第5話 犬比古の冒険

 都に一人の男がいた。都の人々から犬比古という名で呼ばれていた。

 実は名のある家の出なのであるが、そのような素振りは一切見せない。

 犬比古は商いを生業なりわいにしていた。食料や薬、日用品に至るまで何でも扱っていた。自給自足が主流の時代であったから、人の懐具合を見計らったり、金儲けなどをしているやからは、身分の高い者からは下賎の者と思われていた。しかし、犬比古は一向に構わない。自分を卑下することなどなく、いつも小ぎれいにして飾らず、さっそうとしていた。

 明るい色の狩衣を着流していた。それがまた、犬比古を一層若々しく見せ、元気に満ち溢れた雰囲気を与えていた。市井の民からは、大いに好かれていた。どこから仕入れるのか、異国のものと思われる砂糖の菓子を、一粒また一粒と子どもや老いた者たちに分け与えていた。それがまた、犬比古が好かれるゆえんであった。よく冗談を言っては、人々を喜ばせた。子どもたちの人気者だった。犬比古もまた、大の子ども好きであった。

 けれども、犬比古の冒険の物語は、都の貴族や役人たちにはもちろん、市井の民にも余り知られていない。

 

 時はかなり前に遡る。

 先帝の時代、都は、大いに繁栄していた。

 都の繁栄を支えていたのは、都の北に位置する鉱山から産出される銀、水銀、その他の鉱物や宝石の原石であった。これらを異国に売りさばいて、多くの収益を上げていたのだ。いわば宝の山であった。

 収益は、先帝の命により、王宮の高官たちによって適切に管理されていた。王宮を始め、御所やその他建物、施設を計画的に整備していたほか、民の暮らしに役立つ市場や住まいなどを手入れしていた。利益を独占しようとする者はおらず、貧しき者に対しても何らかの手が差し伸べられており、決して贅沢ではなかったが、都人の生活は豊かだった。当時、都には陽気な笑い声や子どもたちの賑やかな歓声が響いていた。

 一方、安定した収益を得るため、また、濫掘や盗掘を防ぐため、宝の山は厳しく統制されていた。侍所の兵たちが交替で警備に当たっていた。山への出入りも厳しく制限されていた。採掘に携わる人夫は公募で、宝の山の麓の長屋に住み込みで働いていた。地下深く潜って採掘する労働は過酷であったが、それ相応の謝礼が出て、都やその周辺の屈強な若者たちの働き口としては人気が高かった。ただ、落盤などの不慮の事故による落命や大怪我、鉱毒による被害などで病を患い、作業場から追い出される者も少なくなかった。都にもまだ医療にたけた者がおらず、救護所や療養所などない時代であったから、働けなくなった者は、牢屋のような小屋に閉じ込められたり、河原や山奥に放置されるなどして、死を待つばかりとなるなど、悲惨な状況もあった。その地獄のような光景は、人々の心に畏怖心や偏見を生じさせ、鬼や妖怪のおとぎ話と結びついて、これら弱者を忌むべきものと差別して、世間から分断、排斥しようという潜在意識を植え付けた。都人の心は、豊かさの陰に、悲しく恐ろしい闇の部分をはらんでいたのである。

 矛盾に満ちた華やかさも、その頃はまだ良かった。しかし、先帝が病がちとなり、政ごとがおろそかになると、それまでの均衡が乱れ、御所の高官や財力のある商人の中には、私利私欲に走る者も出てきた。採掘現場で働く人夫を様々な口実で駆り集め、奴隷のように働かせるといったことも当たり前のように行われるようになっていった。都の民は、自分とは関係ないと、見て見ぬふりをし、心はどんどん荒んでいった。何か良くないことが起こると、橋の下に潜む鬼どものせいなどと、自分の都合のいいように言い立てて、彼ら弱者を暴力でいじめ、日ごろの鬱憤晴らしをするようになっていた。女子どもをかどわかし、決まって余り裕福でない家を狙って夜盗に入るなど、治安も乱れ始めた。物見高く興味本位の都人は、女子どもがいなくなるのは、前世の因業で罰が当たり神隠しにあったのだとか、謀反を企てて都を追われた先帝の子小次郎が鬼の王となって祟りを及ぼしているとか、ひどいものになると飢えた河原の鬼たちが被害者たちの臓物を食料にしているのだなどと、現実離れしたことを興味本位で噂し合っていた。

 ある日、犬比古がいつものようにぶらついていると、路傍で老婆がおいおいと泣いている。犬比古が声を掛ける。

「婆さん、どうしたね。」

「孫三人が神隠しにあっちまったよぉ。まだ幼いのに、誰がどこに連れて行っちまったんだか。可哀そうで仕方がない。娘は悲しみで半狂乱で泣き叫んでいるし、どうしたらいいか分からくなって、私も泣いていたんだよぉ。」

「それは気の毒なことだな。心当たりはないのかね。」

 老婆が首を振る。

 聞けば、周りでも娘たちがさらわれたり、幼い子がいなくなることが頻発しているという。

「夜中にいつの間に消えてしまう。黒ずくめの夜盗の群れを見たという近所の者もいるが、神隠しと関係あるのか、確かなことは全然分からないってさ。」

 老婆がはっと顔を上げて犬比古を見つめ、懇願するように話しかける。

「犬比古さんよ、お前様は、商いをしていて、あちこちで顔が利くじゃろう。孫たちを探し出して、連れ戻してくれんか。お前様だけが頼りじゃ。貧しいので謝礼は払えんが……。」

「謝礼などはいらん。」

 犬比古の正義の心に火が点いた。すべきことは一つ。ためらいはない。

「頼みは承知した。真相を暴いて子どもたちを救い出し、きっと連れて帰るから、待っているがいい。」

 老婆が感動して拝むように手を合わせる。少しだけ笑顔が戻った。犬比古もうなづいて、胸を張った。

 とはいえ、どこから調べ始めればよいか、皆目見当がつかない。老婆と別れて道を歩きながら、いろいろ手立てを考えてみた。考えあぐねて、とりあえず、信憑性は薄いが都人の勝手な噂話を手掛かりに調べてみようと思った。

