第10話
呂布は呂布で混乱した事もあり、さらに袁紹に襲いかかろうとした時に李粛の裏切りにあって、袁紹軍の包囲網の一角が破れてしまった。李粛はその穴を広げるのではなく、そこから外へと出て行った。
つまり李粛は、自分一人で逃げ出す為の行動に出たのだ。これによって呂布軍の士気は大いに下がり、撤退せざるを得なくなる。この時点で呂布軍が袁紹軍に追いつけるわけもなく、完全に形勢不利となってしまった。
呂布軍が逃げ出した事は、すぐに賈クの元へと報告が入る。
「これは不味いな」
呂布の離脱はともかくとして、呂布軍を追い出した袁紹軍の行動が想定外であった。袁紹軍の方も相当動揺している事が伝わってくるのだからなおさらだ。ここでの董卓軍の反転が間に合えばまだ挽回も出来る可能性はあったが、董卓軍の方にそのつもりはないらしい。
曹操もこの状況には流石に対応出来ないと判断し、全軍に撤収命令を出す。これにてこの戦いは終了した。
この戦いでの董卓軍の損害は軽微であり、曹操軍の方は被害甚大だった。
呂布軍は主力部隊を潰され、袁術軍も壊滅的打撃を受けている。
対する董卓軍はほぼ無傷であったが、その兵力は二割程度しか残っていなかった。
呂布は逃げるのに失敗し、董卓軍の包囲をすり抜けて逃げる事に成功する。
董卓軍の被害は皆無であるが、曹操軍の受けた傷はかなり深刻で、その立て直しに時間がかかりそうだ。特に呂布軍の受けた影響は大きく、その戦力は半分以下に落ち込んでいる。
しかし曹操軍は董卓軍に呂布を討ち取れなかった事が痛かった。
もし袁紹が董卓側に付いていれば、呂布と袁紹の直接対決となるところだったのだが、その袁紹は董卓を見捨てて逃げたのだ。これにより董卓と呂布は手を組んだのと同じ状況となり、呂布は逃げる事なく戦えたはずだった。
曹操軍の被害が大きく、しかも袁紹が呂布を見限ってしまった以上、呂布と董卓は結託する事になり、今度こそ曹操軍に勝ち目は無くなってしまう。
だが曹操も、呂布を見限りたくは無かった。このまま呂布を生かしておけば、いずれ天下に大きな災いをもたらす。曹操もそう考えていた。
そこで、曹操は一つの決断をする。
呂布が都へと凱旋する事になった時、そこには当然董卓軍も同行していた。
曹操軍の敗走により董卓への反逆の疑いをかけられた袁術だったが、呂布の活躍によって無罪放免となったのがきっかけだったのかもしれない。もしくは、都に戻らなければ殺されると恐怖したのか。
どちらにせよ、呂布と袁術の二人は一緒に帰還する事になった。もちろんそれは呂布も承知の上である。
この時呂布軍でまともに動けるのは張遼だけと言う状態だったが、そんな状態であっても呂布が先頭に立って戦う姿を見せるだけで兵士達は奮い立ち士気が上がるので、呂布の側を離れる者は居ない。
呂布軍にとって最大の敵は曹操軍で、それに対する呂布軍の強さはまさに脅威である。
それを証明するように、曹操軍はほとんど動きを見せず、ただただ呂布軍の動向を監視しているだけだった。
だが、呂布軍も無傷と言うわけではない。
李粛の裏切りで、袁術軍は完全に壊滅状態にまで追い込まれ、呂布軍の主力部隊を壊滅させられたのは、それだけ呂布軍にとって大きな痛手となっていた。
そして、呂布軍は洛陽に帰還した。
都に戻った呂布を待っていたのは、民からの手厚い歓迎ではなく罵倒の嵐であった。
何せ今回の勝利は、全て呂布一人によるものだと言われているのである。呂布に与した諸将は、いずれも無様な敗北を喫し、生き残った武将たちもそのほとんどが戦死してしまった。
これで勝てる方がおかしい、と思うのが普通だろう。実際にそう思われても仕方のないような負け方なのだ。呂布もそれを分かっていただけに、何も言わずにそれを受け入れていた。
