第47話

「……俺の本当の名前はユベールです。この国の南方、酪農地帯のファダールの、田舎に暮らしていました。母は奴隷ですが、主人は母と俺を家族のように扱ってくれました」


 シエル……改めユベールが落ち着いたのを確認して、シアニル兄様とカルカラ兄様は適任者は別だと言わんばかりにオルクス兄様を引っ張ってきてそこからどこかに行ってしまった。

 オルクス兄様の後ろには、ドアから半分顔を覗かせるようにしているヴェルジエット兄様がいて……入ってくればいいのにと思ったらオルクス兄様も同じことを思ったんだろう、無理矢理引きずり込んでいた。


 まあそんな感じで始まった中で、ユベールは自分の話をし始めたのだ。


 なんでも農場主さんは事情があって奴隷を買い求める際、妊婦さんを見つけて保護する気持ちで彼女を購入した。そして生まれたのがユベールだという。


 この国では奴隷をそれなりに大切に扱うけれど、法の目をかいくぐって碌でもないことをする人はいるのだという。

 農場と言ってもさほど大きくないし、女手がいてくれて子供もいたらきっと賑やかになるからと笑ってくれるような、いい人だったそうだ。

 

「農場主のドミーニさんは本当に優しい人でした。行く当てのない母さんと俺が困らないように、ドミーニさんは自分の死後牧場を譲るとまで言ってくれたんです。俺は奴隷の子だけど、酷い扱いなんてこれっぽっちもされなかった」


「……シエル、ううん、ユベール。大丈夫……?」


 話して行くにつれ辛そうな顔をするユベールの手を、私はそっと握るしかできない。

 彼の目にまたじわりと滲む涙を見て、私もまた泣きそうな気持ちになってしまった。


 でもユベールは、グッと握りこぶしを作ってそれで涙を拭いた。


「ある夜、農場に強盗が押し入ったんです。最初は野盗だと思ったんだ。金ならあるからってドミーニさんが俺たちを必死に庇ってくれたけど……」


 賊はお金を差し出すドミーニさんを一刀のもとに斬り伏せ、そして抱き合うユベール母子に迫りこう、尋ねたのだそうだ。


「母さんの、名前を聞いたんだ。そいつは」


「名前……俺たちも聞いてもいいのか」


 ヴェル兄様の言葉に、ユベールは少しだけ躊躇ってから顔を上げる。

 私の手を握るその手は、震えていた。


「母さんの名前はクララ。どこから来たのか、俺は知らない。だけど、あいつら・・・・は母さんを知っていたんだ」


 オルクス兄様とヴェル兄様は顔を見合わせて難しそうな表情を浮かべている。

 私も、なんとなく察しはついているけど……認めたくなかった。


 でも、ユベールがぎゅっと目を瞑った。


「母さんは俺を逃がした。俺のことも殺せって声が聞こえた。あの時怖くて、俺……怖くて。母さんのこと助けに行かなきゃいけないのに。俺、男なんだからしっかりしろってドミーニさんにも言われてたのに」


 ユベールの手に、涙が落ちる。

 たくさんの魔力がまた渦巻いて、でもそれは魔道具で押さえられたけど……そのくらい気持ちが抑えられなくなっていたんだと思う。


 私はただ、ユベールの手を握るしか出来ない自分が悔しかった。


「たくさんの犬に追いかけられたんだ。もうダメだって思った。でも気がついたら、飛んでた。怖くて逃げたくて、どうしたらいいのかわかんなくて。母さんのことを振り返る余裕もなくて、空を飛んで……」


「そして飛び続けて王城の庭に落ちた、か……」


「おそらく身を守るために魔法も使っていたのでしょう。だから城の結界も通り抜けられた」


「余程の才を秘めている、ということになるが……まあそれについては今は気にしないでいい」


 兄様たちが代わる代わるそんなことを言ってたけど、ユベールは震えっぱなしだった。

 当然だ、あの日のことを思い出して、怖くなっているのだ。

 そしてお母さんを置いてきてしまったという罪悪感に、今十歳の子供が苦しんでいるのだ。


「母さんが……」


 ぽつりと、ユベールが零すように言った。

 苦しそうな、声だった。


「俺の母さんが、魔国の王女様が探しているっていう、女の人かもしれない」


 おそらくそれは、正しい。

 というか、それが一番しっくりくる。


 奴隷として売られた女性、身ごもっていた子供。

 名前を確認してまで命を狙われる、それらが指し示すのは、どうしたってそこに結びつく。


「なあ、俺は……俺は、いったい、何者で、ただのユベールじゃ、だめなのか……?」

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