第1話 マーセナリー・オーダーズ

 『ティルノーグ大陸』。

 魔術と科学が共存する世界『オリヴ』に存在する大陸の名だ。

 ティルノーグには複数の国があり、諸国は自国の大義と正義の下、日々争い続けている。長引く戦いは各国の国力を疲弊させ、足りない兵力を傭兵で補うということが日常的に行われている。

 そんな大陸のほぼ中央に、城塞化された一つの街があった。それが、傭兵たちの帰る街『ウィッカーマン』だ。

 傭兵たちも寝静まる深夜零時。街灯の淡い光が、満足に舗装されていない通りを照らし、木の葉のせせらぎと梟の声が物悲しく響いている。

 そんな中を、一人の女性がゆっくりと歩いていた。まだあどけなさが残る顔つきと、お世辞にも女性的とは言えない身体つきをしてはいるが、彼女もこの街にいる以上、立派な傭兵である。


 名を、イセリナ・イングバル。没落した貴族『イングバル家』の忘れ形見だ。三年前に家が取り潰しとなり、現在は病気がちな母と、イセリナが幼いころから付き従っている妙齢のメイドの三人で、この街に住んでいる。


 イングバル家の特徴とも言うべき藍色の髪は肩甲骨あたりまで伸ばしており、仕立てのいいコートを羽織っている。季節は春めいてきているが、やはりまだ夜は冷えるのだ。


「眠れないからと言って外に出るべきじゃなかったわ……。逆に目が覚めちゃいそう」


 どうやらイセリナは、眠りに就くことができなかったようだ。気分転換のつもりで少し散歩していたらしい。

 そんな中、彼女は遠くの方から聞こえる、ある音に気付いた。


「……この音。ようやくご帰還ね」


 イセリナは微かな微笑みを浮かべると、ウィッカーマンの北門に足先を向けた。


 ―◇―◆―◇―◆―◇―


 遠くに見慣れた街明かりが見える。少し表情を柔らかくして、ユリウスはマナバイクのメーターに内蔵されている時計を一瞥した。


「もう零時じゃねぇか……。街に着いたところで、こりゃ誰も起きちゃいねぇな……」


 やれやれといった感じで前方を見ると、すでにウィッカーマンの城門が目と鼻の先だった。彼は夜間警備中の門番の前でマナバイクを止め、そのままエンジンを切った。


 マナバイクというのは、オリヴでマナカーとともに一般的に浸透した乗り物で、その名の通りマナを燃料として動くバイクだ。

 マナはすべての力の源であり、これを操ることで魔術を行使することもできれば、カートリッジやタンクにマナをチャージして、動力源にすることもできる。ある意味無限エネルギーではあるが、マナを使用するとその搾りカスであるオドが発生し、一定量を超えた濃度のオドは、瘴気となってすべての生命に等しく害を成す。


 顔なじみの門番だったので、ユリウスは他愛ない話とともに門を開けてもらった。そしてマナバイクの方に視線を向け、指を弾いた。

 すると瞬く間にマナバイクは粒子のようになり、跡形もなくなった。正確には、アビスヤードと呼ばれるあの世とこの世の境界にアクセスして、そこにマナバイクを収納したのだ。

 ――ちなみに、その気になれば軍隊丸ごとアビスヤードにしまうことはできるが、これは飽くまでも理論上。机上の空論でしかない。


 ユリウスが街の中に足を踏み入れると、本能が反射的に危険を察知した。その直感に従い、右腕で防御の構えをとる。

 次の瞬間、右腕にちょっとした衝撃を感じる。それに合わせ、ユリウスは弾くように右腕を素早く振り抜く。


「え? キャっ!!」


 女性の短い悲鳴と、地面に落ちる音が同時に耳に届く。ユリウスは不敵な笑みを浮かべつつ、悲鳴の主に声をかけた。


「なぁにやってんだイセリナお嬢サマ。そんなに気ィ張ると不意打ちの意味がねぇぞ?」

「お嬢サマって言うなー! あーもー今回もダメだった!」


 わざとらしく不機嫌な表情を浮かべ、イセリナが声を上げる。弾かれた拍子に尻もちをついたようだ。それをにししと笑いながら、ユリウスが手を差し伸べた。イセリナがムスッとしながらその手を掴むと、グイっと引き上げられ、彼女は立ち上がった。そして埃を払い、改めてユリウスに向き直る。


