第19話 救いの花は業火に焼かれ
――時は遡り、園城蓮が赤い図書室に襲来した時刻へと戻る。命令を許否された蓮は、わなわなと怒りに震えていた。
「絶対に許さない……! ぶちのめしてから連れて帰るからなこの淫乱女が!!」
鬼の形相で手印を結ぶ蓮。次の瞬間、百合花の身体は本棚に縫い付けられた。
「百合花さん!?」
ゆきが驚いて百合花を見る。不可視の力で拘束される彼女は、死んだように無抵抗だった。
「そら見ろ。お前は本っっ当にどうしようもないな!」
蓮が嘲笑った。
「人間を凌駕する怪力を有しているのに、一度組み敷かれた男には抵抗することもしない! お前が淫乱たる所以だ!」
「…………」
「だんまりか。まあ良い。こちらとしても無抵抗の方が助かる。早く来い、父さんがお待ちだ」
蓮が、己の力で百合花を引き寄せようとした。
「ねぇ、ちょっとまって!」
力が発動する前に、ゆきが割って入った。
「詳しいことは分かんないけど、やめてよ。乱暴なの、さいてーだよ」
「最低? これは当然の制裁だ。何せ、父さんを無下にしたのだからな!」
「父」というワードと、暴力。それは、ゆきの心をざわつかせるのには十分すぎた。
「……ちがう。こんなの、絶対にまちがってる!」
こぶしを握りしめると、キッと蓮を睨みつけた。
「わたしの世界で乱暴するなんて、ゆるさないから!!」
ごうっ――――。
ゆきの周囲に、炎が出現した。
「ほう、邪魔立てするか。ならば、お前を消滅させるまでだ」
蓮は立てた2本の指を口元に寄せ、経を唱え始めた。ゆきの身体に激痛が走る。身体の内側から炎で焼かれているような感覚に、生前のトラウマが蘇る――。
『お前を産んだ後、気が狂って、自分の腹をめった刺しにして死んだんだ! お前が……っ、お前が生まれてきたから、妻は死んだ!!』
怒り狂う、ゆきの父親。震える手でマッチに火をつけると、油まみれのゆきに放り投げた。彼女の小さな身体は、刹那の内に炎に包まれる。
『お前なんぞ、生まれてこなければ良かったんだ。地獄で詫びろ』
激しい苦痛の中、最期に聞いたのは父親の呪詛だった――。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
炎。それは赤い図書室の力であり、トラウマでもあった。ゆきはからだを痙攣させ、断末魔の叫び声をあげた。
「他愛ないな。どうだ、苦しいか?」
絶叫するゆきに、蓮は勝ち誇ったように問う。
「お前のことは、事前に調べ尽くした。健気な少女の仮面を被ったところで、お前が凶悪な怪異であることに違いはない。効くだろう、退魔の力は?」
「あああああああああああ……あああああああああああああああああああ!!」
「そのまま消滅しろ、赤い図書室!!」
力を強め、トドメを刺そうとしたその時だった。
「――やめなさいよ」
百合花が口を開いた。
「父親を妄信して、私を慰み者にするのは良いわ。あの化け物に比べたら、何倍もマシだもの。でも、幼い女の子に暴力を振りかざすのは感心しない。今すぐやめて頂戴」
冷ややかな目で見下ろしながら、非難の言葉を投げつける百合花。蓮の意識が、即座に百合花のほうへ向いた。
「はっ! 俺に命令するか。だが、お前に俺をどうにかするほどの力はないだろ。何故ならお前は――」
「そうね。一度組み敷かれた男には勝てない。アイツと交わったことで強い力を得たけれど、同時に厄介な性質を与えられたものだわ」
そう独白すると、百合花はニヤリと笑った。
「――でも、言葉でアンタを搔き乱すことはできる」
ごう、っと蓮の近くで炎が燃えた。
「チッ……」
蓮は舌打ちすると、炎から距離をとった。
「ひどい……っ、ひどいよ! 痛かったよぉ!!」
しくしくと泣きながら、恨み嘆くゆき。キッと蓮を睨みつけると、彼を指さした。
「やり返してやるんだから!」
「はっ、やれるものならやってみろ。怨霊風情が!」
ゆきは力を発動させ、蓮の身体を発火させようとした。――が、何も起こらない。
「なん、で……?」
困惑し、瞳を揺らがせるゆき。赤い図書室において、彼女は火に関しては万能の力を持つ。
炎の発生。
炎の温度の調整。
物体の発火。
燃やすものと燃やさないものの選別。
――そう、火に関することで、赤い図書室ができないことはないのだ。
しかし、蓮の身体は燃えなかった。ゆきが、燃やそうとしたのにも関わらず、だ。
「無駄だ。この腕に書かれた経が、体内に入り込む邪を、全て払うのだ」
まくられた袖から出た肌には、お経がびっしりと書かれていた。あまりの異様さに、ゆきはゾッと顔を青ざめさせた。
「結界を有する怪異は、その域での力は絶大。対策を施さぬ訳がないだろう」
蓮がしたり顔で嗤った。
「へぇ。あんた達の信じる宗教は、随分とゆるいのね。戒を破っても、お経が守ってくれるなんて」
百合花がすかさず冷やかしを入れる。
「余計な口を挟むな! 殺すぞ!!」
「殺していいの? お父さんに嫌われてしまうわよ?」
「っ……!」
蓮は悔しそうに歯を軋ませた。
「ああ、そうだ。その子を倒したら、着いて行ってあげてもいいわ」
「――――!」
蓮の心に動揺が生じる。その隙を見逃さず、ゆきが炎を放った。
「くっ……」
間一髪、横へ回避する。とっさのことでバランスを崩しかけるが、本棚に手をついて転倒を免れた。
「命はとらない。今すぐ、ここから出てって!」
従えた炎に照らされながら、威圧するゆき。蓮は体勢を立て直すと、彼女を睨み返した。
「あはははははははははははは!!」
百合花が高らかに笑った。
「あんたは本っ当に……、影響されやすくて滑稽ね!」
「っこの、クソ女ァアアア!!」
襲い来る炎。暴言を吐きながらも、蓮はゆきの攻撃を避け続けた。
(赤い図書室自体は大したことない。攻撃も単調だ、避けるのは容易。問題はあの女の妨害……。っくそ、気が散る……!)
