異界見聞録の超常②

 あれから三十分。

 私は席を外して、入店前に植野楼を待った入口左の灰皿があるスペースで待機していた。


 そろそろ終わったかな、と時計を確認していると店内から申し訳なさそうな顔の奥野刑事が出てきた。


「……すまん。 女子高生の持ち物だからと完全に油断してた。 まさかあんな――――いや、言わない方がいいか」

「別に、写真の事なら平気ですよ。 驚きはしましたけど」

「……だと、いいんだがな」


 奥野刑事は煙草を口に咥えて火をつけた。

 煙草の煙はあまり得意じゃないが、まだ何か言いたそうな表情を彼がしていた為、灰皿の隣を明け渡すフリをして風上に移動し次の言葉を待った。


「俺はこの仕事を続けてもう二十年くらいになる。 その過程で、人の死体も沢山見てきた。 あの写真とは比べ物にならないくらい酷いもんをな」


 昔はそういうのにビビってたりするとやれ軟弱だのやれ女みたいだのと舐められるから、表面では平気な顔して取り扱ってたんだ、遺体写真は。


「そんなんだから俺は二十年、死体なんてへっちゃらで過ごせたんだがな。 新人は違う。 二・三年経って殺人事件を扱うようになれば、嫌でも死体は見なきゃならない」


 最初は簡単だ。

 だって、人と思わねぇんだもん。 スプラッター映画と同じさ。

 作品の中で誰が死のうが、影響は作品の中にしか反映されない。

 被害者を写真の中だけのものと考えて、まずは難を逃れる。


「でもな、捜査していくうちに段々と被害者に情が移ってくんだ。 無念だったな、とか、哀れみの言葉をかけてくうちに、写真に写った被害者の顔をいつでもどこでも思い出せるようになってくる」


 そうなったら終わりさ。

 事件がどんな形で終結しようが、そいつはもう呪縛から逃れることはできん。


「休日に沖釣りをしに行った俺の上官がな、視界の隅にふと人影を見つけたんだと。 結局、その場は勘違いってことで納得したんだが、人影に既視感を覚えたその上官が資料倉庫を漁ってるとな、なんと自分が過去に担当した事件にあの人影と瓜二つな水死体の写真を見つけたそうだ」


 五年後、十年後、風呂に入っている時や、寝ている時。

 場所や時間を問わず、そいつらはデジャヴのように突発的に現れる。


「だから嬢ちゃんも、ちっちゃい時からトラウマ作んねーようにさっさと忘れることだ。 これ、俺のしょうもないキャリアで語れる唯一無二の経験則な」


 大きく息を吸って最後の煙を吐き出すと、奥野刑事は灰皿に煙草を捨てて携帯を取りだした。

 凄く年季の感じられる、両開きのガラケーだ。


「待たせたな。 ……遺留品も回収したし、撤収するぞ」


 そう言ってから数秒後、駐車場から来た1台の黒い乗用車が私たちの前に停車する。

 運転席には、展望台で見た奥野の部下の一人である女性が座っていた。


「じゃあな嬢ちゃん。 ――――あそうだ。 弥陀羅のやつ、四件目の事情聴取がまだ済んでねぇからちょっとばかし借りるぜ?」

「それ、私に聞きます?」

「あんたが許可をくれればあいつも少しは諦めがつくと思ってな。 ほら、観念して出てこい弥陀羅修二!」


 植野楼に引きずられて出口から現れる弥陀羅。

 そこから更に奥野と二人がかりで車に押し込められ、彼は連行されていった。

 ただの事情聴取だというのに、注射嫌いな子供の予防接種みたいに駄々をこねていた。


「……いっちゃった」

「だな」


 座席から窓越しに様子を伺う客たちの視線に苛まれながら、私と植野楼は二人、入口で立ち尽くしていた。


「悪趣味なものだ。 今まで見た曰く付きの品の中でもぶっちぎりに気持ち悪い」


 植野楼は吐き捨てるように呟いた。

 恐らく、異界見聞録のことを話しているのだろう。


「何が書いてあったんですか?」


 雲に太陽が隠れて、不意に部屋のカーテンを閉めたように視界が暗くなった。


「自殺記録だよ、自殺」

「自殺……?」

「一人の人間が自殺する。 そして、その様子を異界見聞録に記す。 持ち主の居なくなった本は別の自殺願望を持った所有者の手に渡り、また自殺する。 交換日記みたいなものだ」

「そんな……なんでそんなものが」

「さあね。 自殺者が回す本なんて、今まで聞いたことも無い」


 本の内容は簡潔だった。

 一人につき与えられたスペースは0.5ページ。

 自己紹介程度にプロフィールを書き込むと、あとは自殺したことを示す写真が一枚と、世の中の恨みつらみを綴った呪いのような言葉が少々。

 それを何人も、何人も続けて来たというのだ。


「……」


 交換日記。 美波律子の死因は自殺だったということなのだろうか。


 だが、ここでひとつ疑問が浮かんだ。


「でもおかしいですよ、自分が死ぬ間際に文を書いたり写真をとったり、さらに他人に渡すなんて。 破綻してます」


 自分の死体の状況を自分が知ることは出来ないし、動くなんて尚更、夢物語だ。


「確かにそうだな。 ……ところでこの本、最初の自殺者は一体何年前になると思う?」


 上着の内ポケットからメモ帳を取り出しながら彼が聞いた。

 十年前と疑問混じりに応えると、「三十年前だ」と平然に答えた。


「バブル崩壊直後に職を失った男が最初の自殺者だ。 ……あの本、かなり歴史のあるものらしい」


 美波律子は異界見聞録を傍らに残して死んだ。

 たったの半ページに写真と未練を残して。


「ここからが重要だ。 展望台地下……つまり自殺場所にその場で現像が可能なカメラは見当たらなかった」

「……というと?」

「美波律子が死んでから君と修二が地下を訪れるまでの間に、何者かが死体を撮影し現像、完成した本を彼女の傍らに置いたんだ」


 異界見聞録のルールは、自殺者の他にもう一人協力者がいなくては成立しない。

 それが今この場で出せる見解の限界だった。


「これからどうするんですか?」


 時間的にはまだ昼過ぎだが、かれこれ十キロは歩いて足がパンパンだ。

 正直、車で連れていかれた弥陀羅修二が羨ましい。


「異界見聞録の中には未だ発見されていない死体もいる。 連続失踪事件の最初の被害者、八重原鈴音や竜崎小百合のようにな。 その二人が見つかるのと、美波律子の検死結果の公表待ちってところかな」


「じゃあな。 駅前だし、電車で帰れるだろ?」と植野が聞いた。

 その時、駐車場にレッカー車が侵入してきて弥陀羅の黒い車の前に止まった。


「えぇ、では。」


 歩道まで並んで歩いて、逆方向に別れる。

 少しすると植野が自転車を忘れたのに気づいてレッカー車に向かって叫んでいたが、気にせず駅へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る