 犬比古には実の妹がいる。名を「邑咲むらさき」という。御所で、茜の方付きの女官として働いていた。いい加減な噂話をするような者ではないから、貴族や役人たちとの会話の内容として、何か根拠のある確かな情報が得られるかもしれない。

 御所に赴き、屋敷の裏木戸に邑咲を呼び出して、事情を簡単に説明した上で尋ねる。

「都を去った小次郎が鬼の王になって、女子どもを誘拐しているらしいと噂を聞いたが、何か事情を知らないか?」

「兄さん、そんな根も葉もない噂話、信じているわけじゃないわよね。私、長く茜の方様にお仕えして、小次郎様の人となりもよく存じ上げているけど、決してそんな方じゃないわ。心優しい方だし、むしろ今も都におられたら、現状をお嘆きになって、自ら子どもたちを探し出し、救い出そうとされるはずよ。小次郎様を疑うなんて、兄さんにはがっかりだわ。」

 威勢がいい。性格は兄にそっくりだ。

「噂を信じているわけじゃないよ。調べる手掛かりがなくてな。八方塞がりなんだ。小次郎について、何か参考になる情報はないか。」

「自分で鬼の荘まで行って調べてみたらいいじゃないの。小次郎様のことを悪く言う領民は、きっといないわ。立派な君主になっておられるはずよ。」

 それは名案だと思う。商いの仲間から難攻不落の鬼が城の噂は聞いたことがあるが、まだ行ったことがない。いい機会だと思った。小次郎のことも、鬼が城に巣くっているという鬼たちのことも、事実がどうなのか分かるかもしれない。

「明日にでも鬼が荘まで行ってみるよ。ありがとう。」

 邑咲に笑顔が戻った。鼻が丸く、決して美人ではないが、明るくてかわいらしい印象だ。邑咲が思い出したように呟く。

「参考になるかどうか分からないけど。」

 少し声を潜めて、

「つい先日、御殿に仕える者の中に悪事を働いている逆臣がいるらしいということを、信頼の置ける高官のお一人が茜の方様に話しているのを聴いたわ。それ以上の詳しいことは知らないけど。」

「首謀者は、都の中にいるかもしれないということか。」

 独り言のように呟き、邑咲に手を振ってその場を離れた。

 翌日、朝早くに都を発った。鬼の荘までにはいくつかの道があったが、商いする中で知った南側の間道が、秘密裏に行き来するには最も適していると思われた。山を越え、谷を渡る険しい道ではあるが、早馬を飛ばせば、最も短時間で行き着くことができるし、街道のように、商いや旅の者、兵などに出くわすこともない。何より、山賊から襲われる心配が少ない。その道を選んで通る者が極めて少ないからである。今回は、初めての訪問なので、いかにも商いのために来たように、反物や食料、酒、薬の材料となる物など急仕立てしたものを荷車に積んで行った。

 鬼の荘が近づいたので馬を御してゆっくりと進む。

 鬼の荘に入ると、子どもはもちろん、農作業をしている大人たちも皆、深々と頭を下げて挨拶する。

「田舎の民は純朴だわい。」と、こちらが恐縮してしまう。

 いかにも道に迷ったようなふうをして、道すがら領民に声を掛ける。甘い菓子を少しずつ分け与えながら世間話をして、それとなく小次郎のことや鬼が城のことを聴いてみる。邑咲が語ったように、小次郎を悪く言うものは皆無だった。

「将公様は素晴らしいお方じゃよ。お城の方々も皆親切で、わしらを守ってくださる。」

 小次郎が将公と呼ばれ、信頼されていることも知った。鬼が城に商いをしに行きたいと城までの経路を尋ねると、

「お城に行ってみられるのはいいが、あそこはいつも何でも揃っているところなので、商いにはならないかもしれないよ。それに、お前様が怪しいそぶりをしたり、悪事を企てようものなら、お城に入れてもらえない。それどころか、無事には帰れないかもしれないねぇ。」

 笑って、

「冗談じゃよ。ここのことについて都でどんな噂話がされているかは知らないが、ここは平和で、何の心配もいらない所だよ。でも、まあ、お気を付けなすって。」

 拍子外れなくらい、平穏でのんびりしている。

「こんなところに、人さらいの首謀者がいるなんてことはあり得ないな。」

 納得させられたように感じながら道を進む。畑の先の木立を抜けた所で、遠くに鬼が城が見えた。小高い丘の上に屋敷が建っている。そのため、丘全体が大きな城のように見える。丘の麓は、湾曲した城壁で広く囲まれているようだ。幾層にも城壁が重なっているように見える。都では見ない造りだ。異国の技術かもしれないと思った。しかし、遠目に見る限り、城自体に名前に表されるような恐ろしい印象はなかった。

 城が近づくにつれて、全貌が分かってきた。城まで続く道は蛇行していて、その周りは、畑と堀のように張り巡らされた水路とが複雑に入り組んだ地形になっていて、例えば、騎馬隊が一斉に押し寄せようとも、簡単には近づけないような工夫がされていた。水路の深さも見ただけでは計り知れない。かなり深いのかもしれない。また、畑に見えるのも、落とし穴や罠が仕掛けられているのではないかと不安を抱かせるものだった。敵兵は、これを見ただけで怖気づくに違いないと思われた。

 また、城の裏手には、延々と小高い堤が築かれているのが見て取れる。恐らく背後に大きな川が流れているだろうことが推測された。そちら側からの攻撃も極めて困難なことが容易に想像された。

 更に異様なのは入り口だ。取り囲んでいる城壁が唯一途切れるところが大きな岩壁になっているが、その岩壁の中央部分がえぐるように削られている。入ると荷車がすれ違うのがやっとというぐらいの細い道が続いている。岩肌を鋭く削り取った切通しになっている。両脇の岩壁は、馬で駆け上がれるような高さではなかった。しかも切通しは一直線ではなく、幾度か折れ曲がっていた。兵や騎馬が通り抜けようとしても、岩壁の上から矢や石つぶてで攻められたら一たまりもないだろうと思われた。切通を抜けた所が桝形に広がっていて、その一角に高い屋根と楼閣を備えた門が建っていた。門の扉も分厚そうだ。苦労してここまでたどり着いた敵兵は、この大きな鬼の門を見て絶望し、戦意を喪失してしまうだろう。

