第26話 惨劇の後
「う……ん……」
――静寂に包まれた音楽室で、亜希は目を覚ました。もう夜が明けたようで、窓の外から見える空は、すっかり白んでいた。
「ショウくん……? どこ……?」
きょろきょろと辺りを見渡すが、誰の姿もない。肖像画、ピアノ、長机などの無機物が、そこに鎮座するだけだった。
「ショウは消えたよ。キミを一生懸命守ってね」
どこからか、声が聞こえた。
「だ、誰!?」
――ふわり。亜希の目の前に、両手で抱ける大きさの動物が舞い降りてきた。ゾウのような鼻に、ウシのようなしっぽ、トラのような足をした、4足歩行の動物だった。
「オイラはバク。悪夢を好む妖怪だぞ」
「バク……」
それは、悪夢を喰うことで有名な妖怪。文化祭で、ショウがコスプレをしていた妖怪ということもあり、印象強く覚えていた。
「それで、ショウくんが消えたって……どういうことですか?」
「そのまんま。命があってもなくても、怪異の死体は残らないからな」
「だから、どうしてショウくんが死んだのかと言っているのです!」
苛立ちのまま、叫ぶ。バクは首を傾げた。
「混乱してる? 水月と相討ちだよ。一瞬、水月の中に誰かがいたけど」
「あ――――」
刹那、雑踏のように押し寄せる記憶。亜希は思い出した。ショウと共に音楽室へ逃げ込み、水月への対策を練った。真っ先に攻撃を仕掛けるショウを諫め、水月を説得しようと試みたが、結果は――。
「思い出したか? キミたちは、水月と戦ってたんだぞ。ぐちゃぐちゃにされるキミを見て、ショウは怒り狂って水月を攻撃した。その結果、水月の気がそれて、キミは消滅寸前で助かったのさ。そのかわり、ショウが死んだ」
つい先ほどまで、突拍子のない話でしかなかったのに。急激なスピードで、大切な人の死に直面させられる。――理解を拒みたかった。それなのに、静まり返る音楽室が、「夢なんかじゃない」と突きつけてくる。
「そ……そん、な…………」
亜希の目から、涙が溢れ出した。
「悲しまないで。キミを守れて、ショウも本望だよ」
亜希を慰めるように、バクの長い鼻が涙を拭った。
「あ……っ、あなたに何が分かるっていうんですか! 急に現れたかと思えば、勝手なことを!!」
腕を振り、拒絶する。
「知っていたのなら、助けてくださいよ! どうしてショウくんがやられるまで、傍観していたのですか!!」
「……ごめんよ」
しょんぼりと鼻を垂れ下げながら、バクは謝罪した。
「オイラはバク。夢の中では無敵だけど、現実ではなんにもできないんだ。それにオイラ、ついさっきまでショウの中にいたから」
「え……?」
驚く亜希。バクは悲しそうに笑った。
「……オイラはね、ずっとショウの傍にいたんだ。だから、キミたちのことはよく知ってるよ。チビメガネのクニオに、変な喋り方をする部長さん。それに……大学生の夏樹」
懐かしそうに、バクは語る。
「ショウの夢は、すごく、すっごく美味しかったんだぞ。毎日がご馳走、コース料理! でもね、たびたび悪夢を見るってことは、それだけ心に闇を抱えていたってことでもあるのさ」
「ショウくんが……?」
「外ヅラがどんだけ明るくても、心までそうとは限んないだろ。ショウは無意識に、そういう闇を抑え込んでいたのさ」
そこまで言うと、バクはぷるぷると震えながら丸くなった。
「オイラがそれを、刺激しちまったんだ。オイラたちバクが喰えるのは、あくまで夢だけなのに。オイラは、現実を喰おうとした。夏樹と同じ姿の化け物に、家族を喰い殺される、悪夢みたいな現実を」
――あの日。白い惨劇の中に足を踏み入れようとするショウを、バクは必死に止めようとした。……けれど、現実世界でのバクは、ひどく無力だった。霊感のないショウには、バクの叫びは一音すらも届かなかった。結果、ショウは親友に家族を惨殺されたところを見てしまうことになった。
