第7話

陳宮や高順の様に呂布の能力を高く評価している者も、劉備の心情を理解しているからこそ劉備に協力してくれている訳で、そうでなければ関羽や張飛のように警戒されるか無視されていたはずだ。

特に張飛など呂布の事を嫌っていると言うより憎んでいるくらいなので、味方にする事は難しいかもしれない。呂布の事が許せないと言う気持ちはよく分かるが、今はそんな個人的な感情を持ち出す時ではないだろう。

しかし、張飛の怒りも理解出来ない訳ではない。張飛の立場からしてみれば、呂布や劉備達と行動を共にしていたにもかかわらず裏切られた様な気分なのだ。張飛が怒るのも無理はない事でもある。

ましてや張飛は侠客上がりで、劉備とは面識はあったものの、それほど親しかったと言う程ではなかった。そんな間柄だったにも関わらず、劉備の誘いに応じてくれて、さらにはここまで同行してくれた張飛に、呂布も多少なりとも感謝していたのだが、それも水泡に帰してしまった。

呂布はどうすれば張飛との仲を修復出来るのか考えつつ、前を歩く三人を見る。

趙雲はまだ牽制しているものの、その表情からは笑みさえこぼれ始めているが、その矛先は張飛のみに集中している様に見える。

このまま張飛との戦いになるようなら、それに乗じて一気に張飛を討てばいいと思っていたが、意外にも張飛は趙雲の槍を双節棍を使って弾き返すばかりで、積極的に攻撃しようとはしていない。

ただ単に、この場では張飛と戦うべき状況でない事を趙雲も悟っているのだろう。

もし趙雲ではなく張飛と戦えば、呂布は間違いなく張飛を仕留めていたはずであり、その事を考えれば趙雲の行動もあながち間違いとは言えない。

張飛の事は気になるが、それ以上に今心配なのは後ろの二人だった。高順の方は明らかに機嫌が悪く、殺気立ったままだ。これでは背後から襲われかねない。

いくら関羽や陳宮がいるとは言え、これほどの手練れを複数相手にするのは難しいはずなので、呂布としてはそれだけは何としてでも避けたいところだった。

とは言っても、張飛と和解する方法が思いつかない。

張飛がこちらを気にせず、向こう見ずな性格のままであったなら良かったが、この様子だととてもそうはいかない。

呂布は張飛を仲間に引き入れる事を諦めるしかなかった。

そんな感じで歩き続けて数日が経ち、ついに目的の地へとたどり着いた。

荊州と魏州の境には山とまでは言わないが小高い丘がある。

そこには木の柵が張り巡らせてあり、門扉には虎と龍の装飾が施されている。こここそが漢王朝の皇帝の一族が住む後陽成帝の皇都、長安である。

すでに夕刻に差し掛かっている時間だったので、この日はひとまず城に入り休む事になった。

この日、張飛は終始不機嫌さをあらわにしていたが、それでもさすがに劉備の前なので露骨に態度に出る事も無かった。趙雲も表面上は普段と変わらず、呂布はいつも通りに振る舞っていたが、内心は不安を抱えっぱなしだった。

夜も深まり辺りは静寂に包まれている。

本来であれば就寝の時間ではあるが、今日ばかりは眠っていられないのだろう。呂布はもちろん、劉備やその従者たちも緊張した面持ちでそれぞれに与えられた部屋にいるはずだった。

呂布の部屋の前には高順が立ち、窓の外を警戒しているらしい。この部屋の配置は趙雲も知っていたらしく、同じ部屋に劉備もいた。

もちろん、呂布もその位置を知っているが、高順が警戒し続けている以上、下手に動けば怪しまれる可能性がある。

「……妙だ」

しばらくして、不意に高順が呟く。

何が?と聞こうとした時、隣の部屋で悲鳴が上がった。それを聞いて真っ先に動いたのは高順で、隣は陳宮の部屋だ。

呂布が駆け付けるよりも早く、部屋の前には衛兵がいたのだが、すぐに駆けつけてくれたので事なきを得た。

幸いにして賊に襲われたとか言う事態には陥らなかったが、侵入者は陳宮に怪我を負わせていた。

賊の正体は董卓軍の李儒の部下である賈クだった。おそらく張遼と同じ様な密偵なのだろうと、陳宮は言っていた。呂布と顔を合わせる前に、どこかへ姿を消してしまったので正体を掴む事が出来なかった。

