第17話

翌日から呂布軍は曹操の手助けをするために周辺の豪族達と戦いを始めた。曹操軍は元々兵力が少ない上に士気も低い。

呂布軍が加わってもまだ十分とは言えなかった。それでも戦いを続けるのは曹操の意地か、あるいは功名心からくるものなのかは分からないが、曹操は呂布軍と行動を共にし続けた。だが、曹操にはもう一つ思惑があった。それは、関羽が曹操の頼みを聞いたことで呂布が曹操側に付くという選択肢を取ったということである。それによって徐州攻めの際に起こるであろう呂布との戦いを避けることが出来るのではという考えを持っていたのだ。

曹操の予想通り、呂布は曹操の味方となった。呂布の狙いも孫呉の討伐にあったからである。曹操はその報告を聞くと呂布と共闘して孫堅の部隊と戦う事を決めると、呂布は兵を率いて劉備と合流するべく行動を開始した。劉備達は既に合流しており、呂布の到着を待っていたのだ。そして呂布と合流した呂布と劉備の連合軍と曹操軍、呂布軍合わせて四万の兵を持って進軍を開始すると、そのまま孫呉の本陣に向かって攻撃を仕掛けた。

孫堅はこの突然の攻撃に驚いていたようだったがすぐに冷静さを取り戻して迎撃体制をとった。するとここで意外な人物が現れた。劉備の兄である馬超である。彼が自ら志願してきたのだ。これには驚いたものの、馬騰の援軍が来るまで時間を稼ぐには良いと思い、許可を出すと、彼一人で敵陣に突っ込んでいった。この時、曹操の予測は正しかった事が証明されたのだが、呂布達はそこまで考える余裕は無かった。何しろ呂布は劉備と共にいるものの曹操は単独である。この差がどれだけ大きいかというと、曹操に死ねと言っているようなものなのだ。曹操には自分の身を守る術が無い以上、呂布は曹操を守れる位置を確保しなければならなかった。しかし曹操は呂布が守りに入ろうとしたところを遮った。自分は大丈夫だからと言うように前線に出る曹操を見て呂布は焦りを感じていた。

呂布の不安とは裏腹に曹操の戦闘能力は想像以上で、敵兵をちぎっては投げちぎっては投げるといった勢いであった。

その姿を見た呂布と劉備も曹操の後に続いて敵軍の中に突撃していった。劉備は呂布が付いてきてくれていることに喜びを感じながら槍を振るい続け、呂布は劉備の身を守り続けていた。そのかいあってか、孫呉の武将は一人残らず討ち取られる事となり、曹操の勝利に終わった。この戦いによって孫呉の武将の数は大幅に減ったものの、曹操は一万の兵を失う結果となった。その代償として孫呉の武将の首を得たが、これは劉備にとっても想定外の出来事であり、呂布や曹操でさえこの結果には驚きを隠せなかった。この首には孫策の息子孫尚香が含まれていた。彼女はこの戦いで曹操の首を獲ると意気込んでいたらしいが、結果としては曹操が助かった事でこの戦に意味はなくなったと判断する事にした。

ただ、曹操も何もしなかったわけではない。彼はこのままで済ますつもりはなく、曹操軍の本隊は兵糧が整い次第荊州に向かう手はずになっていたのだ。劉備としては曹操がこのままで終わらせる気がないことにはほっとしていたが、同時に兵糧が届くのがいつになるのか、それまでに曹操軍に異変が起きないのかが心配の種となっていた。

その頃、陳宮の下にも袁紹からの文が届いていた。それを受け取ったのは程イクであったが、彼女の表情を見る限り良くない内容のようである。内容は呂布の捕縛命令だ。袁術は呂布の力を恐れているのだろう。だからこそ早急に手を打とうとしている。それに引き換え董卓の方はまだ動きを見せていない。動き出すにしても時間がかかるはずだと判断していたのだ。ところが、どうにも状況が変わったようで曹操の方からも使者が訪れており、彼らはすでに呂布に接触していて、捕らえるための軍を編成しているということだ。しかもそれは今すぐ動かせる全軍だと。それだけ聞けば袁紹も慌てるだろうが、この情報をもたらした張温によると、実際に兵を動かせるかどうかは微妙だということだった。

