ままこだて

宮条 優樹

ままこだて




「首謀者一人、その首で許してやろうと、代官様の仰せじゃ」


 灯明の炎が揺れた。

 ひれ伏した罪人たちが息を呑み込んだ拍子とも、鷹揚とした代官の鼻息のせいとも見えた。


 板敷きの一間に、男たちが押し込められている。

 冷たい板間に額がつきそうなくらいに頭を下げながらも、七介しちすけはなんとか目だけを動かして、上座に着いた代官とその側役の表情を盗み見ようとした。


「お慈悲じゃ。

代官様のお心に感謝するがよい」


 側役の山崎が、冷ややかに男たちを睥睨している様子が見えた。


 部屋の外はとっくに深更となっている。

 心許ない灯明の隙をぬって、障子越しに闇が部屋の中まで染み入ってくるようだった。


 部屋に集められているのは、郷の男たちばかりだった。

 代官に対して謀反を企んだとして、郷の集会所に集まっていたところを、警邏の一団に捕縛された。

 謀反の計画は事実だった。

 謀反が知られるなど露ほども疑っていなかった男たちは為す術もなく、あっという間に全員が代官の屋敷に連行された。

 義心ばかりが強い、稚拙で直情な連中だったのだ。


「謀反を企てるとは、本来許しがたきこと。

荷担した者全て、万死に値する」


 一様にひれ伏した男たちの頭上から、山崎の無感情な声が降ってくる。


「しかし、今この国は大事を控えている。

西国との戦の前に、同族の血を流すことは避けたい。

一介の民百姓とはいえ、同族は皆我らが国守様の手足である。

むやみに切り取ることはできぬ」


 山崎の言葉にも声にも、一片の情も感じられなかった。

 七介は緊張のため手の中に汗をかきながら、山崎の言葉にじっと耳を傾ける。


「よって、首謀者一人、代官様に差し出せば、他の者は皆放免してやろうと言っているのじゃ。

もちろん、国守様には貴様らの企て、知らせずにおいてやろう」


 男たちが息を呑む音、逆に吐き出す音で、部屋の中の空気が揺れた。

 山崎の言葉が終わるのを待って、代官は悠々と脇息にもたれかかりながら口を開く。


「しかしながら、困ったものだのう」


 言って、代官は言葉もなくひれ伏した罪人たちの前に、一枚の紙切れを投げてよこす。

 その紙には、この場に捕らえられた男たちの名前が、それぞれの直筆で記されている。

 神仏の前で誓いを立てた証に、神社の紋章を真ん中にして、それを囲む円の形に、証明は放射状に並んでいる。

 謀反に荷担した者たちの誓いの署名、その証拠となる連判状だった。


「この連判状、貴様らの名前が書いてはあるが、ぐるりと円になっておって誰が始まりやらわからん。

小癪なことをするものよ」


 連判状に記された署名は十二。

 代官の前に引き立てられた男たちも十二人。

 全員、連判状に署名した者たちだった。


 居並んだ男たちの中から、果敢な声が上がる。

 声の主は平九郎へいくろうという男で、恐れ知らずにも平九郎は、代官に向かってかみつくように言った。