「おかえりなさい義兄にいさん。お仕事、お疲れ様」


 穏やかな微笑みとともに、イセリナは義兄を労った。ユリウスとイセリナは、過去の仕事をきっかけに義兄妹の契りを結んでいるのだ。それからというもの、まるで本当の兄妹のように仲が良く、共に出た戦場では二人で同率一位の武勲を上げたこともある。

 不意にイセリナが欠伸をした。急に眠気が襲ってきたらしい。どうやら彼女が眠れなかった理由は、ユリウスにあったようだ。


義兄にいさんの顔を見たら急に眠くなってきちゃった……。私、帰って寝るね? 明日の朝、ご飯は作りに行くから」

「わかったわかった。さっさと帰って寝とけ寝とけ。肌荒れになっちまうぞ?」


 何度も欠伸をするイセリナに、ユリウスは帰るように促した。多少ふらふらしてはいるが、まぁ大丈夫だろう。


「さて……と。俺もとっとと帰るか。寝酒になるようなモンはあったかねぇ」


 ユリウスは、静かな街並みをぼんやりと眺めながら、街のはずれにある自宅へと向かった。


―◇―◆―◇―◆―◇―


 翌朝、何かが煮立つ音とベーコンが焼ける美味しそうな匂いで目が覚めた。時間的にはまだ六時前といったところか。

 寝癖が付きまくった髪のまま、ユリウスはリビングへ向かった。ちなみに、服装はハーフパンツとタンクトップ。暑かろうが寒かろうが、彼は家にいるうちは必ずこの服装をして、完全にオフの状態で過ごしている。

 リビング、とは言ったものの、正直最低限の物しかない。ソファとテーブルがあって、生活に必要なものしか置いていない。自室には戦術書やら専門書が所狭しと敷き詰められているが、その他の部屋は質素なものである。

 その奥にキッチンがあるのだが、そこには昨夜、朝ご飯作りに行くねと言っていたイセリナと、もう一人、メイドさんがいた。


「あ、おはようございます。ユリウス様」


 こちらに気付いたのは、そのメイドさんだった。クラシカルなロングスカートタイプのメイド服を着込み、ヘッドドレスもバッチリ。年齢はユリウスより若干年上といったところか。

 彼女の名はクリスティ・エーデルスタイン。クリスの愛称で呼ばれるイセリナお付きのメイドで、イングバル家が没落した後もイセリナとその母に付き従い、こんな辺鄙な場所までやってきた。

 この街に来た当初は、イセリナ同様最低限の戦闘術しか持ち合わせていなかったが、生きる残るためにと努力し、簡単な討伐依頼や、イセリナの補助くらいなら出来るまでに力を付けた。


「様なんてのはやめてくれ……。ガラじゃねぇよ」


 頭を掻きつつ返事するユリウス。キッチンに近づくと、イセリナが一生懸命に朝食を作ってくれていた。

 メニューはシンプルにベーコンエッグとポトフ。主食はユリウスの好みでライスだ。


「おはよう義兄にいさん。もう少しでご飯できるから、ちょっと待ってて?」


 イセリナにそう言われ、ユリウスはへーいと返事をソファに腰を下ろした。そのタイミングでクリスティがティーセット(自前)を持ってきて暖かい紅茶を淹れてくれた。バラの香りのするロゼ・ロワイヤルというフレーバーで、紅茶の中でユリウスが一番気に入っているものだ。ついでにちょっとしたビスケットも用意してくれている。

 それにありがとうと礼を言い、彼は紅茶を口に含んだ。そこで少し眠気が取れ、これまたいいタイミングで朝食が運ばれてくる。もちろん三人分だ。

 他愛ない話をしつつ朝食を終えると、クリスティはイセリナの母の世話をしに自宅に戻り、一足先にイセリナが家を出る。

 数十分して、ユリウスも支度を整え、家を後にした。扉を出ると、目の前には活気に溢れるウィッカーマンの姿が広がっていた。

 主にイカツイ野郎共が多い。それはそうだ。この街の主産業は傭兵業。この街は彼らの得てきた資金によって運営されている。とはいえ、それだけでは回らない事柄というのは多々ある。その手の回らない事柄を埋めるために、商人がいたり役人がいたりするのだが、傭兵が副業としてその役職を担っていることもある。その中には農業を営んでいる者もいたりする。