「これは、すごいな。」

 思わず声が出た。それに応じるように、門の脇の小岩に腰かけていた青年が近づいてきて言葉を発した。

「おい、お前、何者だ。何しに来た。」

 不愛想で、荒々しい言葉づかいだったが、声は優しかった。顔を覗き込むと美しい顔をしている。いで立ちから青年と思ったが、まだ幼い少年か、ひょっとすると女子おなごではないかと、ちらと思った。ちょっとけしかけてみた。

「門番の小僧か。」

「小僧じゃないやい。何しに来たか正直に言わないと、ただじゃあ済まさないぞ。」

「これは失敬。私は旅の商人あきんどです。いろいろな役に立つものを持ってきています。中のお方に取り次いでもらえませんか。」

 ふん、と鼻で笑って荷車の周囲を歩き回りながら、

「ここでは何も買わないよ。帰んな、帰んな。」

「そう言わず、持ってきたものをよく見ておくんなさいまし。」

「何を運んできたんだい。言ってみな。」

「上物の反物、都の珍しい食べ物、酒、薬の材料になる植物や香など、様々に揃えてまいりました。御贔屓にしていただければ、必要なもの、何でも調達して差し上げます。どうか、屋敷のご主人にお目通りを、お願いします。」

「反物と薬は有り難いの。」

 背後から突然声がした。振り返ると、どこから現れたのか背の高い、黒装束の男が杖を片手に立っていた。顔を見上げて、思わずぎょっとした。両の目が燃えるように赤かったのだ。背筋が凍るかと思われた。しかし、すぐ気を取り直して、できるだけ平然を装いつつ、

「これは、これは。私は犬比古という名の都の商人でございます。決して怪しい者ではございません。役に立ちそうなものを見繕ってたくさん持参いたしましたので、是非お買い求めください。」

「普段なら他所から買い求めたりはしないのだが、このところ、屋敷内に人が増えて、着る物や薬に不足が生じているのだ。いい時に来られたの。物が確かなら、頂こうかの。」

「ありがとうございます。ところで、失礼ながら、あなた様は異国の方ですか。私は、商売柄異国の方々とも親交がありますが、あなた様のようないで立ちを拝見するのは初めてでございます。」

「わしはこの屋敷に仕える吉備真壁と申す者。推察どおり、異国から来た者である。この赤目は、古傷のようなもの。驚かせたかもしれぬが、魔物ではない。恐れる必要はない。」

 門に向かって、声を掛ける。

薬師やくし、出てきて、物を見定めてくれんか。」

 門の閂が外される音がして、ギィと音を立てて、門が少しだけ開いた。中から、三人出てきたが、最初の二人の姿を見て、今度は思わず「わぁ。」と声を上げてしまった。鬼だった。角が生えていた。赤ら顔の鬼は剣を、青紫のあざが顔じゅうを覆っているもう一人の鬼は弓矢を、それぞれ構えて、犬比古と荷車を挟むように立った。三番目の男は細身で、切れ長の目をしていた。長く伸びた顎髭あごひげを触りながら、薬の品定めをし始めた。赤目が、

「香りは、間違いないように思うが、見た目は、わしにはよく分からんのでな。」

 後ろで、門番がくすっと笑った。薬師と呼ばれた男が、

「なかなかの上物のようですよ。とりあえず、全部頂きましょうかな。いくらになるかね。言い値で買い取りましょう。」

「いえいえ、今回は初めてのお取引なので、代金は頂きません。これから末長く御贔屓にしていただければ、それで結構でございます。無用かもしれませんが、今回荷車に積んで運んできた物は、全て差し上げます。その代わりと言っては何ですが、お願いがございます。先ほど、初めて、この屋敷を遠くから拝見して、壮大さにとても驚きました。門の中を見せていただくわけにはまいりませんか。可能であれば、ご主人様にもご挨拶いたしたいのですが。」

 赤目は、しばらく考えていたが、二人の鬼に同意を求め、二人がうなづくのを確認してから、

「よろしい。今回は特別にそなたを信頼して、屋敷の中を案内して進ぜよう。ついてくるがよい。荷車は、独狐どっこに運ばせよう。馬もしばし中へ入れてつないでおきなさい。」

 独狐と呼ばれた門番は、赤目にうんとうなづいて見せてから振り返り、

「中で変なことをしやがったら、命はないと思え。」と犬比古に捨て台詞した。が、それは脅すような口調ではなく、顔は笑っていた。赤目が、たしなめるように「これ。」と言って、眉間にしわを寄せた。

 二人並んで門をくぐり、なだらかな石畳の坂を少し登ると、そこにはかなり広い土地が広がっていた。奥の方には、集落や畑が続いている。城壁の外の鬼の荘の景色がそのままここに広がっているかのように見えた。数はそれほど多くはないが、牛や馬が放し飼いにされているのも見えた。

「ここは、城で言えば三の丸といったところだが、兵馬のための区画ではない。年老いた者、病やけがで働くのが難しい者、貧しくて生活に困っている者など、手助けが必要な者たちが、安心して暮らしていけるように整えた小さな村なのだ。」

 赤目が説明を続ける。

「周囲の城壁は、戦の準備のためではなく、熊や猪などの獣、不埒にも攻め込もうとする都の兵、略奪を企てる山賊どもから、民の暮らしを守るためのものなのだ。民を閉じ込めているわけではないよ。城壁の外からは容易に見えなかろうが、所々に抜け道があって、出入りは自由といってよい。もちろん、このことは外部には秘密だがの。屋敷には、主の家来たちや多数の侍たちが暮らしているのだが、昼間は皆分散して城壁の警護などに当たっている。もっとも、平和なところなので、ほぼ毎日、領民の農作業の手伝いなどをして過ごしているのだよ。」

