外伝 名無しの君へ
――これは、青髪の怪異がコンピュータ室を襲った時のお話。
「おいたはその程度にしておけ。哀れな双子の片割れよ」
コンピュータ室の扉を開け、鉄鼠は淡々と告げる。室内を満たす水の中には、衰弱し切った怪異たちが漂っていた。
「何をしに来た」
鉄鼠を睨みつける青髪の怪異。恨みに燃える赤い瞳に、鉄鼠は悲しげに笑う。だが、すぐに厳しい顔つきになると、泣く子も黙るような威圧を放った。
「きみたちを、殺しに来た」
「何……?」
青髪の怪異は、動揺して赤い瞳を揺らがせた。
「身籠った女が、交際相手の男に腹を刺され、殺された事件。被害者の胎にいた双子……、それが、水月ときみだね」
手にした真実を述べながら、怪異ににじり寄る。
「……。知ることはない」
「覚えがないのは当然のことだ。胎の中の記憶があるほうが、異常というものよ」
「……」
「――さて。ここで、問いを出そう。怪異の強さの源は、何だと思うかね?」
おどけた口ぶりで、鉄鼠が問う。青年は苛立ち、目を吊り上げた。
「不快! 消えろ!」
青年が怒号を放つと、景色が一変した。鉄鼠の目に映ったのは、遠い昔の光景だった。
御簾の向こうに座す、
「これは……」
それは男が、「鉄鼠」と呼ばれる以前――かつて、
頼豪は、白河天皇の命を受け、誠意をつくして皇子誕生の祈祷を行った。成功すれば、思いのままに褒美を貰うという約束のもとに。今、鉄鼠が置かれているのは、褒美の件で帝に呼び出されているという状況だ。
「……ほう」
あまりに懐かしい風景に、鉄鼠は感嘆の息を漏らした。
「汝が所望のことはいかに」
御簾を隔てて座る男が、問うた。この男こそ、頼豪が鼠の大妖となる原因をつくった、白河天皇だ。
「は……。我が望みは、園城寺に戒壇を建立することにさうらふ」
意に反して、口が勝手に動いた。不可思議な力に、鉄鼠は驚いて自らの口に手を当てた。
「これこそ存の外の所望なれ。今汝が所望達せば、山門憤つて、世上静かなるなるべからず」
約束を違えた帝の言葉に、激しい憎悪が沸き起こる。千年前、人の道を踏み外した時に抱いたものと、寸分違わぬ激情――。
だが、決して自分の意思ではない。今更、千年も前の記憶を追体験して、憎しみをぶり返すなど、年経た大妖にはあり得ぬこと。まるで、強制的に物語の登場人物にされ、作り手によって動かされているかのようだった。
「口惜し」
勝手に動く口がそう吐き捨てると、鉄鼠――頼豪は、清涼殿を後にした。
その日から、頼豪は断食を始めた。誠意をないがしろにされ、望みが叶わなかったことを恨みながら。自らの祈祷によって生まれた皇子を、魔道に堕とさんと――頼豪は、呪いのうたを吐き出し続けた。
「口惜シ……、憎シ……、皇子ニ呪イ有レ……、帝ニ災禍有レ……」
――それは、地獄の底から響くような、恐ろしい声。昼も、夕方も、夜も。頼豪は、ひたすらに呪詛を唱え続けた。
憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ、憎イ……!!
――断食を始めて、幾日が経った。頼豪の身体はやせ細り、ほぼ骨と皮の状態だった。白髪は伸び放題で、目は怨念に血走っている。すっかり鬼のような風貌となってしまった彼は、餓死寸前であった。
「――さて」
弱り切った身体に似つかわしくないほど、軽い動作で立ち上がった。
「追憶に浸るも、終はりとせむや」
呟いて、指先に霊力を込める。そして、一閃。鉄鼠は、腕を振り、空を薙いだ。それとともに、古びた和室はボロボロと剥がれていき、元のコンピュータ室へと戻っていった。
「な……、」
「きみと相対したのが、我で本当に良かった」
多大な精神的苦痛を味わったにも関わらず、鉄鼠は平然としていた。
「ありがとう。名もなき魂よ。己の罪を見つめ直す、たいへん良き機会となった」
鉄鼠は、苦悶する様子をまったく見せないどころか、やさしい声色で感謝の言葉を述べた。異様な態度に、青年は激しく動揺した。
「な、何故、戻って来られた……!?」
「きみの力が何なのか、前に見ていたからね。B高校で、白峰ショウと今淵亜希を襲っただろう、きみ」
鉄鼠は1歩、青髪の怪異に歩み寄る。ちゃぷん、と水音が鳴った。
「くっ……、来るな!」
ひどく怯えながら、青髪の怪異は後ずさる。水音は、鳴らない。
「水月の力が肉体に働きかけるのに対し、きみの力は、精神に働きかけるようだね。対象とした者の記憶に介入し、その人物が最も苦痛と感じる事象を、問答無用で発生させるというものだろう――」