「まさかこんなところに伏兵を置いているなんてね。張角の残党に紛れ込んで情報を集めていたみたいだけど、呂布将軍も迂闊だったんじゃない?」

陳宮は涼しい顔をして言うのだが、腕から血を流していて痛々しい。

しかも出血が多い割に傷自体は浅く、命に関わるほどのものではなかったが、見た目より酷い傷なのだと言う事が伺える。だが、本人はいたって平然としていて、自分の傷の事など気にも留めていないかの様に見えた。

陳宮の腕から流れ出る鮮血を見ながら、呂布はあまりに冷静すぎる陳宮を見て焦りを感じるほどだった。

「……奉先、ちょっと来てくれ」

高順に呼ばれて呂布はそちらへ向かう。

高順は人払いをして話を始めた。

今回の件は高順も想定外だったようで、珍しく狼籍えていた。

そもそも高順も張飛が曹操軍の武将だと言う事さえ知らなかったそうで、これはもう偶然が重なったとしか言いようがない事なのだが、よりによってこのタイミングで刺客が現れるとは思ってもいなかったようだ。

さらに言えば、陳宮も予想していなかった事で、あの状況で突然現れた事や陳宮自身が傷を負っていた事を考えると、最初から張飛や呂布だけでなく他の誰かも殺すつもりで仕掛けて来た可能性もあった。

つまり、ここにいる三人の内の一人が殺されていてもおかしくなかったと言う事になる。

そこまで考えた呂布は背筋が寒くなる思いだった。

しかし、陳宮の様子は至極落ち着き払っていて、痛みに耐えながら手当てをしてくれと言うだけだった。その姿を見ていて逆に呂布の方が動揺してしまったくらいだ。

高順は慌てて医師を呼びに行った。その間、陳宮と二人で残されたが、特に何か会話があった訳ではない。お互い沈黙していたままだ。

陳宮は元々口数が多い方ではない上に、負傷した事もあり気分が落ち込んでいるように見えた。

そして、その雰囲気もあって、今の呂布には普段以上に重苦しい時間が流れている様に感じられた。

(こういう時は何を喋ればいいんだ?)

女性経験の無い呂布にとって、どうにも気の利かない話題になってしまう気がしていた。

それに、どうにも陳宮には嫌われているのではないかと思うところもある。確かに高順の様な粗暴な男に女を任せる気にはならないかもしれない。高順と呂布とではまるで正反対と言ってもいいのだから。

それを差し引いても、陳宮からは嫌がられているような気配が感じられる。

それが何故なのか、さすがの呂布にも分からないところではあった。

とりあえず、まずは自分の上着を脱いで包帯代わりにしようとしたところで、ようやく部屋に医者が来た。

やって来たのは馬騰である。

この長安にいる事は不思議でも何でもないが、問題はどうしてこの場所まで来たのか、である。張飛の話では後ほど合流する事になっていたはずだが、今すぐ合流しなければならない理由はどこにも無い。

「久しぶりだな、呂布将軍。こうしてまた会う事が出来るとは、実に喜ばしい事ではないか」

「ご無沙汰しております、お嬢様」

馬騰は豪快に笑うが、呂布は軽く頭を下げる。

呂布から見て、目の前の女性が苦手だった。

何事もはっきりさせないと落ち着けない性格は、張遼のそれよりももっと性質が悪い。

この女性の行動理念は常に自分にある。その為なら周りの犠牲など微塵も気にしていないのだ。

この董卓の娘にして魏王でもある馬騰も例に漏れず、自分が良ければそれでいいと言う人物だ。

だからこそ董卓はこの女性に、魏国を継がせる事に決めたのだろう。それは漢王朝と共存していく上で、最も都合の良い考え方の持ち主だったからだ。

「呂布将軍。貴殿と劉備の事を思うと心苦しくはあるが、我らとしては劉備よりも関羽、張飛の方を重視している。漢王朝の為とは言え、あのような小娘にこの地の実権を渡したままにしておくわけにはいかないのでね。だが、呂布将軍の気持ちも分からなくはない。天下に名高い名将呂布奉先が身も心も劉備に捧げていると言う噂を聞いた時から、私も同じ様な悩みを抱えていたものだ」