「儂ら一味同心、一味神水をもって立ち上がった者たち。

誰が頭だとか下だとか、左様な区別はありゃしません。

罰するならば、全員同じに首を落としていただきたい」

「言いよるわ」


 平九郎の物言いに、代官は愉快そうに笑った。

 山崎はしんとして、眉一つ動かさない。


「貴様らは俺の面目まで踏みにじるつもりらしい。

せっかく慈悲をかけてやろうというのに」

「では、こうしてはいかがでしょう。

継子立ままこだてで決めるというのは」


 山崎が、おもむろに代官に向かってそう意見する。


「この署名の中で、最後まで残った名前の者の首を、代表として斬るのです。

一味同心というならば、誰の首でも同じこと。

一人を斬って、他の者はこのときから生まれ変わったつもりとなって、代官様の、ひいては国守様のために身を粉にして働くということで」


 言って、山崎の視線がぐるりと男たちを見回す。


「貴様ら、否とは言うまいな」


 否も応もない。

 言わせないだけの冷厳な威圧感に、男たちは一様に押しつけられて、黙り込むしかできないでいた。


 来た。

 一人七介だけは、他の男たちと違った思いを持って背筋を震わせた。

 山崎の提案、事前に話をつけてあった通りにことが進んで、七介は口元がにやつきそうになるのを必死でこらえた。


 謀反など、とんでもない。

 七介は連判状に名を連ねながらも、最初からこの企みには乗り気でなかった。

 迷惑なことに、ただ郷の無鉄砲な男たちが気炎を上げるのに巻き込まれたのだというのが、七介の見解だった。

 謀反など、はなから成功するわけがない。

 よしんば成功したところで、国守が兵を挙げてきたら、蟻を踏みつぶすように鎮圧されてしまう。


 成功しようがしまいがどのみち、謀反を起こした後は斬られて終わりだ。

 何にも残りゃしない。


 そんなのはごめんだ。

 ただ斬られるために立ち上がるのは馬鹿だ。

 そんな正義など、七介の胸にはひとつまみもなかった。


 馬鹿共が。

 七介は内心で毒づく。

 正義漢ぶって熱に浮かされたように突っ走る、考えなしの能なしばかり。

 何の見返りもない馬鹿騒ぎに巻き込まれるのだけは、ごめんだ。


 ――仲間を売るか、七介とやら。


 側役の山崎と、一人会った夜のことを思い出す。

 代官の屋敷に出入りの者と顔見知りとなり、言いくるめて、何とか屋敷に入り込んだ。

 首尾よく山崎に目通りすることができ、謀反の計画を告げると、山崎は仮面をつけてでもいるかのように、表情を変えないまま言った。


 ――謀反は企てた時点で大罪。

未然に防いだとはいえ、関わった者たちを無罪放免とするわけにはいかん。

せめて一人、首を斬って落とし前をつけねば。


 じろりと、山崎の目が七介をねめつけた。

 七介が持ち込んだ連判状を示しながら、山崎は言った。


 ――七介とやら、この中で首を落とすなら誰がよい?


