第5話 勝利の条件

「手持ちの管理は十分?」


 炎に包まれ転がるスペクトルを見下ろしながら、椿が冷たく問いかける。

 

「……やってくれたな、女ァ!!」


 跳ね起きたスペクトルが叫ぶ。先ほどまでの慇懃無礼な態度は欠片もない。


 バキィ! パキィン!


 スペクトルのまだ炎のくすぶる焦げた革のコートの内側で、身代わりの魂が一斉に破裂した。


「答えてやろう。まだ九個、九個も残っている。お前を九回殺せるだけの数が!」


「もう一度コンテナを爆破させれば一気に使い切る数で?」


 これは椿のブラフだ。これだけの大仕掛けは他にはない。だがスペクトルの表情が歪む。無理はない。四十個も用意していた身代わりの三十個を一度に失ったのだ。


「クソ……一体何をしたァ!? 何故お前だけ生きている!?」


「少しは自分で考えたらどうだ?」


 椿は少しずつスペクトルから距離を取りながら答える。第二の地雷原に彼を誘いこむために。


「地雷の威力をあえて弱くしていたな? 私を油断させるために……!」


「そう。一部正解した記念に私だけ無事だった理由を教えようか。二度目の聖火は指向性のある炎……つまりより強い霊力に反応するように調整がしてある。私はお前の言う通り、駆け出しの死神ほど弱いからな。ほぼ必ず相手を襲う攻撃になるわけだ」


 手の内を明かしながら距離を取り続ける椿。同じ仕掛けはないので時間稼ぎに利用する。


「ああ、お前ほど弱い死神などこの世界に存在しようがないでしょうからね……! だが調子に乗るのも、今のうちだ!!」


 スペクトルが身代わりの魂の一つを手に取った。握りしめるように割る。


 悪い予感がした椿は、咄嗟に最も近い地雷を起爆した。


 ドゥン!


 椿は吹き飛ばされ、倒れる。倉庫の天井が目に入ったが、即座に起き上がり身を立て直す。


 そこには一気に距離を詰めたスペクトルが見下ろすように椿の目の前に立っていた。


 即座に起爆した地雷の爆風により後方へ飛ぶことで直撃は避けたが、スペクトルの手刀による強烈な一撃によって椿は内蔵を潰されていた。


 自身に起きたことを分析しながら、想定外の攻撃により血を吐く椿。


「これはただの身代わりじゃあない。霊魂に溜め込んだ霊力を放出して私自身を強化することができるのですよ。しかし使ったのは久しぶりです。初めて見たでしょう? ミズ・ルーキー」


 スペクトルの口調に余裕が戻りつつあり、饒舌に奥の手の仕組みを語る。


 スペクトルに一気に地雷原を抜けられてしまった。そして彼は同じ威力の攻撃をあと八回は放つことができるし、致命傷も霊魂の残数の中でなら防ぐことができる。


 椿に絶体絶命の危機が訪れたように思えた。


 パン! パン! パン! パン!


 椿は立ち上がりながら取り出した拳銃でスペクトルを連続射撃する。対魔仕様の銃弾だが、死神相手に通用するものではない。


 スペクトルは発射された四発の銃弾の全てを指と指の隙間で受け止め余裕を見せつけている。


 パラパラと彼の手から銃弾が落ちる。


「舐められたものですねえ。こんな武器では身代わり一つ分にもなりはしないというのに!」


 残り八つの魂のうちの一つを握りしめ、スペクトルが渾身の一撃を繰り出そうとする。直撃すれば今度こそ椿の命はないだろう。


「あなたはよくやりました。弱いなりに、ね」


 椿の胸を抉るように繰り出された神速の手刀。


 だが次の瞬間。その腕は宙を舞っていた。


「何故……」


 動揺したスペクトルが右腕の切断跡を押さえながら地雷原の位置まで飛びのいた。すかさず椿は残りの地雷をまとめて起爆する。吹き飛ばされるスペクトル。


 椿の手には赤黒く禍々しいオーラを放つ匕首が握られていた。


「お前が隠し玉を出したことが最後のピースになった。感謝するよ、ミスター・大先輩」


「いつの間に、そんなモノ……」


「今さっきだ」


 未知の武器による強力無比な一撃と、火力を加減していない地雷による爆風でスペクトルの身代わりは残り三つにまで減っていた。


「……何なんだ! 一体、それは!!」


「私に与えられた唯一の権能……“赤口”しゃっこう。相手のことを知れば知るほど、理解するほどその威力が増す。対死神専用の武器だ。貴様のような下衆、理解したくはなかったが」


 椿響子という死神が、表向き探偵を名乗っているのは方便だけではなかった。相手のことを知り、力とするこの能力のために必要なことでもあり、敵を調べ上げることはそれ以外の能力を持たない椿にとって必要不可欠なものだったからだ。


 “赤口”と呼ばれた匕首を手に、椿がスペクトルへとにじり寄っていく。


「……ハハ、ハハハハハ!!」


「死を前にして気でも触れたか?」


「始めから貴様を相手にする必要などなかったということだ!」


 彼は残り三個の身代わりのうちの一つを握り潰す。椿はカウンターに備えるが、それは身体強化に使われたものではなかった。卵の放つ力の奔流が衝撃波となり彼女に一瞬の隙を生む。




 走る走る。走る。


 スペクトルは意識の表層に天ケ瀬弓美の魂を引きずり出し、一矢の隠れているコンテナ目がけて走っていた。


(三百歳の小娘ごときに遅れを取ったのは屈辱だが、『誓い』さえ守れればいい。いくら汚名を被ろうとも私は千年級の死神だ。そうだ、うるさいやつがいたら実力で黙らせればいい。私は千年もの間、死神として君臨してきた文字通りの『神』なのだから!)


 迷路のように配置されたコンテナを、残りの卵を潰し身体強化することで一気にぶち破る。


 遂に彼は一矢の隠れるコンテナの前までたどり着いた。


「ハァー……」


 切断された右腕の痛みに耐えながら、左手の指に装着したかぎ爪の指輪でコンテナを引き裂いていく。


 コンテナの中には恐怖に顔を引きつらせた一矢の姿があった。


 しかし、ただ一矢は怯えて隠れていたのではない。覚悟を決めたその手に握られていた拳銃によって、スペクトルは驚く間もなく腹に風穴を開けることとなった。


 椿の持っていた物と同じ、対魔仕様の銃弾が込められた拳銃。


 椿から渡されていた拳銃。この拳銃に込められた弾丸の全てを弱った敵に叩き込めば、一矢は命を拾うことができる。


 一矢は銃を構えたまま立ち上がる。


 その時。


「かずや、やめて」


 弓美の声がした。


 スペクトルが取り込んだ弓美を吐き出して、盾にしたのだ。


 弓美との思い出がフラッシュバックする。


 小学生のとき同級生のいじめから庇ってくれた弓美。


 事故で両親が早くに他界した際、親代わりになることを一矢に宣言した弓美。


 美容師になる夢を諦めて、一矢を大学に行かせるために高校を卒業して働き始めた弓美。


 たった一人の家族だった弓美。


「かずや、やめて。かぞくでしょう?」


 一矢は撃てなかった。


「やめろ!」


 スペクトルを追う椿の叫び声が響く。


 弓美への攻撃を躊躇した一矢の腹部をスペクトルの左手が貫いた。


「ハハ、ハ、ハ。ハ、ハハハ!!ハハハハハ!!」


 スペクトルの笑い声が倉庫に響き渡った。


 天ケ瀬一矢はその日、死んだ。



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