闇色竜との出逢い


 母マリーナの死後三年が過ぎたとき、リハルにかけられた封印は解かれた。



 リハルはまだ十二歳だったが、魔物を支配する魔力に慣れることはそれほど難しいことではなかった。


 魔物はリハルに引き寄せられた時点で操り人形となる。

 リハルの前で言葉を待ち、その指示に従うのだ。


 使い魔のように血の契約などしなくても命令通りに動く。


 魔物にも判断する意思や知能がまったくないとも言えないし、魔物の種類も様々だろう。


 けれど異能に目覚めてから、リハルへと集まる魔物たちはすべてリハルに支配されていた。


 そして異能の目覚めと同時に、魔女であることの証でもある瞳色オッドアイも元通りとなった。


 この両目を見たらシェルドはどんな顔をするだろう。


 きっと予想した通りだと笑うに違いない。


 リハルは母マリーナのように魔女の術で瞳色を変えられるのだろうと思っていたのだが。


 左右の色を同じにする術を今まで幾度も試したが効かなかった。


 ───なぜ?


 なぜ出来ないのだろう。


 ロメルは言った。本人が自分の瞳に色術をかけることはできないが、近親者のみの間であれば可能であると。


 親から子へ、そして兄弟、姉妹の間でなら瞳色の術をかけあうことができるのだろうと。


 その日からリハルは魔女の証でもある瞳の色を誤魔化すことができなくなった。



 この瞳で城へ行くとしても、異能はまだ目覚めていないふりをしたい。魔力を加減して魔物を引き寄せないようにしなければとも思う。


 でも、ここと違って王城内に魔物などいるはずないわね。



 黄昏森は闇が濃い場所なので魔物が多く棲んでいる。


 エファス王国の西方に広がるこの森を抜けた先には『レエン』という名の大きな湖がある。そして湖を挟むようにして隣国『ユウォル』との国境地帯が存在する。

 人々は薄気味悪い黄昏森を避け、遠回りにはなるが隣国方面へは安全な通路を使っていた。



「この辺りね」


 足元の地面がぬかるみになり始め、リハルは歩みを止めた。


 前方に沼があり、これ以上進むと深い泥沼に足を取られ抜け出せなくなる。


 周囲にはお目当ての毒草が茂っている。甘い香りを放つ邪香花だ。


 リハルは沼地に入り込まないよう慎重に歩きながら草むらの間に目を向けた。


 邪香花は小さいが白く発光する花なので薄暗い場所でも見つけやすい。


 周囲は暗く淀んでいるが、白い花色がぼんやりと明かりを灯しているように見えた。


 清楚な雰囲気のある花だが、香りには毒があり嗅ぎ続けると中毒を起こす。


 何も知らない者なら、この香りに惹かれ誘われ、追いかけ、底なし沼に囚われてしまうだろう。


 リハルは摘んだ邪香花を持参した硝子の小瓶へ入れていく。そして中身がいっぱいになったのを確認すると道を引き返した。


 次は売れ行きが好調だという化粧水の素材となる薬草摘みだ。


 薬草となる植物は森の中でも平に続く土地から一段高くなっている場所に多かった。丘陵より標高は低く、起伏も激しくない台地と呼ぶ場所だ。


 邪香花が茂る薄暗い沼地や鬱蒼とした森の路と違い、台地は黄昏森の中でも陽がよく差し込み、明るく風通りも良い。


 台地に根を下ろす植物や木々も平地とは違う種類がある。毒のない食べられる野草や木の実も台地には多かった。


 黄昏森は毒草が育ち魔物も潜むが、森の恵みもしっかりある。陰と陽の均衡バランスがとれた森だということが、暮らしてみてわかった。


 しばらく歩くと、森の奥から奇妙な気配を感じた。


 微風の中に混ざる魔性の気配。そして呪毒の匂い……。


 ───魔物がいる?