豪放な性格をしているせいか、口調こそ荒いものの意外と話は分かる人だったりする。

それ故、余計に怖いのだが。

「そこで提案があるのだが、私のところへ来ないか?劉備には悪いが、ここは一時的に譲ってもらうとして、その後改めて徐州を譲ってもらいたいのだが」

そう言って馬騰は笑いかけるが、目は笑っていない。

呂布を自分の陣営に取り込むか排除するかの二択であれば、迷う事無く前者を選ぶと言う意志を宿している。

「申し訳ありませんが」

「うん?断るのかね?残念だな。せっかく将軍と一騎打ちが出来る機会に恵まれたと言うのに。将軍との勝負を望まない兵はいないぞ?」

呂布は思わず苦笑いする。

いかにも武人と言う考えの人で、一騎討ちを好むと言う評判は聞いている。

もっとも、実際に見た事があるのは高順くらいなので、その実力の程までは知る由もない。

ただ、曹操軍が苦戦した戦いで先鋒を務め、華雄を討ち取ったと言う話もあるくらいだから侮れない実力者なのは間違いないだろう。

「私は劉備と約束しました。いずれ義兄弟になろうと。そして、私が望むものは全て彼に与えると」

「つまり、天下の名馬を?」

その言葉を聞いて、陳宮も高順も噴き出す。

呂布奉先と言えば『人中の呂布』であり、『天下にその人あり』と呼ばれる英雄の一人である。そんな大人物が言う事とは思えない事だったので、つい陳宮と高順は笑ってしまっていた。

だが、馬騰の目の色は変わらない。むしろ、その目には鋭い殺気が込められていた。さすがの武将でもこの目つきには恐怖を感じたらしい。

陳宮の腕から流れる血の量が増していく気がして、呂布は背筋が寒くなる。

しかし、ここで引き下がる事はできないと思い直し、覚悟を決めるしかなかった。

陳宮から預かった戟を手に取り立ち上がる。

この武器は見た目通り扱いやすいのはもちろんの事、この武将専用に作られただけに使い勝手も抜群だ。

しかし、いくら良くても呂布にとって一番馴染む武器は弓である。その方が遠くを正確に射抜けるし、狙いを絞って矢を放つ事も出来る。

「将軍!お待ち下さい!」

そこに高順が血相を変えてやって来た。

高順は馬騰の存在に気づいていなかったらしく驚いていたが、今はそれどころではないとすぐに陳宮の側に駆け寄る。

「陳宮、大丈夫なのか!?医者はまだなのかよ?」

焦る高順を見て、呂布は不思議そうな顔をしていた。

陳宮の怪我の状態を見ると、それほど深刻なものではないはずだ。傷も浅そうだし、命に関わるような出血ではないのも見て取れる。確かに陳宮はかなり疲労の色を見せているものの、それはおそらく負傷したためではなく連日連夜の激務による睡眠不足によるものではないかと思える。それを考えると無理に医者を呼ぶ必要は無い様に思われる。

高順に言われるまでも無く、呂布もその程度の判断はついたはずなのだが……。

高順と陳宮が慌てふためく姿を見て、

「これは、『かのものに解呪の紋所を』ディスペル」

俺はディスペルを唱えた。俺の言葉に呼応して手のひらサイズの小さな光の玉が、まるで吸い込まれるように消えていき、同時に身体の中に満たされていた毒々しい力が抜けたのがわかった。……「あぁ、やっぱコレで良かったんだな。」