頭では分かっていた。目に見えた挑発。精神を搔き乱す、見え透いた作戦。だが、百合花を激しく嫌悪する蓮にとっては、この上なく厄介だった。
「っはぁ、はぁ、はぁ……!」
絶え間なく炎を投げつけながら、ゆきは息を切らしていた。どれだけ攻撃をしても、避けられ、相殺され、ダメージを負わせることができない。かと言って、炎の強度を上げれば、蓮だけでなく百合花まで殺しかねない。
万能とはいえ、それは己の力を完璧に制御できている時の話。操作を誤れば、意図せず巻き込んでしまいかねない。
(だからって、一瞬でも攻撃するのを止めたら、アレが襲ってくるし……。ああ、もう! なんとかこいつを追い出したいのに、うまくいかない!)
苦心しながら、ゆきはちら、と百合花を見た。
(穏便にこいつを追いだすには、百合花さんの話術に頼るしかない、か……)
「あ、そういえば蓮」
ゆきの思惑を感じ取ったかのように、百合花が口を開く。
「霊感の強い女の子には会った?」
ピク、とゆきが反応を示した。
「桜ちゃんに会ったの!?」
攻撃を止めないまま、ゆきが問いを投げた。
「関係ない」
炎を難なく相殺しながら、蓮が答える。
「どこで!? いつ!? 教えて!」
「関係ないと言ってるだろう!」
「答えてって――言ってるでしょ!!」
ゆきの操る炎の力が、急激に強まる。百合花は危険と判断し、戦闘の場から離れた。
「まさか、殺したの? 蓮」
奥の本棚に身を隠しながら、百合花が煽る。
「邪魔立てしてきたから、排除した! それが何だ!!」
「――――――」
ゆきの目から、光が消えた。心優しい彼女の心が、急速に冷えていく。殺さないように気を張っていたのが、心底馬鹿らしくなった。
「ねぇ、蓮さん……だっけ」
炎の出力を、さらに上昇させる。離れていて、かつ経で身体を守っていても感じる熱さに、蓮は顔を顰めた。
「レンって……蓮って書くのかな? 仏教における救済の象徴。神聖視される花の名前」
「ええ、父親がそう名付けたわ」
蓮の代わりに、百合花が答えた。
「だったら、あんたのおとうさんに伝えて。わたしのだいじな人を殺すような悪い蓮華は、地獄の業火で焼き尽くしてあげる、って!!」
周囲に気遣えるギリギリのラインまで、炎を強める。そして、標的を目の前の鬼畜へと絞り込んだ。
「死ね!!!」
赤い図書室の本気の炎が、蓮に襲い掛かかる。相殺しようと振りかざした指が、手首にかけてまで焼失した。
「な――――っ」
蓮は、驚愕の表情で己の手を凝視した。切断面は黒く焼け焦げ、煙が出ている。
「あ"ぁあああああああっ!!」
激しい痛みに顔を歪ませ、蓮はその場に崩れ落ちた。
「そんな……っバカな……! 何故、防御が……!?」
「当たり前だわ」
片手のない蓮のもとへ、百合花がやってきた。
「あなたにとっての仏教は、力を行使するための媒介に過ぎない。信じていたのは、自分にとって都合の良い幻想。仮に仏がいたとしても、そんな煩悩まみれの小僧には力を貸してくれないでしょうね」
冷たい目で、蓮を見下ろしながらそう言うと、百合花は鼻で笑った。
「はぁ……。妄信していたはずの父親の言葉すらも理解しようとしないなんてね。ほんっとにどうしようもないわね」
「くそ……っがあああああああ!!」
蓮の身体に、火がついた。その身に書いた経は全く無意味とばかりに、炎は彼を焼き尽くしていく。
「バイバイ、蓮。邪淫を犯したあんたは、衆合地獄に堕ちるでしょうね。せいぜい苦しみなさい。狂信者」
刹那の内に、蓮の身体は灰燼と為れ果てた。
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