 石を組んで作った階段を上ると、二の丸である。それほど広くはないが、左手の岩山に大きな洞穴がある。その前の広場の先には、数棟の小屋が建っている。

「ここは、老いや重い病で寝たきりになっているもの、現に病を患っていて治療が必要な、体が不自由な者たちに医術を施し、面倒を見るための区画だ。そこの小屋に多くの患者が寝泊まりしている。先ほど薬材の見定めをした薬師がここの責任者だ。そこの洞穴は、ちまたで疫病と忌み嫌われる悲しい病に侵された者たちの療養の場だ。岩穴口いわなぐちと呼んでいる。疫病と恐れられているが、患者が着用した衣類、傷口からの体液、糞尿、飲み水など、適切に管理を行えば、この病が容易に感染うつるものでないことを、われら異国の者たちは知っている。病を防ぐ上での決まり事を定め、きちんとそれを教え示すことで、健康な者とも寄り添うことができ、また、病人同士が助け合いながら暮らしていける。都で河原や山野に捨てられたり、不衛生なところに閉じ込められて虐げられている者を見つけたら、夜半に秘かに連れてきて、ここで守ってきたのだが、ここのところとても数が増えてな。着る物や薬に事欠く状態なのだ。」

「都から連れてくるのですか。」

「不思議に思うかもしれないが、先ほど門のところに現れた、武術に秀でた赤雷鬼あからき青風鬼あおぶきの兄弟が、交替で、屈強な供を数名引き連れて、時折都へ忍び入り、弱き者を見つけ、救い出しているのだよ。呑気な都人は、それら虐げられている者たちがいなくなったことにも気付いておらんだろうが。」

 犬比古が驚いて聴き返す。

「都から、民を秘密裏に連れ帰っているというのですか。都では、今、若い女や幼い子どもが夜中に突然神隠しに遭うというので騒ぎになっているのです。まさか、それも……。」

 赤目が首をかしげる。

「それは、われらではない。われらが連れ帰るのは、病に苦しんだり、虐げられたりしている者たちばかりだ。元気で幸せに暮らしている者は連れてきたりはしない。ましてや、まだ幼い子どもなど、親に頼まれても預かったりはしない。」

「それでは、いったい誰が。」

「うむ、探ってみる必要があるの。今度鬼兄弟が都に潜入する時に調べさせよう。」

 その時は自分も同行したいと犬比古は思った。

 話しながら、岩山の階段をぐるりと登ってくると、本丸というべき屋敷前に出た。岩山の上にもかかわらず、前庭が広がる結構な面積だ。正面に屋敷が、右手に、祈りを捧げる所だろうか、祠が建っている。並んで前庭を取り囲むように建っているのが、炊事場や寝所などの暮らしの場なのであろう。建物の中からは、微かに人の話声も聞こえるように思われた。

「まあ、上って休まれよ。」

 履き物を脱いで、屋敷の広い階段を上がる。そこは、長い廊下がぐるりと取り囲む評定の間になっていて、左手は外の舞台につながっていた。風通しが良い。

 部屋には、先ほどの、赤雷鬼、青風鬼、薬師、独狐の四人のほかに、高齢の男、色黒で職人風の男の計六人が座っていた。犬比古は彼らの真ん中にちょこんと座らせられた。

「ここにいるのは、わしと一緒に海を渡って異国からこの地にやってきた者たちだ。このような姿をしておるので、初めてこの地にたどり着いた時、民は、七人の物の怪、七怪物ななけものと呼んで、怖がったものだ。」

「ななけものじゃぞ。怠け者ではないぞ。」

 高齢の男が、笑いながらそう言う。それに応えるように、

「怠け者どころか、皆働き者で、この地の発展に欠かすことのできない逸材ぞろいであるよ。」

 一人の男が笑いながらそう言って部屋に入り、犬比古の横をすり抜けて、奥の一段高い座敷にゆっくりと腰を下ろした。

「将公様。」

 赤目が、名を呼び、他の者も一斉に軽く会釈をした。犬比古は、緊張し、深々と床にこうべを垂れた。

「面を上げ、楽にして続けよ。」

 将公が声を掛ける。ふうっと安堵の風が部屋中に吹き渡るような優しい声だ。犬比古は首を上げ、初めて将公の顔を見た。りりしい青年だった。品の良さが容姿に現れていた。

「犬比古と申します。私は……、」

「堅苦しい挨拶は後じゃ、後じゃ。」

 高齢の男が笑いながら言う。赤目が、続けて、

「この者は、われらの長老。朱天しゅてん翁だ。博識で、頼り甲斐がある。何でもよく知っている。この国のことを皆に話して、海を渡ることを決意させたのもこの御仁だ。」

「ひどい目に遭ったがな。しゅてんというのは酒飲みと書くのであろう。われら皆、酔っ払いにたぶらかされたのだよ。」

 笑いながらそう言ったのは、色黒の男だ。筋骨隆々として、力持ちに見えた。

「彼は、土竜もぐらだ。石工であり、大工であり、山を掘り起こし、川波を制し、砦をこさえる。全てのもの作りで、土竜の右に出る者はおるまい。技術も確かだが、何せ、仕事が早い。ここも、この数年で大きく変わった。」

 皆、うんうんとうなづいた。将公はにこにこして聴いている。

「独狐には、もう会ったの。」

 赤目がそういうと、独狐は面倒くさそうに軽く頭を下げて見せた。

男子おぐなに見えるが、」朱天がすかさず口を挟む。

「実は女子いなぐなのさ。もっとも、心はどっちか分からんが。本人は、男子のつもりでいるのじゃろう。」

「うるさいな。おいらのことなんだから、俺らが良ければそれでいいんだ。おめえには関係ないだろう。」

 独狐が口をとがらせて見せる。一同がはやすように笑う。赤目は続けて、

「薬師は、医術に長じており、どんな病も、深い傷も治してしまう。彼もまた、われらにとっても、ここで暮らす民たちにとっても、大切な人材だ。」

 ほほほと笑いながら、薬師が言う。

「年寄りの減らず口と、若造のおつむの悪さは治せんがな。」

「おい、こら。」と朱天と独狐が声を合わせて抗議する。また一同大笑い。分け隔てのない、気のいい連中なんだなと犬比古はしみじみそう感じる。

「赤雷鬼と青風鬼の二人は、とにかく強くたくましい。われらが安心して暮らしていられるのも、二人が守ってくれているからだ。見た目は恐ろしげだが、実はとても優しいのだ。」