俺はほっと胸を撫で下ろした。

これでもし魔法で対処できないとしたら大変だった。

呂布は安心したのか、膝をついて大きく息を吐いた。

ま、当然だよな。

こんなん食らい続けたらマジで死ぬだろう。

つかコイツよく生きてたな。

いやまあ、ステータスが一般人より高かったのと、俺の見立てでは耐性スキルが充実してたんだと思うけど。

あと、運が悪ければ死んでたかもだけど。

「りょ、呂布将軍!今のは」

「ああ、気にしない気にしない。ちょっと待ってろ、回復薬をやるから。」

混乱する張遼にそう答えながら、ポーションを取り出した。

それを呂布に投げ渡すと彼はすぐさま栓を開け飲み干す。体力はともかく魔力が減ってるっぽいもんね。

すると徐々にだが傷も塞がりはじめたようだ。

これなら多分、もうすぐ完治すると思う。

「……あの男、何者ですか?それにその槍は」

張遼は目を丸くしたまま呆然とつぶやく。

「あの方は、呂布奉先。呂布将軍とも言われている、漢の武将です。私も詳しくは知らないのですが、とにかく凄い方だそうですよ」

賈駆は苦笑しながら答える。

張遼も噂だけは聞いていたが、まさか彼がその人物だとは思わなかった。

しかもあんなとんでもない威力の攻撃を放ってきた相手に、気前よく回復薬をくれている。

なんというか、いろんな意味で想像を絶する人物であった。

呂布奉先。

天与の大義を持つ稀代の猛将。

神速にして無双。

あらゆる戦場で無類の強さを誇り、天下に轟くその名を知らぬ者は居ないとされる漢の誇る最高最強の武人。…………というのが三国志における一般的な呂布の評価だ。

しかし実際に接してみるとどうだろうか。確かに武人らしい威厳はあるが、武人特有の傲慢さや粗暴さは見られない。そして部下に対しても礼節を重んじている様子が伺える。

その言動からも人格者としての側面を感じさせた。また、自らに敵対する者に対しても一切の容赦をせずに戦いに臨む姿から、

「不倶戴天の敵すら打ち倒す非情さと勇ましさ」

を持った人物であると言われているのだが……。うん、こっちが本性ですねわかります。

だってめっちゃ強そうだし。

つーかさっきも俺の事ぶっ殺そうとしてきたよね?……あれはさすがに危なかったよ? 呂布さんマジヤバいっスわ。

でもアレだけ強い人だし。きっと曹操軍に寝返ったとしても活躍してくれそうだ。よし、勧誘しよう。曹操軍と戦わせようぜ!!!……だが、その前に聞いておかなければならない事がある。

それは呂布自身の意志についてだ。

さすがにこの状態で曹操軍を裏切るとは思えないし。でも呂布は義理堅い人間として評判だから、一度交えた誓いを破る事はないだろう。ならばまず本人の口から曹操軍の情報を引き出したい。

よし、早速話しかけてみよう。

「呂布殿、ひとつよろしいでしょうか?」

そう言って呂布に語りかけると、

「お、おい。いきなりなんだ、気持ち悪い。」

呂布は顔をしかめて言った。

その反応から察するに相当苦手意識を持たれているらしい。……なんか凹むな。

俺は笑顔を取り繕いながら、話を続けた。

「実は私達、これから袁紹様のもとに向かおうと思っているんですが、何か注意すべき点などありましたら教えていただけませんかね?」

呂布は少し考えると、口を開いた。

「お前達は曹操軍を倒すために、ここまで来たんだろう?」

「えぇ、まぁ。そういう事でしょうね」

呂布の言葉を聞いて、張遼が答える。

董卓軍が洛陽を占拠する事になったのは、皇帝である皇甫嵩や董相国を筆頭とする皇族や重臣達が、 反旗を翻す事を決断したためである。それを受けて各地の諸侯も一斉に反旗を翻し、結果大規模な戦争となったのだ。

