古尾山の頂上
古尾山は私や他の被害者たちの通っていた高校の北側に位置する、堆積岩の層からなる中高度の山だ。
頂上付近は程よく切り立って登山者から一定の人気を博していて、それとは対照的に末端部分はなだらかに形成され、身近に自然を堪能出来るハイキングコースとして地域の人々に親しまれているらしい。
弥陀羅が運転する大型車の助手席に乗っている間、ネットで調べた情報にはそう記されていた。
「そろそろ着くぞ」
そう言って弥陀羅がハンドルを切ると、車体が用水路の蓋に乗り上げて大きく上下する。
古尾山の麓にある駐車場に到着した合図だった。
「ちょっと気になってるんですけど」
「なんだ」
「古尾山に展望台なんてありました?」
電話越しに植野楼は「古尾山の展望台」と確かに言った。
しかし、スマートフォンの地図はおろか十数年間この町で過ごしてきた私でさえ、展望台の存在は認知していない。
「確かに植野は展望台といったが、正確には少し違う」
……少し違うとはどういう事だろうか。
疑問に思いつつも車を降りる私に、車のキーを仕舞いながら弥陀羅は言った。
「今から約三十五年前、高校とは反対側の山の斜面に展望台を建設する計画が立った。 途中で建設基準を満たしていないとかで無期限凍結になったがな」
建物自体もかなり老朽化が進んでいて、子供が近寄らないよう存在を知った公にしていないらしい。
展望台について調べるために図書館の郷土資料の棚を三つはひっくり返したと、彼は涙ながらに語った。
弥陀羅修二はこの地域の風習信仰について隅々まで熟達していた。
私が昔あった傷害事件がどうと言えば、犯人の出所後のキャリアまで言い当てるほどに。
「俺は、ものの過去を追い求めるのが好きだ。 どうしようもないくらいにな。 それと逆に植野楼は、常に流行の最先端を征く男だ」
ひとえにオカルトマニアといえど、いわく付きの品を収集したり心霊スポットを巡ったり、様々な人がいる。
オカルトという親とその子で家系図を作るなら、弥陀羅修二の趣味は第一子で植野楼は末っ子なのだ。
そこが二人が永遠に分かり合えない理由なのだと、息を荒くして弥陀羅は語った。
それが彼の最後の言葉である。
「早く来ないと、置いてっちゃいますよ」
この辺りは麓を周回するだけのなだらかな遊歩道のはずなのだが、何故か弥陀羅はゴールイン寸前の長距離陸上選手の用に重心がどこかに飛んでいってしまっていた。
私が例の展望台前に到着してから約十分、ようやく追いついた彼は息も絶え絶えで今にも倒れそうだ。
「弥陀羅さん、運動とかしないんですか? 見た感じ社会人っぼいですけど」
「大学の二年生だ」
れんが道を外れて雑草をかき分け、少しずつ先へ進んでいく。
曲がった背中を正すと、草葉の上に木造の建築物を見つけた。
あれが例の展望台なのだろう。
「意外。 大学、ちゃんと行ってます?」
「当たり前だ。 長期休暇を見積もってもお前ら高校生より休日は多いからな。 ……それより、やっと到着だ」
古尾山の廃展望台は確かにそこにあった。 三十年以上雨風に晒され続けたコンクリートの基礎は変色が進んでいて、壁にツタが絡みついている。
建築中断という話通り二階部分は基礎のみで階段もなく、詳細を知らされなければ倉庫にも見えた。
「改めて、こんな隠れた場所に展望台なんてあったんですね」
そう言った私の声が室内に反射して、いつもより大きく増幅した。
不気味なのもそうだが、何よりも汚いのが最高に不快感をくすぐってくる。
「遺失物が何も無い上に、屋根が落ちているから雨が凌げない」
「とすると?」
「浮浪者の線は薄い。 そもそもここは都市部へのアクセスが悪いから尚更住処にするには不向き、ほぼ有り得ないと言ってもいいだろう」
一階内部はいくつかの部屋に別れていて、中に入ってすぐの大部屋、トイレを設置する予定だったらしい四畳ほどの小部屋が一つ、さらにそれと同程度の小部屋が一つあった。
弥陀羅に聞いたところ、休憩所らしい。
それだけでは腑に落ちなかったが、喫煙所を兼ねていると補足されて成程と合点がいった。
「何やってるんです?」
床を何度か踏みしめたり手でぺたぺた触ったりしている弥陀羅を不思議に思い眺めていると、突然ガコンと音が鳴ったと思えば床の一部が開いて外れた。
呆気に取られる私を他所に、弥陀羅は写真を撮るのに忙しそうにしていた。
「地下室……ですか? 展望台に?」
「俺にも分からん。 水道なんかの配管の名残なのかもしれないが、かなり広いぞ。 一階とほぼ同じ大きさはある」
スマートフォンのライト機能で照らしてくれと言われたので断ると、素で信じられないという表情をしたので、弥陀羅に先導させることを絶対条件に同行することになった。
「先にバルサンでも焚いてから入った方が……」
「安心しろ。 食い物がない限り虫やネズミが湧くことは――――」
すぐそばの壁を照らした瞬間、黒い無数の影が一斉に散ったのを見て2人は口を閉じて歩いた。室内を漂う小バエが口に入らないようにする為である。
虫を見た時点で今すぐ回れ右をして帰りたい気持ちでいっぱいだったが、たった数mの道のりを一人で引き返すのも怖くて弥陀羅の後ろに張り付いて歩くのに精一杯だった。
位置的にトイレの真下だろうか、扉のない開口部のみで区分けされている部屋の前まで着くと、弥陀羅が手で制して言った。
「ここで待ってろ。 絶対、覗くんじゃないぞ」
彼の表情は至って真剣で、拒否権はないように思えた。
彼のスマホを手渡して弥陀羅を見送った後、自分のスマホを取り出すためポケットを探ってみたが、どこにもなかった。
山を登るのにカバンは邪魔だろうと思って、雨具以外は弥陀羅の車に置いてきたのだ。
その際、間違えてスマホも一緒に置いてきてしまったのだろう。
明かりがないのがこんなにも心細いものなのかと、周囲を警戒しながら私はひどく後悔する。
流れる汗が首筋や足首を伝って、それを虫が止まったと勘違いをして何度も手で払った。
その度に、早く彼が戻ってこないものか願うのだった。
「おい」
壁を正面にして待機していた私は、戻ってきた弥陀羅に気がつかず肩を叩かれて軽く悲鳴を上げた。
「俺はもう少しここに残る。 お前は一旦外に出て警察と、無駄だと思うが救急車。 あとは楼にも招集をかけろ」
「……何があったんですか?」
恐る恐る聞くと、弥陀羅はこう答えた。
「三人目だ」
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