張温の話を聞いてもなお陳宮はすぐに行動を起こすことはせず、この情報が正しいかどうかを確かめてから動くことにした。ただ、確認を取る前に動いた方が良いことも分かっている。なので、とりあえず徐栄だけでも派遣することにしたのだ。

この情報が本当であれば徐州軍は動けなくなるどころか完全に手薄になってしまう事になる。そこで呂布は自ら曹操に徐州の防衛を頼むと、劉備達に徐州防衛を任すことにした。呂布と徐栄は急いで許昌に戻る事にした。

「徐将軍、どうかお考え直し下さい!」

徐栄は呂布の配下から引き止められた。徐栄には彼の言っていることが理解出来なかった。確かに呂布は英雄で、徐州の守護神とも呼ばれている。だが、呂布の妻はあの関羽の娘である。徐栄としても警戒するべき相手ではあったが、関羽ほどの大男ならともかく、女子供を殺す事は出来ない。それに呂布がこの程度で揺らぐとは思えないし、呂布の妻は呂布と一緒に行動するくらいの男嫌いで、曹操の妻のように複数人を相手にして戦う事が出来るような武人にも見えないので、それほど脅威ではないと判断した。

そもそも、曹操軍との同盟に徐州軍は反対していたわけだし、今は呂布に頼んで留守を守って貰っているだけの事なのだ。

それをなぜ止めようとする? と問い質したところ、留守を任せたと聞いていないと返された。

しまった、と思うより先に、呂布と離れて冷静に考えた時に気がついて良かった。

自分が不在の間、徐州城が襲われたらどうなるか。それは考えるまでもない。徐州軍の中でまともに戦える武将が呂布だけしかいないからだ。そんな状態で、留守を任されたという理由だけで城を空っぽにして出て行くとは、あまりにも無責任すぎるではないか。

呂布は徐栄の言葉に対して、

「呂布軍総大将の俺が守るのだから、徐州の民は誰一人傷つけさせない」と言ったのだが、その言葉を鵜呑みにする者はこの場にはいなかった。それでも呂布が徐州のために危険を冒して駆けつけてくれたというのは誰もが分かっていたので、呂布を引き止める事は無かった。むしろ呂布に期待するような視線を向けてくる者もいたほどだ。呂布はそれが嬉しい反面、自分だけが良ければ良いと言うわけではない。そう思いながらも、まずは妻の元に急行しなければならないと思ったのである。

しかし、妻の無事を確認してほっとしたのも束の間で、今度は呂布達が曹操に襲われることになった。それも曹操軍の全兵力による攻撃によって、である。さすがは曹操といったところだろうか。呂布は劉備が心配だったが、彼は劉備を信じる事にした。おそらく大丈夫だろうと思えた。その根拠はある。劉備は呂布と違い、その実力を隠す必要が無いのだ。

一方、曹操は焦っていた。まさかここまで早く呂布が攻め込んでくるなどと思っていなかったのである。呂布の強さを甘く見ていたと言うのもあるが、それよりも袁紹に呂布を殺せと言われて、呂布を討ち取れば恩賞を与えると言われたにも関わらず、未だに袁術軍が到着していないのだ。

袁術の足ならば、そろそろ着いてもおかしくない頃なのだが、未だ姿も見せない。この状態は非常に良くないと曹操は判断し、呂布と戦うよりも袁紹の元へ報告に戻る事にした。袁紹は袁紹でこの急報を受けて狼煙を上げさせている。これで袁紹軍の集結を待つことなく曹操は袁紹軍を敵に回す事になる。

それどころか曹操にとって袁術の動きが分からない事も不安要因になっていた。

呂布は徐州を攻める曹操の軍を追いかける形で北上していた。本来であれば徐栄は呂布と共に行動する事になっているのだが、今回の一件では陳宮によって指示が下されている。徐栄が呂布と一緒にいればいる程、呂布との距離を置いて行動すればする程、曹操に対する罠として機能するのだと、張遼を通じて説明を受けた。

もしこの策通りに事が進めば、敵の主力が袁術と合流する前にこちらの主戦力をぶつけられ、壊滅させる事が可能だと。陳宮としては曹操がこのまま呂布とぶつかる事を望んでいたので、これは好機と捉えていた。