それでも一部の民衆には、呂布を賞賛する者も現れ始めていたのだが、呂布はそれすら耳に入らないほど意気消沈しているように見えた。
一方、都に帰還してからの董卓はと言うと、意外な程冷静にこの事態を受け止めようとしていた。
少なくとも呂布はそう思っていた。表面上は取り乱す事も嘆く事もしていないし、部下に対しても普段と変わらない態度を取っているように見える。
ただ、内心はどう思っているかまでは、今の状態の呂布では見抜く事が出来なかった。
「将軍、袁紹殿より使者です」
呂布の元に、張勲が訪れる。
袁紹の使いだと聞いて、呂布はすぐにそれが嘘だと確信した。あの袁紹の事なので、おそらく董卓軍へ降伏勧告をしに来たのだろうとは思う。
袁紹はこの状況下でさえ、相変わらずの自分中心の考え方をしていた。袁紹が天下を取ったところで、それを自分の為に利用する気なのは目に見えているが、呂布はもうそこまで考える事が出来ない。
それほどまでに呂布は落ち込んでいた。
袁紹の使途がやって来た事を知った董卓は、呂布の所に来る。呂布は頭を下げて挨拶するが、董卓は一言も発さず黙ってその場を離れた。
呂布としてはこれ以上董卓に何か言われれば耐えられなくなりそうなので、むしろ有り難かったのだが、そうすると袁紹の使者は呂布と話す必要が無くなる。
呂布は不思議に思い、袁紹の使者に話しかけようとしたのだが、それよりも先に呂布の前に一人の男が立った。
「よぉ、英雄様」
そう言って現れたのは、王允の息子にして長安を守っていた高順だった。
「高……」
名前を言いかけた呂布の言葉を遮るように、高順は呂布の肩に手を置く。
「いいねぇ、その顔だよ。絶望のどん底みたいなその表情、ゾクッとするぜ」
いつも通りの人を食ったかのような軽口を言うが、やはり呂布の反応は無い。
「……俺ぁ、あんたに憧れてここまで来ちまったんだ」
突然語り出したのは、そんな言葉だった。
「そりゃあ、色々あったさ。ガキの頃は喧嘩ばかりしてた。そのうち腕っぷしじゃ叶わなくなって、それで俺は親父に言われた通り、剣を振るようになった。でも結局はダメだった。お陰で今では一端の武将になってるけどな。そんな時に聞いたんだよ、あんたの噂を。その頃はまだ子供で、話半分にしか信じてなかったんだけどな。今なら分かる。噂なんてもんじゃない。本当にあんたは英雄だった。漢の大将軍になるべき人だった。その実力もあったはずだ。なのになんでそんなにあっさりと裏切った? 何があった?」
饒舌に語るその口調とは裏腹に、表情は暗く重いものに見える。
「天下は、人の天幕じゃない。それは分かってるつもりだった。だけどな、あんなにあっさりと他人に譲るような場所でもないと、思ってた。天下を望むんなら、どんな犠牲を払っても、何を無くしても、欲しいと思うもんじゃなかったのか。違うかい、大将?」
まるで懇願するかのように問いかけるが、呂布はその問いに対して答える事は出来ずにいた。
天下に興味が無いわけではない。呂布自身も天下が欲しかったわけだが、天下を手に入れるという行為そのものがどういうもなのか、想像もしていなかったのだ。
天下の為には人を殺さなければならないと言う事実があるだけで、そこにどのような感情が入り込む余地など無い。呂布にとっての天下とは、そこら辺に落ちている石ころのような価値しかないものでしかなかった。
そして呂布にその価値を与えてくれたのが陳宮であり、それは同時に董卓や李儒といった存在に変わってしまった。だが今は呂布が求めたのにも関わらず、董卓達の方が呂布を必要とし、それどころか敵として対峙している。
