第4話 凶刃

「――すまない。俺が原因で、多大な犠牲が出てしまったこと……。本当に、申し訳なく思ってる」


 虚ろな表情で、全は力なくそう言った。水木は苛立ち、ずいと全に接近し睨みあげた。


「言ったはずだぞ。本当に申し訳なく思っているのなら、這いつくばれ、と」

「それで、きみの気が済むのなら、迷わずそうするけど……。それで足りるのか?」

「這いつくばれと言ってるんだ!!」

「っぐ――――」


 太ももに包丁が突き立てられ、全は膝をついた。


「赦しを乞うのか、烏滸がましい! お前など、どれだけ謝罪しようとも、赦されることなどない!  100万回、極めて残虐な方法で殺されて、ようやく赦すか赦されないか考慮するくらいだ!」


水木は激怒しながら、患部をグリグリと抉る。


「ちょ、部長! 落ち着いてくださいって」

「引っ込んでろ、ショウ!お前に口出しする資格はない!」

「……っ」


 ぐうの音も出ず、口を閉ざすショウ。しかし、その表情は何か言いたげだ。すると全が、口出し無用と言わんばかりに、制止のジェスチャーを出した。


「……俺が憎いなら、何度だって殺せばいい。その包丁を何度も突き立てて、内臓を、目玉を、脳みそをえぐり取ってくれても構わない。それで、疲れたら、俺が再生する前に消えてくれ。――俺にできるのは、それくらいだ」


 無機質な声でそう告げる全。水木が、勢いよく包丁を引き抜いた。全の顔が痛みに歪む。灰色のジャージに、赤黒いシミができた。


「それで? お前は苦痛を感じるのか? ほざけ! 提案を持ち掛けてくるということは、耐えられるということだろう! お前は少しも、反省なぞしていない!!」

「あのな!!」


 声を荒げ、立ち上がる全。傷はもう、完全に塞がったようだ。ほら見ろと、水木が顎を突き出す。


「やはりな。肉体にかかる痛みなど、お前にはどうということはないのだろう」

「痛いに決まってんだろ。さっき屋上から落ちたけど、死んだほうがマシだったぞ……」


 落下する恐怖を思い返し、全は身震いした。


「……俺が一番分かってんだよ。生まれてきちゃいけなかったことくらい。わざわざ他人に言われなくても」

「ああそうさ! お前は、生まれてくるべきじゃなかった。お前という命が、母の胎に宿らなければ良かったんだ! お前という魂が存在すること自体が厄災で、悪夢なのだ。人々に不幸をばら撒く、迷惑極まりない獣畜生め。私は、お前という命が存在してしまったことを、否定する!!」


 水木の後ろで頭を押さえるゆき。

 ショウの傍らで震える亜希。

 真実を暴いた者と、今淵に災厄をもたらした者たちの口撃は、矛先でないはずの彼女らに深く突き刺さった。


 衝撃。

 混乱。

 憔悴。


 次々と沸き起こる苦悶の感情が、彼女らを蝕んだ。


「部長、いくらなんでも……」


 ショウは咎めようとしたが、尋常でない殺気を感じ取り、動きを止める。


「好き勝手言いやがって……」


 全が、凄まじい形相で水木を睨んでいた。ギラギラと光る金色の目は、亜希とはまるで違う。まさに、獣だった。


「はん、それがお前の本性か。おぞましいな」


 嘲る水木だったが、その頬には冷や汗が伝っていた。


「どうとでも言えばいい」


 鋭くなった全の爪が、水木へと向けられる。水木は包丁を振るおうとしたが、振り下ろされる前に、全がその手を掴んだ。


「っぐ、」


 人を凌駕した力に、水木の顔が歪む。包丁が、あっけなく土に落ちた。


「たしかに、お前の口から告げられた、一連の惨劇の元凶は、俺が生まれたことによるものだ。否定しようもない、何度でも謝罪しよう。お前の言う通り土下座もしてみせよう。何度でも殺されよう。……けどな、俺が母親の胎に宿ったこと自体は、どう頑張っても変えられないんだ。それをどれだけ否定されても、糾弾されても……もう、どうしようもないんだよ」