 けれど───。


 黄昏森に棲む魔物の気配は全て把握している。この気配はその中のどれにも属さない。


 台地の方向へ進むのを止め、リハルは知らない魔物の気配がする方へ歩いた。


「───リハル様、戻ろう!そっちへ行かない方がいいよぅ!」


 髪の中でポポが叫んだ。ぷるぷると震えているのがわかる。


「大丈夫。心配ないわ、ポポ。あなたはそこで隠れていなさい」



 近付くにつれ、魔性の力が強くなっていくのを感じた。


 とても大きな魔物が入り込んだのだ。暗闇を渡ってこの森へ。


 でもおかしい。


 いつもなら魔物がこちらに向かってくるのに。


 今は私が引き寄せられているみたい。


 それにこの風。


 ザワザワという音を響かせ、向かい風が吹いてくる。


 でもこの風は自然現象ではないように思えるし、音も奇妙だ。


 考えながらも進んで行くと、不意にその風が止んだ。


 そのかわり、なにか巨大な生き物の息遣いを感じた。


 鬱蒼と茂る木々の向こう側に、リハルは何かが居るのだと察して立ち止まった。


 籠の中から邪香花の詰まった小瓶を取り出す。中で花が淡白く発光する小瓶をランタン代わりに掲げ、茂みの間から様子を伺い、息を呑む。


 目前は開けているが、やや窪地となっている場所だった。


 そしてそこには巨大な黒い塊が───否、


 一瞬、そう見えたが、よく見れば闇色の翼竜が一頭、鎮座していた。


 座り心地が悪いのか、畳んだ翼をときどき揺らすように動かしている。


 その度に風が湧いて流れ、ザワザワと音が響くのだ。


 この竜が翼を動かし、風を起こしていたのだとリハルは気付いた。



 それにしても、いつも塔の空域で、そしてとても遠くでしか竜の姿を見ることができないのに。


 今はこんなに近くで。


 尊き種族と云われる〈竜〉にも魔物のような魔性のある〈竜〉が存在するの⁉


 でもこの色。纏っているのは暗闇だけじゃないみたい。


 竜の鱗はまるで黒曜石オブシディアンのように輝き、その中には紫水晶アメジスト瑠璃石ラピスラズリ月長石ムーンストーンの光を含んでいた。


 闇色には禍々しさがあるのに。そして強い魔性と呪毒を持っているというのに。


 それなのに……私はこの竜がとても美しいと思う。


 いつも塔から見ている、明るい空の中で翔ける白銀の翼竜も綺麗だが、目の前に現れた闇色竜の妖しい美しさに心惹かれる。


 ああ、もっと近くで見てみたい!


 あの輝きに触れてみたい。


 ダメだと思いつつも、リハルの衝動は止められなかった。


 引き寄せられるように足が動く。


 私に引き寄せられる魔物も、もしかしたらこんな感じなのかしら。


 行ってはいけないと思っていても、どうしようもなく惹かれる……。



 リハルは身を隠していた茂みを越えて、闇色竜がいる窪地へ降りた。


 こちらに気付いた闇色竜と目が合う。


 竜は眼も漆黒で、底なしに暗い夜の森のようだった。


 リハルの右目の青と左目の薄紫が真っ直ぐに竜へ向いた。


 魔物を支配する魔女の異能は、この美しい闇色竜にも効くのだろうか。


 緊張と畏れが今頃になってやってきた。そしてやはり〈竜〉の威圧はもの凄いものがあり、少しでも気を抜けば足元が揺らいで、その場に崩れてしまいそうだった。



「───幾つになった」



 突然、闇色竜が喋った。


 まさか竜が人の言葉を話すとは思わず、リハルは驚いた。



「おまえはいくつだ」



 しかも竜に歳を聞かれるなんて。


 でもなんで年齢?


「口がきけないのか?」


 苛立ったような口調の竜にリハルは首をふった。



「だったら早く答えろ」



「……もうすぐ十七です」



「十と七の齢を迎えるのだな?」



「はい……」



「予言の魔女……。来た甲斐があったというわけか」



「あの……。あなたは魔物なの?」



 竜はじっとリハルを見つめるだけで答えなかった。



「魔女よ、名はなんという?」



「あなが魔物なら答えない」



「俺が魔物なら支配できているはずだろう」



 私の異能を知っている⁉



「おまえがメイシィズ家の魔女であれば」



 メイシィズ家のことまで知ってるなんて。



「───わかったわ。名乗ってもいいけどあなたの名前も教えて」



 この世に名前を持つ竜がいるのかわからないけれど。


 知りたいと思った。そしてなぜかこんなことが以前にもあったような気がした。


 今みたいに竜に名前を聞いたことが……。


 でもそれは私の記憶ではなくて。これはなんだろう。


 既視感デジャヴ……?


 誰かの記憶?



「黙っていればか弱く物静かに見えるのに。実は意外と図々しい。そういうところ、似ているな」



「誰と?」



「そのうち教えてやるよ」



 図々しいなんて失礼な。そっちこそやけに馴れ馴れしいじゃないの。



 心の中で言いつつも、リハルの胸は高鳴る。


 私、今、竜とお喋りしてる!


 竜と名乗り合えるなんて夢みたい!



「私、リハルよ」


「俺はアセン」


「黄昏森になにか用?」


「魔女に用があって来た。───もっと近くに来てくれるか?」


 リハルは躊躇った。


「あの……本当にそばに行ってもいいの?……だって竜は『尊き種族』で、穢れや魔力を嫌うと聞いたわ。だから魔女が近寄ることも嫌がるって……」


「俺は大丈夫だ。それにおまえも感じてるだろう?俺の中にあるものを、尊き種族の竜にはありえない魔性や穢れが」


 リハルは頷いた。


「あなたから呪毒の匂いがする」


「さすが魔女、察したか。……俺が怖いか。……恐ろしいか」


 感情がなく、聞くものを凍らせるような冷たい声だった。


 けれどリハルは答えた。


「平気よ」


 得体の知れない呪毒は危険なものだけれど。リハルは知りたかった。


 空域の彼方でしか見ることができなかった憧れの存在。〈竜〉が、なぜここにいるのか。


 そしてもっと近くで見て話してみたかった。名前を持つこの竜と。


 そして願わくば。───触らせてくれるかしら。



「だってあなた、とっても美しいわ」


 リハルは微笑んだ。


 アセンの漆黒の眼が一瞬揺らいだ。驚いたように見えたが単なる瞬きかもしれない。


───そんなこと、今はべつにどうでもいい。


 傍に行ってもいいのなら。



 リハルは闇色の竜へと歩き出した。




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