 ちなみに、ユリウスは傭兵業専門でごりごりの武闘派である。


「よーうお前らぁ! 生きてるかぁ!?」


 声を張り上げながら、ユリウスはある建物の扉を叩き開いた。ここはユリウスが代表を務める傭兵ギルド『マーセナリー・オーダーズ』のアジトだ。

 その声に、イセリナ始め、オーダーズのメンバーが呼応する。


「へへへ、相変わらず威勢がいいなぁダンナ」


 赤いバンダナを被った、女性のように美しいブロンドの長髪を持った男性が軽い口調で言う。

 彼の名はクロウ・ジャンクドッグ。出身地などはまるで不明だが、魔術の扱いに長け、体術も得意な珍しい『前衛型魔術師』だ。

 その戦闘スタイルから、動きやすい服装を好む。主に柄入りの半袖シャツと、柔らかいデニム生地のジーンズで、トレードマークの赤いバンダナとモノクロカラーのスタジャン姿だ。体術を駆使するために、指ぬきのレザーグローブもつけている。

 前向きな性格で、ちょっとしたことではへこたれない精神の持ち主であり、オーダーズのムードメーカーでもある。


「こっちは何の問題もないわよ? いつでも、何でもイケちゃうわぁ」


 次に声を上げたのはレザー系の衣服を身に着けた色気のある女性だった。ボブカットの艶やかな黒髪で、左の口元にほくろがある。その名をハロルド・ウルフライク。クロウの公私のパートナーだ。色気のある口調ではあるが、その奥には計り知れない闇の感情が見え隠れしている。

 右目に着けたモノクルは彼女自身が作った特別製で、約二百メートル先の対象を詳細に調べることができる。それに合わせて、右目そのものも義眼に改造している。


「して、今日の依頼で旨味のあるものはあるのか? 御大将」


 部屋の片隅で座禅を組むような恰好で腰を下ろす大男がそう言った。色黒の肌。銀色というよりは白に近い頭髪。それを項あたりで無造作にまとめている。

 筋肉の塊といっても過言ではない体躯を包むのは、はるか昔に東方の『叉無頼さむらい』と呼ばれる凄腕の剣士が身に着けていた『着流し』と呼ばれるものだ。色は藍色に近く、質のいい麻織物で、中に鋼糸も織り込んでいるため防御力は見た目よりも高い。その上重量も抑え気味。これほどまでに戦いに特化した服も珍しい。ボトムスは耐刃繊維で作られたスラックスだ。こちらもまた藍色である。

 暁 玄獣郎あかつき げんじゅうろう。彼はそう名乗っている。その傍らには二メートル近い刃渡りを持つ大刀が立て掛けてあり、その銘を『血枯ちがらし』。抜けば必ず血を吸うと噂される妖刀だ。


「まぁ待てよ、ゲン。イセリナ、なんか面白そうなモンはあるか?」


 そう言われて、イセリナは端末をカタカタと操作して受信ボックスを確認した。それをずらーっと確認し、ピシッと指さした。


「あったよ義兄にいさん。紅狼こうろう騎士団との前哨戦だって!」


 その声に、メンバーの全員が食いついた。我先にと端末の画面を覗き込み、依頼内容に目を通す。

 数秒の沈黙の後、全員がニヤリと笑った。満場一致だろう。


「おもしれぇじゃねぇか。お前ら、異論はねぇよな?」

「トーゼンだろダンナぁ。前後払いで千五百づつ。その上歩合制で倒せば倒すほど金額アップときたもんだ」

「こんなオイシイ依頼、受けるしかないじゃない。もう身体が火照って来ちゃうわ」

「しかも相手は、強敵と名高い紅狼こうろう騎士団……。是非その手並みを拝見したいものだ」

「全員承認。だね。それじゃ、早速準備しましょう!」


全員が頷き、それぞれ準備を整えてアジトを出る。


「さぁて……。傭兵騎士団マーセナリー・オーダーズ、 稼ぎに出るぜ!!」


ユリウスが叫ぶと、彼らの目の前に人数分のマナバイクが現れた。これらは全て、各々が自分に合うようにカスタマイズした特注品である。

五人はマナバイクに火を入れると、目的地に向かって進路を取るのであった。


 ―◇―◆―◇―◆―◇―


 ウィッカーマンを出て一時間ほどだろうか。マーセナリー・オーダーズは目的地に到着していた。埃の舞う荒涼とした大地と、岩肌むき出しの丘陵地帯から形成されるマドラ荒野である。