鉄鼠は、力に取り込まれていた時に分析したことを、淡々と告げた。
「我であれば、帝に裏切られ、怨念にとり憑かれた時の記憶。百合花であれば、化け猫憑きの小僧に失望され、犯された時の記憶。白峰ショウであれば、日常からの崩壊、そして惨劇の記憶。年経た妖怪でなければ、簡単に心を壊され、ものによれば絶命する。……恐ろしい力だ」
「く――」
「待て。逃げるでない」
液体と化そうとした怪異の手を、鉄鼠が掴み妨害した。強大な霊力で、怪異の身体を縛りつける。不可視の力で拘束され、怪異の口からうめき声が漏れた。
「……さて。問いの答え合わせといこうか」
「ぐ、……っ、問い……?」
「そうだ。怪異の強さは何たるか……その答えだ」
そう言うと、鉄鼠は手を握る力を弱めた。
「憎悪、悲哀、悔恨、絶望……。怪異の強さは、その者が背負う闇の深さに比例する。あまりにも突然に子宮を追い出され、母の無念をその身に沁み込ませたきみたちは、桁外れな力を有してしまった」
「……強大な力を持つオレと奴は、不都合、か?」
「然り。きみたちの力は、この世の秩序を破壊しかねない。……特に、我の子と交わり、より強力な力を得た水月の方は――とても手に負えぬ」
「クソったれ!!」
動けぬ身体を恨みながら、青髪の怪異が怒鳴り声をあげた。
「ひとつ、はっきりと残っている記憶がある……。人間の男は、自分にとって都合が悪くなった時、どんな非道行為も厭わない……っ、残虐な生物だということだ!」
声を震わせながら、青髪の怪異は訴えかける。堅苦しく不器用だった話し方は、流暢なものへと変化した。
――遠い記憶。黒いクレヨンで塗りつぶしたかのような人影が、自分たちに向かって凶刃を振り下ろす映像。スローモーションにも思えたその時間は、霊の心に深く刻みつけられた。
「オマエも、オレの存在が疎ましいから……っ、だから……!」
恨みつらみに戦慄く声は、次第に悲しみを孕んだ色に変わる。脳裏には、潤の顔が浮かんでいた。
『誰だ。この子を傷つけるのなら――』
冷ややかな眼差し、鋭い敵意――それを向けられた記憶は、片時も忘れることができなかった。
「……っ、ク、ソ……」
青髪の怪異が、顔を俯かせる。それ以上、何も言わなかった。
「哀れなことよ……」
気づけば、そう溢していた。悲憤とともに流れ込んできた思念に、鉄鼠は深いため息をついた。
「男を恨んでいながら、同じ性を象った姿を選ぶとは――」
「……っ!」
鉄鼠の指摘に、青髪の怪異は息を呑んだ。
「きみの心は、酷く混沌としているな」
そう言って、鉄鼠は手を掴んでいるのとは逆の手で、青い髪を撫でた。
「水月に憧れ、同じ姿になりたいと思う反面、彼女を妬み、絶対に同じになどならぬという心。愛されたいと願いながら、自分を見てくれなかった潤を憎む心……」
赤い瞳が、狼狽えるように揺れ動いた。
「きみは、水月のように、人の形をうまく象ることができなかった。ゆえに、あの日より後、きみが潤に見てもらえることはなかった――」
「だまれ……」
青髪の怪異が、うわごとのように呟く。
「我が神社へ行くことを禁じた後……、潤はたびたび、その場所でのことを話していたよ。よほど、忘れられなかったのだろうね」
「黙れ! 黙れよ!!」
「話を聞いた限り、息子がはじめに触れた魂と水月は、同一だと思っていたのだが――」
「黙れっつってんだろ!!」
鉄鼠は切なげな表情で、喚き叫ぶ幼子を見下ろす。
「きみだったんだね。潤の手のひらで眠りについた、淡い光は」
「――――」
青髪の怪異は、頭を抱えて項垂れた。
「うまくいかない現実を、自分の出来の悪さを――きみは、激しく恨んだ。それらが絡み合った末に、訳が分からなくなってしまったのだろう? そうしてきみは、力の対象を……、自分自身とした」
「ち、が……う……。オレは……っ、ワタシは――」
頭上から降ってくる声に、頭を抱えて必死に首を振る。――ぐにゃり。おぼつかなく歪む、酷く危うい姿。鉄鼠は憐憫の情を抱きながら、膝を曲げて、怪異と目線を合わせた。
「きみは……、愛して欲しいと願った男を、自らが最も嫌悪する記憶の男と同じ姿で、方法で、殺した」
姿の安定しない怪異の姿を見つめながら、鉄鼠は語る。
「そうしてきみは、負の感情を糧に、その存在を保つようになった。潤を憎み、水月を嫌うという選択をした。水月とは、徹底的に対極にあろうとした……。だが、奇しくも、水月が嫌った男は、水月と似た金色の瞳をしていて――君は、またも苦しめられた」
「……っ、どう、して……!」