「何もできないのが悔しかったんだ。ショウの苦しみを、ちょっとでもマシにしてやろうと思ったのさ」
「…………」
「でも、そのせいで、ショウは殺人鬼になっちまった。心の闇がオイラを取り込み、殺人鬼の人格になったんだ。だからオイラ、外に出られたの久しぶりなんだ」
「……ショウくんは、ある日を境に殺人鬼の人格は消えたと言っていましたが」
「だれかに、退治の呪文を作られたみたいでね。唱えられたとたん、自分で自分の首を絞めてたんだ。アザが残るくらいにね。たしか、なんだっけな――。呪文は忘れちゃったけど、その日から、殺人鬼の人格は眠りについたよ。目覚めることはなかったけどね!」
バクはぱっと手足を広げた。
「それが最期まで表に出なかったのは……、亜希。キミが霧崎全――いや。ここでは今淵春生、って呼ぶのが正解かな。彼を生かす選択をしたからだよ」
「どういうことですか?」
「今淵春生が死んだら、キミは"消える家族"と同じ状況になっちゃうから」
「消える家族」は、1人を除いて家族を惨殺し、残った1人を甚振るという怪異。亜希の家族は、父親も、母親も、夏樹も、ゆきも消滅している。もし、今淵春生が死んでしまったとしたら、「消える家族」の怪談どおりの状況になってしまう。
「キミは、ショウが愛した女の子だ。ショウにとって、強い影響を与える存在。だからこそ、眠ってた邪悪な面を起こす目覚ましにもなっちまうんだ。キミが最後の1人になったら、また殺人鬼が現れてただろうね」
「……少し、黙ってくださいませんか」
頭を抱えながら、亜希が苦言を呈した。
「実感の湧かないことをぺらぺらと話されても……想像しかねます」
彼女は、ショウの内面を少しも理解していなかった。その事実を突きつけられ、ショックを受けた。所詮、彼の光の部分だけを見ていたに過ぎないのだと。亜希は己の無知を、恥じた。
「……分かった。ごめんよ。キミには知ってほしかったから」
亜希の心中など知らぬバクは、見当違いな謝罪をした。
「最後に、お礼だけは言わせてくれよな。亜希。ショウを"ショウ"のまま終わらせてくれて、ホントにありがとな。キミを傷つけるようなことになったら……、オイラもショウも、嫌だからさ」
そう言うと、バクはふよふよと亜希から離れていく。だが、何か思い出したようで、くるりと亜希を振り返った。
「そういえば、思い出したよ。消える家族を追い払う呪文――」
◇ ◇ ◇
春は隔てられ
夏は雪に侵された
秋は終わりの始まりを告げ
冬は炎に呑まれた――――。
人気のない丘の上。墓石に向かい、1人の少女が詩をうたう。石には、「水木あゆみ」という名が刻まれている。少女は妖怪・座敷童子。かつて今淵に身を置いていた座敷童子のうちの1体で、あゆみを逃した個体。
そして──今淵の人間から、全とあゆみに関する記憶を封印していたのも、彼女である。
「無常よな。おまえに何度このうたを聞かせようとも、おまえはもう、帰ってこないのだから」
零された、切なるため息。感傷に浸る彼女の後ろで、草を踏む音が鳴った。
「――久しいのう。猫憑きよ。達者であったか?」
座敷童子が問いかける。しばしの沈黙の後、全は唇を開いた――。
生まれることの叶わなかった怪物が引き起こした惨劇。その生存者は奇しくも、怪物と同じ目の色をした、生まれたことを否定された者たちだった。彼女は既死。彼は不死。どれだけ世界が辛かろうと、何もしなければ死の安らぎは訪れない。停滞する理由を知るため。現世から逃れるため。行く当てもなく彷徨った先で、2つの月が、再び邂逅を果たすのは――――また、いつかの、雨が降り注ぐ月に。
雨音に溶ける月――完
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