奥野刑事の登場

 展望台の周辺は圏外だったため、行きに通った道を遡っていくと五分ほどでアンテナが立った。

 警察や救急は場所を伝えるだけでよかったのだが、植野楼はそうもいかなかった。


「おう、どうだった?」

「それがかなり大事になりそうで……」


 彼の後ろからはもう何も聞こえない。

 例の別件とやらは済んだのだろうか。


「まさか見つかったのか?」

「私は直接見た訳じゃないんですけど、多分、お察しの通りかと」


 まだ展望台だな、今すぐ向かうから待ってろ、とドアの開閉音が響く。

 それは聞きなれた教室の交差扉の音だった。


「何人で誰でどんな状態だ」

「弥陀羅さんは無駄だと思うが救急車、って。 あと……」


 三人目の被害者、美波律子であることを彼に伝えるべきか。

 一瞬迷った末に、私はクラスメイトである植野楼の知りたいという意向を尊重し話すことにした。


「……三人目、美波律子さんらしいです」


 電話がブツっと切れる音がした。

 直前に裏門そばの自転車置き場の砂利を踏む音がしたので、彼が展望台に到着するのは大体三十分ほどだろうと推測して、弥陀羅の元へ戻った。


「帰ったか。 ……羽休めにしかならないと思うが、使え」


 そう言って手渡されたのは絆創膏。

 彼の視線の先に指を当てると、目の下に切り傷が出来ているようだった。

どうやら木の枝か何かで切ったらしい。


「小さな怪我だが場所が場所だ。 救急車が到着したら、消毒液を使わせてもらえ」

「用意周到なんですね」

「経験があるからな」


 *


 遊歩道は車一台がぎりぎり通れるスペースしかなく、到着した救急車両はこぢんまりとしていた。

 中から数名の救急隊員が出てくると、弥陀羅の案内の元で展望台地下から美波律子を引き上げる。

 私は彼女を直接見た訳では無いが、隊員や弥陀羅の反応を見るに生きてはいなさそうだった。


 次に到着した警察からは軽く事情聴取をうけた。

 偶然にも先日病室で調書を取りに来た刑事と同じ人で、特に緊張することはなく応対することができた。


 ただ一つ不思議なことといえば、奥野と名乗ったその刑事が弥陀羅を目にした瞬間、臭いものでも嗅いだような顔をしたことだ。


「奥野か。 毎度毎度ご苦労」


 異様に上から目線の弥陀羅に、奥野はため息をつくことで返事をする。

 傍から見ても二人が良好な関係でないことは明白だった。


「探偵ごっこはやめろともう何千回と言ってる筈なんだがな、まったく……。 ……で?」

「で?」

「お前らはなんでこんな場所知ってんだよ。 誰から聞いたんだ」

「そんなのちょっと資料を漁ればすぐに出てくる。 刑事ってのは人を疑わなきゃ気が済まない職業なのか?」


 しばらく事情聴取という名目で悪口と皮肉の応酬が続いた。

 奥野刑事が発見状況を質問する形式が、いつの間にか三年前の資料の貸与に関しての言及にまで飛躍して、最後に連続誘拐事件の意見交換へと着地した。


「まあいい。 お前に聞く事がどれだけ時間の無駄なのかはよく知ってる。 今日のところはもう帰れ」


 奥野は数人の部下に指示を飛ばしながら、邪魔だとばかりに手を払った。


「そうさせてもらう。 俺も暇じゃあないからな」


 植野楼といい奥野刑事といい、弥陀羅にはそりの合わない人物が多いのだと心配になる。


 *


「律子は!?」


 遊歩道の帰り道、弥陀羅のペースでゆっくり歩を進めていると、植野楼が自転車に乗って物凄い勢いで迫ってきた。


「もう運ばれた。 遺体だから、警察署の安置室だろうな」

「…………死んでたのか……?」


 息を荒くして自転車を降りる植野を尻目に、弥陀羅が怪訝な表情で私を見た。


「……説明したんじゃないのか」

「いや……電話した時は私も死んでるとは思わなくて」


 無駄だと思うが救急車、で死んだと判断するのは流石に早計ではないだろうか。


「……いや、いい。 勘違いしたのは俺の方だ。 …………死んだ……そうか、死んだのか……」


 驚きつつもどこか納得しているような、不思議な表情をした。

 疑問に思って質問してみるも後でまとめて話そう、とはぐらかされてしまった。


 三人とも長く山道を移動し疲弊しており、しばらくリズムの合わない靴音が鳴るのみだったが、

「……えと、なんだ。 やけに落ち着いてるじゃないか、君」


 植野が額の汗を拭って話を切り出した。


「いや、凄く驚いてます。 実感がないだけで」


 一昨日の夜から目に見えない非日常がいっぺんに押し寄せてきて、感覚が麻痺していた。

 いつもの私がこんなに冷静沈着でない事は自他ともに認めるほど。 恐らく、美波律子の遺体を見なかったことが大きな要因だろう。


「そうか。 ……ともあれ、済まなかったな。 まさか本当に見つかるとは思っていなかったんだ」


 彼も彼で、昨日は学校西側の河川敷周辺を回っていたらしい。

 そちらは特にめぼしい収穫は無かったようだ。


「これから昼食だろ? 詫びになるとは思っちゃいないが、奢るよ。 何処に行く?」

「いいんですか? そうですね……」


 ココ最近、朝も昼もパンばかりで飽きが回ってきたところだ。

 最後に食べた白米も病院食のもので、あれはとても食べられたものではなかった。

 なのでラーメン屋だったりの一点物じゃなく、定食屋にいって和食を嗜みたい気分だ。


「成程。 修二は?」

「そうだな……」


 山道のルートマップが記された案内板を過ぎて、駐車場にやってきた。

 浅緑に澄んだ空気が一転して、ガソリン特有の臭気が鼻につく。


「肉が食べたい。 鶏とか豚じゃなくて、牛を」

「マジかよ……」


 結局お互いの意見を尊重し、和食洋食なんでも揃う駅前のファミレスへ向かうことに決定した。


 植野楼の自転車は前カゴが大きく折り畳み機能のない、所謂ママチャリと呼ばれるものだったが、弥陀羅の車へその後部座席を犠牲に収納することができた。


「楼、お前、車酔いは?」

「酔うな。お前の運転だと特に」

「使えない、なんのために助手席に乗せたと思って…………」


 二人が前席で会話しているのを尻目に、私は窓からさっき来た道筋を眺める。

 美波律子はこの山を訪れた際、私と同じ景色を見たのだろうか。


 顔も知らない女子高生に思いを馳せて、三人を乗せた車は発進する。

 駐車場を出て民家に山が隠れるまで、私が目を離すことは無かった。

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