呂布は自分が分からなくなっていた。何故こんな事になったのだろうか、と考えるが、そもそも最初から自分は何も知らなかったのだと思うようになっていたのだ。
天下と言うものの見方を教えてくれる人間は周りには居らず、呂布は自分の中に芽生えた小さな欲求を満たす為に戦い続けていただけで、その結果得たものはこの程度のものだったのだと思い知らされていた。
目の前にいるかつての戦友に対しても、呂布はどう接すれば良いのか分からないでいる。
しかし、高順の方は違った。
今まで自分の事を見向きもしてこなかった呂布に対し、怒りの気持ちを持っていなかった。それ所か逆に尊敬すらしていると言っても良いだろう。
それというのも、高順は幼い頃から呂布の事を知っている。と言うより、呂布を鍛え上げた張本人こそ、高順の父親である張遼であった。
高順が五歳の時、張遼は西涼の地で董卓軍の侵攻を受けて殺されてしまう。その時に張遼は呂布を連れて逃げようとしたが、呂布は母と共に都の呂布邸に残っていた。呂布の母も張遼も呂布が男である事を周囲に隠していたのだが、董卓はそれを知ると息子を手元に置いておきたかったらしく、母親ごと董卓の元に連れ帰ったのだ。董卓の妻である董大妃はこの事が許せず、二人を軟禁状態に置くとすぐに自害してしまったと言う。この時、呂布は十四歳になっていた。その後董卓が長安へと移動した事により、母子は再び都に戻る。この時に母親は体調を崩してしまい寝付いてしまい、呂布が代わって都に残る事に。董卓はその後も度々洛陽に戻って来ては呂布に会いに来てくれたが、張遼との約束を守る為、呂布はずっと男装を続けたままで過ごしていた。
やがて長安に移った董卓は李粛の反乱に遭うが、それを撃退し長安を取り戻した事で董卓は改めて呂布を長安に戻し、正式に将軍に任命して長安守備の任に就く。これは高順が十五歳の頃の話だった。その後は順調に出世を重ね、董卓の娘婿という立場から、いつの間にか呂布の右腕的存在にまで登り詰めていた。
ただ、この高順の躍進にも、一つの問題があった。
呂布の副官だった張済という人物がいる。高順は、その張済の娘と結婚していて、妻同士も仲が良く親友関係を築いていた。
そんな二人の所に、ある時一通の手紙が届く。その内容は、張遼を殺したのは呂布だという密告書だった。
当然ながらそんなデマを流すのは、董卓軍の中に呂布を憎む者がいての事だと思われる。
高順も呂布も、もちろんそんな事はしないと断言出来る。実際に高順は張遼と一緒に長安を守っていたのだから、手紙を書いた人物が見抜けないはずがない。
では誰が、何の目的で、そんな偽情報を流したのか。
それが大きな問題だった。
高順達は悩んだ末に曹操の元へ相談に行くのだが、結果として曹操からの助力は得られない。そのせいで、高順は疑いの目を向けられる事となった。
そんな時、呂布は呂布の父と祖父の墓に参って来た。そこで呂布はようやく決意を固め、真実を明らかにするべく行動に出る。しかしここで呂布は大きな壁にぶつかる事になる。
それは、呂布は女性だと知っているのは、李儒だけなのだと言う。つまり呂布は自分が女の身でありながら男の振りをして、天下を狙っていたという汚名を着るしかない。それでも構わなかったが、それを証明する手段が無かった。
そんな呂布の前に、現れた人物がいた。それが袁紹の使者だった。
呂布は最初、その使者に嫌悪感を抱いていた。自分を英雄として持ち上げるだけでなく、あろうことか呂布の性別まで調べ上げて来たのだ。
その使者が語る内容に呂布は耳を傾ける事もなく、むしろ殺意に近い感情を抱いてしまうほどだった。
そんな状態で謁見の場に呼び出されてみれば、そこには予想通りの光景が広がっていた。