 赤目が紹介するのを聴いて、二人の鬼は顔を見合わせてほほ笑む。朱天が、

「強いものほど優しいのさ。優しくない奴は実は弱虫で、ただ偉そうにしているだけというのが世の常。」

 と、諭すように話す。皆また深くうなづく。

 赤雷鬼は、眼窩の外側の骨が両方のこめかみのくぼみの所から上に向かって細い角が伸びている。青風鬼は、元はこぶだったのかもしれないが、額の中心に固くとがった角が一本上を向いて生えていた。いずれも一種の奇形なのであろうが、本人たちは一向に気にしている様子はないし、犬比古にとっても、時がたつにつれ、角が生えているのが当たり前のように思えてきた。最初に見た時の違和感はもうなくなっていた。

「犬比古殿、こちらへ。」

 一通り七怪物の紹介が終わったところで、将公が立ち上がり、犬比古を外の舞台に誘導した。そこは、岩山の崖を利用して、懸け造りの技法で組まれた柱に支えられている。柱と舞台の端を巡る欄干は鮮やかな朱で彩られていた。下から見上げたら、恐らく荘厳な城郭がそびえているように見えるだろう。鬼が城とはよく言ったものだと犬比古は思った。舞台から見下ろすと、大きな川とそこに広がる田畑、遠くの山々まで一望できた。

「ここに立って、この風景を眺めると、天下をとったような気持ちになりますな。」

 思わずつぶやいてしまい、犬比古は身を固くする。将公は笑いながら、

「この風景は好きだが、わしはそのような野心はこれっぽちも持っていないのだよ。蔵持皇子に対する謀反の疑いを持たれて、都を追われた時も、わしにとっては寝耳に水の話で、何が何だか分からにままに、母上や、私を支える周りの者たちの身の安全を図るため、都を後にせざるを得なかった。わしに付き従った何人かの重臣と共にこの地にたどり着いた時、わしは絶望に打ちひしがれていたが、この岩山に登って、この景色を目の当たりにして、ここで暮らしていこうと決意したのだ。この景色が、わしの新たな人生の原点となったのだ。しかし、当時は、下の川が大雨のたびに氾濫し、田畑や家屋を台無しにするので、ここに昔から住んでいた民たちは皆困窮していた。そんな折、たまたま七怪物がこの地にやってきたのだ。神の思し召しと思ったものだ。彼らは、持てる才能を大いにいかし、必要な手立てを迅速にやり遂げてくれたので、見る見るうちにこの地全体が改善され、今のような繁栄が得られたのだ。だから、彼らは、感謝してもしきれないほどの、かけがえのない友人たちなのだよ。」

 将公は、川を指さしながら、

「この川も、底をさらい、堤を築いて、氾濫しないよう整備してくれた。土竜のお陰だ。屈曲部には、川に沿って堤の地下に分水路が設けられ、大雨の際も氾濫を防いでくれる。堤も水路も寸分の隙もなく組まれた石造りで、強固なものだ。計画を聞かされた時は、まるで夢物語のようで、何年もかかる事業と思われたが、山からの石の切り出し、運搬、石組みの作業など、いずれも効率良く行われた。土竜の技術や人夫たちを動かす采配は大したものだ。周辺の民も協力的で、皆で力を合わせた結果、思った以上に早くでき上がった。お陰で、協力し合えば、何事も達成できるし、誰もが等しく恩恵を受けて、幸せになれるのだということが実感されて、民の心が一つになったのだ。病や災害におびえることなく、安心して平和に暮らせるようになった。今でこそ、わしは、君主と祭り上げられているが、皆に頼り切りで、むしろ皆のお陰で生き延びていられると言っても過言ではない。この感謝の気持ちを何とか皆に返したいと常々考えているのだよ。そして、この地の繁栄を、都や他の諸国にも広げたい。そう思っているのだよ。」

 偉ぶることもなく、誠実な人なんだなと、犬比古は心からそう思った。この方なら信頼できる。犬比古はその場に正座して深く頭を下げ、

「あなた様にお仕えしたい。あなた様の思いを実現するために共に働かせてほしい。」と願い出た。

 そして、都の神隠し問題を伝え、実は真相解明のために調べていること、手掛かりを得るために鬼が城を訪ねてきたことなどを正直に話した。

「子どもたちを救いたいのです。」と犬比古。

「分かった。」と将公が言う後ろで、七怪物の皆が腕組みしながらうんうんとうなづいた。共闘体制の成立である。皆の心をつないでいるのは、利得ではなく、何にも勝るであろう熱い思いである。


 目的がはっきりしたので、鬼が城の決断と行動は素早い。犬比古は、都に戻ったその日から、毎晩、都中を夜回りして、怪しい者が暗躍していないか探っていた。赤雷鬼と青風鬼も、数日おきに交替で都にやってきて、犬比古と行動を共にした。

「粗末な家ですが、都に来られたときは、私の屋敷を隠れ家にしてください。」

 犬比古の屋敷は街はずれで人目に付きにくく、敷地も広かったので、何かと便利だった。一人暮らしだったので、赤雷鬼や青風鬼のことが外に知られる心配がなかった。食べ物など必要なものは、邑咲が秘かに届けてくれた。隠れ家が確保できたことで、赤雷鬼たちの行動範囲も広がった。少々危険ではあったが、御所にも忍び入り、不正の証拠がないか、消えた子供たちの痕跡がないか調べることができた。

 なかなか手掛かりが得られなかったが、ある晩、夜回り中に、五、六人の怪しげな一団が、民の住む長屋の入り口に現れたのに気付いた。既に子供を抱えた者もいる。どす黒い赤みを帯びた衣装を着ていた。覆面をかぶっており、顔は見えない。気付かれないようそっと後を追う。一軒の家の前に着くと、手の空いた者らが一斉に忍び入り、あっという間もなく、子どもを二人抱えて飛び出してきた。その場で取り押さえて、連れ去るのを阻止することもできたが、人さらいの一団の足取りをつかむため、ぐっと堪えて尾行する。速い。子どもらを肩に抱えたまま常人離れした速さで疾走する。青風鬼とその仲間たちでも見失わないよう追うのがやっとだった。人さらいの一団は、何らかの特殊な訓練を受けたか、妖しい能力の持ち主に違いないと思われた。犬比古も何とか遅れないよう懸命に走った。

