第7話 カルヘルバック家の人々 ~一月後~
「──以上が最近の坊ちゃまの周りで起きた出来事になります」
場所はカルヘルバック家の当主である私の執務室、時刻は夜の十一時を少し過ぎている。同席するのは私と妻のラメト、執事長のエバンスの三名だ。屋敷を空けている私と妻に代わって屋敷の統括を任せているエバンスには、定期的に屋敷についての報告をさせている。だが、今夜に限っては屋敷の事より重要なことがある。
「ご苦労エバンス」
手元の資料はすでに何度も目を通していたが、改めて見てもすさまじい変化だと感じる。内容は私の愛する息子ラトゥの印象や出来事について、屋敷の使用人から聴取しまとめたものになる。
わずか10歳になったばかりの小さな命。あの子はその短い人生の全てを自室のベッドで過ごし、心から笑えることなど数えるほどもなかったはず。そしてこれから先もそうなるだろうと覚悟していた。一月前までは。
「やはり私達だけでなく、使用人たちもラトゥの変化に驚いているのね」
同じく資料を見ていた私の妻、ラメトがそう口にする。
「そのようだ」
「ふふ、そしてそのいずれも好意的なものばかり。最近のラトゥは本当に幸せそうな顔をしているものね」
「……うむ」
いつも気を張っている妻らしくない、柔和な笑みが口の端から零れ落ちる。
普段から上位貴族の務めや患者の治癒で忙しい私達夫婦にとって、息子のラトゥが唯一の癒しだ。ラトゥに会うときに顔がほころぶのは私も妻も自覚しているし抑えるつもりもないが、エバンスの居るこの場でその顔をのぞかせるとは思わなかった。
どんなに疲れていようが、ラトゥの顔を見れば寝ずの治療だろうがやってやる。どんなに忙しかろうが、ラトゥの顔を見るためにどんなにわずかな時間だろうと捻出する。今までだってそうしてきたつもりだが、やはり最近のラトゥの大きな変化は私達夫婦にも影響を与えていた。
「この前会いに行った時なんて、私が扉をノックする前にラトゥの方から扉を開けてハグしてきたのよ。ふふ」
「ん?」
はて、そんなことあっただろうか?
私とラメトはほとんど一緒に行動している、私たちは二人揃って役目を果たすのが最も貢献できるのでその方が都合がいいのだ。そしてラトゥに会いに行く時間も共に捻出していたはずだが。
「それは一体いつの話だ?」
「三日前の夜かしら」
三日前の夜というと、同じ上位貴族で『創造』を司るクルティトス家の前当主様についての病状をまとめていたはずだな。日中に往診した結果を反映して今後の治療方針を決めていたのだが、ラメトも共に居た。
「お茶を取りに行ったついでに寝顔を見ようと思って部屋に寄ったのよ、そうしたら私の足音に気が付いて起きてしまったんですって」
「なんだと!?」
ラメトめ、さては初めてではないな。足音で誰が来たかわかるほどに通い詰めていたとなると、夜の仕事を片付ける合間にも会いに行っていたのか。
……私も寝顔を見に通うことにするか?
「さすがにその場では夜更かししてはいけないと伝えたけれど、つい甘い態度をとってしまったわ」
「ほどほどにしておけよ?」
「ええ。でも起こしてしまうなら、ラトゥが寝た後は部屋に近づかないほうがいいわよね」
「そう、だな」
ラトゥの体に休養は欠かせない。それはあの子が生まれたときからずっと、
あの日、一月前にラトゥが本当に久しぶりに自分だけで立ち上がり、吐血して倒れた日。窓からの景色に目を輝かせ、まるで立てることが当然のように振る舞い、意識を失う直前まで幸福だと言わんばかりの笑顔を浮かべていたあの子の体は、それまでの虚弱な体のままだった。
「あの時、この目で確かめる瞬間神に祈ったものだ。『どうかこの子の体が良くなっているように』と。そのすぐ後に期待は裏切られたのだがな、あれは堪えた」
「あなた……」
「だが、今もラトゥは笑っている。私はあの子の笑顔を失いたくない」
そうだ、私は、私たち家族はラトゥをこのままにしておかない。絶対に。
「『癒』を司る、我がカルヘルバック家の名に懸けて。必ずあの子を救ってみせる」
「ええ、私も全力であの子を守ってみせるわ」
「頼む。これからも誰よりも頼りにしている、ラメト」
当然私たち夫婦だけでなく、跡継ぎでありラトゥの兄であるラキールも学生の身でありながら弟の為に奔走している。あの子にもラトゥの現状を手紙で伝えたところ、返信された手紙には乱れた文字と涙の跡が残っていた。二人が再会するのはまだ先だろうが、離れていても兄弟の絆は確かにあり、つい私まで目頭が熱くなった。
「すまなかったなエバンス、少々熱くなってしまった。他に報告することは?」
「屋敷の管理の件、そしてラトゥ坊ちゃまの資料については問題ございません。ですが、旦那様と奥様にお伝えしたいことが一つございます」
「概要は?」
「ラトゥ坊ちゃまの変化の中で、少々不穏な点がございます」
「不穏な点だと」
そこで一度言葉を切ったエバンスは私と妻に一人のメイドを連れてくる許可を求めてきた、そのメイドが居ないと話が進まないようなので当然許可し、そのメイドはすぐにやってきた。
「彼女はラトゥ坊ちゃまの専属メイドでございます、この一月その役目を十分全うしております」
「ああ、一月前のあの日に私を呼びに来たメイドだったか。名は?」
「シェリカと申します」
「ラトゥもよく貴女のことを話してくれるわ、とても信頼しているみたいだった。まるで姉ができたみたいだって」
「それはあの子にとっても心強いだろう、引き続き励めよ」
「かしこまりました」
「うむ、それでエバンス」
「はっ」
「お前が感じた不穏な点とはなんだ」
「私がそう感じ始めたきっかけがこちらでございます。そこのシェリカがラトゥ坊ちゃまのお部屋で見つけたものなのですが──」
そこからはラトゥの事ということもあり、かなり長い時間報告を聞いていただろう。
そして何故、普段報告が遅れることなどない執事長のエバンスが、この件を二週間も私に報告してこなかったのか。それを理解したのは、我が愛する息子ラトゥの、未だ見たことのない一面を垣間見るのと同時だった。
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