呂布が見たかったのは、こういう景色だったのかもしれない。自分が英雄になり、天下を手にする事に何の意味も無い。そう悟った呂布は、ただ純粋に自分の武を示したかった。
だが、そこに居たのは高順ただ一人だけだった。
高順は呂布の実力を知っており、またその人格を信頼していたが、相手は違う。しかも、目の前には敵となるはずの董卓軍が勢揃いしていた。
呂布と董卓達との戦いが始まった。高順が苦戦しているのはすぐに分かった。だが、呂布も簡単に勝てると踏んでいたわけでもない。
まず第一の関門は突破出来たが、ここから先はどうなるのか呂布自身分からなかった。
その時、一人の女性が姿を見せた。
呂布はその女性の姿を見て、言葉を失ってしまった。陳宮とは似ても似つかない姿だったが、何故か呂布には目の前の女性が自分の仕えるべき主なのだと思い込んでしまっていたのだ。
そこからの呂布の戦いぶりをどう説明すれば良いのか、おそらくその場に居たもので正確に表現できる者はいない。
あまりにも一方的な戦いになった為、気付いた時には終わっていた。と言うのが、この場にいた者達の総意だろう。
呂布の強さは、まさに鬼神と言って良かった。
それなのに、呂布には喜びの表情は無い。
「呂布奉先よ」
戦いが終わった後、皇帝の劉協が声をかけてきた。
この時、既に董卓は倒れていた。呂布は戦いの中で、李儒、張遼、董卓、さらに樊稠といった面々を倒したが、同時に自分も傷付いていた。
この程度の戦いなど、これまで幾度となくこなしてきたが、ここまで追い詰められ、死すら覚悟したのは初めてだった。
この日、董卓軍は敗北した。そして董卓の悪行を世に知らしめ、反董卓連合の結成に繋がる。
この日から、董卓の時代は終わりを告げた。
その日の夜、都から少し離れた所で呂布は張遼と話し合っていた。
この戦いが、後に漢王朝最大の危機と言われる『赤壁の戦い』の始まりである。
「だとしたらそこで魔法攻撃は必ず行う必要はあると思うが」
と俺、呂布は張遼に提案していた。ここは荊州の襄陽、ではなく都からかなり近い場所にある、小さな酒家。ここがこの話の舞台となる。
話をしているのは張遼や高順ではない。あの二人よりも背が高く肩幅も広く、一見するととても文官とは思えない容姿の持ち主だ。
ただ、彼はれっきとした武官であり、今は荊州の長沙太守という官職に就いている。
名を呂玲綺と言った。彼女が呂布に話しているのは、今後の戦略について。
今年が二十一世紀の四月から五月辺りになるのは確かなようだが、西暦何年のいつに当たるのか分からないため、史実通り曹操が決起するのかどうかの判断がつかなかったのだ。
もし歴史の流れに乗らず、曹操が動かなかったら? その可能性も考えていたものの、やはり呂布がこの世界で生き残るために曹操の動向は常に把握しておかなければならない。
そのため、この呂布は曹操が決起するまで待とうと考えた。
それに曹操が動くとしても、この世界ではいつ起こるかも分かっていない。曹操は徐州を制圧した後、すぐに行動を起こす事はないだろう。それは張遼も同じ考えらしく、曹操は来年にならなければ動かないと判断した上で、その準備を進めている。その準備の一つとして、今回呂布も張遼も同行して都へと戻っているのだ。
その途中で、たまたま会った。というのが今の二人の状況だった。
もちろん呂布の方としては聞きたい事があったのだが、それよりも早く質問された事が先の事柄だったので、その問いに答えたところだったのだ。
「そうだな。だが、問題はどうやってその戦力を集めるかだ。今回の様にこちらの陣営に招く事が出来るならば、その方が話は早い。しかし、そうでない場合だと我々だけで集める事になるぞ?」
