#KAC20236 第七師団の憂鬱
高宮零司
第七師団の憂鬱
――1945年7月
「それで、増派の目処はついたのかね」
巨大な満洲帝国全図を睨みながら、檜垣中佐はもう何本目になるか分からない紙巻煙草に火を点けた。
帝國陸軍参謀本部第一部の作戦班が中心となった増派計画会議は紛糾していた。
「すでに予備役兵の訓練は始まっておりますが…何分対米戦が想定されなくなった影響は大きく…」
少佐の階級章をつけた士官は、眼鏡のつるを神経質そうに撫でながら答えた。
北米と北支でBUGと呼ばれる人類に敵対的な異形生物群の出現により此の方、帝國では厭戦気分が満ちていた。敵となりうる国家の多くが内憂を抱えている以上、軍の予算は縮小すべきという風潮が国内を覆っていた。
大蔵省はこれでもかと陸軍の予算に切り込み、戦争を煽っていた新聞社すらそれを礼賛する始末であった。
「だから言ったのだ、合衆国や北支の惨禍は対岸の火事ではないと!」
檜垣中佐は紫煙を吐き出しながら、唸るように言った。
だがしかし、その言葉が愚痴でしかないことは当人も理解しているようだった。
「それで、最初の増派部隊はいつ派遣できる?」
「第四十四旅団が少なくとも二週間後には。ただ、内地で抽出した兵力で編成された部隊ですから…」
「練度には期待出来ないか…やはり、第七師団には苦労してもらわなければならんようだな。北鎮師団の面目躍如を期待するほかない。忌々しいことだが」
「来たな…ええか。敵は人間ではない。最近国際連盟ではあれをBUGと呼称するよう通達されたらしいが、要は蟲ぞ」
馬渕大尉はがなるように通信機を通じて通達する。
六式重戦車のキューポラから双眼鏡で見下ろす戦場は、なんとも言えぬ風景であった。
大地を埋め尽くすかのような蜘蛛に似た…ただしあまりに大きな生物の群れ。
さらに厄介なのは、かの生物が「生体砲弾」と呼称される炸薬や、強酸性の体液を生み出す能力を持つことであった。
あれが現れたことでニューヨークが無人のゴーストタウンと化したことはすでに全世界が知る事となっている。
「全車、700で射撃を開始せよ。ええか、無駄玉は撃つなとは言わん。狙わないでも当たる数よ。好きに撃て、ただし、陣地からは離れるな。数で不利なこちらに機動戦をやる贅沢は無理だからな」
馬渕少佐は額の火傷の痕をさすりながら、微かに笑った。
「弾種は榴弾、あの蜘蛛型は装甲はさほど厚くない、ただ回り込まれると面倒だ。的確に潰していけ」
「蟲、距離700に到達!射撃開始します」
下にいる砲手からの怒鳴るような報告が入り、馬渕少佐は渋々ハッチから戦車内部へ降りるとハッチを閉めた。
車長席の僅かな視界からは満洲の朝焼けに照らされた赤い大地が見える。
指揮する戦車連隊の六式重戦車が、次々と
戦車という兵器の欠点、強固な装甲に覆われているが故に視界の悪さはこの時代さほどの解決策は見出されていない。
だが、その僅かな視界でバラバラになる蟲の姿はいくつか見られた。
戦車壕の中に車体をスタックさせている各車は、トーチカ化した砲台のようなものだ。動けないかわりに、防御力はそれなりにある。
しかし呑気に砲台化していられたのはたかだか十数分だった。
「ミナホ1より通信。右翼側に回り込まれたようです」
「分かった。全車後退しつつ射撃。二号壕へ後退!急げ!」
そう通信している間にも、彼らの部隊の右翼側の六式重戦車数両は脆い側面からの蜘蛛型BUGの生体砲弾により撃破されていた。まだ配備が始まったばかりの新型戦車も、脆い部分はさほど変わるわけではない。
だがしかし、多勢に無勢である彼らが払わなければならない犠牲は、まだ無数に折り重なっていく。
豆満江付近まで押し込まれ、ようやく大戦後半に満洲帝國の過半を取り戻すまでに支払うことになる帝國陸軍の膨大な犠牲の、ほんの一部に過ぎなかったのである。
#KAC20236 第七師団の憂鬱 高宮零司 @rei-taka
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