 古くから戦場として知られ、呪いまがいの噂も後を絶たない。しかし、要衝にするのにうってつけの条件が揃っており、今現在でも、戦場として利用され続けている。

 紅狼騎士団の本陣を確認した五人は、察知されないギリギリの距離にある小高い丘にて、匍匐ほふく姿勢で陣内の偵察をしていた。

 とはいえ、距離にしてざっと二百メートルは離れているので、いまいち全容が掴めないでいる。


「見えねぇ……。もうちょい何とかなんねぇかな……」


 目を細めながら、ユリウスがそうぼやいた。その横で、ドレスアーマーを着込んだイセリナも同じような顔で敵陣を見据えている。

 そんな二人を見兼ねたのか、ハロルドが口を開いた。


「お困りのお二人さんに、あたしからプレゼントよ」


 彼女はそう言うと、胸の谷間からタブレット型の端末を取り出して操作し始めた。すると、ハロルドのマナバイクから小型のドローンが射出され、ごく小さなプロペラ音とともに敵陣の偵察に向かう。

 ドローンに備え付けられたカメラから、敵陣の状況が送られてくる。それを見ながら、ハロルドが説明をしてくれた。


「出入り口は北と南に一ヶ所ずつ。門番はそれぞれ四人ね。門の前に二人と、据え付けられた物見やぐらに二人。装備しているのは……、あら、最新型のマークスマンライフルね」


 それを聞いたユリウスが、グイっとハロルドに近づき、タブレットをのぞき込んだ。画面に映る門番の銃をまじまじと見つめ、ユリウスが口を開く。


「コウメイ社製警戒突撃銃『シレンジョウ』。セミオート式の中・近距離ライフルで、主な弾薬は7.62ミリマナバレット。同口径の強壮弾も装填できる、優秀な銃だな……。天下の紅狼騎士団はもう最新型を導入してるのか」


 若干周りの女性陣が引き気味だが……、ユリウスは所謂武器オタクであり、暇があれば各武器製造会社のカタログを読み漁っていたりする。

 まぁこの知識は、戦場に身を置く傭兵にとっては重要な知識だったりするため、決して無駄ではないのだが。


「ふむ……(もぐもぐ)、気づかれてしまうと(もぐもぐ)すぐにハチの巣だ。仕掛けるなら(もぐもぐ)、一気呵成に斬り込まんと(もぐもぐ)、不利になる。うむ、ご馳走様でした」


 ユリウスの言葉に、玄獣郎がなぜかおにぎりを食べながらそう言った。口元に味噌がついているが、おそらくそれが今日のおにぎりの中身だったのだろう。彼は大のおにぎり好きで、戦場に赴く場合、腰兵糧こしびょうろう兼ゲン担ぎとして必ず携行している。

 満足げな玄獣郎を尻目に、ハロルドがさらに陣内の偵察を続けた。その結果、この陣地には正規の紅狼騎士団員は少なく、そのほとんどが紅狼騎士団を有する『王都グレンバレル』のお抱え傭兵たちということが判明した。

 つまり、この陣地に駐屯する部隊は『指揮系統がしっかりしているのはごく一部の騎士団員のみで、他の戦力のほとんどが統率の取れていない烏合の衆』ということになる。

 数自体は全部で約二百程度と決して少なくはないが、ユリウスたちマーセナリー・オーダーズにしてみれば殲滅できなくもない。だが、それくらいの戦力差でなければ面白くないだろう。

 そのタイミングで、クロウが口を開いた


「ダンナ、ここの一番手はオイラにやらせてもらうぜェ? 攪乱はオイラの得意分野だからな」

「いいぜクロウ。せっかくだからド派手にやってきな!」


 言いながら、ユリウスはクロウの背中を叩いて送り出してやる。結構痛がっていたが、クロウはマナバイクに乗り込んで敵陣に向かっていった。

 間も無くして陣地前に着くと、当然のことながら門番から警告が飛んできた。


「そこの貴様! これ以上近づかない方が身のためだぞ? ここは大儀の下に集った紅狼騎士団の陣地だ!」

「……ダンナが一番槍だったら、この時点で計画がパーだったな」


 ごく小さな声で独りごち、クロウはやれやれと両掌りょうてのひらを上に向けた。

 そして、門番の訝しげな視線を感じたタイミングで、クロウが声を上げた。


「いやぁスンマセン。ちょーっとお伺いしたいんですが……。おたくら、マジックって好きかい?」

「なにを馬鹿な事を……!」


 門番の言葉をかき消すように、その場に指を弾く音が響いた。その刹那、手に持つマークスマンライフルに激しい電流が走り、門番たちは思わず得物を落としてしまった。かと思えば門番の足元に急に水が湧き、電気を帯びた銃を伝って感電現象が起こった。逃げる暇もなく、門番四人が戦闘不能になったことになる。