「まあ、それはそうかもしれないけど、でも……」
張遼の意見に呂布は言い返そうとするが、上手い言葉が出てこない。実際問題として、これから呂布達が戦おうとしている相手は多い。特に曹操の所は、袁紹に次ぐ大軍を誇っている。それに対して呂布は兵を集めて数で押し切ろうと考えている。兵力差を考えれば正攻法と言えるだろうが、その為にどれ程の人材が必要なのかを考えると気が遠くなりそうだった。
何しろ、現在の董卓軍の主力はほとんどが呂布によって討ち取られてしまっている。
生き残った董卓の親衛隊、呂布軍の将であった王允の残党部隊、高順の配下だった徐栄、侯成は何とか残っているがそれも少数だった。その数は千名ほど。これに新兵が加わっても二万にも満たないのではないかと思われる。しかも呂布軍に居た頃より待遇が悪く、訓練もろくに受けていないので戦場で役に立つかどうかは怪しい。
これに対抗する為に、張遼は関羽の元へ使者を出している。
荊州牧となった劉備は、その武勇が知れ渡ったおかげで、多くの義勇軍が集まっている。だがその人数は少なく、しかも練度が低い。
張遼が送った使者は関羽に会うとその場で申し出を受け入れてもらい、荊州にいる劉表の元へ向かった。劉表は元々荊州南部の長沙郡を治める豪族だった。その妻も元々は黄巾の乱の時に張角を捕らえて有名になった。その名声を利用しようとした劉表は妻の親戚でもある劉備に援助を申し込んだ。その結果が劉備の妻、つまり関羽の姉が劉表に嫁ぐ事となった。これは荊州の実力者、さらに援軍を得られるだけでなく、呂布軍が抱えていた兵糧を借り受けられる。張遼の使者はそのように伝えてきた。
呂布軍が蓄えた食料を放出すれば、それを元に張遼は兵を募るつもりだった。さらに張遼の見立てでは呂布軍と荊州の兵を合わせ、荊州全土で六千もの動員が可能になると言う。それでも足りないと言う呂布に対して、張遼はこう言った。
まず曹操を討って漢王朝を立て直す。その後に諸侯による漢の再統一を行い、その後で改めて董卓の討伐軍を興すしかない、と。
確かにそれであれば天下は乱れる事なく、漢王朝が復活するので董卓を討つ事も出来る。さらに言えば、呂布軍はその主力を失ったとはいえ、その武名は漢中まで響き渡るくらいなので曹操が動けば、それだけの人材が集まる可能性がある。
ただ、呂布には一つ懸念材料があった。
曹操が、果たしてその通りに動いてくれるだろうか? 呂布が曹操の行動を疑う最大の理由は、彼が今現在どのような立場にあるのかを理解出来ないからだ。
例えば、董卓の悪政に耐えかねた民や貴族達は立ち上がり、漢王朝を倒すべく董卓を討ち取ったとする。
だが、漢王朝は倒れるものの曹操は漢王朝に忠義を尽くした武将となる。
そんな人物が、いきなり漢王朝打倒を掲げ董卓を倒したと声を上げたところで信用されるのかどうか。呂布はそこに不安を感じていた。
そもそも曹操が本気で漢王朝に忠誠を誓っている人物だと考える方がおかしい。その可能性は充分に考えられるし、だからこそ呂布は曹操の行動を警戒していた。
もちろん、呂布自身が仕えるべき主を探しているという理由もあるが、それ以上にこの乱世を終わらせるためには曹操の動きを見極めなければならない、という気持ちが強かったのだ。
それにしても張遼の提案は魅力的だったが、だからと言ってすぐに実行に移す事は難しい。
この場は一旦解散する事となり、翌日から呂布は荊州の各地へ出向いて義勇兵の募集を呼びかける事になった。
樊稠が死に、王允が去り、張遼は荊州に戻って行ったが、高順はそのまま呂布と共に行動する事になる。