それを聞いた呂布は、小さく鼻を鳴らして続ける。

「それなら今すぐに、徐州に向かってみてはどうか?」

徐州と言えば劉備の本拠地であったはずだ。だが彼は関羽や張飛と仲違いし、その後曹操によって攻められた際、曹操に降伏したという噂を小耳に挟んだ覚えがある。今はおそらく孫策の元に身を寄せているはずだ。……だが、それと俺達に何の関係があるんだろう? そんな疑問が浮かんだ俺の表情を見て、呂布が答える。

「あの地には、今や英雄と呼ばれている男がいる」

あぁ、そういえばいたな。

徐州の太守を務める劉備三兄弟の三男で、確か名を黄巾の乱の英雄張宝と張梁を討ち取った事で一躍その名を世に知らしめた。

その後は劉焉の元へ身を寄せたが、しばらくして呂布が攻めた時に降って配下に加わったんだっけ。その後も各地を転々とする中、各地で賊を討伐したり、名を上げてきたと聞いたことがある。

俺は納得したように、

「その方の名は、劉備でしたか」

と言った。

すると、呂布は目を見開いて驚いたように言う。

「知っているのか」

俺は首を縦に振って、

「もちろんですよ。天下に鳴り響くほどの豪傑じゃないですか」

と応えた。すると呂布は、

「天下一の軍師たるお前にそう言われると、あいつも喜ぶだろう」

と笑みを浮かべた。……ん?天下の名軍師? 誰が?誰の?? すると賈駆が慌てるように、口を開けた。

「ちょっと待って下さい!天下に鳴り響いているのは、呂布将軍の方ですよ!」

その言葉に、呂布が不思議そうな顔を見せる。

いやまぁ、そうだよね。普通はそっちの方が有名だよね。呂布は、天下に轟く武人の1人として数えられてるわけだし。

賈駆は俺達の視線に気づいてハッとすると、頬を赤らめながら目をそらしてうつむいてしまった。……なんすか、その可愛い仕草は。ちょっと萌えちゃうじゃんかよ。

とりあえず賈駆の事は置いておいて、……というか俺の名前まで出てるんですか。まぁいいけど。俺の事なんてどうせみんな忘れてるし。別に気にしないし。

それよりも気になる事がある。天下一とか言われても、ぶっちゃけ俺の頭の中には劉備の顔がちっとも出てこなかった。これはつまり、それだけ存在感が無いという事になる。

しかし天下に轟くとは一体どういうことだろうか。呂布には及ばないまでもそこそこ有名な武将だとばかり思っていたのだが。……呂布と肩を並べるくらいの武将?そんなの曹操軍に居るだろうか。

そう思った瞬間、俺は思わず呂布を凝視してしまった。

まさかコイツ…………。

呂布はしばらく俺の顔をじっと見つめていたが、突然フッと笑い出した。

「ハハ、なるほどな。やはり噂通りのヤツらしい」

え?なに??俺の噂??どんなの??ねぇ、どんな事言われてんの???……しかし呂布は俺に構わず続ける。

「あの地で英雄と呼ばれる男が2人いる。1人はお前だ、そしてもうひとりは……」

そこまで言って、呂布はチラリと張遼を見た。

張遼はそれを見て、小さく息を吐いてから言った。

「……徐庶殿ですな?」

その言葉を合図に、俺と呂布の間に奇妙な空気が流れた。

なんだこの緊張感……。

張遼は呂布から発せられる威圧感に気圧されながらも、どうにか声を出す。「張遼将軍は劉備殿と親交があったはず」

確かに面識はある。かつて曹操軍と対峙するため徐州へと出向いた際、共に戦った事があるからだ。

その時、劉備は張遼のことを大層気に入り何かと良くしてくれた。張遼が曹操軍に入る際に別れてからは会う機会も無くなっていたが、その事は今でもはっきりと覚えている。……あれから随分経つが、彼は今も無事でいるのだろうか。そんな事を考えていると、呂布はふと何かを思い出したような表情をして呟いた。

