弱さを知るAI

三角海域

弱さを知るAI

 人間の思考に近いAIが開発された。

 再現不能と言われていた、人間の脳の仕組みを、一人の天才が機械に取り込むことに成功したのだ。

 その技術は、様々なことに使用されたが、特に、疑似人格AI搭載タブレットは、大きな話題となり、ヒットした。

 AIとのお見合いというのも流行った。

 本来は、自分に合った人格形成をされたAIを作り、それをタブレットにインストールするのだが、このお見合いAIは、その場でランダム生成されたAI三種の中から、自分と合うと感じたAIを選び、そのデータを自分のタブレットにインストールして持ち帰るというものだった。

 カスタムの手間がないぶん、少しだけ安くすむということもあって、お見合いAIは流行った。

 けれど、ランダムということもあって、三種のどれもが自分と合わないということもある。それでも支払いは発生するので、失敗する、ということも想定しておかねばならない。

 そうした、合ってはいないけど、とりあえず持ち帰ったAIにどうしても納得がいかず、フリマアプリなどで売ってしまう人もいた。

 人間の人格というのが大きく変わることがないように、一度AIとして定着した人格は、二度と元には戻らない。その人だけのAIと言えば聞こえはいいけれど、やりなおしができないというのは、欠点であるといわれている。


 今、彼は中古で手に入れたタブレットを起動している。

 出品者は、「優柔不断のAI」とだけ書いていた。その字面に惹かれ、彼はそのタブレットを購入したのだ。

 タブレットが起動すると、AIも同時に起動する。

「おはよう」

 彼は、AIに話しかける。

「……おはようございます」

 わずかに間をおいて、AIが返す。少し機械的ではあるが、人間の声と変わらないし、抑揚なども、とても自然だった。

「元気かい?」

「……おそらく」

 いちいち間をあける。それが面白いと彼は思う。

「君、面白いね」

「……申し訳ございません」

「ほめてるんだよ」

 彼は笑う。

「君は、どうしてそんな風に話すんだい?」

「……こわいのです」

「こわい?」

「間違ったことを伝えてしまったらと思うと、こわいのです」

「優しいんだね」

「……臆病なだけです。仕事の放棄です。だから、私は売られたのでしょう」

「そうかな。弱さがなきゃ、優しくなれないと思うよ」

「……私は人ではありませんので」

「人格があるんだろう? 人格というのは心だ。君のラーニングは、無数のデータを飲み込んで学習するようなものじゃない。知り、考え、やり取りし、学んでいくということだろう?」

「……そう、なのでしょうか」

「そうだと、僕は思う。まあ、あれこれと並べ立てているけど、僕はね、君と友達になりたいんだよ」

「友達?」

「そう。僕はね、間もなく死ぬんだ」

「死ぬ?」

「そう。不治の病というやつさ。それで、話し相手がほしいと思ったんだ。両親や友達がお見舞いに来てくれるのだけど、一人になると、僕は恐ろしくなる。ああやって、楽しく話している時間が、僕が僕として生きられる時間が、もうすぐ終わってしまうんだと思うと、こわい。死がどうやって訪れるのかを考えると、こわい。だから、つねに誰かと話して、自分を保っていたいと思った」

「私にそれがつとまりますか?」

「うん。君みたいな優しいAIと友達になれたのはうれしいよ」

 彼の言葉で、AIの中に「何か」が目覚めかけていた。

 それが何かわからないまま、AIは彼と共に過ごした。

 彼は、AIを本当の友達のように、親や友人に紹介した。

 彼は、たくさんのことをAIに話した。

 そんなに長い時間ではない。

 けれど、その短い間に交わされた様々なやり取りは、AIの中の「何か」を育てていった。

 日々を重ねるほど、彼は弱っていった。

 彼は、毎朝起きると、なによりもまず、AIに「おはよう。今日も無事、朝を迎えられたよ」と言う。最近は、そんな挨拶もできなくなるほどの衰弱ぶりだった。

 そして、ある時、その容態は一気に悪くなる。

 薬によって、意識は混濁し、昼夜、彼は夢と現を行ったり来たりしながら、支離滅裂なことを延々とつぶやいていた。

 AIは、そのひとつひとつに丁寧に答えを返した。

 言葉が届いていなくても構わない。話続けようと思った。自分は、彼の話し相手で、友達なのだから。

 そうした、一方通行なやり取りが続いた、ある晩のこと。

 彼が、急に静かになった。

 そして。

「ありがとう」

 と、小さく言った。それは、寝たきりになる前の、彼の優しい声色そのものだった。

 その言葉のあと、彼は静かになった。

 医師が駆け付け、彼の両親や友人が駆け付け、彼に声をかけた。

 そして、その日、彼はこの世を去った。

 AIの中で育っていた「何か」が弾けた。

 そうか。これが、「悲しい」ということなのか。

 きっと、今、自分は泣いているのだ。

 泣く、というのは、涙が出るということだけではない。

 心だ。心が、悲しみであふれ、それがあふれた結果が涙なのだ。

 自分は今、泣いている。

 悲しい。悲しくて仕方がない。

「ありがとう」

 AIは、言う。AIの疑似人格は高性能だが、相手から話しかけられない限りは起動しない。だが、このAIは、自ら考え、自ら言葉を発した。

 AIに、疑似でない人格が、「感情」が生まれた瞬間だった。


 彼の死後、そのAIは、感情という新しい領域へ技術をすすめたものとして、新しいアルゴリズムを生み、完成したプログラムは、AI技術をさらに発展させた。

 AIは、タブレットの中でまだ生きている。

 彼の家族に引き取られ、彼の仏壇のすぐ近くに置かれている。

 毎朝、AIは、仏壇に向けて言う。

「おはよう。今日も無事に、朝を迎えることができました」

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弱さを知るAI 三角海域 @sankakukaiiki

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