 宝の山につながる石畳の道を休みなく走って、一団はやがてある建物にたどり着いた。馬小屋のように見えるが、屋根がかなり広い。窓らしきものはなく外からは中を覗けないようになっていた。

 青風鬼らは、屋根の軒下の風通しの穴から静かに天井裏に忍び入り梁の柱裏に潜む。

 建物の中では、都の高官と思われる者三人と、犬比古も顔を知る悪徳商人の、合わせて四人の男たちが待っていた。床の中心に方形に大きな穴が掘られており、牢獄のように、四十人ほどの子どもたちが閉じ込められている。穴は、子どもらがよじ登ることができないほど深かった。人さらいどもは、穴にはしごを下ろし、今連れてきた子どもらを穴の中に降ろした。穴の中の子どもたちは、土で汚れ、いずれもひどく疲弊しているように見えた。幼い者から、若者といってよいほどの者まで、幅広い年齢層の子どもたちが集められていた。高官らは、人さらいの一団の首領と思われる者と何やら話している。笑い声も聞こえた。それから、懐から包みを取り出し、首領に手渡す。首領が包みを開けて中を確認する。金子きんすのようだ。犬比古がよく見ようと身を乗り出して、うかつにも小さな物音を立てた。首領が気付いて、頭からかぶっていた覆面を外して天井を見上げる。役蟇奴だ。しかし、そこにはもう青風鬼らの姿はなかった。役蟇奴はしばらく、天井裏を見渡していたが、訝しげに首を傾げたものの、高官らとの話に戻った。

 悪者どもの正体は分かった。隠れ家に戻った犬比古たちは、子どもたちを救い出し、悪しき高官らの不正を暴いて、悪事を再びさせないための手立てを話し合った。鬼が城にも早馬を飛ばし、将公や残った七怪物に伺いを立てた。話合いの結果、まずは、独狐がかどわかされた子どもの姿に化けて牢獄に忍び入り、中の様子や詳しい状況を調べることになった。独狐はすぐに都にやってきた。

「危ない仕事だ。気を付けるんだぞ。」

 犬比古が心配になって声を掛ける。独狐は笑いながら、

「身の軽さと命知らずなところが俺らの取柄さ。大丈夫。任せときな。」

 牢獄の建物は、昼間、人の出入りがなかった。見張りもいないので、気付かれぬよう忍び入り、夜になってから子どもたちに紛れ込むことにした。外が明るいうちは子どもたちの姿もなかったので、独狐は牢獄の穴を隅々まで調べ、宝の山の作業場まで通じる抜け穴があることを発見した。子どもたちは、昼間ここから宝の山に移動させられ、掘削の仕事を強要されていたのだ。大人の人夫たちに混ざって、一日中酷使されていた。宝の山の外は、都から派遣された侍たちが警備していたが、山の中の作業場は、鉱夫頭こうふがしらと呼ばれる数人の男たちと、彼らに紅蜘蛛あかぐも衆と呼ばれている怪しげな一団に牛耳られていた。鉱夫頭らは、人夫や子どもたちを鞭打ち、棒でたたきながらこき使っていた。紅蜘蛛は、刀や鎌などの武具を携えており、逃亡や反抗を防ぐための見回りを専ら行っていた。子どもに化けた独狐は、数日かけて、紅蜘蛛の見回りの時間帯や、逃げ道となるであろう坑道や抜け穴、油や水がめの在りかなど、作業場全体をつぶさに調べ上げた。子どもたちにもそれとなく話を聴いた。大人の人夫が夕刻作業場を出た後も、年長の子どもたちが夜遅くまで働かされることがあるという。子どもたちを誰一人取り残すことなく救い出すためには、紅蜘蛛らの目から離れる深夜遅くにならざるを得ないと思われた。しかし、疲れ果てた子どもたちは、きっと、夜中は泥のようにぐっすり寝込んでしまうだろう。起こして全員を一斉に逃がすことは、極めて困難に違いない。大人の人夫の中には、無理やり連れてこられた者も少なくないことから、これらの者が同調して蜂起してくれればと思ったが、同志を募る暇も方法もない。自分の身を守ることさえ難しい状況で、子どもを逃がすために戦ってくれる者はいないだろう。無理だ。独狐は悔しかった。しかし、良い方策は見いだせなかったものの、必要な情報は得られた。坑道の見取り図もでき上って、機は熟した。独狐は、夜の闇に紛れて牢獄穴を抜け出し、隠れ家に戻った。

 独狐からの報告を受け、隠れ家に集結していた赤目たち七怪物も皆頭を抱えた。子どもたち全員を一度に無事に助け出すことは極めて難しいし、不埒な高官たちの悪事を明るみに晒して、帝に善処を求めることも容易ではなかろう。証拠を見つけ確保することはもとより、帝の側近にどれだけ味方になる正義の臣がいるかも未知数である。