呂布としては高順の方が気になっていたのだが、高順の方は呂布と一緒に戦いたいという意志が強く、荊州に戻るつもりは無いらしい。
ただ、そうなると呂布軍の新たな大将を決めなければならないのだが、それをどうするかという問題もある。高順は呂布からその地位を譲り受けたいと言い、呂布はそれを認めようとしていた。
その時だった。張遼からの急使が来た。
呂布軍の一兵士が長安へ向かう途中、その街に立ち寄ろうとしたところ賊に襲われ、身ぐるみ剥がされた上で斬られたのだそうだ。
兵士は死力を振り絞って都へ向かい、そこから高順に連絡を入れたのだという。呂布軍の現状は厳しい。張遼の呼びかけに応じた者は三千名余りに過ぎず、新兵を入れれば二万になるかという程度だった。
そこで荊州の武将達にも協力を呼びかけたのだが、そちらは集まったとしても一万が良い所だった。荊州の太守の劉表も兵力を貸し出す事を約束してくれているのだが、こちらも五千しか集められない。対する董卓軍は二十万の大軍である。
しかもその士気は高く、各地の有力者が続々と参戦しているのだそうだ。
張遼はすぐに呂布の元へ来て、呂布を長安に送る様に要請してきた。
荊州軍だけでは勝てないのは明白であり、今はとにかく人手が欲しい。そうすれば数の少ない荊州軍が十万を越える大軍と戦っても、時間稼ぎぐらいは出来るだろう。その隙に洛陽にいる劉備が動き出してくれるはずだと言うのが張遼の考えだった。
張遼の意見ももっともだとは思うものの、あまりにも急な話だったので迷っていた時、一人の男がやって来た。
それは董卓四天王の一人にして猛将李儒の息子、李粛であった。董卓の死後は行方不明となっていたが、最近になってその消息を掴んだという話は聞いていた。李粛はその父親に似て非常に弁が立つ人物であり、今回の出兵について董卓の意思を伝える使者として来てくれたらしい。呂布としては渡りに船であったが、その言葉の内容が呂布の度肝を抜く様な内容だった。
曰く、呂布軍では無く呂布自身こそが皇帝だと。そして、天下を平定するのは自分こそ相応しいと言っていると言う。
その発言は、呂布にとって寝耳に水だった。
確かに呂布が皇帝であった場合、天下の安寧の為に戦うのは道理と言える。しかし呂布自身は帝位など欲しておらず、何より今の董卓のやり様が許せないので、董卓を討つ事にしている。
その考えが伝わったのか、李粛は自分の言う事が信じられないのであれば直接董卓と話をさせてやると言った。その自信の根拠が呂布には分からないものの、呂布には拒否するという選択肢が無い。もしこれが罠だったら、それこそ董卓との直接対決になりかねないからだ。
呂布は張遼、華雄、樊稠の四名だけを連れて行く。
それ以外の者は全て残して、董卓との直接交渉に臨む。
董卓軍は二十万の大軍勢なのに対し、呂布とその部下の数は少ない。それどころか、張遼の荊州軍を抜いただけで、まだ張遼の元には関羽からの援軍要請を伝えに行った使者は戻ってきていないので、荊州の兵の数はもっと少ない事になる。
呂布の留守中、樊稠は荊州の民に対しての食料提供を行い、さらに漢中の劉備へ援軍を求める為に、王允から借り受けた物資を使って荊州の兵を送る準備をする事になった。荊州の兵を集めると同時に劉備に援軍を要請すると言うのは、張遼が提案したものである。
呂布は漢中に向かった関羽とは戦わず、むしろ味方にするべきだと考えていた。漢中は山間にあるので防衛に適した地でもある。漢中王を名乗る劉備がそこを押さえるのであれば、それはそれで構わないと思っていた。
だが、張遼は違った。彼は漢中を攻め取る事を提案に来たのだった。
