第25話 白球よ、その壁を越えて行け 5


 すでに何人ものチームメイトがグラウンドの端にごろごろと転がっていた。なかにはうめき声をあげながら泣いているやつまでいる。千本ノックといっても本当に千本するわけではない。普段ノックをする監督やコーチは選手の限界を見ながらやっている。だが茂本はすでにフラフラの状態だ。


「おらー根性見せろー! そんなんだから簡単に打たれんだぞ!」


 瑠流の痛烈な口撃。心まで折るつもりなんだろうか……だが茂本の目は死んでない。その真剣なまなざしは、ここ最近試合では見れなかった顔だ。


「はぁはぁ……よっしゃー! もいっちょ来ーい!!」


 瑠流がピッチャー返しさながらの打球を打つ。茂本はひるむことなく体でそれを受け止めた。その時、わずかに瑠流がニコッと笑った気がした。


「よーし、終了ー!」


「ありがとうございましたーー!!」


 全身泥だらけの茂本は大きく肩で息をしていた。でもその顔はなにかが吹っ切れたように清々しいものだった。


「じゃあ次ー」


 バットを肩に引っ掛け瑠流がこっちを見る。どうやら次はおれの番らしい。スパイクに履き替えグラウンドへ向かおうとすると茂本がおれの方へとやってきた。なんだかこうやって顔を向かい合わせるのも随分久し振りの気がした。


「すまん甚……おまえに謝らないといけないことがある」


「ああ……」


「悪いとは思ったが、おれはるるちゃんに告白した」


「……」


「おれも後悔はしたくなかったんだ……でもやっぱりおまえには適わなかったよ」


「えっ……」


「思いっきりふられたよ。甚以外を好きになるなんて天地がひっくり返ってもありえないってな」


 おれたちを見ている瑠流と思わず目が合った。どこか寂し気な、でも少し怒っているような表情。



 まずい……おれは盛大にやらかしてしまったようだ。


「ほらー! もたもたすんなー!」


 瑠流がバットの先をぽんぽんと叩く。やばい……ほんとに鬼の金棒に見えてきた。急いで向かおうとするおれに茂本がぽつりと呟いた。


「甚……生きて帰ってこいよ」






 白球を追いかけ、仲間と共に勝利を目指す。ひとつひとつのプレーに己の全力を傾け打ち、走り、投げる。転んだっていい。倒れたっていい。きっと仲間が抱き起こして支えてくれる。そしておれ自身も仲間を支える。嗚呼、野球はなんてすばらしいスポーツなんだ――


「おいこらっ! マシュマロ! 早く立てよ!」


「マ、マシュマロ!?」


「おまえなんか甘ちゃんでヘタレでふんわり柔らかのマシュマロだろが! マシュマロに謝れ!!」


「へ!? どゆこと!? うおっ!」


 瑠流は次から次へと強い球を打ってくる。右へ左へ、飛びついたおれが立ち上がる間もなく鋭い球が容赦なく襲ってくる。しかも瑠流はノックをする度に一歩ずつ進みおれの方へとどんどん近づいてくる。


「おらおら! おまえの実力はそんなもんかっ! ずっと野球をやってきてこれくらいも取れないんかっ! ずっと……ずっと私とやってきたおまえの野球はそんなもんなんかっ!!」



 瑠流はいつしか目に涙を溜めていた。おれは必死で瑠流の打球に食らいついた。汗だくの体に土が纏わりつく。それでもグローブを目一杯伸ばし飛び込む。何度も何度も立ち上がり瑠流が打つボールを追いかける。


 この時、おれは瑠流も傷ついていたことがようやくわかった。ちょっとした勘違いでおれは瑠流を疑ってしまった。怖くて確かめもせず彼女に裏切られたと思い込んだ。


 挙句の果てに一人で悩んで落ち込んで、すっかり調子を落としチームにも迷惑を掛けた。そしてなにより瑠流に悲しい思いをさせた。



 小さい頃からずっと一緒だった。野球を辞めても瑠流はずっと一緒にいてくれた。落ち込んだり悩んだ時も励まし背中を押してくれた。そんなかけがえのない存在を、おれはどうして信じてやれなかったんだろう。



 甲子園に行くという二人の夢を、どうしてあっさり諦めたりしたんだ。



「もう終わりかー!? きついならやめてもいいぞー!」


「まだまだーー!!」


 瑠流がボールを打ち、おれがそれを追いかける。静まり返ったグランウンドには金属バットの音だけが鳴り響いていた。



「ラスト一球!」


 瑠流がちょこんと小フライを上げた。おれは全力で猛ダッシュする。この球だけは絶対に落としたくない。


 地面を思いっきり蹴って前へと飛び込み手を伸ばす。一瞬ちらっと瑠流の顔が視界に入った。土煙が巻き上がる。ボールはグローブの中にしっかり入っていた。



「ナイスキャッチ」


 ぜえぜえと息をし、大の字になったおれに瑠流が嬉しそうにそう言った。おれはゆっくりと起き上がり瑠流に向かって正座をした。


「ごめん瑠流……おれはおまえの気持ちをなんもわかっちゃいなかった」


 瑠流はしゃがんでおれをまっすぐ見つめる。そしていつもの笑顔をおれに向けた。


「ほんとだよ。甚のバカタレ。いつまでもうじうじして情けないったらありゃしない」


 なにも言葉を返せないおれを瑠流がそっと抱きしめた。


「私が見ている先にいるのはずっと甚だけ。今までも、これからも」


「うん……ずっと一緒にいてくれ。瑠流」


 二人の顔がゆっくり近づく。おれがそっと目を閉じかけた時、周りから歓声が上がる。


 やべ、ここはグラウンドだったのすっかり忘れてた。少し顔を赤らめた瑠流がパチンと両手でおれの顔を軽く叩き立ち上がる。


「さあっ! 次はバッティング練習するよ! みっちりやるからねー」


 休む暇なく、おれは日が暮れるまでバットを振らされたのは言うまでもない。








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