よこしまな輩ばかりだったらどうするか。」

「あり得ないことではない。下手すると戦になるの。」

「蹴速の摂政殿は信用できるのか。実は悪事の首謀者ではあるまいか。」

「まさか帝も……。」

「これ、めったなことを言ってはならぬ。」

 様々な意見が交わされた。知恵を絞って、朱天が案を練った。

「無謀な賭けだが、虎穴に入らなければ、虎児は得られないという。正面から相手の懐に飛び込んで、攻めてみよう。」

 計画はこうだ。まず、子どもらが作業場に追い立てられた後、まだ早いうちに、独狐と犬比古が牢獄穴から忍び入り、いくつかの逃げ道を確保した後、その他の坑道や抜け穴などをふさいで中で火を焚いて煙を起こし、混乱に乗じて、犬比古が、子どもたちを引き連れて牢獄穴から脱出する。時を同じくして、赤雷鬼と青風鬼が鉱山の外で騒ぎを起こし、警護の兵たちを蹴散らすとともに、坑口から出てくる鉱夫頭たちや紅蜘蛛衆を一網打尽に制する。子どもたちを荷車に乗せ、隠れ家に連れ帰る。隠れ家には薬師が薬や食べ物を準備して待っていて、子どもたちの具合を確かめ、必要な治療などを行った後、荷車で御殿前に直接送り届ける。あらかじめ、都中に「その日良きことが起きるので集まるように。」と触れ回っておくので、御殿前には、子どもたちを失った親たちや「良きこと」を期待する都人たちが集っているはずだ。御殿に到着する前に見とがめられないように、荷車はいかにも商いのものが入っているように飾り立て、素知らぬふうで堂々と乗りつけるのだ。子どもらに再会した親たちは歓喜し、大騒ぎになるだろう。外での騒ぎに気付けば、御殿からも多くの役人が出てきて、事実を目にすることになる。問題は、悪徳高官や商人の悪事をどうやって摂政や帝に知らせるかだ。案として、騒ぎの直前に、朱天が異国の使者のふりをして摂政に接触し、婦女子が奴隷のように売り買いされていることや、悪事に高官が関与していることなどを名指しで知らしめることにしようとなったが、摂政に会えるかどうかも分からないし、ましてや帝まで伝えられるかは全く予想がつかない。一時的には子どもたちを救えても、悪人退治がままならなければ、また同じことが繰り返されるかもしれない。

「最後の詰めが甘いように思うが、どうしたものか。」

 赤目が呟く。赤目は、皆で考えた案を携え、その日のうちに鬼が城に帰り、将公に状況を報告するとともに、救出作戦を説明した。将公は、

「わしが直接都に行き、帝に会おう。会って事実を話そう。今は帝となられたが、蔵持皇子とは幼い頃から懇意にして気心が通じている。誠実なお方だ。不正には関わっておられぬだろうし、話せばきっと分かってくださるはずだ。」

「しかし、余りに危険でございます。」

「いや、民を救い、この国を守ることがわしの務めだ。そのために身に危険が迫ろうと構わない。わしの進言が帝の不興を買ったとしても、事情をお知りになったら、めったなことはなされまい。」

 将公の決意は固い。赤目も承服せざるを得ない。

「私が命をかけてお守りします。」

 ただし、将公が帝に会いに行くのは、救出作成決行の前日とすることにした。当日では、混乱に乗じて、よこしまな輩が謀反や暗殺を企てかねないと危惧されたからである。

 慎重に準備を整え、いよいよその日が近づいた。予定どおり、都中に「良きことが起こるから、御殿前に集まれ。」という噂が立っていた。独狐も数日前から再び牢獄穴に潜り込んで用意周到に中での手はずを整えていた。犬比古は、四十人の子どもを一時いちどきに運ぶため、大きな荷車四台と馬を準備して、隠れ家でその時を待った。

 決行前日、将公が都に忍んできた。朱天は、異国の使者のいで立ちで、将公と赤目もまた異国風の装束に、顔が見えぬよう笠を深くかぶって、供の者のように付き従って、内裏に入った。朱天は、摂政蹴速若比古との面会を求め、一人目通りが許された。摂政は、遠目に二人の従者を訝しげに眺めたが、朱天が機を逃さず長々とお定まりの口上を述べ始めたので、目を逸らせてしまった。そのすきに、将公と赤目は帝のところに進んだ。行く手を妨げる者がいれば、赤目がたたき伏せる手はずになっていたが、幸い誰ともすれ違わず、帝のもとにたどり着いた。将公が、笠を解いて帝の前に跪き、非礼を詫びた。将公の顔を見て、帝はたいそう驚いたが、衛吏を呼ぶこともなく、

「命の危険もあるというのに、ここまで来るのには、何か重大なわけがあるのであろう。話を聴こう。」と受け入れた。

 将公は、都の民の幼い子どもたちが、金銭で売買されていること、宝の山で奴隷のように使役されていることを話し、先に調べてあった三人の憎むべき高官の名を挙げて、しかるべき措置を求めた。帝は、話が進むにつれ、険しい表情となっていった。

「そのようなことが行われているとは、全く知らなかった。わしは、自分の不明を恥ずかしく思う。よくぞ知らせてくれた。そなたの言うとおり子は国の宝。民の平穏こそが、何より大切だ。わしも同じ思いである。約束しよう。きっと真相を明らかにして、悪者どもを罰してくれよう。二度とそのようなことが起こらぬように、臣や兵を厳しく律することとしよう。」

 思いを口にした後、少し表情を和らげ、「久しいのぉ。何年振りかな。」と、将公に穏やかに語りかける。

「わしは、そなたのことを心から信じている。そなたが都を去った時、そなたが謀反など企てるような者でないことは、重々承知していた。それなのに、そなたを守ってやることができなかった。先帝が亡くなられた直後で、古参の重臣たちに抗うことことができなかったのだ。今でも、そのことを悔やんでいる。そなたに申し訳なく思っている。この度のことでも、そなたが都の民やこの国のことを自分の命以上に大切に思ってくれていることがよく分かった。そなたこそ、都に必要な人材だ。都に戻ってこないか。わしと共に政ごとを司ってくれぬか。」

 将公は、深く頭を垂れ、

「私は、都を離れた時のことを少しも恨みに思っておりません。今の境遇にも、いささかも不満はありません。帝の思いやりに満ちた有難いお言葉に感動しております。けれども、帝がおられる限り、都もこの国も安泰でございましょう。私のような凡庸な者が都でできることは限られております。私は、地方にあって、豊かな実りや、確かな技能や労力をお届けすることで、帝にお仕えいたしましょう。帝に不滅の忠誠を誓い、いざというときには、誰よりも先んじて馳せ参じます。」と答えた。

 帝は、将公に駆け寄り、手を握って、うんうんと頷いた。帝もまた、感動していた。

「これは、まだ内密にしていただきたいのですが。」

 立ち去り際に将公が帝に囁く。

「明日、子供たちを救い出します。御殿の前で騒ぎが起きましょう。お心を煩わせるかもしれません。お許しください。子どもたちの無事な帰還が、悪者どもの罪を暴く確たる証拠となりましょう。」