元々張飛には恩義を感じており、漢中は豊かな土地でもあり、守りには適しているが攻めには向いておらず漢中を守る為だけに存在しているわけではない事は張遼もよく知っている。漢中の地は肥沃ではあるが貧しいのである。漢中王を名乗ったとはいえ、今の状況ではその土地を治めて行くだけの力を持っているとは思えないし、そんな人物が漢王朝の臣下を名乗っている状況も看過できない、というのが張遼の主張だった。
もちろん張遼の言葉は正しく、漢中には劉備の他に公孫サンという人物もいる。
公孫さんは三国志の蜀の人物であるのだが、彼が曹操に敗れて魏の捕虜となった後、曹操の命により蜀の王として立てられていたのだ。
それが正史なのか、演義の話だったのか、もしくは別の作品の中での設定に過ぎないのか、それは呂布は知らなかったのだが、少なくとも呂布の目の前にいる公孫さんはそんな立場にあった。
曹操の謀略により、劉備が呉起を討った後に蜀王となるのだが、曹操がそれを快く思わなかった事から呉を復興させたという功績を元に呉の建業へ劉備を追放したのだが、これは実は完全な誤りであり、劉備は元々劉備玄徳ではなく呉弘という偽名を使っていた事もあって、そのまま蜀の国へは戻らず曹操の勧めに従い客将軍となり、荊州の劉表を頼っていたのだった。
その荊州刺史は劉表の長男であり、その長男の妻も劉備の妻だったりする。つまり呂布が知る限りこの世界のこの時代は、劉備にとってそれほど居心地の悪いものでは無いはずなのだ。
そこに呂布軍の兵士がやって来て、張遼は急ぎの用件だと報告を行う。その内容を聞いて、呂布の顔色が見る間に青ざめる。
劉備軍の将に張飛がいるのだが、どうやら彼の性格が張遼をイラつかせているらしい。
荊州軍の武将だった時はまだマシだったのだが、荊州の太守となってからは傲慢な態度が目立ち、しかも呂布が荊州軍を率いて参戦する事になるとその実力不足を指摘するだけでなく、張遼に武人としての力量が足りないと言い、あまつさえ呂布の器量を貶す始末。
それだけならまだしも、呂布軍が合流した後でも自分の方が上だと豪語して聞かないらしく、張遼は荊州軍のみでの戦いを望んでいると言う。
呂布としては当然無視出来ない。
張遼には悪いのだが、呂布軍は劉備に加担すると決めたのだ。その為にも張遼には協力して欲しいところだ。
ただ、張遼は頑なでなかなか折れようとしない。それならば張遼にも分かる形で劉備に協力を求めれば良い。そう考えた呂布が連れて来たのは、何と陳宮だった。
さすがの張遼もこの人物が来るとは予想していなかったらしく、呂布の申し出も忘れて呆然としていた。
しかし陳宮はいつも通りの態度と表情であり、特に何も感じていない様に見える。
「私も協力しよう」
呂布も驚いたが、その言葉に最も驚愕したのは張遼だった。
荊州軍で呂布軍と直接戦うのであれば、呂布と戦う必要はないはずだ。にも関わらず、陳宮は呂布に協力すると言う。それこそ、わざわざ張遼の元を訪れた意味が無い。
その答えは張遼も知りたかった。呂布軍の協力を得るつもりであったとは言え、それは劉備との連合を前提とした話であって、まさか陳宮本人が名乗りを上げるなど思ってもいなかったからだ。
もっとも、ここで呂布と一戦交える事も出来ると言えば出来た。が、そこまですれば完全に敵対してしまう恐れがあり、そもそもこの男を相手に勝てる自信も無い上に無駄に兵力を減らしてしまう結果になる事は明らかだった為、呂布は提案しなかった。その必要が無いと思ったからでもある。
だが、陳宮はその必要はあると言う。呂布軍の目的は天下平定であり、その邪魔をする勢力は全て排除していかなければならない。そしてそれは、この董卓を倒すと言う事に他ならないのだから、董卓軍を打倒するのには手を貸すと、あっさりと宣う。