ただし、ここで問題になってくるのは、陳宮は呂布が袁紹のところに辿り着く前に曹操に討たれるような事は避けたいと思っているが、そうなると曹操に呂布の相手をさせて袁術軍が合流してから叩くという方法も取りにくくなってしまうのだ。つまり、袁術軍が来る前に曹操を倒す必要があるのだ。陳宮としては曹操と一騎打ちでも出来ればいいと思っていたが、それはあくまでも陳宮が一人で動く場合にのみ成立する話であり、他の武将は当然曹操に付くだろう。呂布に付いたとしても、この策を実行するための手駒として使えなくなってしまう。それに曹操はそこまでの計算をしているはずだ。だからこそ曹操には早急な決着が求められることになる。

呂布軍を追っていた曹操軍は徐州の街の手前で追いつく事に成功した。そこで呂布軍と曹操軍は激突することになる。

戦いが始まってからしばらくすると、徐州軍は劣勢に追いやられていく事になった。曹操の兵は質も量も呂布を上回っており、徐州軍は徐々に削られていくことになる。そして遂には徐州城に一番近い場所にまで到達されてしまうことになった。曹操の予想以上の進軍速度に、呂布は苦々しく思う。だが、こうなってしまえば打つ手は無く、徐州城を放棄して呂布と徐栄が徐州の守りに就く以外に手が無くなるはずだった。

ところがこの時、意外な人物が呂布の前に現れた。

それは馬超だった。

劉備達によって張飛が捕らえられた事で、趙雲が曹操へ寝返る事は難しくなった。

それでも呂布の妻の救出のため、関羽は単身曹操の元へ向かうことにしたが、趙雲は最後までそれを反対したらしい。

そんな時に、劉備は突然趙雲に向かって徐州の太守にならないかと言い出したそうだ。

当然ながら趙雲はすぐに断りを入れようとしたが、そこに曹操からの誘いがかかった為、断る理由が出来て助かったと言っていたと言う。その言葉通り、徐州城の守りを趙雲に任せ、自身は曹操の元へ向う事になったのだと言う。

ちなみに劉備がそんな事を言い出したのは、自分の妹である劉表の娘を助けて貰い、さらに自分や諸葛亮も命を救われたので恩返しの意味を込めて、という話である。

もちろん趙雲も断ろうとしていたが、そこにある男がやってきた。

それが馬超である。曹操と袁紹の決戦の地は平原で行われることになった。

曹操の軍は全軍で五万の大軍であるのに対して、袁紹は僅か二千しか兵を連れてきていなかった。

しかし袁紹軍はその袁紹軍の二倍に当たる十万人規模の動員を掛けた。

この数は誇張ではなく、袁紹が各地に散らばる名士に対して招集をかけたのである。曹操がどれだけの兵力を集められるか未知数だったが、その規模を見て袁紹も出し惜しみしている場合ではないと判断した。

両軍は陣を張って対峙し、お互いに布陣を終えた後に軍議が開かれた。

まずは軍師、王匡と郭図がお互いの状況を確認し合う。

袁紹は西の袁術に使者を送り、曹操との戦に援軍を出すように求めたが、袁術からは拒否された。

また曹操も袁紹の頼みをすんなり聞くはずもなく、むしろ袁紹を牽制するかのように公孫康と黄巾党に背後から襲わせるなど、袁紹軍を挑発してきたので、袁紹軍の将兵は気が気ではなかったという。

結局両陣営は戦をするしかない状況で、互いに軍を二分して戦うと言う選択をしたのだと言う。

袁紹としては袁術に拒否されれば曹操に頼るしかなく、そうなった場合には兵を分散しなければならなくなるが、曹操としても袁術の援軍を気にせずに全勢力を持って袁紹軍を殲滅する事が可能となり、どちらにとっても得となる話である事は明らかであると言うので、袁紹も納得せざるを得なかったと言う。

ただ、その代償は高くついた。呂布は今この場にいる曹操と袁紹の二人だけではなく、袁紹の親族も全て討ち取るつもりで曹操軍と対峙している。

それはもちろん呂布軍の諸将も理解していた。

対董卓戦で袁紹がどう言った行動をしたのか、その結末を知らない者はこの戦場にはいない。呂布軍の者でも、それくらいの情報は知っている。特に曹操は袁紹軍の中心人物であり、呂布軍の武将たちの中でもこの男の行動には注意を払っていた。呂布は以前、袁紹に降伏を勧める使者として出向いているのだから尚更だ。