 問われて、七介は冷静な頭で、自分をのぞく十一人の名前をふるいにかけた。

 善龍よしたつは署名の中で最年長者で、一番最初に名前を書いたのも善龍だった。

 謀反の計画を中心になってまとめていたのは半兵衛はんべえだ。

 この中で一番腕っ節の立つ者というなら、十蔵じゅうぞう――だが。


 平九郎がよい。

 七介は、そう山崎にはっきりと言った。


 平九郎は七介の幼なじみだった。

 幼いときから、目障りで仕方がなかった男だった。

 一人死んでもらわねばならないというなら、ふさわしい者は平九郎より他にない。


 ――では、そのようにしよう。

七介、お前は他の者たちに悟られぬよう、知らぬ顔でいるのじゃぞ。

平九郎は斬る。

他の者は助けてやるゆえ、心を入れ替えて代官様に仕えよ。

お前がそう、皆をまとめていくがよい。


 深々と頭を下げて、七介は床に向かってほくそ笑んだ。

 出し抜いてやった。

 その思いが、七介を得意の絶頂に押し上げた。


「では、ここに書かれた名前、善龍から順番に、十番目の者を放免してやる。

一人ずつ放免していって、最後に残った者の首は斬る。

それでは、代官様」

「うむ、読み上げる。

善龍、千寿せんじゅ市太郎いちたろう――」


 代官が連判状の署名を読み上げていくのを、全員が固唾を呑んで聞いている。

 自分たちで書いたものだ。

 最初の十番目が誰かは、読み上げられる前からわかっていた。


「――平九郎、虎松とらまつ、十蔵」

「十蔵とやら、放免じゃ。く、出て行くがよい」


 視界の端で、十蔵の大きな体がびくりと跳ねるのが見えた。

 ややあって、十蔵は無言のまま立ち上がって、警邏に引き立てられて部屋を出て行った。


 滑稽だ。

 七介は思った。

 どんなに威勢よくしていても、いざとなると皆、自分の死ぬのが怖いのだ。

 武辺者としてならした十蔵ですら、自分が真っ先に放免されてほっとしている。


「では続ける。

善龍、千寿、市太郎――」


 再び、善龍から順番に名前が読み上げられていく。

 正太しょうた、半兵衛と署名の順に放免され、一巡りして最初の善龍までが放免された。

 弱々しい足取りで善龍が部屋を出て行く。

 部屋の中に残された罪人たちは、八人までに減った。


「千寿、市太郎、兵吾ひょうご作次さくじ、七介、亀八きはち、平九郎、虎松、千寿、市太郎――市太郎、放免だ」


 年若の市太郎は、名前を呼ばれても立ち上がれないようだった。

 恐怖のためか安堵のためか、足が立たなくなっている市太郎を、警邏が引きずるようにして部屋の外に出した。

 残りは七人となる。


「千寿、兵吾、作次、七介――」


 自分は大丈夫。

 そうわかってはいても、名前を呼ばれる度に七介の背筋はざわつく。

 他の者も同じ気持ちだろうか。

 人数が減り、一巡りのうちに何度も名前を呼ばれるようになると、十番目にどの名前が読み上げられるのかわからなくなってくる。


「――作次、放免である」


 六人にまで減った。

 広くはない部屋に、肩が触れ合いながら押し込められていたものが、ずいぶんと風通しがよくなってきた。

 おかげで、残された者同士の、互いの息づかいや鼓動ももうよくわかる。


 平九郎はどうしているか。

 七介はそれが気になった。

 普段の涼しい顔が、恐怖にゆがんでいるだろうか。

 情けない様を見てやりたかったが、七介はこらえて板間にじっとひれ伏していた。


「――千寿、兵吾、七介、亀八。

亀八は放免だ。去れ」


 嗚咽を漏らしながら、亀八が部屋を出される。

 無様だ。

 七介は思わず鼻を鳴らした。

 残るは五人。

 何度も同じ名前をくり返し読み上げて、代官もいい加減倦んできているのだろう。

 名前を読み上げる声も、次第におざなりになってきていた。


「――兵吾、七介、平九郎、虎松。

虎松、放免」


 八人目の放免者が去って行く。

 残りは四人。

 終わりの時が近づいてくるのがわかると、腹の底が落ち着かなくなってきた。

 七介の腹の中に、暗い喜びがじわじわと広がっていく。


「千寿、兵吾、七介、平九郎、千寿、兵吾、七介、平九郎、千寿、兵吾――兵吾は放免である」


 立ち上がった兵吾は、ちらちらと残される者たちの方を気にしながら、すまなそうに去って行った。

 残るは三人。

 平九郎、お前が首を斬られるのも間もなくだ。

 七介は思いながらも平静を装う。


「千寿、七介、平九郎、千寿、七介、平九郎、千寿、七介、平九郎、千寿。

千寿、放免である」

「代官様、恐れながら」


 千寿の名前が呼ばれたところで、何を思ったか平九郎が代官に向かって声を上げる。