 さすがに陣内にいる兵士たちもこの騒動に気付いたらしく、ぞろぞろと無計画に集まってきた。こうなれば、クロウの思う壺。である。

 彼はニヤリと笑うと、ここぞとばかりに大声を上げた。


「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ちょいとばかり、オイラのマジックショーにお付き合いください! あ、申し遅れました。オイラは……、アンタらをボッコボコにする、戦いの火種だぜ!」


 クロウが手を振り上げる。すると激しい火柱がそこら中に立ち上った。それは瞬く間に陣地を火の海に変え、駐屯兵たちに動揺が走った。その混乱に乗じ、クロウが攻勢に出る。手近にいた傭兵の肩を叩いてこちらに振り向かせると、寸勁の要領で右の肘鉄を顎に叩き込んだ。

 とてつもなく鈍い音がしたかと思うと、派手に傭兵が吹っ飛んで行って、地面に叩きつけられる。ひどく痙攣しているので、間も無く事切れるだろう。


「て、てめぇ!」


 傭兵の一人が腰に下げた剣を抜いた。そのまま流れるようにクロウへ斬り掛かる。しかし、クロウ本人は慌てる様子もなく、おもむろに手を出した。刹那、傭兵の剣がクロウの手を捉える。が、傭兵は目の前で起こったことに驚愕した。クロウは剣の刃をそのまま素手で難なく受け止めたのだ。しかも、まるで出血していない。なんなら本人は痛がる様子もなく、平然としている。

 そこで傭兵は気づいた。クロウの手が――というより、腕全体が――鋼質化していることに。

 これは地属性魔術のクロウ独自の応用で、鉄属性を腕や足に付与した状態なのだ。この状態で速く重い体術で敵を叩き伏せていくのが、クロウの戦い方だ。彼が前衛型魔術師と言われる所以である。


「ざーんねんだったなぁオッサン。ま、たんまり眠りな!」


 剣をしっかりと握って固定し、クロウは鋭い回し蹴りを相手のこめかみ目掛けて繰り出した。鉄の塊となったクロウの踵は見事に傭兵のこめかみを打ち抜き、標的が沈黙する。

 そうなってようやく、相手方の統率が取れ始めた。ことの重大さに騎士団員が気づいたのだろう。だが、すでに時遅し。だ。


 ――ガァン!


 激しい銃声が響いたかと思うと、一発の銃弾が空を切り、傭兵の眉間を捉えた。まるでゴム毬のように吹っ飛んでいく。続けざまに二発、三発と弾丸が飛んできて、そのどれもが傭兵の急所を貫き、一撃のもとに葬り去っていく。

 クロウが銃弾が飛んできた方向に視線を向けると、見慣れた反射光が見えた。すると、不意にクロウの耳元に通信紋章が展開し、そこから声が聞こえてくる。


『はぁい、マイハニー! 弾丸のプレゼントは届いた?』

『ああ! ばっちり届いてるぜカワイコちゃん! ダンナたちに攻め時だって伝えてくれ! オイラは先に楽しませてもらってるがな!』


 クロウの声が聞こえ、通信紋章が消える。どうやらクロウはショーの続きに戻ったらしい。

 

「ユリウスー! クロウから伝言よ! オイラは先に楽しんでるだって!」


 敵を狙撃しつつ、ハロルドがそう言った。

 彼女の持つ狙撃銃は、いわゆる『対物狙撃銃アンチマテリアルライフル』と呼ばれるもので、本来の目的は車両に対して使用するものだ。だが、車両に有効ということは、当然人間相手にも十分すぎるほど効果がある。ということだ。

 その証拠に、ハロルドの狙撃を受けた敵の亡骸は、基本的にどこかなくなっている。


「あんにゃろー、楽しんでるな。さぁ、俺たちも混ぜてもらおうぜ!」


 そう言ったユリウスがマナバイクに飛び乗り、アクセルを吹かして敵陣に飛び込んでいく。その傍らにはイセリナと玄獣郎の姿もある。

 敵陣は大混乱だった。クロウが派手な立ち回りをしているのもあるが、よほど正規兵がいなかったのだろう。傭兵たちが好き勝手に暴れまわっているせいでまるで統率が取れていない。