当然この提案を袁紹側は呑むわけも無く、呂布軍の提案は却下された。

そうなると呂布としてもこの場で曹操を討ち取らなければならない事は分かっていたが、ここで呂布軍が一斉に攻め込めば、今度は袁紹軍に包囲される恐れもあった。その為に呂布軍では慎重に動き、曹操軍の動きに合わせて攻撃を仕掛けることにした。

そして軍議は終わり、それぞれの配置へと分かれていく。

呂布と陳宮が配置された場所はほぼ同じところであったものの、陳宮が曹操を討つ事に固執し過ぎると、陳宮のいない所を攻められた場合に非常に不味くなる。なので、陳宮にもそう進言したが、陳宮は陳宮で別の策を考えていた。

曹操が布陣を終えてから半日後、呂布は袁紹の軍が到着した事を知った。

袁術は袁紹の要請に応える事が出来ず、逆に袁紹から攻撃されて兵を失っていた。袁紹は徐州を攻めた時に袁術軍から攻撃を受けていたが、それを根に持っていたのかもしれない。もしくは袁紹にとって最大の敵は、徐州の劉表だったのだろう。

曹操軍の目的は徐州城にあり、徐州城は堅守されているとはいえ守備兵は呂布に比べれば少なく士気も高いとは言えない状態である事から楽に攻め落とせると思っていたのだが、そこに予想外の軍勢が現れた為に曹操軍は混乱した。

呂布が見ただけでも、それは一万を超える騎兵であり、しかも統一された兵装をしていると言う。この騎兵隊を率いる将は夏侯惇であり、荀イク率いる別働隊と共に徐州城内に侵入しようとしていた曹操軍と衝突することになった。

呂布から見ても曹操軍と呂布軍の戦いよりも遥かに激しい戦いであったが、さすがに精鋭揃いだったようで呂布軍と曹操軍は互角以上の勝負を繰り広げることになった。

曹操も袁紹との戦いで消耗していないわけではないだろうが、それでもあの勢いを見るとかなり手強い武将がいるらしいことは分かる。おそらく夏侯淵の事なのだろうとは思うが、今はそれよりも目の前の脅威である。

夏侯惇と袁紹軍の騎兵隊はぶつかり合い、呂布軍は呂布自ら先陣を切る事で、曹操軍の動揺を誘うことに成功する。

そこへ曹操軍の背後に現れた呂布軍の本隊が突撃すると、一気に形勢は逆転していく。

だがその時、その戦況を覆すべく一人の豪傑が現れる。それが曹操軍の新将軍となった許緒である。

小柄な身体ながら勇猛果敢にしてその槍捌きは凄まじく、張遼ですら舌を巻き感嘆するほどの名将ぶりを見せた。

そんな強敵を相手取っても、呂布軍は一歩たりとも退かない。

「奉先はどこだ!出てこい!」

その許斐に対して、馬上の曹操は苦々しい思いを抱いていた。

こうなることを予期していなかった曹操ではないが、いざそれが現実になると腹立たしいものがあるようだ。

袁紹とは利害が一致したので協力しているが、呂布と戦ってみたいと言う曹操の考えを理解できるほど曹操を理解しているわけではなく、むしろ何故こんな無謀なことを考えたのか、袁紹の人を見る目のなさに呆れていた。

ただ、袁紹の気持ちも分からないでもない。これまで曹操と呂布は一度も矛を交えることなく、呂布の所在は知れないままだった。その呂布がついに姿を現わし、それもこの戦場に現れたのだ。この機を逃せば次はいつ現れるかわからない上、曹操としても自分の強さを証明したいという想いもある。袁紹は袁家としての力を見せつける事が出来ればそれで良いと考えているのだろうが、曹操の場合は曹操自身が武人としての実力を示したいと言う欲求の方が強かった。

袁紹と曹操、二人は違う目的のために動いているが、目指す場所は同じであるはずなのだが上手く噛み合わないものだと思う。曹操が呂布と戦場で戦う機会を得ることが出来たのは、実に五年ぶりになる。

当時曹操はまだ青二才の若造で、曹操軍の総大将を務めていたものの実戦経験が足りなかった。

また、当時の曹操軍は袁術との戦いもあり疲弊していたので、呂布との再戦の機会は訪れず仕舞いになっていた。

呂布はその当時から群を抜いていたが、まさかこれほどまでの強さを身に付けていようとは思わなかった。

五年前と比べて曹操軍は大きく力を増し、兵も精強になったと言えるが、呂布もさらにその実力を高めていた。

これが一騎討ちであれば勝機も見出せると思うが、呂布は大軍を指揮して戦う名将でもあるのだ。

曹操としても袁紹と呂布が戦った場合どちらが勝つと言う判断がつかないが、少なくとも自分が戦って負ける可能性は極めて低いと思っているし、それは間違いないと確信しているのでこの勝負を受けたのだ。そしてその考えの通り、呂布はこの場にやって来た。

呂布がここにいると言う事は、陳宮も当然この場にいると言う事であり、陳宮は相変わらずこちらの思惑通りに動いてくれている事を確信した曹操だったが、問題はその後にある。

(どう動く?)