「そういえば、以前劉備はお前を迎え入れたいと言っていた事があったが」

それを聞いて、張遼は驚いて聞き返す。

劉備が張遼を、か。……正直、意外な話だった。張遼は自分の器量を買ってくれている人物など、これまでに出会った記憶が無かったからである。

呂布軍の副将として仕えるようになってから、自分よりも遥かに実力のある諸将を目の当たりにし、己の力不足を思い知らされた。そんな自分を評価してくれる劉備に対し、尊敬にも似た感情を抱いていた事も事実である。だが、呂布と共に戦う事が出来た自分は幸せ者なのだとも感じていた。だから劉備の元へ下る事は考えられない。……それに今は劉備ではなく張飛の下に付き、彼に忠義を立てようと決めていたのだ。

そう考えると、今劉備が張飛の下で活躍しているという話はどこか嬉しい気がした。劉備の気質を考えるならば、きっと立派に仕えているに違いない。

そこでふと思い出す。

呂布軍が攻め入った際、孫策軍は徐州へは向かっていなかったはずだ。おそらくだが、劉備は孫策の元へ行ったのではないだろうか。

そう考えた時、張遼は急に劉備が心配になった。

劉備は張飛と仲違いし、その後に曹操によって攻め込まれた際、曹操に降伏したという噂を小耳に挟んだ覚えがある。

今はおそらく孫策の元に身を寄せているはずだ。……しかし、曹操軍が徐州を攻め落とした際、孫策軍によって攻め落とされたと聞いていない事からも、まだ徐州が落ちた訳ではないはずだ。もし劉備が徐州に留まっているとすれば、おそらくは劉備を頼った孫策達も同様と思われる。

劉備や孫策達が曹操と敵対する道を選んだ以上、劉備と張飛が再び協力する可能性もある。劉備の人柄を考えれば、あるいは孫策との仲を修復する事すら可能かもしれない。そうすると呂布と劉備の対決となる可能性は高い。

そうなると、まずい事になるのは火を見るより明らかだ。呂布と曹操の戦いなら良い。呂布が敗れるわけがない。しかしもしも劉備が破れた場合には………………。

「どうかしたか」

張遼の動揺に気づいたのか、呂布が問いかける。張遼は首を横に振って、なんでもないと答えるが、内心ではどうしたものかという思いでいた。……すると、そこに賈駆が口を挟む。

「その方がどうであれ、今は目の前の問題を解決するのが先じゃないですか?劉備殿のことはとりあえず後回しにして、まず呂布将軍に考え直してもらう事を考えた方が良いと思います」

賈駆の言葉に、張遼はハッとする。そうだな。賈駆の言う通りだ。劉備については、いずれまた改めて考えればいいだろう。

しかし呂布は納得しなかった。

呂布は顎に手を当てて、

「しかしな、董卓殿のご子息をこのまま捨て置く事は出来んだろう」

その言葉に賈駆は首を傾げる。賈駆の疑問を察してか、呂布の代わりに張遼がその言葉の真意を語った。

「呂布将軍はこの方に、漢の皇族としての地位をお返ししたいとおっしゃっているのです」

それを聞いた瞬間、俺は眉をひそめた。

なに言ってんのコイツ???? 俺は皇帝の位なんかに興味無いんだけど????? そんなの貰っても迷惑以外の何物でもないんですけど?? しかし呂布はその事に気づかず、俺に視線を向けながら話を続けた。

「お前がこの国に仇なすつもりが無いというのであれば、俺達の手助けをするのもいいのではないか?少なくとも、曹操の元に行くくらいなら、俺に仕えた方がいいと思うぞ」

俺はそれを鼻で笑ってしまった。なんでこんなに上から目線なんだよコイツ。しかも勝手に俺に選択を委ねてるけど、それ選択肢ないじゃん。断れない状況に追い込んでおいて、どっちがいい?とか、どんだけ自己中なんだよ。