 腰を浮かしかけた千寿と、その外の者たちの視線が集まって、背を丸めて平伏している平九郎を見る。


「代官様、どうか――」

「黙っておれ、平九郎。代官様の沙汰の途中じゃ」


 平九郎が何か言おうとするのを、山崎の声が鋭くさえぎる。

 その声に、鞭に打たれたように平九郎は沈黙した。


「千寿、代官様の沙汰に従え。放免じゃ」


 山崎に言葉に、千寿は一度深々と頭を下げると、足早に部屋から出て行った。


 残されたのは二人。

 七介と平九郎のみ。

 いよいよだ。

 もはや隠す気もなくなって、七介は口角を引きつらせて笑みを浮かべた。


 死ぬがいい、平九郎。

 郷の全員の身代わりとなって死ねるのだから、正義漢ぶった偽善者のお前にとっては本望だろうよ。


「では、最後の一巡を読み上げる。

名前を読み上げられたものが放免、残った者の首を斬る」


 代官が連判状を掲げ直して、七介の名前から読み上げる。


「七介、平九郎、七介、平九郎――」


 今か今かと、七介の鼓動が早まる。


「――七介、平九郎、七介、平九郎――」


 幼い頃から何くれとなく比べられてきた。

 その度にみじめな思いをさせられてきた。

 平九郎、お前さえいなければ、俺の人生は変わるのだ――。


「――七介、平九郎。

平九郎、お前が放免だ」

「は――?」


 七介は、許されてもいないのに、思わず顔を上げていた。

 目の前に、自分を見下ろす代官と山崎の姿がある。

 振り返ると、じっと石のようにひれ伏したままの平九郎がいる。


 代官は今何と言った? 

 なぜ最後に呼ばれたのが平九郎の名前だったのだ?


 混乱する七介の頭上を越えて、山崎の声が平九郎に飛ぶ。


「平九郎、放免じゃ。疾く立ち去れ」

「恐れながら!」

「平九郎」


 氷の刃のように冷たい声音に、平九郎の方が縮みこむ。


「去れ。聞く気はない」


 山崎の言葉に、平九郎の肩から力が抜ける。

 警邏に引き立てられながら、平九郎は部屋を出て行った。

 一度だけ、平九郎は振り返って七介の方を見たが、七介はそんなことにも気づかないでいた。


「なぜです……」


 軽い音を立てて障子が閉まる。

 一人きり残されてしまった七介は、呆然と、山崎の仮面のように動かない面を見つめる。


「平九郎の首を落とすと、他の者は助けるとの約束ではなかったですか! 

俺を助けてくれると――」

「うろたえ者めが」

「は……?」

「仲間を裏切って自分だけ助かろうとする者を、代官様が許すと思うか」

「何ですと……」

「西国との戦を前に、国守様のもと、国中が一致団結しなければならないこの危急のときに、貴様のように二心のある者はいたずらに人心を乱すばかりで利がない。

早々に排してしまうにかぎる」

「無体な……!」

「あの平九郎という者、なかなか義に厚い士と見た。

ああいう男は、生かしておくとよく働く。

他の者たちも、これからは一心に働くであろうよ。

代官様の慈悲に感謝し、お前の犠牲を尊く思って、な」

「――だまされた」


 七介はうめく。

 だまされた、謀られた――そのことが頭の中に染み渡ってようやく、七介の全身にかっと血が巡る。

 血と共に、怒りと激情が。


「話が違う! だまされた! 俺はだまされたんだ!」


 立ち上がって七介が叫ぶ。

 山崎も代官も、その様子を無感情に見やって微動だにもしない。


「何をしている。

そのうるさい首を、さっさと斬ってしまえ」


 代官の鷹揚な命令に、警邏たちがたちまち七助にとりついた。

 力任せに押しつけられ、無理矢理に床にひざをつかされ、七介はがむしゃらに暴れようとするが、鍛えられた警邏の腕はわずかもゆるまない。


 肩を押さえられ、頭を押しつけられて、白刃が灯明をはじいてぎらつくのを目の前にして、七介の中にやっと恐怖がせり上がってくる。


「やめろ! 放せ!」


 髪をつかまれ、無理矢理にうつむけられた首がさらされる。


 首の上に白刃が掲げられる気配に、七介の声が必死になって引きつれた泣き声に変わった。


「俺は違う! 俺じゃないはずだったんだ! 

だまされたんだ! だまされたんだ――」


 空気を裂いて白刃が振り下ろされる後に、血しぶきの音が続く。


 それはかぼそく尾を引いて、みじめな断末魔は夜陰を揺らした。






               了

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ままこだて 宮条 優樹 @ym-2015

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