曹操の読み通り、呂布は呂布軍ではなく曹操軍を相手にしている。

しかし呂布は軍師陳宮と共に曹操軍の裏をかいてくるのではないか、と言う恐れもあった。

だが、この戦場における最大の脅威であった夏侯惇と夏侯淵の二将を討ち取った呂布軍の士気は高まる一方であり、呂布自身も先陣を切り戦場の中央へと突出してくる。それに対して曹操は呂布軍に対する備えを厚くしたが、そこでさらに予想を超えた事が起きた。

曹操軍本陣を守っていた典韋率いる親衛隊が崩れ、そのまま前線へと出てきたのだ。

曹操が典韋を呼び戻す前に、夏侯惇と夏侯淵を失った袁紹軍本隊が破れ、曹操軍に襲いかかってきた。

これにより呂布軍は呂布軍と曹操軍の連合軍と戦い、曹操軍は呂布軍と呂布軍の連合と戦った事になる。

その連合軍の力は曹操軍を凌駕しており、さすがの曹操軍と言えども劣勢にならざるを得ない状況に陥った。

もちろん曹操軍にも袁紹軍の武将たちが残っているのだが、すでに呂布軍との連戦になっている上に、その呂布軍が圧倒的な士気を持って曹操軍に襲いかかってくるのだから、いかに袁紹軍の中でも最強を誇った部隊だったとは言え防ぎきれない。

呂布軍と曹操軍の戦いに袁紹軍が割り込んで来た事によって、袁紹軍側の戦力はかなり減少しているはずだったのだが、それでも袁紹軍本隊は強い。

おそらくはこの戦いの中で最大の激戦となっただろう。その戦況は曹操軍が押され始めているように見えるが、そう見えるだけで実際に戦況が変化しているわけではなかった。

曹操軍は数を減らしているわけではないのに、袁紹軍は呂布軍との連戦をこなしているにもかかわらず、袁紹軍の方が押しているのは不思議な感じである。

この差は何か? 曹操は考えていた。

単純な兵力の差や個々の武将の力量を考えると互角と言っていいだろう。

だが、決定的に違うのは指揮である。

これは単純に曹操の指揮能力の高さを示しているわけではない。もしそうであるならば呂布軍はここまで苦戦を強いられていないはずだ。

おそらく、曹操軍では荀イク率いる別働隊が呂布軍の弱点を狙って動き回っているに違いない。それに気付いたからこそ袁紹軍の動きが鈍くなって呂布軍の勢いが増し、逆に呂布軍にはそれが見えていないので勢いが止まらない。荀イクほどの切れ者がその事に気付かぬわけがなく、必ず仕掛けてくると思っていたが想像以上だった。

だが、それも織り込み済みである。荀イクの別働隊さえ抑えられれば、呂布の勢いは削げる。そこからは曹操が攻勢に出て一気に呂布を倒す事が出来る。

それが出来ない時はその時の事である。

曹操は覚悟を決めた。その曹操の行動を見て、呂布も決断する。

「……奉先は、俺が討つ」

曹操軍は曹操自らが先陣を切る事で、呂布軍の動揺を誘うことに成功していた。

そこへ呂布軍の本隊が突撃をかけると、形勢は一気に逆転していく。

その戦況を打開するために曹操は呂布と対峙したが、呂布の戟の前に手も足も出ずに敗れ去る。

それが曹操の計画だったのに、その計画すらも覆された。

陳宮が袁紹の軍師の許攸に化けて袁紹に近付き、曹操軍への奇襲を進言したのである。

元々その作戦を考えていた陳宮ではあったが、その機会を窺っていたら意外と早く訪れたと言うだけである。陳宮の提案は悪くなく、また曹操軍にとってはありがたい提案でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る