはそれだけで十分だった。呂布は元々小食だし、徐晃に至っては全くと言っていい程食べようとしなかった。だが問題は曹操軍の武将達だった。彼らは曹操の親衛隊なので戦闘にも慣れている。その証拠に行軍のペースは誰よりも速かった。それに引き換え劉備軍はそこまで体力が無いのか、他の者に比べてやや遅れていた。その事は本人達も分かっているようで、皆辛そうな表情をしていた。
「曹操殿!我々も曹操軍の方々と同じようにしてもよろしいでしょうか!」
一人の若い武将がそう言ってきた。確かにこのままゆっくり進んでいては他の部隊にどんどん引き離されてしまう可能性がある。しかし曹操はそれを断った。曹操としても無駄に兵を消耗するわけにはいかなかったからだ。
しかしそう言われても納得できないのか、その若者は何度も頼んでいた 。最初は面倒臭そうにして受け流す感じだった曹操だったが、あまりにしつこいものでついにはキレてしまっていた 。
それでも引かない若武者を見て、ついに我慢の限界を迎えたらしい。持っていた剣を鞘から抜き、切っ先を相手の喉元に向けると睨みつけながら静かに告げた。
「貴様ら、死にたいか?」
ドスの効いた声に、その言葉を聞いた周りの者も思わず息を呑んだ。だが当人は一歩も退こうとはせず、尚も曹操にお願いを続けていた。その事が余計に曹操の機嫌を悪化させていた。曹操の目には明確な殺意すら宿っているように見える。だが、それでもまだ諦めていない様子で、なおも説得を続けた。その執念とも言える熱意は周りにいる者の目から見ても分かるほどで、誰もが心打たれていた。だが曹操は頑なだった。いくら頼み込まれようが、絶対に許可しようとしないのだ。これにはさすがの関羽も呆れ気味になっていたが、張飛だけは違った。彼は怒り狂っていたのだ。敬愛している兄がバカにしている相手が目の前で無様に頭を下げ続けているという現実に耐えられなかったのだろう。それに加え兄の力になりたいと言う思いもあったに違いない。今すぐその男を殺したくて仕方がないと言った雰囲気である。それを感じた曹操はすぐにこの場を離れようとしたが既に遅かった。次の瞬間張飛が飛びかかってきた。
不意打ちであるにも関わらず、関羽は張飛の攻撃を防ぐことに成功していた。流石は豪傑と呼ばれるだけあって、動きが尋常ではない。防いだとはいえ油断できる相手ではなかった。それに加えて関羽の方には別の敵がいる。夏侯惇だ。張飛に加勢するような形で攻撃を仕掛けてきたのである。
呂布はその隙に張遼を助け出していたが、状況は最悪だった。数で勝る相手に手加減など出来るはずもなく、やむなく全員を倒していくしかなくなった。その結果かなりの人数を殺してしまったのだが、呂布や徐晃の強さを考えれば致し方のないことだと割り切るしかなかった。その後曹操は張遼の救出に向かったが徐晃の姿は無くなっていた。おそらくは先に行ってしまったのだろうと予測したが、ここで問題が起きてしまった。
呂布達が倒したはずの死体が消え始めたのだ。それも時間が経つにつれて次々と起き上がり、またもや襲いかかって来たのである。
この事態には呂布達だけでなく曹操軍の武将達も混乱した。だがすぐに原因が分かった。あの若者である。
この男は生きていたのだ。それに気付いた時はもう遅く、この男によって全員が倒されてしまった。その後、なんとか逃げ出した呂布達はなんとか逃げることに成功したのであった。
あれだけの事があった後では行軍のペースは落ちるものだと思いきや、全くと言っていいほど変化はなかった。
それは呂布軍の武将達も不思議に思っていた事である。普通であれば、もう少しペースを落とすのが一般的だからだ。それ故に呂布と曹操の関係が悪化することになったのではあるが……
そんな中、劉備達は呂布軍に話しかける事が出来ていた。
というのも、この部隊の中において劉備、孔明、張飛、魏延はそれなりに有名なので顔を覚えられているらしく、話を聞いてもらえる事になったのである。
そこで三人は曹操との事を説明した。そして何故こんな強行策をとっているのか尋ねたところ意外な答えが返ってきた 。曹操としては早く孫呉を討ち滅ぼしたいと考えているものの今の戦力のまま出陣するのは自殺行為だと考えており、せめて三万の兵を用意したいと考えているという。その為に今は兵糧を集めさせている最中であり、準備ができ次第出発しようとしている。
劉備達にはとても信じられない内容であったが、曹操には確信があるような話しぶりだったため、一応納得する事にした。しかしそうは言ってもこのまま見過ごすわけにはいかないと思ったらしい劉備が提案を出した。もし自分と協力する気があれば一刻後に来て欲しいと言ってくれたのだ。それに了承してくれたら自分達は曹操軍の援護をするという条件も付けてくれた。曹操はそれを受けるかどうか迷ったが、曹操にとってもこの状況を打開するには彼らの助力が必要なのかもしれないと考え、条件を飲むことにした。その事はすぐさま曹操の下に伝えられた。曹操は苦い顔をしていたそうだが、断ることはなかった。
その日の夜、食事を終えてから関羽の元に曹操が来た。昼間のことのお礼を言いに来たのだ。
曹操としても張遼を助けたかったのだが、状況的に助けてやることが出来なかった為、感謝を伝えたかったようだ。曹操が言うには、あの状況の中で張遼を助けることが出来たのは全てお前達のおかげだという。関羽はそれを素直に受け止めた 。そんな事があって二人はお互いについて話す事になり、気が合うのか意気投合した。
関羽が曹操の器量の大きさに感服したのは曹操に気に入られている点だけでは無い。彼の統率能力の高さにも感銘を受けていた。この男は戦場に出て兵を率いれば間違いなく優秀な将になれる素質を持っていると考えていた。ただ一つ欠点を言うなら部下への配慮が足りないことだろう。これは今後の課題だと関羽は考えた。一方曹操の方は関羽が見た目以上に強者であることを実感しているようで、益々彼を手放したくないと思っていたが、関羽が曹操の申し出を断ったことは残念がっていた。その理由については、妻が一人しかいない関羽にとって二人目の妻は持てないとのことである。それを聞いていた劉備は驚きの声を上げた。彼は曹操の妻は何人も居ることを知っていたからだ。曹操の方は隠し立てすることなく事実を打ち明けたが、やはり女性陣は嫌な気分になっただろうと考えた関羽は劉備に対して謝罪の言葉をかけた。それに対して、徐晃以外の者達は気にしないで欲しいと言った感じだった。張飛にいたっては完全に無視を決め込んでいたが、それが許される空気ではなかった為に渋々と返事をした。徐晃も同じように謝ってくれたので、とりあえずその場は収まったが、これから先この事を話題にすることは無かった。
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