第26話 白球よ、その壁を越えて行け 6


 ゆらゆらと陽炎が揺れるグラウンドを私はスコアボード片手にベンチから見つめていた。


 全国高校野球選手権、地方大会決勝。春のどん底から復活した我が野球部はついにここまでたどり着いた。甲子園まであと一勝。



 私が緊張してどうするんだ、と思ったが昨日はほとんど眠れなかった。甚は私の特製トンカツを食べながら「明日はホームランかっ飛ばしてやるよ」と笑っていたが、きっとめちゃくちゃ緊張してたはずだ。


 だって私たちの子供の頃からの夢だよ? その夢にあとわずかの所まで来ている。


 今日まで事ある毎に「私を甲子園に連れてって」なんてマンガのヒロインみたいなこと言い続けてきた。甚は「へいへい」なんて冗談っぽく返していたけど、本当は私よりも甲子園に強い想いを持っている。


 甚はとにかく野球が好きだ。リトルリーグの最後の試合で負けた時、号泣する私をずっと慰めてくれていた。甚は悔しくないんだろか、と私は思ったけど、その後こっそり隠れるように甚は一人で泣いていた。


 私が野球を辞めるって伝えた時は、本当に悲しそうな寂しそうな顔をしてた。でも私は甚と野球が出来ないなら続けてもしょうがないと思った。だって野球をしている甚をずっと近くで見ていたかったから。


 

 甚がバッターボックスへと向かう。今日まで見続けてきたその背中に私は胸が熱くなった。


 どうか悔いだけは残さないように、今は思いっきり野球を楽しんで。



「かっ飛ばせ。甚――」




 

 大きく深呼吸をして打席へと向かう。おれがアウトになればそこで試合は終了。「緊張するないつも通り」なんて下手な誤魔化しはやめよう。点差は一点。二塁にいる茂本を還せば同点に追いつく。


 初球は外へと逃げるスライダー。思わずバットが出てしまう。


「ストライク!」


 審判のストライクコールが聞こえるとスタンドからは大歓声が沸き起こる。落ち着け、ボールをよく見ろ。おれはベンチを振り返りながら自分に言い聞かせた。


 向こうのピッチャーは春季大会で敗れた相手。これまで何度も対戦したことがあるが、特に今日は調子が良かった。


「ストライク! ツー!」


 見送ったボールは外角ぎりぎりいっぱいに入り、わずか二球で追い込まれてしまった。


 おれは頭が真っ白になった。体が硬くなっているのがわかる。ベンチからみんなが声を掛けてるが大声援に掻き消されてよく聞こえない。おれは肩を上下に揺らし緊張をほぐした。


 三球目、さっきとほぼ同じコース。なんとか手を出しカットで逃げる。ピッチャーが勝ちを意識し始めたのか、それとも一人で投げてきた疲労からか、続く三球ははっきりとしたボールだった。


 九回裏ツーアウト、ランナー二塁。打席はフルカウント。正直、足がずっと震えている。次の一球でおれの高校野球は終わるかもしれない。瑠流を甲子園に連れていく約束が果たせないかもしれない。得も言われぬ不安が押し寄せてきた。


 監督のサインが変わるはずはないが堪らずベンチを見る。声を張り上げる仲間たちの中、瑠流は静かにおれを見ていた。


 そしておれと目が合うと瑠流はゆっくり微笑んだ。それはあの夕焼け空の下、瑠流と勝負した時の顔と同じだった。肩の力がスーッと抜けていく。


 なにかが吹っ切れた。バッターボックスへと戻りおれはバットを構えた。


「さぁこーいっ!!!」


 三振でもいい。おれは無心でバットを思いっきり振った。



「カキィーーン!!」




 


 甚が打ったボールはセンター方向へと真っすぐに飛んで行く。それはまるで、あの日私が投げたボールを打ち返した時のように。


「お願い入って!」


 思わず立ち上がって叫んだ。でもそのボールがフェンスを超えることはなかった。



 ボールをキャッチしたセンターが両手を挙げる。喜びを爆発させるかのように相手チームがマウンドへと集まった。ベンチではすすり泣く声。茂本くんも泣き崩れるように地面にしゃがみ込んだ。



 そして二塁ベースを回ったところでうつむいていた甚。でもすぐに顔を上げると彼は



 ――笑っていた。



 きっと甚には後悔はない。やり切った笑顔を向ける彼に私も笑い返した。



 こうして二人で追いかけた甲子園の夢は終わりを告げた。家に帰って緊張の糸が切れたのか、甚はずっと泣きながら私に謝っていた。その時ばかりは抱きしめて甘やかしたことは誰にも言わないでおこう。







「打ったー! 打球はセンターへ伸びていく! 入るか!? 入るか!? あーっと惜しくも届かずー。ここで試合終了です」


 スマホの画面には泣きながら膝をつく高校球児の姿が映る。おれは込み上げてくるものを我慢することなく吐き出した。


「うっうぅぅ! 惜しかったなぁーでも最後まで諦めずがんばったぞ! ナイスゲーム!」


 溢れる涙がおれの頬を伝う。やっぱり甲子園はいいな。目の前に座る不埒ふらちな大学生共にこの青春の輝きを見せてやりたい。


「どうしたんでしょう……甚さん突然号泣してますけど」


「ああカスミちゃん。きっとあれは甲子園――」


「まーた甲子園見て泣いてるの?」


 ジョニーの言葉を遮りながら誰かがおれの横にドスンと腰を下ろした。


「おーるるちゃん! 久しぶりー」


「久しぶりージョニーくん。いきなり来ちゃってごめんねぇ。なんかここでお茶してるって聞いたから。うちの甚がデートのお邪魔じゃなかった?」


「おまえなぁ。そもそもおまえがランチの約束すっぽかしたんだろ?」


「うるさいマシュマロ。てか鼻水出てるよ」


「ふぇ! マジ!?」


 おれが慌てて鼻水を拭き取っていると霞美ちゃんが戸惑いながら訊いてきた。


「あのぉ、こちらの方は……?」


「あーこの子は甚の彼女のるるちゃん」


「はじめましてー鬼頭瑠流きとうるるです。ジョニーくんの彼女さんですか?」


「い、いえ私は彼女というわけでは……あっ私は北条霞美ほうじょうかすみです」


「あら、てっきり彼女さんかと。でも早めに捕まえた方がいいですよー。ジョニーくん結構モテますからね」


「いやいやるるちゃん。そんなことないよー」


 ジョニーがにやつきながら答えると瑠流がちらっと冷たい視線を送った。


「またまたー。うちらの甲子園の夢を打ち砕いたエースピッチャーがモテないわけないでしょー」


 その言葉にドキッと身を震わせジョニーが姿勢を正す。


「その節は大変申し訳ありませんでした……」


 おれがプッと笑うと、瑠流の矛先はおれに向いた。


「いいのいいの。あれはあそこで打てなかった甚が悪いよねー」


「誠にすみませんでした……」


 

 瑠流の説教が続く中、スマホからは次の試合開始を告げるサイレンが鳴り響いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「白球よ、その壁を越えて行け」を最後まで読んで頂きありがとうございました。



 今年の夏の甲子園も地方大会からたくさんの感動をもらいました。勝手ながら作者なりの感謝を込めましてこのお話を書きました。



 いやぁスポーツっていいですね。


 さて次はラグビーだ! がんばれ桜の戦士達よ!








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