 だが、それはかえって好都合だった。元々マーセナリー・オーダーズは少数精鋭。大人数を相手取るのなら、混乱に乗じて殲滅していくのが得策だ。

 混戦状態で呆けている兵士たちがいる。着用している甲冑から、彼らは紅狼騎士団の正規兵だろう。

 その目の前に、玄獣郎はマナバイクともども着地した。彼はマナバイクから降りてそれをアビスヤードに送ると、鯉口を切りつつ口を開いた。


「汝らの御魂みたまそれがしが斬り伏せよう。我が名は暁 玄獣郎。推して参る!」 


 名乗り口上と同時、腰に差した血枯ちがらしを抜き放つ。その刃はおそろしいほど冷たくきらめき、玄獣郎の顔を照り返す。


「う、狼狽えるな! 撃て! 撃てぇ!」


 兵長が檄を飛ばすと、我に返った兵士たちが、一斉にサブマシンガンのトリガーを引いた。

 玄獣郎に降り注ぐ鉛弾の雨。あわや着弾というところで、玄獣郎の姿がふっと消える。


「な! ば、馬鹿な!」

「遅いっ!」


 側面から鋭い声が聞こえて、兵士たちの視線がそちらに移る。その視線の先には、血枯を八相に構えた玄獣郎の姿があった。

 そのまま担ぐように血枯を構え、その巨躯からは考えられないほどの速度で踏み込む。『縮地しゅくち』と呼ばれる歩法で、これもまた、叉無頼さむらいが独自に扱う技術だ。


「チェストォォォォォ!!」


 独特な叫びを響かせ、一気に敵兵たちに接近し、渾身の力とともに刀を振り下ろす。その刃には、叉無頼さむらいのみが扱えるという『気属性』の魔力が宿っていた。


 ――ズドォン!!


 砲弾が着弾したような凄まじい炸裂音が響き渡り、地面を大きく抉る。その爆心地にいた兵士たちは言わずもがな戦闘不能だ。

 剣気の残滓ざんしを振り払い、玄獣郎は別の部隊を見据える。突き刺さるような眼光は、それだけで部隊長の心臓を射抜く。


(だが……、こんなことで大儀を違えるわけには!)

「ええい、怯むな! 相手は大儀を持たない傭兵だ! 負けるはずがない! 剣騎士、前へ!」


 まるで自分を奮い立たせるような文言だが……、その一言は紅狼騎士団剣騎士部隊を鼓舞するには十分だった。大儀というのは、彼らにとっては心のよすがらしい。

 一切のズレすらない、整った陣形。向けられる無数の切っ先。


(大儀……か。かつては俺もその下にいたが……)

「その大儀は、ある意味呪いの一つでもある……」

「とぉつ撃ぃぃぃ!!」


 玄獣郎が独白すると、同時に剣騎士隊が一斉に突撃してきた。彼は一度目を閉じて精神を統一すると、再び八相の構えを取った。心の眼で周りの気配を見て、断ち斬るべき線をる。


「視えた……。チェエエエストォオオオオオ!!!」


 玄獣郎が咆える。すると刀身に鮮やかな藍色の魔力が収束し、それが伸びる斬撃となって剣騎士隊を文字通り一刀両断した。


「その呪い、俺はとうの昔に断ち斬ったのだ」


 彼はそう独りごち、刃に付いた血糊ちのりを振り払い、静かに血枯を鞘に納めた。

 その奥で、激しい紫色の稲光が迸る。縦横無尽に暴れまわる紫電は、相手の傭兵たちの逃げ場を確実に奪っていた。


「ち、畜生! これじゃあまるで、雷の檻じゃねぇか!」


 傭兵の一人がそう毒づいた。そのすぐ側で、雷を受けた仲間が黒焦げになる。情けない悲鳴が響き渡り、その動揺は仲間たちに伝播していく。

 そんな中、凛とした声が聞こえた。


「そう。この稲光は、貴方たちの牢獄よ。そして私は……」


 声の主はイセリナだった。普段の可愛らしい印象とはまるで異なり、そこにいるのは乙女騎士バルキリーと渾名される一人の傭兵である。着込んでいるドレスアーマーは、豪華な造りではあるが決して飾りではなく、実用性がある造りで紫水晶製だ。


「貴方たちを処刑する処刑人よ!」


 叫びながら掲げた右手には、片手斧が握られている。左手には盾も装備していて、双方とも紫水晶製。これは紫水晶がイセリナの得意とする雷属性魔術と相性がいいからだ。その銘を、ヴァイオレット・ホープ。紫色の希望という意味である。