青髪の怪異が、鉄鼠の黒衣にしがみついた。
「何故オマエは、そんな目でオレを見る!? そんな声で語りかける!? オレを、殺しに来たんだろう!?」
「……ああ、そうだ。君たちは――」
「だったら!」
鉄鼠の言葉を遮り、青髪の怪異は叫ぶ。端正な顔が、くしゃりと歪んだ。
「何故、オレを憎まない!? 何故……っ、あの時、潤が向けてきた眼差しを、オレに向けない!? ワタシは……、オマエの息子も、娘も――その恋人も、殺したぞ! それなのに……ッ」
そこまで言うと、青年は俯いた。黒衣をぎゅっと握りしめながら、細い肩を震わせている。
「先にも言ったが……」
低く響くような声に、青髪の怪異の肩が小さく跳ねた。
「強大な力を持っているということは、それほど悲しき存在であるということだ」
鉄鼠が、青髪の怪異を強く抱きしめた。真っ赤な目が、大きく見開かれる。
「なっ、……なにす――」
「ゆえに、君たちは、早急に、浄化されなければいけない。救われなければいけない。……幸せにならなければ、いけないんだ」
抜け出そうと身じろぎする身体を、ぎゅう、と腕に閉じ込めた。戸惑う青年の心に、身体に、じわり……、じわりと、ぬくもりが伝わっていく。
「もう、苦しまなくていいんだよ」
真っ赤な目が、穏やかに細められる。強張っていた身体から、力が抜けていく。
「だから、早く――母のもとへ、行くといい」
怪異の手が、か弱い力で黒衣を握った。まるで、赤子が「置いていかないで」と、引き留めるように。
「……コワい」
ノイズの消えた幼い声は、ひどく弱々しかった。
「さむいのは……、もう、イヤだ」
力なく零された鬼胎に、鉄鼠は唇を噛みしめた。あまりに悲しい魂を生み出してしまった顔も知らぬ男に、やるせない怒りが沸き起こる。
「……大丈夫だ」
何が大丈夫なものか。自身もまた、彼(彼女)らを殺した男と――否。それよりも、遥かに罪深い者。言えた口ではないと自嘲しつつも、とにかく目の前の魂に、安らぎを与えようと努めた。
「醜いだけが、ヒトではない」
そう言って、鉄鼠は霊から身体を離した。18歳ほどだった霊の顔立ちは、かなり幼いものとなっていた。白く、柔い頬を、大きな両手が包み込んだ。
「いいかい? この世界は、因果応報の理で回っている。悪いことをすれば、悪い報いが返ってくる。逆に、良いことをすれば、良い報いが返ってくるんだ」
我が子に言い聞かせるように。鉄鼠は教えを説いた。
「きみが苦しんだのは、前世で悪い行いをしたからだ」
「そうなの……?」
「ああ。だが、安心すると良い。きみはもう、十分すぎるほどに苦しんだ。罪は、清算されたのだ。来世は、良き父母のもとに生まれ、たくさんの愛情を受け、育まれることだろう」
不安そうに見上げる霊に、穏やかな笑みを向けた。強張っていた霊の表情が、安らかになる。
「不安は、なくなったかい?」
霊が、こくんと頷く。
「では、最期に――きみへ、名前を授けよう。きみが、たしかにこの世界に存在したという、証拠を」
霊の赤い目が、大きく見開かれた。命の名前。水月にはあって、自分にはなかったもの。絶対に、手に入ることはないと、諦めていたもの――。
「きみの名は、カゲロウ。陽に炎と書いて――陽炎だ」
カゲロウ。陽炎。――与えられた名を耳で聞き、何度も頭で反芻する。
陽炎、陽炎。繰り返すたび、乾いた心を、あたたかいものが満たしていく。
「ワタシは、陽炎」
「そうだ。きみの名前は、陽炎だ」
「……へへ」
陽炎が、はにかむように笑う。それとともに、幼いからだは透き通っていった。瞬く間に薄れていく姿を、鉄鼠はしっかりと見守った。
「ありがとう」
その言葉を最後に、陽炎は消えていった。
コンピュータ室を満たしていた水が、消失する。そこから現れたのは、今淵亜希と霧崎全。シミズと花子さんは、その存在が溶解してしまったのだろう。彼らの姿はどこにもなかった。
「そこな娘が助かりしは、おまえの生命力ゆえか。まっこと、しぶとき猫よ」
全を一瞥した後、鉄鼠は亜希を脇に抱え、コンピュータ室を後にした。
そして鉄鼠は、ショウと再会を果たすのである。
外伝――――完
ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。「炎陽ノ鬼」は、今話にて完結となります。拙作を閲覧して頂いた方、応援やレビューをしてくださった方。
本当にありがとうございました!!
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