異界見聞録の超常
「おい、着いたぞ」
その言葉にはっとして、私は顔を上げた。
いつの間にか止まっている車の外から、弥陀羅修二が呼びかけていた。
「どうした、浮かない顔だな」
「いやちょっと、偶然にしては出来過ぎかなと思って」
「偶然?」
「はい」
あの時植野楼は、確かに「視聴者からの単なる不審者情報」と言った。
どんな動画のどんな視聴者かは知らないが、古尾山の山奥、それも弥陀羅や植野が探してやっと見つけた展望台に赴くのは不自然では無いだろうか。
「つまり、お前はその情報提供者を疑ってるわけか」
家族連れでごった返した店内に植野が入っていくのを見送りながら、弥陀羅が聞いた。
「でもほんとに偶然だったのかもしれないですし、断定は出来ないですよ」
「いや、それでいい。 警察は疑うのが仕事と言うが、探偵はその究極形だ。 偶然をいかにそれらしく理由付けして捜査するか、探偵の醍醐味はそこにある」
「私、探偵じゃないんですけど」
「真実を追い求める心意義さえ持っていれば人類みな探偵なんだよ、日隈沙織」
なんですかそれ、と笑った。
下半分がすりガラスの窓から、受付票に氏名を書き込む植野楼の顔が覗けた。
「偶然とは必然を観測していない側の視点であって、どんなものにも理由はある。 偶然を必然に変えてきたのは偶然を疑ったものだけ、とゲーテも言っていた」
「……自分の言葉をゲーテに押し付けないでください」
「嘘を見抜くのも探偵の務め、その調子だ」
だから探偵じゃないですってば。
本来なら接点を持つこともなかったであろう弥陀羅修二や植野楼、そして美波律子。
彼らとの出会いが必然であるならば、繋がりを結び合わせた要因は一体何なのか。
そんなふとした疑問は私の想像より早く解かれることとなる。
「おい。 なんか、お前の知り合いが席取ってるらしいぞ」
「知り合い? 俺のか?」
弥陀羅が怪訝な顔をして店内に向かう。私も背後を追った。
*
「いやぁ偶然だな、弥陀羅修二」
先程古尾山で言葉を交わして別れたはずの奥野刑事がテーブル席に座っていた。
「つけてきたのか」
弥陀羅が聞く。
「尾行はお前ら探偵の専売特許だろう。 弥陀羅修二、お前が死体を見た後はわざと肉を食うような奴って事は知ってる。 そこの嬢ちゃんと意見が割れるのは明白だから、ある程度お互いの意見を尊重できる駅前のファミレスが一番可能性として高いと踏んだわけだ。 どうた? 当たってるか?」
奥野が得意げに指を鳴らした。
確かに予想は的中しているが、それにしても早すぎる。
私たちは一本道の遊歩道で別れたはずなのに、いつの間に追い抜かれたのだろうか。
「と、推理ゲームなんてしてる場合じゃないんでな。 こっちも仕事だ、単刀直入に言わせてもらう」
奥野の目付きが変わった。
さっきまでヘラヘラした態度だったのが、いまは完全に刑事の顔、というより江戸時代の人相書のようだった。
「弥陀羅修二、そのバッグの中身、改めさせてもらう」
場の三人の視線が弥陀羅とその手提げの黒いバッグに集中した。
「……何の話だ」
「俺は万年刑事の出来損ないだが、事件現場になにがあってなにが無くなったくらいは分かる」
二人が何を言っているのか、私と植野楼は顔を見合わせるばかりだった。
店員が水を運んできたのを見送った後、奥野が口を開いた。
「俺とお前の付き合いだ、今ならこの事は不問にしてやる、だから今回は引け」
「……断ったら?」
「後は部下に任せて昇任の糧になってもらう」
「…………」
対話が再び膠着状態に陥ったところで、辛抱ならなくなった私は無理やりに割って入った。
「どういうことですか? 一体何の話を……」
「美波律子の遺留品をくすねたんだよ、こいつは。 俺の予想じゃ本……それも文庫本とかじゃなくB5くらいの大きめのやつだな」
遺留品……?
遺留品といえばこの場合、死亡した美波律子が身につけていた服や、財布やスマートフォンなどのことだろうか。
「……って、死んだ人の物でも窃盗ですよそれ!」
「いいや嬢ちゃん。 死人に占有権はないから、この場合は窃盗じゃなく横領が正しい。 証拠隠滅の為に盗んだのなら立派な罪だがな」
なんで奥野さんが庇うんですか、と思わずツッコミを入れてしまった。
にしても死んだ人間から物を取るとは……弥陀羅修二、なかなかに恐ろしい男である。
「……確かにお前の言う通り、俺はあの地下室から遺留品を1つ持ち出した。 一冊の本をな。 安心しろ、ちゃんと返す。 ただ、一つ条件がある」
「条件だ? お前、まだこの場を対等な取引だと思ってんのかよ」
私の方を見るのと弥陀羅を見るのとで表情が百八十度変わる。
病院での事情聴取では優しい口調に朗らかな顔つきだったのに対し、今は四天王の一人だと説明されても信じてしまいそうな形相だ。
「一時間だけでいい、時間をくれ。 まだ内容を読んでないんだよ」
「……十分、俺の視界に入る場所なら許してやる」
「四十五分」
「十五分」
「四十分」
「二十分だ」
「三十分」
交渉は決した。
弥陀羅がバッグから遺留品を取り出す。
奥野の予想通り、教科書ほどの大きさがある本だった。
外装は黒一色、表紙に書かれていたのは……
「異界、見聞録……」
いかいけんぶんろく。
ファンタジーだろうか、それとも誰かの自伝か何かか。
一見では内容が掴みづらい、不思議な本だった。
「美波律子、常に持ち歩くくらい本が好きだったのか。 身辺調査ではそんな情報無かったんだがな……」
「彼女、授業間の小休憩中に本を読んだりはしてなかった。 趣味じゃなく、なにが事情があって持ち歩いたんだろ」
三人とも、卓上に乗り上げて興味津々である。
この人たち、互いにそりは合わずともやはり同じ穴の狢なのだと、彼らを見比べながら私はこっそり頷いた。
「一頁目は白紙。 最後に作者・印刷元の記載や蔵書印も無し。 個人出版の本なのか?」
次に半ばのページを開こうとした弥陀羅の動作が、やけにゆっくり思えた。
嫌な予感。
分かっても目が逸らせなくて、どう動けばいいか分からなくなるうちにそのページが開かれる。
写真だ。
ひとつのページにふたつづつ、写真が貼られていた。
犬が写っていたり、人の手のようなものが写っていたり様々。
ただ両開きの四ページに共通しているものがあった。
全て赤いのだ。
隅々まで真っ赤に、真紅に染って、赤黒く。
やがて激しい音を立てて本が閉じられた。
弥陀羅がやったのだ。
だが遅かった。
沈黙の中、私の脳裏にはハッキリと、血液の一滴一滴まで再現して想像出来るほどに写真が焼き付いていた。
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