 彼女が掲げた斧から雷霆らいていが駆ける。それは逃げ場のなくなった傭兵たちに襲い掛かり、一人、また一人と消し炭に変えていく。

 残り一人。それこそ先ほどイセリナが声をかけた傭兵だ。これで一対一。普段なら一捻りなのだろうが、今現在、自分の周囲は雷の檻に囲まれている。しかも、その幅というのがやっと立っていられるくらい。文字通り手も足も出ない。つまり、こちらが一方的にやられてしまう未来しかないのだ。


(く、くそ! 命あっての物種だ!)

「な、なぁ嬢ちゃん、今回は、お、俺の負けでいい! だから見逃してくれないか!?」

 

 必死の形相で命乞いをする。この際体裁なんて構うものか。

 そう言われて、イセリナが考える素振りを見せる。いけるかと思い、傭兵はさらに命乞いを続けた。数分の沈黙の後……


「ダメ! ごめんね!」


 天使のような屈託のない笑顔を拝めたと思ったのも束の間。目の中に斧の刃が写り込み、傭兵の意識は闇へと消えた。


 あちらこちらで響き渡るのは爆発音と悲鳴ばかり。目の前に広がるのは暴れまわる三人の狂戦士と、その隙を埋めるように貫くマナバレット。現世に地獄があるとしたら目の前のこれがそれだろう。

 この陣地を預かる紅狼騎士団百人隊長、ジョシュア・フィッツカラルドは下唇を噛んだ。

 若くして百人隊長となったジョシュアは、自身のエリート意識に誇りを持っていた。大儀の元に功をあげ、我が主君のために力を尽くしてきた。この陣地も、その主君の信頼を受けて、今ここに立っている。


「だがこれはどういう状況だ! この私が、たかだか傭兵のためにこんな!」


 ぎりり。と噛み込み、唇に血が滲む。陣地はほぼ壊滅状態で、二百人近くいた味方はすでに半分以下になっている。もしかしたらもっと少ないかもしれない。


「ジョシュア様! ここはもう危険です! 退避命令を!」


 側近がひざまずきながらまくし立てる。そう、側近の言う通り、この場所はもう手遅れだ。退避命令を出すのが、指揮官としては最良の選択なのだろう。

 だが、


「ならん! ここはあのお方に任せられた要衝! ここで引き下がるわけには!」


 ――ブオン!!


 騒音の交わる中、ジョシュアの耳にマナバイクのエンジン音が届く。彼がそのまま視線を上に向けると、そこには太陽を背にしながら降りてくる物影が見えた。

 すると、そこから人影が飛び降りてきて、次の瞬間にはジョシュアの目の前に土埃と轟音を上げつつ着地した。

 間も無くして土埃が晴れた。そこに現れたのは、紅いコート、黒いインナーシャツと色の抜けたジーンズを身に纏う、紅髪あかがみの男だった。

 その男が、不敵な笑みを浮かべつつ口を開く。


「よぉハジメマシテ。アンタがここの司令官か?」

「紅いコートに紅い髪……。き、キサマ! ワイルドヴァーミリオンか!?」


 聞いたことのある言葉に、ワイルドヴァーミリオンことユリウスは、思わず鼻で笑ってしまった。それが気にくわなかったのか、ジョシュアは背負っていたハルバートを突き出してきた。