「……なら、」

「それにな!」


 水木の言葉を遮り、全が続けた。


「誰が、周囲を不幸に陥れようと意図して生まれてくる!? 誰が好き好んで、この容姿で生まれつく!? 全部、全部、全部……、全部、全部!  俺の意志なんかじゃない! 俺という命が宿らなければ良かった!? 知らねぇよ、好き勝手セックスして俺をつくったのはあいつらだ! 俺に当たるな!! 俺が幸せを全部壊した!? 俺だって恨みたいよ! 化け猫、お前さえ憑かなきゃ、こんなことにはならなかったんだってな! それを、どいつもこいつも“俺が生まれてきたせいだ”って、全部の恨みを押し付けてきやがって!! 異形に生まれつく苦しみが――」


 ミシミシと、軋む音が鳴る。爪が食い込んで血が滲み、水木が呻いた。


「お前に分かるものか!!」


 百合花と同等以上の力を加えられた手首は、いとも簡単に千切れた。


「っあ"ああああああああああ!!」


 崩れ落ちる水木に、全は爪を振り下ろそうとした。


「部長!!」


 ショウが即座に全の背後に回り、脇腹を狙い蹴りを放つ。しかし、その攻撃は当たらなかった。跳躍した全は、空中で体を回転させると、軽々と着地した。


「っな――!?」


 凄まじい身体能力に仰天する間もなく、ショウの視界から全が消える。風を切る音をわずかに聞き取り、全の居場所を悟った。


「う"っ――!?」


 横を向いた時には、既に爪が眼前に迫って来ていた。上体を後ろに倒し、なんとか回避するショウ。少量の前髪が、はらりと落ちる。追撃に備え、体勢を立て直そうとするも、バランスを崩して転倒した。


「っがは……、ア“……ッ、…………!」


 水木に刺された箇所を、地面に強く打ち付けてしまった。声にならない喘ぎが漏れ、ショウは目を白黒とさせた。


「やめて!!」


 亜希が叫んだ。地鳴りの音と共に、昇降口のガラスが割れた。ガラス片は、意思を持ったかのように、全へと一斉に襲い掛かる。


 全はガラス片を切り裂いたが、さらに細かくなったものが体に突き刺さった。避けようとしても、細かい刃がどこまでも纏わりついた。


 対処するのは不可能と判断すると、全は一直線に亜希へと向かって行った。体中にガラスが刺さっているにも関わらず、疾風の如く突進するその姿は、獰猛な獣のようだ。


「ひっ……!?」


 刹那の内に、亜希の眼前に現れた全。彼女の首を乱雑に掴むと、横へ投げ捨てた。


「亜希ぃいいいい! ……っぐ、」


 凶器を顕現させようとするショウだったが、背中の痛みで集中できず、力が発動できなかった。


「次は……おまえか」

「ひっ……!?」


 ゆらりと、全がゆきに視線を向けた。ゆきは、青い顔でその場にへたり込んだ。


「今淵春生!!」


 水木が叫んだ。


「周りを見て見ろ! それがお前の本性だ!!」


 己の凶刃により、地に伏す者たち。悠然と立っているのは、全ただ1人。ガラス片による傷も、既に完治していた。


 全の脳裏に、初めて人を――義両親を殺めた時の記憶が蘇る。思い出したくもない記憶に、全は辟易としてため息をついた。


「あれだけ災厄を撒き散らしておいて、被害者の憎悪を身に受ければ、己が被害者だと言い張り暴れ回る!! 害悪以外の何物でもない! さっさと死ね、化け物め!!」


 水木はそこまで言い切ると、呻き声の後に口を閉ざした。千切られた手首の痛みが、彼女を苦しめていた。


「――――、」


 顔を俯かせ、全が何かを呟いた。ショウは見た。金色の双眼が、ギラギラと殺意に血走っているのを――。


(――ヤバイ!)


 そう直感した。痛みの中、なんとか包丁を顕現させると、その手に握った。


「1度殺されたくらいで被害者面するな! そんなに言うなら、お前がもう1度死ね!!」


 全の手が振り上げられる。


(ダメだ、間に合わねぇ!!)


 とっさの判断で、ショウは包丁を投げつけた。だが、衰弱した体ではコントロールが効かず、包丁は全のはるか手前で落下した。


「部長ぉおおおお!」

「水木先輩ーっ!」


 叫ぶショウと亜希。水木は、ぎゅっと目を瞑った。凶刃が、水木のからだに振り下ろされていった――。

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