 横に控えていた赤目が初めて口を開く。笠は被ったままだ。

「子どもをかどわかしている妖しげな賊の一味がおります。何者なのか正体がまだはっきりとつかめていません。かなりの手練てだれの衆です。追い詰められた悪党どもが、この賊を使って、何をしでかすかしれません。くれぐれもお気を付けください。」

 帝の御前を辞すると、ちょうど朱天が摂政と別れて奥から出てくるところだった。

「蹴速の奴め。知らぬ存ぜぬを押し通しおった。いろいろ問うて探りを入れてみたが、どこまで本当のことか分からん。」

 苦々しそうに、朱天が吐き捨てる。

「仮に、彼奴きゃつが悪事の首謀者だったとしても、帝にこの度の悪事について全てお話ししたので、めったなことはするまい。」と赤目。

「準備は整った。いよいよだな。」

 将公の言葉に二人は深くうなづいた。

 翌朝。宝の山。鉱夫頭によって子どもたちが牢獄穴から地下の作業場に追い立てられ、作業が始まった直後に、手はずどおり坑道のあちこちで煙が立ち上った。独狐が火を放ったのだ。もちろん、危険のないよう周到に計画されたものだが、鉱夫頭らや大人の人夫たちを混乱させるには十分だった。地表の坑口に続く坑道と牢獄穴に通じる抜け穴を除いて、全て通れなくしてある。大人たちはただ一本の坑道を通って、一目散に逃げだした。子どもたちは、独狐が抜け穴に誘導し、牢獄穴に向けて脱出した。行く手を邪魔する鉱夫頭らは、犬比古が蹴散らした。坑口の外では、赤雷鬼と青風鬼が警備の侍たちや坑口から駆け出てきた鉱夫頭らを組み伏せ、縛り上げた。誰もあやめてはいない。その他の人夫らは、散りじりに逃げ去っていった。赤雷鬼と青風鬼、犬比古と独狐は合流し、子どもたちを四台の荷車に乗せて、隠れ家に急いだ。隠れ家では、薬師が待っていて、到着した子どもらを診て回って、けがをした者も、病いを患っている者もいないことを確認した。

「子どもたちを休ませてやりたいところだが、山での騒ぎが都に伝わる前に、行動した方がよかろう。」

 皆同感だった。再び子どもらを荷車に乗せ、上から帆布をかぶせて外から見えないようにし、あたかも商いの荷を乗せているかのように偽装して、都へ急いだ。特異な姿の御者らは、正体を見られないよう顔を隠した。

 御殿の前には人だかりができていた。子どもらを失った親たちのほか、興味本位の都人であふれかえっていた。くだんの悪徳商人も物見遊山で民の中にいた。

 荷車が人々の中にそろそろと入っていく。何事かと、皆が荷車を覗き込む刹那を見逃さず、御者らが一斉に荷台の帆布を払いのける。おぅという驚きの声は、すぐに親たちの歓喜の声に変った。自分の子ども見つけようと車の脇に駆け寄る親たち、子どもと抱き合って再会を喜ぶ親たちで、大混乱になった。外の騒ぎに気付いて、御殿からも高官らや女官らが出てきて、様子を眺めている。その中には、悪事を働いていた三人の高官もいた。荷車の御者らは、騒ぎに乗じて、そっとその場を離れた。

 騒ぎが続く中、摂政蹴速若比古が馬に乗って民の中に分け入ってきた。そうして、騎上から大声を発した。

「皆静まれ。かどわかされた子どもたちは無事戻った。」

 それから、悪人ども四人の名を呼び上げ、

「お前たちの悪事は全てお見通しだ。証拠は明らかだ。追って然るべき沙汰をいたすから、屋敷で観念して待つがよい。これは、帝からのお言葉である。」

 悪人らは、検非違使に捕縛され、引っ立てられていった。

 赤目と並んで、人々から離れた所で、その一部始終を見ていた将公が感慨深げにつぶやく。

「子どもたちが親元に戻れて何よりだった。しかし、これで、終わりであればよいが……。」


 全てが終わり、将公と七怪物は、犬比古の隠れ家で、お互いの労をねぎらった後、鬼が城へと戻っていった。去り際に、将公が犬比古に近づいてそっと話しかける。

「犬比古殿、この度のこと、素晴らしい活躍であった。貴殿を信頼して、折り入って頼みがある。久しぶりに都に舞い戻ったが、母上にもお会いしたいし、やり遂げたいこともあって都に思いを残している。時々、都に忍んで出てきたいのだが、その手配をしてはもらえぬか。吉備たちにも内緒にしておきたいのだ。」

「承知いたしました。私がぬかりなく手配をいたし、都におられる間、身をお守りいたしましょう。お任せください。」

 それから幾度か、犬比古は将公の秘かな都の出入りに同行した。


 子どもたちの救出劇から一年近くが経って、都に再び不穏な空気が流れた。「この春に生まれる赤子が都に恐ろしい災いをもたらすとの予言があった。」という噂が、まことしやかに交わされるようになったのである。誰が言い始めたかも定かでない予言の話は、物見高く噂好きな都人の好奇心に火を点けた。噂を信じた一部の若者らが「呪われた赤子狩り」と称して昼夜を問わずちまたを横行し、見つかった赤子や妊婦が連れ去られて牢に閉じ込められたり、怪我をさせられるといった事件が起きるに至った。何らいわれのない無責任な噂話のために、都中の、子を宿した女御や生まれたばかりの乳飲み子を持つ母親を恐怖に陥れた。人々の間に猜疑心が渦巻き、偏った正義感を振りかざした者同士の言い争いが絶えなかった。都人の心は再び荒み、将公の危惧が現実のものとなったのである。

 犬比古は、また悪しきことが始まったのか、何とかしなければと思った。そんなある日、赤目から手助けを求める急な知らせが届いた。

 犬比古の冒険は、まだまだ続く。






 

 

  










 






 

 






 

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桃太 天海女龍太郎 @taiyounokage

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