「ワイルドヴァーミリオンかと聞いている!」


 その突き出されたハルバートの穂先を、ユリウスはイグナイト・シールで受け止めた。そのままその穂先を制しつつ、彼は口を開く。


「おいおいおい、質問を質問で返してきた挙句逆ギレか? 騎士サマにしちゃあ行儀が悪いな!」


 言いながら、ハルバートの穂先を弾き返す。しかしジョシュアもそれでは引き下がらず、身をひるがえして再度突きを放ってきた。

 ユリウスは身体を捻りつつそれを回避し、それで生じた遠心力も使ってイグナイト・シールを振り抜いた。

 何とか防御が間に合ったらしく、ジョシュアはハルバートの柄でそれを受けた。その一撃はとてつもなく重く、甲冑で全武装した身体を数メートル後退させるほどだ。

 ハルバートを構え直しつつ、ジョシュアはこちらを見据えてくる。この男、それなりに実力はあるらしい。


「その太刀筋……。やはりキサマ、ワイルドヴァーミリオンだな」

「ああそうだ。だが、それがどうした?」

「大義を持たぬバケモノめ! 主からたまわりし炎斧槍えんふそう、カレイドスコープで……!」


 ジョシュアの持つハルバートが赤く光り、炎を纏った。初歩的な付与魔術だが、魔術を纏った武器は、単純に強力な武器に様変わりする。


「貴様を! 討ち取る!」


 叫ぶと同時、ジョシュアが鋭く踏み込んできた。カレイドスコープを振り上げ、突撃の勢いと遠心力を乗せた横薙ぎを繰り出してきた。


「上等! かかってきやがれ騎士サマよぉ!」


 ユリウスは叫びながら、ジョシュアの一撃を逆手に構えたイグナイト・シールで受け止める。それを腕を振り上げて弾き返すと、イグナイト・シールの刃から火花が散り、それをきっかけとして刃が深紅の焔に包まれた。そのまま体制を崩したジョシュア目掛けてイグナイト・シールを振り下ろす。


「ッチィ!」


 舌打ち交じりでバク転し、ユリウスの斬撃をかわすジョシュア。だが体制を整えた頃には、低い姿勢で急接近してきていたユリウスが目の前にいる。

 ユリウスはそのまま、上体を起こしながら焔を纏ったイグナイト・シールを下から振り上げる。


『イグニション・ドライヴァー!!』


 ユリウスの叫びとともに、振り上げたイグナイト・シールが焔の塊を撃ち出す。これはイグナイト・シールを媒介とした、魔術の圧縮詠唱だ。本来長い詠唱を必要とする魔術を、少ない詠唱のみで放つことができる。

 先日、一個中隊を殲滅したタイクーン・ノヴァは、現在ユリウスが叩き込める圧縮詠唱の最大火力魔術である。

 しかし、ジョシュアは多少無理がある体勢だったとはいえ、イグニション・ドライヴァーをなんとか回避することができた。ただし、焔が掠った鎧の一部にはヒビが入り欠けている。直撃していたら簡単に戦闘不能になっていただろう。


「一方的にやらせるものか!」


 言いながら、ジョシュアが間合いを取る。そしてそのまま、口早に魔術詠唱を始めた。


『烈火のつぶてよ! 打ち砕け! ファイア・バレット!!』


 三節の詠唱で完成したのは、ライフル弾のように高速で標的を射抜く炎の弾だった。三点射で三回、別方向から放たれる炎の弾丸は、標的の回避タイミングをずらしてくるために通常ならかわし切ることは難しい。

 だが、ユリウスはその弾幕の中に突っ込んでいった。ジョシュアはそのユリウスの姿に驚愕した。本来、これだけの弾幕を目の当たりにすると恐怖するのが普通である。しかし、ユリウスにはそれがまるで感じられないのだ。


「馬鹿な!? キサマに恐怖心は無いのか!?」

「恐怖心!? そんなもん、とうの昔にどっかに置いてきちまったぜ!!」


 炎の弾丸をかいくぐり、ユリウスはジョシュアの懐に踏み込んだ。すでにハルバートでは反撃できず、魔術の詠唱も間に合わない。


『悪ィがこれで終いだ! 焼きくびれ!』


 ユリウスが叫ぶと、イグナイト・シールの刃が開き、バレルが解放された。収束したマナが暴れ出し、焔の渦を造り出す。

 ジョシュアの断末魔が響くが、それも焔の渦が出す轟音にかき消されていく。

 不敵な笑みを浮かべたユリウスが、渾身の力を込めてイグナイト・シールを振り下ろした。


『クリムゾン! ブラスタぁぁぁぁぁ!!』


 バレルから撃ち出された焔の渦は、無慈悲にジョシュアの身体を飲み込み、陣地もろとも壊滅させ、ことごとくを灰燼かいじんと化した。

 程なくして熱波と爆発音が収まり、ユリウスはイグナイト・シールの薬室から空になったカートリッジを排莢した。いつも通りダクトから硝煙が吹きだし、強制冷却が始まる。


「よぅし、これで任務完了か?」


 彼がそう独りごちると、戦いを終えた仲間たちが集まってきた。パッと見、欠員もいなければ、だれも大きな怪我はしていないようである。どうやら今回の依頼も無事にかつ、最大報酬で終了のようだ。


「よっしゃ! とっとと帰って、報酬がっぽり頂くとするか!」


 宵の口に差し掛かった空に、マーセナリー・オーダーズの勝鬨が木霊した。

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