張遼は内心混乱したが、呂布と呂布の配下達が納得している以上、もはやそれに逆らうわけにはいかない。呂布軍は呂布を中心に劉備と合流する事にした。
劉備は関羽と共に漢中へ向かったのだが、関羽は劉備に対し同行しても良いか確認を取っている。
それに対して劉備は、まず漢中王に即位する為の手続きが必要だと言う事を関羽に説明している。荊州の黄巾党の残党による騒動は沈静化しつつあるが、それでも漢中王が不在では民衆の混乱を招く。また、漢中王は世襲制ではなく天が与えた者こそが漢中王を名乗る権利があるのであり、劉備が自ら漢中王を名乗る事で漢王朝の存在を知らしめる事が出来るとも説明されている。もちろんこれは表向きの理由であり、実際は漢中を治め得る能力がない者を王として認めたくないという本音の方が強いだろうし、場合によっては関羽が漢中王となる可能性もある。
いずれにしても、すぐに漢中に向かうのは難しいと言う事である。
呂布はすぐに漢中に向かった。
そこで待っていたのは劉備では無く、李儒だった。
「お待ちしておりましたよ、呂布将軍。いや、もう奉先とお呼びしても?」
呂布は少し困ったが、好きに呼んでもらって構わないと答えた。
「では呂布将軍、こちらへどうぞ。張遼将軍はすでに来ておりますので、劉備殿の元へ案内致します」
相変わらずの笑顔で言う。
李儒についていきながら、呂布は思う。
この男の真意はどこにあるのか? 何か目的があって、それを隠そうとはしていないが見せびらかす事もしない。おそらく劉備や張飛、もしくは公孫サンよりも、呂布はこの人物を苦手としている。
呂布から見て、どう考えても劉備陣営の中で一番得体が知れないのが、この李儒なのだ。
もしこの男が董卓側の人間なら、劉備を傀儡にして権力を握るなり利用する方法はいくらでもあったはずであり、そうではなくただ協力したいと言っているだけで裏で策謀を巡らせているとは思えない。
劉備と陳宮の二人が揃っていて、この二人だけなら劉備もそれほど警戒しないですむのだが、呂布はむしろこの李儒を警戒していた。
李儒に連れられてやってきた劉備の部屋の周囲には、既に多くの人間が集っていた。
張遼をはじめとして、樊稠、董承といった武将達。曹操も、劉備の兄劉備が荊州の劉表を頼っていた時以来の付き合いの袁術までいる。さらには曹操軍の重鎮荀攸までもがいる。他にも魏続、宋憲、成廉と言った武官だけではなく、高順もそこに混じっていた。陳宮の姿はない。
「ようこそ、おいで下さいました。ささやかな酒宴の準備をしておりますので、ごゆるりとおくつろぎくださいませ」
劉備は上機嫌な様子を見せるが、それは呂布に対してではない事は誰の目にも明らかだった。この部屋には他に劉備軍の重臣と言える者は誰もいない。と言うより、ここに居るのが全員と言うべきかもしれない。荊州軍の代表とも言える関羽はおらず、その義弟に当たる張飛すら居なかった。
この場にいるのは全員が呂布の客将扱いなのでしょうがなくと言うべきか、劉備はあくまでも一兵卒でしかないと思っていたはずの呂布に対しても丁寧な口調で接している。
「あの、張飛はどちらに?」
恐縮しながら呂布が尋ねると、劉備の代わりに陳宮が答える。
「あぁ、彼ですか。あれは放っておいて構わんでしょう。それより呂布将軍、貴公にお願いがあります。張飛の処遇、どうか御願いできませんでしょうか」
陳宮の言葉に呂布は耳を疑った。
張飛が粗暴な性格をしている事は有名で、これまで何度かその手の問題を起こしているらしいのだが、それでも劉備にとっては弟である。
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