植野楼の事情
いつも登校している通りに正門へ向かうと、鉄製の柵が閉じていて敷地へは入れなかった。
裏手に回ると自転車置き場の傍に入口があって、私は誰の目に付くことも無く教室までたどり着くことができたのだった。
「失礼しまーす……」
分厚い鉄扉の奥は喧騒に満ちていた。
それもそのはず、現在は十二時四十五分の昼休み真っ只中なのだから。
ちらほらとこちらに視線が集まったのは気にせず私は教室内のある人物に話しかけた。
「あなたが
男は顔を上げて私を見すえると、大きな欠伸をしながら頭を掻いた。
「……君が修二の言ってた子か。 まあ座れ、隣が空いてる」
「ありがとうございます」
彼は私と同じ高校の三年生、ひとつ上の先輩に当たる人物だ。
SNSで有名なインフルエンサーであり、都市伝説から根も葉もない陰謀論まで幅広くのオカルトネタを紹介する動画は毎回数十万再生はくだらない、と弥陀羅修二は話していた。
「いやあ、オカルトマニアってのはピンからキリまで幅広くてね、数は多くても俺や修二ほど熱狂している人はそう居ない。 歓迎するよ」
植野は机の横に吊り下げたバッグからタブレットを取り出しながら笑った。
どうやら私はオカルトに興味を示し始めた弥陀羅の知り合いという体になっているらしい。
しばらくの世間話の間で、植野は連続失踪事件の四人目の被害者が私だとは気づいていないことがわかった。
「──それで、連続失踪事件についてだったね。 事件発生から一ヶ月も経ってないから資料も少なくて、情報を集めるのが大変だったんだ」
最初の被害者は竜崎小百合と八重原鈴音、この二人は同じ学年の同じクラス、部活動も一緒のソフトテニス部だった。
七月二十六日の五時過ぎ、コンビニエンスストアでの目撃情報を最後に現在も居場所を掴めていないでいる。
七月いっぱいまで大規模な捜索がなされたが発見には至らず。
今は規模こそ減ったものの捜索自体は継続中だそうだ。
「一件目はこんなところか。 次は二件目、八月一日の美波律子失踪事件についてだな」
美波律子は先の二人と同じ高校に通っていた三年生の女生徒で、なんと植野のクラスメイトだったのだという。
こちも同じく放課後の夕ぐれの時間帯の目撃情報から足取りが途絶え、未だ発見されていない。
「ま、俺が詳しく説明できるのは美波律子についてくらいだな。 というかそれ以外は弥陀羅から聞いてるだろ」
「……ええ、それなりには」
美波律子はクラスの中で特別学業に秀でている訳でもなく、特別運動が出来る訳でもない影の薄い人物だった。
黒く長い髪に額縁メガネ、全体的に暗い印象のいわゆる文学少女で、彼女と同級生である以外の接点を持った人間はこの学校に数える程しか居なかった。
そんな彼女が失踪した際学校側は、これ以上の事態の悪化と混乱を抑えるため捜索は竜崎・八重原達と並行して行い、クラスには厳しい箝口令を敷いたのだ。
植野はそのせいで事件を動画にできないんだ、と嘆いた。
「ただ、ここからが重要でな。 なんでも律子のやつ……」
その時、五時限目の開始を告げるチャイムが鳴った。
あたりは今更授業準備を始める者や、直前で教室へ滑り込む生徒でごった返して喧騒はより大きくなる。
私たちは話を中断せざるを得なくなってしまったのだ。
「くそ、いい所で…………後のことはメールで話そう。 それと、弥陀羅によろしく言っておいてくれ」
「……はい。 それでは、ありがとうございました」
借りていた椅子を元の場所に返そうとした時、机の収納から裏返しの教科書が目に付いた。
細い油性ペンの字で「美波律子」と書かれている。
私が今まで座っていたこの椅子は、他でもなく一週間前に失踪した美波律子のものだった。
*
植野楼との昼休憩を終え実に空虚で退屈な数学と日本史の授業を寝ずに耐えきった私は、ホームルーム終了を告げる号令と共に教室を飛び出し弥陀羅修二の家へ向かった。
ドアを叩いてしばらく待つと、中から全身黒ずくめの焦げた野菜のような男が出てきた。 弥陀羅修二である。
「早いな、……部活動とか、入ってないのか?」
「入ってるけど、幽霊部員なんです」
相変わらず室内は暗かった。
明るさを例えるなら、映画館が一番しっくりくるだろうか。
「それであいつ、なんて言ってた」
玄関前の明かりをつけて弥陀羅が聞いた。
どうやらこの場で話を終わらせるつもりのようだ。
「弥陀羅によろしく、って」
「楼のことはどうでもいい。 三人目の被害者、美波律子についてだ」
植野楼から聞いた情報をそのまま伝えると、彼は「また明日か」とため息をつく。
「ですね。 植野さん、何か言いたそうでしたし……」
バッグの中から家の雰囲気に似つかわしくない陽気な音楽が零れた。
スマートフォンを取り出すと画面には「植野楼」と表示されている。
会話を中断されて不機嫌顔の弥陀羅だったが、植野からの着信であることを伝えると直ぐに框に座り直した。
「よう、急ぎ伝えたいことが出来てな」
そう言う彼の背後から、野太い掛け声やシューズが床を擦る音が聞こえてくる。学校の体育館にいるのがわかった。
「さっき、この地域に住む動画視聴者から連絡があってな。 内容はただの不審者情報なんだが、俺は別件で手が離せないしなによりせっかくの情報提供を無下にはしたくない」
「わざわざ視聴者一人の為にご苦労な事だな」
弥陀羅が発言すると、少し間を置いて植野は答えた。
「……弥陀羅もいるのか、ちょうどいい。 場所は古尾山の展望台、行ってくれるな」
彼は一方的に場所を告げると、後方から聞こえてきた植野を呼ぶ声に答えるのを最後に通話を切った。
「…………だからあいつは嫌いなんだ、全く……」
「行くんですか? 古尾山」
液晶画面に表示された時計は四時を示しており、真夏といえど今から山登りは少し無理がある。
幸い明日は土曜日なので、弥陀羅との話し合いの末、早朝にこの場所で合流することに決定した。
「夜寝てるのかは知らないですけど、ちゃんと起きていてくださいね」
「安心しろ」
絶妙に焦点の定まっていない、とても安心できない表情で弥陀羅は言った。
「俺は昼にしか眠らない」
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