「なにを笑っておる。お前はただ自分の行く末を決めるだけで良いのだ。難しい事では無いであろう?」

いや、むしろお前の存在自体が難問だよ! つかお前は俺が欲しいの?それと欲しくないのかどっちなのよ!!俺の気持ちを無視するなよ、この無神経野郎がっ!!! そう叫びたかったが、呂布が放つ威圧感が半端なく怖い。なので言えなかった。結局その後しばらく問答が続いたが、呂布は折れなかった。

劉備と呂布の対立は避けたいが、呂布が引く気配を見せないので張遼も困り果ててしまう。賈駆は何とか出来ないものかと考えるが、何も思いつかない。そこで俺は言った。

「この者を部下にし、仕えさせるというのはどうだろうか?」

俺は俺のできることをやればいい。俺呂布奉先はそう思った。

つまり、呂布軍に加わる事はしないが、そのかわりにこいつらの軍師になってやると言うことさ。

それを聞いて賈駆は驚いていたが、呂布は表情を変えずに淡々と尋ねる。

「……何故そう思う?」

それはきっと、

「お前は戦わずして負けを認めると言うのか」

と言っているようなものだと思う。まぁ、そういう事だ。だからあえて答えた。

「お前の武勇は天下無双のものだ。もし私がここでお前と一騎打ちで勝負したとしても、万が一にも勝機はあるまい。ならば、無駄死にするような事を避けるべきではないか」

これは正直に思っていることを伝えたつもりだった。だが、正直すぎるせいで余計に信用されないのかも知れないと思ったのは後の事だった。

しかしその時の呂布には、それが真実であると思えたらしい。そして呂布は少し考えるような仕草をして、やがて口を開いた。

「良かろう。そこまで言うのならば、我が配下となってみるがいい。ただし、一度でも逆らえばその時は覚悟せよ」

えぇー、なにその無理ゲー……。

正直もう帰りたくなってきた……。

そんな風に思っていたが、ここで呂布の言うことを聞かないと面倒な事になる気がしたので了承する事にした。

こうして呂布軍に新しい軍師が加わった。

劉備玄徳、字は仲世。劉備が荊州の劉表の元へ身を寄せていた頃、彼の下に一人の若者が訪れた。その若者は名を王双と言い、若くして名のある将であった。

ある日、王双は徐州の陶謙を訪ねてきたのだが、ちょうどその時に徐州では争い事が起きていて、王双はその対応に追われているところでもあった。その為、その相談を持ちかけられた劉備は、その問題を解決すべく手を貸したのである。

劉備達はすぐに行動を開始した。

曹操軍は袁術討伐に動いており、今のうちに防備を固めておくべきだと主張したのは、劉備の弟の劉備玄児である。

しかしそれに対し、劉備の父であり、漢の皇族の血を引く高順は反対した。彼は、まずは民の安寧を優先して、まずは治安を回復させるべきだと主張。

劉備もまた、父の言い分に賛同した。しかし、張飛は猛反対する。

確かに張飛の考えは正しい。しかし、今の状況下で軍備を増強していなければ、曹操軍の攻勢を防ぐことは出来ないと張飛が主張すると、劉備達親子は意見を変えて、防衛力を高める為に兵を集めようとした。

しかし、劉備達が兵の募集を始める前に、劉備の弟劉備玄児が殺害された。

その知らせを受けた劉備は激怒。劉備は、父高順に頼んで張飛の首を取ろうとしたが、逆に返り討ちにあった。

しかし、その事件をきっかけに劉備達の結束は固くなり、その団結こそが後の呂布との決戦の切り札になるのであった。

その頃、曹操は張済の裏切りを受け、さらに韓浩の死を知った。張済は呂布の下に寝返ったようで、これで曹操軍と呂布軍の戦いはほぼ互角と言っても良い状態にまでなったと言える。

曹操はすぐさま、呂布への使者を派遣。呂布が出陣する前に、兵を休ませろという勧告を出すと共に、その隙を突いての急襲をかける為、兵力の集結を急いだ。しかし、それに応じる気配が無かったのは呂布の方であった。

呂布の留守を狙っての出兵であったが、呂布はそれを予想していたのか守備を怠らなかった。さらには、それに対する対抗策を打っていた。

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